ログイン
ログイン
会員登録
会員登録
お問合せ
お問合せ
MENU

法人のサステナビリティ情報を紹介するWEBメディア coki

プーチン氏風刺画のロシア人アーティスト射殺 亡命先ポーランドで深まる政治的暗殺疑惑

コラム&ニュース コラム
リンクをコピー
プーチン風刺画
DALLーEで作成

ポーランド東部の町で、ロシア人アーティストが銃弾に倒れた。殺害されたのは、プーチン大統領を風刺する作品で知られたセミヨン・スクレペツキー氏。ロシアを離れ、ポーランドに亡命していた44歳の表現者だった。実行犯は逃走中で、背後関係もまだ明らかになっていない。それでも、権力者を笑う絵を描いてきた人物が亡命先で撃たれたという事実は、欧州の空気を一気に冷え込ませるには十分だった。

 

 

亡命先の駐車場で起きた銃撃

事件が起きたのは、ポーランド東部ビャワポドラスカ。ベラルーシ国境に近いこの町で、スクレペツキー氏は6月15日朝、自宅近くの駐車場にいたところを身元不明の男に襲われた。男は拳銃を発砲し、スクレペツキー氏が倒れたあとも近づいて撃ったとされ、頭部や胸部を撃たれた同氏はその場で死亡した。

この撃ち方には、偶然の事件という言葉では片づけにくい冷たさがある。口論が高じた末の発砲でも、金品を奪うための暴力でもないように見えるのは、相手が倒れたあとにさらに近づいて撃つという行為から、脅しではなく黙らせるための意思が透けて見えるからだ。銃声が響いたのは戦場ではなく、ロシアを逃れた亡命者が暮らしていた欧州の地方都市の駐車場だった。

事件後、ポーランド当局はベラルーシ国籍の男2人を拘束したが、AP通信によると、その後、証拠不十分で釈放された。実行犯は逃走中とされる。ポーランドのトゥスク首相は事件について政治的暗殺の特徴があると述べているが、現時点でロシア政府の関与が立証されたわけではないため、この線を越えて断定することはできない。ただ、断定できないからといって、事件の不気味さが薄まるわけでもない。

被害者はプーチン氏を風刺してきた亡命ロシア人で、現場はベラルーシ国境に近い町だった。さらに、ポーランドはウクライナ支援の前線に近い国でもある。いくつもの要素が重なっている以上、この事件を単なる海外の殺人事件として読み流すには、あまりにも政治の影が濃い。

 

権力者を笑わせなかった男

スクレペツキー氏の本名はロベルト・クゾフコフ氏。作品の題材にしてきたのは、プーチン氏、旧ソ連のスターリン、チェチェン共和国のカディロフ首長、ベラルーシのルカシェンコ大統領らだった。いずれも、自分が笑いの対象になることを好みそうにない顔ぶれである。

彼の絵は、穏やかな反戦ポスターではなかった。ロシア正教のイコンを思わせる構図を借り、そこに権力者の顔を押し込むことで、神聖なものの形をまとわせながら、その奥にある滑稽さをさらしていく。スターリンが幼子のようなプーチン氏を抱く絵はその象徴的な一枚で、悪趣味だと顔をしかめる人もいるだろうが、風刺はもともと権力者に花束を渡すための表現ではない。

権力は、自分を大きく見せたがる。歴史、祖国、秩序、威厳といった重たい言葉を身にまとい、批判する側を小さく見せようとする。風刺画家は、その装飾を引きはがし、怖いはずの人物を笑われる人物に変えてしまう。独裁的な権力にとって、これはかなり不快な攻撃であり、真正面から怒鳴られるより、馬鹿にされるほうがこたえることもある。

スクレペツキー氏は2021年、政治的意見を理由に迫害を受ける恐れがあるとしてロシアを離れ、ポーランドに移った。ロシアによるウクライナ侵攻後には、ロシアのパスポートを燃やす行動も取ったとされる。ただ、彼は分かりやすい反体制派の英雄でもなく、ロシア反体制派の一部やウクライナ指導部にも批判的で、味方の側に置いておくには面倒な人物でもあった。

そこに、彼の危うさがあったのかもしれない。誰かの旗の下に収まれば、守ってくれる人は増えるが、彼は自分の絵をどこかの陣営の宣伝物にする気はなかったのだろう。だから作品は鋭くなり、同時に孤独にもなった。

 

殺害3日前、ベルリンで掲げた風刺画

スクレペツキー氏は殺害される3日前、ドイツ・ベルリンのロシア大使館前にいた。そこで掲げていたのは、スターリンに抱かれたプーチン氏の風刺画だった。ロシアの権力が最も嫌がりそうな絵を、大使館の前で見せつけたことになる。

その後、スクレペツキー氏は自身に寄せられた批判や脅迫めいた反応を通信アプリに投稿していたとされる。危険の気配があったにもかかわらず、彼は絵を下ろさなかった。政治風刺は法律を変えるわけでも、軍隊を止めるわけでもないが、権力者の顔に泥を塗ることはできる。恐怖で支えられた支配にとって、笑いは厄介であり、崇拝されるはずの人物が笑われた瞬間、作り込まれた威厳にひびが入る。

