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株式会社メディアブレイン

https://www.media-b.com/

〒400-0046 山梨県甲府市下石田2-14-8

055-268-2960

「与える経営」が、会社を変えた。メディアブレインに学ぶ、人が辞めない組織づくり

ステークホルダーVOICE 経営インタビュー
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メディアブレイン 「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」
「日本で一番大切にしたい会社大賞」授賞式にて(株式会社メディアブレイン代表取締役社長黒田啓彰氏、左から2番目、提供:メディアブレイン)

山梨県で初めて「日本で一番大切にしたい会社大賞」を受賞した会社がある。甲府市のメディアブレイン。社員が生き生きと働き、離職率はほぼゼロ。だが、この会社の社長・黒田啓彰氏には、かつて社員アンケートにこう書かれた過去がある。

「あなたはこの会社のジャイアンです」。

当時の黒田氏は、社員の目に、自らの成功を誇り、多くのものを奪っていく経営者と映っていたのだという。事業の失敗、大病、そして社員の半数が去るという苦境を経て、黒田氏は経営者としての姿勢を大きく変えた。「奪う」経営から、「与える」経営へ。その転換の歩みには、いま組織に悩む多くの会社にとって、確かなヒントがある。

 

オフィス機器の会社が、なぜ「働き方」で注目されたのか

メディアブレインは、もともとオフィス機器を扱う会社である。創業は2008年。事業の柱は、複合機や防犯カメラといったオフィス機器の販売で、なかでも全国のOA機器販売店へ卸す事業が大きい。大手家電量販店への供給から、地域の企業へ防犯カメラを設置する仕事まで、扱う幅は広い。売上の構成でいえば、こうした機器の販売が全体のおよそ85パーセントを占める。山梨県甲府市に本社を、南アルプス市に物流センターを構え、グループ全体では9社を擁する。

残るおよそ15パーセントが、近年になって力を入れている領域だ。コロナ禍を境に、同社はIT色を強めてきた。中小企業の営業組織を強化するアプリの開発、AIを使ったテレアポの支援、顧客対応の通話を文字に起こしてカスタマーハラスメント対策やサービス向上につなげる仕組み。あるいは、業務システムを使った顧客管理の構築まで。こうした「トータルオフィスソリューション」に加え、社内の結束を高めるインナーブランディングから、社外への発信を担うアウターブランディングまでを一貫して支援する「オフィスコンサルティング」も手がけている。

機器の販売と、組織づくりのコンサルティング。一見するとこの二つは、あまり結びつかないように見える。だが黒田氏の中では、両者は地続きだ。

メディアブレイン黒田社長

黒田 啓彰氏 (以下、黒田氏)
「僕たちがやっている営業組織を強くするアプリにしても、もともとは自分たちが同じ問題を経験して、それを乗り越えてきたから作れたものなんです。中小企業の営業組織では、リーダーやマネージャーが、うまく指示を出したり組織をつくったりできていないことが多い。それを僕ら自身がさんざん経験してきたからこそ、その悩みに伴走できるんです」

つまり、同社が組織づくりの支援を語れるのは、他社の理論を借りてきたからではない。自分たちが組織を立て直した経験そのものが、商材の裏づけになっている。事実、メディアブレインは、社員が働きやすい会社づくりへの取り組みが評価され、山梨県で初めて「日本で一番大切にしたい会社大賞」を受賞している。

では、その組織づくりは、どこから始まったのか。輝かしい受賞の内実をたどっていくと、話はまったく華やかでない場所へと行き着く。かつて黒田氏が「地獄」と呼ぶ、どん底の日々である。

 

「しあわせの好循環」というハリボテ

メディアブレインには、創業から2、3年の頃に黒田氏がつくった経営理念がある。「しあわせの好循環スパイラル」。社員の幸せを起点に、それが顧客へ、地域へと広がり、めぐりめぐって事業の発展につながっていく、という考え方だ。社員の幸せが、すべての最初に置かれている。理念だけを見れば、いまの受賞企業の姿ときれいに重なる。

