
局は事実関係を慎重に確認中と声明を出し、調査結果を後日公表する方針を示した。
UTYテレビ山梨の報道内容と公式声明
UTYテレビ山梨は2026年8月13日頃、終戦81年を前にした特集で山梨県韮崎市在住の96歳、志村義人さんのインタビューを放送した。
内容は15歳で海軍に入隊し、横須賀通信隊を経て駆逐艦橘に乗艦、1945年7月14日の撃沈を経験したあと、回天搭乗員に配属され出撃寸前で終戦を迎えたというものだった。
証言では恐ろしいと思わなかったむしろ名誉なぐらいと感じた、終戦後に仲間が3から4人回天で自爆したとも語られた。
この報道はTBS系列を通じて全国に広がった。指摘が広がったことを受け、同局報道部は8月15日に公式声明を発表した。
戦争特集の取材内容に多くの疑問と懸念の声が寄せられているとし、日頃応援する皆さんに心配をかけ申し訳ないと陳謝した。
ご指摘内容を重く受け止め事実関係を確認中で、命をかけて戦われた方の証言に関わる重要な事項のため一つひとつ慎重に調査を進めると説明した。調査結果は事実確認次第改めて報告するとした。
SNSでの指摘の背景と拡散の経緯
報道直後からXを中心に軍事史に詳しい利用者らが反応した。
回天搭乗員の公式名簿に志村さんの名前が見当たらない点が最初に指摘され、選抜資格や発令時期、訓練実態との矛盾が次々と挙げられた。
特に一次史料を確認できる研究者の投稿が引用され、コミュニティノートでも名簿不在が注記された。
指摘のポイントは、回天搭乗員は海軍兵学校や機関学校、予科練、予備士官など特定の出身者から選抜され名簿に網羅的に記録されるのに対し、通信兵ルートの経歴と合致しないこと、7月14日の橘撃沈経験後に出撃寸前になる時間的余裕がないこと、当時の回天本体数が不足し訓練が遅延していた実態、終戦後の自決が実際は2名のみで回天自爆例がないことなどだった。
これらの指摘が拡散し、局の声明発表につながった。
回天搭乗員とは何か
回天は太平洋戦争末期に旧日本海軍が開発した人間魚雷型の特攻兵器だ。
全長約14から15メートル、先端に約1.5トンの爆薬を積み、乗員1人が乗り込んで敵艦に体当たりする設計だった。
訓練基地は山口県大津島を中心に複数設置され、1944年から終戦まで運用された。
搭乗員は志願や選抜により任命され、最終的に約1375から1426名が着任したとされる。
内訳は兵学校・機関学校出身約122名、予備士官約244名、予科練約1050名などだ。
実際の出撃・戦没は搭乗員約106名程度で、平均年齢は20.9歳前後だった。名簿は着任者全員を記録し、出撃予定者も含む。
資格条件が厳格で、通信兵など一般ルートからの転属は基本的に想定されていなかった。
回天搭乗員名簿の閲覧と入手方法
名簿の原本は防衛省防衛研究所に所蔵されている。
研究者や一般の関心者は同研究所の史料閲覧手続きを経て確認できる。
利用には事前申請と身分確認が必要で、詳細は防衛研究所公式サイトの案内を確認する。
山口県周南市大津島の回天記念館では戦没者の氏名を刻んだ石碑や関連資料を展示しており、情報収集の一助になる。
二次資料としては元搭乗員や全国回天会関係の書籍、防衛研究所資料を基にした研究資料集が存在する。
フル名簿のインターネット完全公開はなく、一次史料の閲覧が基本となる。
部分的な戦没者リストは一部ウェブサイトや慰霊関連資料で確認可能だ。
記憶の混同錯誤誇張と報道の課題
96歳という高齢を考慮すると、戦争体験の記憶が時間経過で曖昧になり、似た体験と混同する可能性は否定できない。
駆逐艦での生死経験を回天の話に重ねて語ってしまったケースや、誇張が加わった可能性も指摘される。
意図的な虚偽の可能性もゼロではないが、外部から故意を断定するのは難しい。
報道側の課題として、証言を基に構成する際の一次史料確認不足が挙げられる。
名簿や発令記録との照合を事前に行っていれば、矛盾を早期に防げた可能性が高い。
局は慎重調査を進めるとしており、結果公表が今後の焦点となる。
歴史証言の正確性を保つには、メディアと検証コミュニティ双方の役割が重要だ。



