
東京では、木陰が東京ドーム256個分消えた。
しかも、日本経済新聞によると、東京の木陰は熱波で知られる海外都市より少ない。ニューヨーク、パリ、シドニー――そして砂漠都市フェニックスですら、東京より影が多いという。
その代償を払うのは誰か。真夏の通学路を歩く子どもたちであり、ベビーカーを押す親であり、そして「今年の夏も無事に乗り切れるだろうか」と考え始めた私たち自身かもしれない。
そんな夏を象徴するように、今年は男性用日傘の売り場が広がっている。真夏のアスファルトは60℃近くまで熱を帯び、日傘は半ば“装備品”になった。それは女性だけの話ではない。これまで日傘を差したことのなかった男性たちまで、折り畳みの日傘を買い始めている。
「ついに買った」
そんな声は、どこか小さな時代の変化にも聞こえる。かつて「男が日傘なんて」と笑われた国で、いま男性までが日陰を持ち歩き始めている。
これは美容ではない。流行でもない。サバイバルである。暑さに、人間の側が合わせ始めているのである。
「日当たり良好」が、いつから無条件の褒め言葉になったのだろうか。世界の都市が「どう日陰を増やすか」に知恵と予算を注ぐ一方、日本では“緑の日傘”が静かに消えている。街路樹は20年で50万本減少した。世界が「影」に投資する時代、日本だけがなぜ逆方向へ向かっているのか。
東京ドーム256個分の木陰が消えた 40℃時代の“逃げ場喪失”
真夏の昼下がり、駅から自宅までの10分が妙に長く感じる。それは年齢のせいでも、運動不足のせいでもない。街から木陰が消えているからだ。
東京大学の研究によると、東京23区の木の枝葉が地面を覆う割合、いわゆる樹冠被覆率は2013年の9.2%から2022年には7.3%まで低下した。10年足らずで消えた木陰は約12平方キロ。東京ドーム256個分に相当する。
数字だけでは実感が湧きにくい。だが言い換えれば、東京では10年足らずで「逃げ込める影」が東京ドーム256個分失われたということだ。40℃時代に入りつつある都市で、逃げ場が減っている。この事実は、少し不穏である。
しかも東京は、世界基準で見れば決して緑の都市ではない。日本経済新聞が各都市の公表資料をもとにまとめた比較によると、ニューヨークの樹冠被覆率は23.4%、シドニーは19.8%、パリは17.6%。砂漠都市として知られる米フェニックスですら11%ある。東京は7.3%だった。
熱波で知られる都市より、木陰が少ない。そう聞くと、ようやく現実味が出てくる。
まるで猛暑対策会議で、周囲が日傘や冷却ベストを準備するなか、一人だけ「気合いで行こう」と腕まくりしているような構図である。だが、その「気合い論」の代償は、街を歩く人間が払う。
木陰は景観の問題ではない。熱中症リスクを左右する、街のインフラだ。カナダ・カルガリー大学の分析では、木陰を現状より1割増やすだけで平均気温は0.8度下がり、3割増なら1.5度低下するという。
たった1度。だが真夏の38度と39度の差は、数字以上に人体へ響く。熱中症は、1度の差を甘く見てくれない。日陰は気分の問題ではない。
落ち葉、毛虫、苦情…木はいつから“嫌われ者”になったのか
もちろん理由は、単純な緑嫌いではない。背景には、日本社会そのものの変化がある。熱中症リスクを左右する“見えないインフラ”なのである。高齢化による多死社会と相続の増加だ。相続された住宅地は細分化され、庭付き戸建ては集合住宅へ変わる。真っ先に消えるのは庭木である。木は固定資産税を払わない。維持には手間も金もかかる。相続した土地を売る側にとっても、再開発を進める側にとっても、木はしばしば残す理由より撤去する理由の方が多い。
街路樹も似た事情を抱えている。木は悪者ではない。だが近年、その立場はあまり良くない。落ち葉が舞えば掃除が大変と言われ、毛虫が出れば苦情が入り、鳥が巣を作ればフンが問題になる。根が盛り上がれば舗装を傷め、台風で枝が落ちれば危険視される。倒木事故が報じられれば、管理責任が問われる。