だが、黒田氏はこの理念を、当時は本気で体現できていなかったと振り返る。むしろ、言葉と行動がまるで裏腹だったという。

黒田氏
「社員を大切にすると言っておきながら、僕自身の言動がまったくそうじゃなかったんです。理念はいいことを掲げているけれど、やっていることは全然ダメな経営者でした。完全に、ハリボテだったんですよね」

その裏腹さが、はっきり表れた場面がある。創業から数年、会社の売上が4億円から8億円へと一気に倍増した時期のことだ。飛躍を前にして黒田氏の口から出たのは、感謝でも労いでもなかった。

黒田氏
「これは俺の力で稼いだんだ、と思っていました。誰の売上のおかげだと思っているんだ、というようなことを、社員に言ってしまったこともあります。社員の幸せを掲げている人間が、そんなことを言う。おかしいですよね」

もちろん、黒田氏自身が会社を牽引していたことは事実だ。創業以来のトップセールスとして最前線に立ち、仕入れの判断も一手に握っていた。組織を大きくしてきた原動力が、社長個人の営業力にあったことは間違いない。給与も下げることなく、上げ続けてきた。

だが、その自負は、いつしか一線を越えていた。給与を上げ続け、待遇そのものは守っていた。それでも、会社は自分のものであり、稼いでいるのも自分だ、という意識がどこかで先に立つ。そうした感覚が、創業から10年ほどの間、抜けきらずにあったと黒田氏は認める。その意識こそが、理念とは裏腹の言動を生んでいた。理念は掲げられていた。だがそれは、黒田氏いわく「ハリボテ」だった。そしてこのハリボテは、やがて訪れる崩壊の中で容赦なく本人に突きつけられることになる。

2026年の黒田社長の誕生日
2026年の黒田氏の誕生日に撮影された写真
 

地獄に落ちた

崩壊は、創業10年目に訪れた。きっかけは、黒田氏自身が下した、一つの大きな決断だった。

その年、メディアブレインはドイツ・ブンデスリーガの名門サッカークラブと、オフィシャルパートナー契約を結んだ。グループでスポーツ事業も手がけていた縁から舞い込んだ話で、当初は夢物語にしか思えなかったという。それが、わずか3か月ほどで現実になった。だが黒田氏は、これを振り返って「地獄の始まり」と呼ぶ。

契約はきらびやかだったが、中身は消耗そのものだった。契約金に加え、ドイツから招いたコーチによる子ども向けのサッカーキャンプ、スタジアムのVIPラウンジの内装、通訳、度重なる渡航。費用は際限なくかさんでいく。ビジネス上の成果は見えないまま、2年間の契約で、1億数千万円が失われた。当時、それを吸収できるだけの蓄えはなかった。2019年4月期、メディアブレインは一気に債務超過へと転落した。

追い打ちは、それだけではなかった。契約から間もない2018年の夏、黒田氏は体の異変で病院を訪れ、そのまま緊急入院を告げられる。診断されたのは、生涯付き合っていかねばならない病だった。業績は壊滅的、海外との契約は待ったなし、そして自らは病に倒れる。すべてが同時に襲いかかってきた。

入院は2か月に及んだ。それでも黒田氏は、病床でなお、会社に戻ってからやりたいことばかりを考えていたという。退院の日、見舞いに来た妻が、会計も済ませないうちに、怒って病室を後にした。連日子どもの世話の合間に通ってくれた相手に、感謝の一言もなく、自分の事業の話ばかりを続けたからだ。人のありがたみも、感謝も分からなくなっていた。黒田氏は当時の自分を、そう省みる。

会社に戻った黒田氏を待っていたのは、社員との断絶だった。この頃、社員に対して匿名のアンケートが実施される。黒田氏自身は「匿名では悪い言葉が集まるだけだ」と反対したが、押し切られる形で行われた。返ってきたのは、黒田氏個人への、容赦のない言葉の数々だった。

