
人気イラストレーターと老舗子ども服ブランドの「夢のコラボ」は、発表からわずか二日で白紙に戻った。話題性と親しみやすい絵柄を見込んで組まれた企画が、なぜ短期間で撤回に追い込まれたのか。表向きの理由は「諸般の事情」だが、当事者が自ら明かした中止の決め手は、批判の域をはるかに超えた脅迫の存在だった。
ひとつのグッズ企画の顛末は、企業の起用判断と、ネット上の批判が暴力へと転じる危うさを同時に映し出している。
「しぐれうい×mezzo piano」中止を coly が発表 10月のPOPUP SHOPは白紙に
株式会社colyは17日、10月に予定していたコラボ企画「しぐれうい×mezzo piano」の中止を発表した。同社は理由を「諸般の事情により」とだけ説明し、来場を検討していた利用者へ「大変なご迷惑をお掛けしましたことを、深くお詫び申し上げます」と謝罪した。イベントへの申し込みはすべて自動でキャンセルされるという。
企画が発表されたのは15日のことである。イラストレーターであり個人VTuberとしても活動するしぐれうい氏と、ジュニア向けアパレルブランド「mezzo piano(メゾピアノ)」がコラボし、新規描き下ろしイラストを用いたグッズの販売と、名古屋PARCO、SHIBUYA109渋谷店、心斎橋PARCOでのPOPUP SHOP開催を予定していた。発表からわずか二日での撤回である。中止を知らせる coly 公式アカウントの投稿は、3600万回を超えて表示された。
批判の火種は「ロリ神レクイエム」 女児向けブランドとの組み合わせに噴出した違和感
この企画には、発表直後から強い批判が寄せられていた。焦点となったのは、しぐれうい氏の代表曲「粛聖!! ロリ神レクイエム☆」である。
しぐれうい氏は三重県出身のフリーイラストレーターで、漫画家や個人VTuberとしても知られる。KAI-YOUなどの報道によれば、2023年に公開された同曲はTikTokでダンスが模倣されて拡散し、VTuberのオリジナル曲としては異例の速さで再生数を伸ばした。ただ、この曲は幼い少女を名乗るキャラクターが聴き手を罵倒する構成で、タイトルが示すとおりロリータ・コンプレックスを題材に取り込んだネタ曲でもあった。
一方の mezzo piano は、子ども服大手のナルミヤ・インターナショナルが1988年から展開する、女の子向けアパレルの老舗ブランドである。子どもを主役に据えたブランドと、この題材で名を広めた作り手を組み合わせたこと自体に対し、SNS上では「ブランドイメージと相手の活動内容をしっかり考えて話を持ち込むべきだった」「単純にミスマッチだ」といった疑問が相次いだ。
同曲をめぐっては、過去にも尾を引く騒動があった。2023年当時、防犯ブザーを扱う教材メーカーの公式アカウントが楽曲に便乗する投稿を行い、「小児性犯罪を軽く見ている」と批判されて謝罪する事態が起きている。子どもを守る立場の企業が反応したことへの反発だった。こうした経緯を知るファンからは、今回の起用判断そのものを危ぶむ声も出ていた。
「私を含む関係者への暴力を示唆する脅迫」 しぐれうい氏が明かした中止の背景
企画への疑問は、しかし健全な批判の域にとどまらなかった。
しぐれうい氏は自身のXで、中止の経緯を自ら説明している。「様々なご意見をいただきましたこと、また私を含む関係者への暴力行為を示唆する脅迫もあり、安全を考慮し本コラボレーションは中止となりました」。来場を検討していた人々へは、急な連絡になったことへの謝罪も添えた。
ブランド側の受け止めも同様だった。スポニチアネックスによると、mezzo piano の公式アカウントも、さまざまな意見を受けたことに加え、「店舗運営をはじめとする関係者の安全に関わる内容もあったため」中止に至ったと説明したという。
実際、匿名の掲示板には、しぐれうい氏本人の身体への危害や個人情報の暴露をほのめかす書き込みや、POPUP SHOPの会場と初日を名指しして来場客への危害を示唆する投稿まで現れていた。作品の当否をめぐる批判は、いつしか脅しと予告へとすり替わっていたのである。
正当な批判はどこへ 脅迫が壊した議論
中止の一報は、事態をさらに複雑にした。
暴力による幕引きに、SNS上では強い警戒が広がった。「誹謗中傷をすれば中止に追い込めるという成功体験を与えないために、しっかりと対応していってほしい」という声のように、脅迫に屈する形で企画が消えたこと自体を問題視する意見は少なくない。
一方で、しぐれうい氏が脅迫を前面に出したことへの違和感を口にする人もいた。子どもに関わる領域へ踏み込んだコラボを受けた責任に触れないまま、被害者の立場だけを強調しているのではないか、という指摘である。
こうした賛否の交錯を、あるユーザーは冷静に言い当てていた。子ども向けブランドとして慎重であってほしいという問題提起自体は理解できる。だが、関係者への暴力を示唆する脅迫にまで至れば、その瞬間、まともに問題を提起していた人の議論までが吹き飛んでしまう。「嫌だからやめろ」が「怖いからやめます」に変わったとき、それはもう議論に勝ったのではなく、議論そのものを壊しただけなのだ。批判の当否を論じる土台ごと、脅迫が焼き払ってしまった格好である。
子どもを守る看板と、企業に問われる起用の判断
今回の騒動は、一つのコラボ企画の中止という枠を超えて、いくつもの問いを残した。
子どもを主役とするブランドが、どのような作り手と組むのか。その選定に、顧客である親や子どもへの想像力がどれだけ働いていたのか。企画を持ち込み、両者を引き合わせた側の判断は、いままさに問われている。同時に、ネット上の批判がいとも簡単に脅迫へと転じ、企業や個人の安全を人質に取って表現や企画を止めてしまう構図も、改めて浮き彫りになった。
熱心なファンも、丁寧に問題を提起していた人も、そして企画を楽しみにしていた人も、この結末で得をした者はいない。作品やブランドを愛する気持ちと、それを社会の中でどう扱うかという配慮は、本来両立させられるはずのものである。脅迫という最悪の手段に議論の場が明け渡されたことの意味を、送り手と受け手の双方が見つめ直す必要がある。