気がつけば木は、街の歓迎されない住民になっていた。住民は困る。自治体も困る。だから切られる。そこに悪人はいない。だが、木陰だけが静かに消えていく。
国土技術政策総合研究所によると、国内の街路樹は2002年の679万本から2022年には629万本へ減少した。20年で50万本減った計算になる。自治体事情も重い。日本経済新聞によると、さいたま市では街路樹管理に年間9億円が必要とされ、予算の都合から「伐採しても植え替えない」ケースもあるという。高度成長期に植えられた木々は一斉に高齢化し、維持費も倒木リスクも増している。
その結果、増えているのがハナミズキのような“小さく管理しやすい木”への植き換えだ。合理的ではある。成長は遅く、剪定費は抑えられ、倒木事故のリスクも低い。
ただし、副作用がある。木陰が小さくなる。世界が「どう影を増やすか」を考える時代、日本では「どう木を小さく維持するか」が優先されている。少し皮肉な言い方をすれば、世界が緑の日傘を広げる時代に、日本は折り畳み傘のサイズを議論しているようにも見える。
もちろん、自治体を責めれば済む話でもない。住民の苦情は現実であり、予算にも限界がある。だが、だからこそ見えてくる構図もある。木を切っているのは、誰か一人の悪意ではない。相続、再開発、住民クレーム、剪定費、倒木リスク――それぞれは合理的な判断である。その合理性が積み重なった結果、街から影が消えているのだ。
木を維持できない社会の代償は、予算書の上ではなく、真夏の歩道に現れる。
シンガポールは「国家戦略」、台湾は「徒歩6分」…日本だけ“小さな木”へ
世界の都市は、猛暑対策を「気をつけましょう」で終わらせなくなっている。暑さは個人の根性や水筒の容量で乗り切る問題ではない――そう考え始めたからだ。
日本経済新聞によると、海外では日陰を景観ではなく「インフラ」として整備する動きが広がっている。
その代表格がシンガポールだ。赤道直下のこの都市国家では、半世紀以上前から「Shade Infrastructure(日陰インフラ)」という思想が進められてきた。建国の父、リー・クアンユー元首相は、高温多湿が国の生産性を下げると考えた。だから屋外の快適さは贅沢ではなく、国家戦略だった。
街には約200キロに及ぶ屋根付き通路が張り巡らされ、歩道には高木が植えられ、建物には深い庇が設けられる。暑いなら、日陰を増やす。話としては驚くほど単純である。だが日本との違いは、その単純な答えに本気で金を出したことだった。都市の半分近くが緑に覆われ、「影」は公共財になった。
台湾も大胆だ。2026年、頼清徳総統は「緑蔭倍増戦略」を打ち出し、1000万本植樹を掲げた。目標は、市民が徒歩6分以内に木陰へアクセスできる都市である。
徒歩6分。一見すると細かな数字だ。だが裏を返せば、「暑い日に、人は何分なら耐えられるか」を国が本気で考えているということでもある。
パリは2030年までに市内の3割を緑地にする計画を進め、ニューヨークは2040年までに樹冠被覆率30%を目標に掲げる。
そして日本はどうか。もちろん事情はある。道路は狭く、予算は限られ、倒木事故の責任も重い。だが結果だけを見れば、世界が「どう影を増やすか」を競うなか、日本は「どう木を小さく維持するか」に知恵を絞っている。少し皮肉な言い方をすれば、世界が「人を歩かせるための街」をつくる時代に、日本は「苦情が出にくい木」を探しているようにも見える。木は景観ではない。都市を冷やし、人命を守る生命インフラなのである。この温度差は、やがて街の風景だけではなく、人々の暮らし方そのものに影を落とす。
「子どもを歩かせて大丈夫?」 熱中症時代の通学路に広がる不安
ここ数年、夏を前にして少し身構える人が増えた。理由は単純だ。暑いのである。いや、正確には「暑い」で済まなくなってきた。