「あなたはこの会社のジャイアンです」。自分のものも、社員のものも、すべて自分のものにしてしまう、という意味だ。「あなたの話は、誰も聞いていませんよ」。偉そうに語るばかりで、と。腹の底が煮えくり返るようだったと、黒田氏は言う。1、2か月のあいだ、胃が痛み続けた。

そして、社員が去っていく。45人から50人ほどいた社員のうち、半数ほどが、3か月ほどの間に相次いで退職した。あの人も辞める、この人も辞める。そんな知らせが続いた。

苦境は、社外にも及んだ。債務超過の決算書を手に銀行へ行けば、10期連続で黒字を続けてきた会社が突然おかしくなったことを、厳しく問われる。ある担当者からは、「あなたを相手にする金融機関は、山梨にはありませんよ」とまで言われた。事業の失敗、大病、社員の離反、そして資金の行き詰まり。黒田氏が「地獄」と呼ぶこの時期に、彼はほとんどすべてを失いかけていた。

 
黒田氏の著書
黒田氏の著書 『「人生」も「会社」も一度ぜんぶ失ったからズバ抜けて働きがいのある職場を作ってみた』 (ダイヤモンド社 刊)

3人が、いた

どん底で、黒田氏の心を動かした出来事がある。当時、現実から逃げるように、会社へ足を向けられない日々が続いていた。眠れない夜、ふと目にしたのが、一人の一流アスリートの引退会見だった。長く第一線で活躍してきたその選手が、これでやっと苦しみから解放される、という趣旨のことを口にした。その言葉が、黒田氏の胸に刺さる。

黒田氏
「あれほどの人でも、ずっと苦しみを抱えてきたんだ、と知ったんです。苦しいのが特別なわけじゃない。誰だって、苦しさを抱えたまま前に進んでいる。それなら自分も、逃げていないで一度ちゃんと向き合ってみよう。そう思えたんです」

向き合う、と決めた黒田氏は、社員一人ひとりと、1対1の面談を始める。アンケートであれほどの言葉を浴びせられた相手に、自分から会いにいく。そして、頭を下げていった。判断を誤った、対応を間違えた。申し訳なかった、と。面と向かえば、多くの社員は本音を隠す。だが、その中に、思いがけない反応を返した社員が、3人だけいた。

一人は、こう言った。何を間違ったというんですか、僕は社長についていきます、あなたが信じた道を行けばいい、と。もう一人は、一人で苦しまないで、もっと自分たちを頼ってくれ、と言った。そしてもう一人は、こう告げた。どこまでもついていきます、ここからですよ、社長、伝説をつくりましょう、と。

これほど経営判断を誤り、社員への対応を間違えてきた自分を、それでも信じてくれる人間がいる。その事実が、黒田氏を目覚めさせた。

黒田氏
「僕は、すごく人から奪っていたんだな、と思ったんです。会社は俺のものだ、俺が立ち上げたんだ、文句あるか、と。そんな感じで経営してきた。信じてついてきてくれた人がいたのに、感謝もせず、それが当たり前だと思っていた。3人が声をかけてくれて、初めてそれに気づいたんです」

自分は、奪う側の人間だった。テイカーだった。ならば、これからは逆に生きよう。黒田氏は、そう心を決める。奪うのをやめ、与える人生を生きる。この一つの転換が、後のメディアブレインのすべての取り組みの、出発点になっていく。

もっとも、その決意が、すぐに業績を好転させたわけではない。当時の会社は、依然として苦しい状態にあった。それでも黒田氏の中には、絶対に立て直すという気持ちが、はっきりと芽生えていた。山梨の金融機関からは相手にされない。ならばと、東京の金融機関へ、片端から電話をかけていく。何度も足を運んだ末、ある信用金庫が、1000万円の融資に応じてくれた。

黒田氏にとって、その額は、かつてなら小さく感じるものだったかもしれない。だが、このときばかりは違った。何度も何度も通い、ようやく引き出した1000万円。この金を血肉にして、もう一度這い上がる。そう誓いながら、黒田氏は泣きながら首都高を走って帰ったという。奪う経営者は、このとき、与える経営者へと歩み出した。