独裁的な体制に近づくほど、風刺は危険物のように扱われる。紙の上の絵が反逆に見え、冗談が敵意に読み替えられ、笑いが処罰の対象になっていく。今回の事件の背後に何があったのかはまだ分からないが、風刺画家が銃で殺されたという事実は、表現が人を苛立たせるだけでは済まない場所まで来ていることを示している。

 

国境は、過去を消してくれない

スクレペツキー氏はロシア国内ではなく、亡命先のポーランドで殺された。国を出れば、少なくとも命の危険からは少し遠ざかると多くの亡命者は信じる。だが、国境は過去を消してくれない。抗議活動に出れば顔が映り、SNSに投稿すれば支持者にも敵にも届く。居場所を変えても、憎しみまで置き去りにはできない。

ポーランド政府はスクレペツキー氏に身辺警護を打診していたが、本人は辞退していたとされる。なぜ断ったのかは分からない。自由に動きたかったのかもしれないし、危険をそこまで切迫したものとして受け止めていなかったのかもしれない。あるいは、警護される生活そのものが息苦しかったのかもしれない。

守られることは、ただ安心を得ることではない。移動を意識し、予定を知らせ、常に誰かの目を背後に感じる生活は、亡命者にとって別の不自由でもある。だからといって、警護を断った本人に責任を押しつけるのは違う。問われるべきは、政治的に狙われる可能性のある人間を、受け入れ国がどこまで守れるのかという点であり、自由と安全はきれいに並んではくれない。

欧州では、ロシア批判者やロシアに関わる人物をめぐる不穏な事件が何度も起きてきた。英国では2006年、元ロシア連邦保安局職員アレクサンドル・リトビネンコ氏が放射性物質ポロニウムによって毒殺された。2018年には、元ロシア軍情報機関員セルゲイ・スクリパリ氏と娘が、神経剤ノビチョクによる毒殺未遂事件に巻き込まれた。ドイツでは2019年、チェチェン紛争に関わったゼリムハン・ハンゴシュビリ氏がベルリンで射殺されている。

今回の事件を、それらと同じものだと決めつけることはできない。ただ、欧州が神経質になる理由はある。ロシアに批判的な人物が国外で襲われるたび、亡命という言葉の安心感は削られてきた。今回もまた、その傷口に新しい血がにじんだ。

 

怒りが先走るほど、この事件は不気味になる

日本のコメント欄にも、ロシアへの怒りや恐怖があふれている。亡命しても命を狙われるのか。権威主義の国では、国境を越えても批判者は追われるのか。プーチン氏の名前を思い浮かべる人が多いのも無理はない。ウクライナ侵攻以降、ロシアの強権的な振る舞いを見続けてきた読者にとって、今回の射殺事件はあまりに出来すぎた構図に見える。

ただ、現時点でロシア政府の関与は立証されていない。ここだけは外せないが、その一文を置いたところで、事件の気味悪さが薄まるわけではない。プーチン氏を風刺してきた亡命ロシア人が、ベラルーシ国境に近いポーランドの町で、倒れたあとも銃撃されて殺された。この事実だけで、十分に重い。

むしろ問題は、誰もがすぐに政治的暗殺ではないかと考えてしまう空気そのものにある。ロシアに批判的な人物が欧州で襲われてきた過去があり、亡命者が安全地帯に逃げ切れない現実があるからこそ、人々は今回の事件を単なる殺人として見られない。陰謀論に飛びつく必要はないが、何も感じないふりをするほうが不自然だ。怒りが先に立つと、事件は雑に消費される。だが、怒りを抜きにして語れば、この事件の怖さもまた抜け落ちる。風刺画家が亡命先で撃たれ、権力者を笑う絵を描いてきた人物が銃で沈黙させられたという事実を前にして、冷静な顔だけをしているのも、どこか嘘くさい。

 

笑われることに耐えられない権力

風刺とは、権力者を笑う行為であり、恐怖で大きく見せられた人物を、人間の大きさまで引きずり戻す行為でもある。だから、風刺はしばしば不快で、時に品がなく、行き過ぎることもある。それでも、絵に対する反論は絵や言葉で返すべきであり、そこが崩れた瞬間、社会は暗くなる。  

誰かを笑うことが危険になり、権力者の顔を描くことが命がけになり、批判の線を少し越えただけで家族の安全まで考えなければならなくなる。そんな社会で、自由は看板だけになる。スクレペツキー氏の作品を好きか嫌いか、芸術として優れているかどうかは、ここでは本題ではない。表現への応答が銃弾であってはならないという一点だけは、譲ってはいけない。

ポーランド当局の捜査は続いており、実行犯も背後関係も事件の全体像もまだ見えていないため、ロシア政府の関与を断定することはできない。しかし、断定できないからといって、この事件の気味悪さが薄まるわけでもない。

スクレペツキー氏は、権力者を聖人のようには描かなかった。むしろ、権力が隠したがる醜さを、これでもかと見せつける絵を描いた。その絵が誰かを激しく怒らせたのだとすれば、怒った側のほうが自分の弱点をさらしている。風刺画家を黙らせるために銃が使われたのなら、それは強さではない。笑われることに耐えられない権力の、みっともない恐怖である。

 

Tags

ライター:

Webライター。きれいごとだけでは済まない現実を、少し距離を置いて綴っています。

関連記事

タグ

To Top