環境省によれば、熱中症による救急搬送は近年高止まりが続く。高齢者だけでなく、若い世代や子どもへの影響も深刻化している。気象庁も2026年夏について全国的な高温傾向を示している。昔の夏も暑かった。だが、今の夏にはどこか「逃げ場のなさ」がある。かつて夏は、入道雲や蝉の声、夕立を待つ季節だった。ところが近年は、熱中症警戒アラートの通知音に反応し、「今日は外へ出られるだろうか」と考える季節へ変わりつつある。SNSにもそんな感覚があふれている。
「道路はきれいになったけど、木陰は減った気がする」「お飾りみたいな街路樹だけで、歩いていて全然涼しくない。シンガポールを見習ってほしい」
強い言葉に聞こえるかもしれない。だがその奥には、「昔好きだった夏はもう来ない」という、少し寂しく、そして切実な実感が横たわっている。
皮肉なのは、景観整備が進んだ街ほど、逆に木陰不足を感じる声が少なくないことだ。首都圏の計画住宅地に住む女性はこう話す。
「道路も広くて街並みはきれいなんです。でも、歩いていると日陰は全然足りないと思う」景観の美しさと、夏を歩ける街かどうかは別問題なのである。
別の女性は、バンコクに赴任中の友人の話を引き合いに出す。「向こうは室内遊び場がすごく充実しているそうです。日本は暑いのに、逃げ場が少ないですよね」
木陰が減るとは、景観が寂しくなる話ではない。人が外へ出にくくなり、子どもが遊びにくくなり、クーラーは長く回り、電気代が上がるという話でもある。
つまり、生活コストの問題なのだ。
街から木陰が消える時、先に蒸し上がるのはアスファルトだけではない。家計もまた、静かに熱を帯びていく。そして、その影響は通学路にも及ぶ。
朝7時台。熱中症警戒アラートの通知がスマートフォンに届く。まだ登校時間である。蝉の声より先に警告音を聞く夏が、いつの間にか当たり前になった。
かつて通学には「体力づくり」という意味合いもあった。汗をかき、歩き、身体を鍛える。その価値自体を否定する人は少ないだろう。だが35度超えが珍しくなくなり、40℃が現実味を帯びる時代、その前提は少しずつ揺らぎ始めている。
首都圏で小学生を育てる母親は、登下校を見るたび疑問を抱くという。
「夏限定で構わないから、スクールバスを走らせるのはどうかと思うんです。炎天下を歩くのが当たり前という前提自体、見直す時期じゃないでしょうか」SNSにも切実な声が並ぶ。これは過保護の話ではない。
昭和の夏と令和の夏が、もはや別物になったという話である。
熱中症リスクが高いから車で送迎する。公園遊びを減らす。外出時間を制限する。こうした小さな判断が積み重なる。結果として増えるのは、ガソリン代であり、親の負担であり、外で過ごす時間の減少だ。
見た目だけを比べれば、日本の街は昭和よりずっと整った。再開発は進み、駅前は洗練され、タワーマンションは空へ伸び、景観整備も広がった。だがその一方で、どこか置き去りにされた問いもある。
この街は、誰のためにつくられているのだろうか。
人が夏でも歩けるためか。子どもが安全に通学するためか。それとも、別の合理性のためなのか。
再開発そのものが悪いわけではない。だが街の価値を「見た目の美しさ」や「資産価値」だけで測るなら、猛暑のなか人が歩けるかという視点は後回しになりやすい。その温度差は、夏の歩道に現れる。
令和の街並みを歩きながら、私たちはまだ昭和の夏を前提に暮らしているのかもしれない。暑さは個人の努力で乗り切るもの。歩いて通学するのは当たり前。日陰は「あれば良いもの」。そんな前提が、静かに残っている。
かつて日本人は、夏を避ける知恵を持っていた。簾、縁側、軒下。太陽を嫌っていたわけではない。むしろ敬いながら、正面から戦わない術を知っていたのである。
日当たり良好は、これまで疑う必要のない褒め言葉だった。だが気候が変わった以上、街づくりの辞書もまた、書き換わる時期に来ているのかもしれない。