 

クレープから始まった「与える」経営

「与える」と決めた黒田氏が、まず手をつけたことは、拍子抜けするほど素朴だった。社員のために、スイーツを買ってきたのだ。

きっかけは、黒田氏がクレープを買ってきて配った、ただそれだけのことだった。今まで間違っていた、という詫びと感謝を込めて、社員に手渡す。それがいつしか「感謝のスイーツ」と名づけられ、社内の習慣になっていった。次に黒田氏が始めたのは、ランチを振る舞うことだ。振る舞うといっても、外から取り寄せるのではない。黒田氏自身が、社員のために料理をつくる。

正月には雑煮を、餅を焼いて出す。すると、手伝いを申し出る社員が現れた。前にスーパーで恵方巻をつくっていたという社員が、2月は恵方巻をやりますと言う。それが好評で、3月はちらし寿司、と続いていく。回を重ねるうち、手伝ってくれる社員は少しずつ増えていった。社長が汗をかいて奮闘する姿を、社員に見てもらう。そんな意図も、黒田氏の中にはあったという。

だが、あるとき黒田氏は立ち止まる。10月に50人分ものカレーをつくりながら、ふと考えた。物を与えるばかりが、報酬なのだろうか、と。この問いが、「与える」の意味を、大きく押し広げることになる。

黒田氏
「入浴中に、はっと思ったんです。今まで何でもかんでも、全部僕が決めていたな、と。だったら、社員に自由にやってもらうこと自体が、大きな報酬になるんじゃないか。こういう企画をやろう、と決める。その決定権そのものを渡すことが、社員にとっては何よりの与えるになるんじゃないか、と」

物を与えることから、決定権を与えることへ。この気づきから生まれたのが、「プロジェクト」の仕組みだ。ランチ会、新卒採用、感謝、コミュニティ交流、職場環境、SDGs。社内にいくつものプロジェクトが立ち上がり、社員が主導して動かしていく。特徴的なのは、そのリーダーに、事業の要職にある者ではなく、まだリーダー経験のない若手を据えたことだ。しかも黒田氏は、こう言い添えた。このプロジェクトに失敗はない、やった時点で成功だ、と。

若手にリーダーを任せることには、思わぬ効果もあった。実際にまとめる側に立ってみると、リーダーという役割がいかに大変かが分かる。周りが思うように動いてくれない難しさを、身をもって知る。任せることが、そのまま人を育てる場にもなっていた。

社員に委ねる姿勢は、会社の理念そのものの扱いにも及んでいく。黒田氏には、かねて気がかりがあった。「幸せの好循環スパイラル」という理念はある。だが、それを日々かみしめながら働く社員は、まずいない。立派だが、抽象的で、お題目になりかけている。そう感じていた。

メディアブレイン 心得
経営理念と心得

そこで黒田氏は、社員に「心得」をつくってもらうことにした。ただし、三つの条件をつけた。一つ、小学生でも分かる言葉にすること。解釈が分かれないほど、簡単にする。二つ、自分は口を出さず、社員が決めること。三つ、八つにまとめること。こうして生まれたのが、「思いあう」「明るく」「感謝」「素直」「気持ちのいい挨拶」「やりぬく」「まずやってみる」「笑顔を絶やさない-Let’s Keep Smiling-」という、八つの心得だった。

この心得を、どう浸透させるか。それも社員に委ねると、朝礼で唱和します、という答えが返ってきた。黒田氏は、それは無理があるのではと思ったという。だが社員たちは、いまも毎日、大きな声で唱和を続けている。黒田氏は、やれと言った覚えは一度もない。やがて社員は、会社の前で通行人にも挨拶をする「挨拶運動」まで、自分たちで始めた。

メディアブレイン 挨拶運動
挨拶運動の様子

黒田氏
「来週の月曜から挨拶運動を始めます、と言われて、何それ、という感じでした。僕は何の指示もしていないし、何も聞いていない。ある程度、締めるべきところ以外は、社員が自分たちでつくっていく。その経営参画がないと、理念というのはなかなか浸透しないのだと思います」

同じ発想は、働き方の改革にも広がった。黒田氏が手帳に「山梨で初めて週休3日を導入する」と書き記していたのを、社員への問いに変える。業務を効率化した報酬として、週休3日を勝ち取るのはどうか、と。ただ効率化しろと言えば、見返りもないのにと反発を招く。だが、休みという報酬がゴールにあれば、社員はそこへ向かって自ら工夫する。2か月に1日から始め、段階的に導入していった。休みが増えて手持ち無沙汰になる社員が出れば、その声を拾い、副業や兼業を解禁する。一つの取り組みが、また次の取り組みを生んでいった。

 

当たり前を、当たり前に

社員に委ねる経営は、やがて、組織そのものの体質を変えていった。その象徴が、不満の扱い方だ。

黒田氏は、1対1の面談で、社員に不満を吐き出してもらうようにした。会社への不平を、どんどん言っていい時間だと。あるとき、一人の社員が、別の社員への不満を強くぶつけてきた。あの人は電話をかけても折り返しをくれない、修理を待つ客がいるのに連絡もしない、と。以前の黒田氏なら、たしなめて終わりだったかもしれない。だが、このときは違った。

黒田氏が考えたのは、その不満の裏にある、本当の問題は何かということだった。連絡が滞るのは、やり取りが電話に頼っているからではないか。ならば、見た履歴が残る仕組みがあればいい。そう水を向けると、その社員が、あるビジネスチャットの名を挙げた。それをきっかけに、全社にチャットツールが導入される。個人への不満が、組織の課題解決へと転じた瞬間だった。

ここには、黒田氏が大切にする考え方がある。人を責めず、問題を責める。誰かへの不満も、その人を責める材料としてではなく、組織の仕組みを直すヒントとして受け止める。得だけを考えて言われる不満は聞き流し、組織が良くなるための指摘は拾い上げ、一つひとつ課題解決につなげていく。この構えが根づくと、会社の中では、あちこちで改善の提案が飛び交うようになっていった。

その積み重ねが、黒田氏が「浄化作用」と呼ぶ組織の力を育てた。どこかで誰かが不平を言っても、それを上回る前向きな空気を、周りの社員がつくり出す。マイナスの言葉は、長く尾を引かずに立ち消えていく。かつて、匿名アンケートで社長への非難があふれた会社は、いまや、不満が自然と浄化されていく組織へと変わっていた。

面白いのは、黒田氏が、あのアンケートの言葉を、いまも戒めとして胸に置いていることだ。「あなたの話は、誰も聞いていませんよ」。かつて突きつけられたこの一言を、黒田氏は否定しない。むしろ肯定している。自分の話を全員が聞いて理解してくれている、と思い込むことのほうが危うい。9割の社員は自分の話を聞いていない。そう戒めておくからこそ、伝え方を変え、何度も繰り返し、1対1のときにかみ砕いて話す。真実は、話す側ではなく聞く側にある。かつての非難を、黒田氏はそう捉え直している。

こうした一つひとつの実践を経て、黒田氏がたどり着いた結論は、意外なほどにシンプルだった。パーパスやビジョン、理念経営。組織づくりの手法はいくつも語られる。だが黒田氏は、究極のインナーブランディングは、もっと当たり前のところにあると言い切る。それは、習慣だ。

黒田氏
「僕は、習慣の集合体が企業をつくっていると思っているんです。気持ちのいい挨拶をする。掃除をする。時間を守る。決めたことをやり切る。そういう当たり前の習慣が形になっている会社が、メディアブレインなんですよね。当たり前のことを、当たり前にやる。それに勝るものはないと思っています」

だからこそ黒田氏は、組織に悩む経営者に、一つのことを伝えたいという。手段に走ってはいけない、と。良い取り組みを見て、自社でもやってみようと飛びつく。それ自体は悪くない。だが、何のためにやるのかという目的を見失えば、手段だけが独り歩きし、長続きしない。

黒田氏
「雰囲気を良くする、と言っても、何のために良くするのか。社員が毎日来て、居心地がいいと思える会社をつくるためだ、と。そうやって芯を捉えていけば、やり方なんて何百個でも出てきます。大事なのは、手段に傾倒しないこと。何を軸にするのかを、まず定めることなんです」

奪う経営者だった黒田氏を変えたのも、結局は、クレープを配るという小さな習慣からだった。当たり前を、当たり前に積み重ねる。その先にしか、組織の変化はないのかもしれない。

 

持続ではなく、再生を

奪う経営者から与える経営者へ。その転換をくぐり抜けた黒田氏が、いま自らの役割として見据えているのは、人を育てることだ。それも、ただの働き手ではない。自ら事業を起こせる人材、起業家を育てることだと話す。

黒田氏
「僕の最大の役目は、もう本当に、人を育てることなんです。起業家を育てる。そういう人間が増えていったら、中小企業もまだまだ捨てたものじゃない。世の中を調和させられる優秀な人たちが、たくさん生まれていく。その土壌になれたらと思っているんです」

その根には、黒田氏の一貫した確信がある。最強の生産性は、社員の志にある、というものだ。生産性は、仕組みや号令でも上げられる。だが、本人が「やってやろう」と燃えている状態に勝るものはない。志のある人は、濃い人生を歩み、幸せを実感し、周りに感謝できる。ピンチにも前を向く。ならば、経営者だけが志に燃えているのは不公平だ。社員一人ひとりが志を持てるように、会社が場を用意する。

その実践が、少し変わった形で表れている。社員が「やりたい」と口にしたことを、黒田氏が事業として拾い上げるのだ。かつて、ある社員が農業への思いを書いていた。その後たまたま、農業を継いでほしいという話が舞い込む。黒田氏はすぐにその社員を思い出し、任せた。飲食をやりたいという社員には、キッチンカーを。異業種に挑みたいという社員は、焼肉店を一から立ち上げた。

メディアブレイン社員
飲食事業を立ち上げた社員

志がまだ見つからない社員には、会社の側から次の舞台を差し出す。こういうことをやってみないか、と声をかけ、挑戦の中で志が育つのを待つ。物流センターのリーダーだった社員が、飲食店の運営責任者として新たな道を歩み始める、といった具合に。一人ひとりを日頃からよく見ているからこそ、その人に合った舞台を用意できる。悪い情報も含めて、現場の声が自然に上がってくる組織になったことが、それを支えている。

こうした人づくりの先に、黒田氏はさらに大きな絵を描いている。山梨という地域そのものの未来だ。ただし、その見立ては、決して甘いものではない。

黒田氏
「正直に言うと、僕たちの地域で、サステナビリティ、つまり持続可能性というのは、もう物理的に難しいと思っているんです。人口はこれからも大きく減っていく。跡取りもいない。若い人も県外へ出ていく。だから僕は、ただ持続させるより、もう一度つくり直していくほうがいいと思っているんです」

守るだけでは、地域はやせ細っていく。チェーン店と空き家ばかりが並び、その土地ならではの姿が失われていく。黒田氏が「持続」ではなく「再生」という言葉を選ぶのは、そんな危機感からだ。志を持った人が、耕作放棄地を引き受け、文化を継ぎ、新しい事業を起こしていく。行政ではなく、民間の力で、地域をつくり直していく。人を育て、その人が地域を再生する。黒田氏が見ている未来は、そこまで地続きにつながっている。

一人の経営者が、奪うことをやめ、与えることを覚えた。その小さな転換から始まった歩みは、いま、一つの会社の枠を越え、地域の未来をどうつくるかという問いにまで届こうとしている。地獄の底で3人の社員に差し出された言葉が、めぐりめぐって、地域そのものを支える力になろうとしている。

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ライター:

Sacco編集・ライター。企業に直接出向く取材が中心。扱う記事はサステナビリティ、ウェルビーイング関係が多め。

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