
RADWIMPSの新曲『娑婆堕罵 -Shabadaba-』に、政治への不満を重ねる声が上がっている。
国家や世襲、公金をめぐる挑発的な言葉。
しかし、寄せられた反応で目を引くのは、表現の過激さへの反発より「よく歌ってくれた」という共感だ。
ドラマ『ポリティカルパン』の主題歌が、なぜ聴き手自身の歌として響くのか。
「言ってくれた」の共感
10月28日に配信された『娑婆堕罵 -Shabadaba-』。国家や世襲、公金に切り込む言葉に、聴き手が自身の暮らしや政治への不満を重ねている。
YouTubeのコメント欄にも、その受け止め方が表れている。
「声を上げる勇気、かっこいい」「全アーティスト続けよ」と、発信する姿勢そのものを歓迎する声が並ぶ。
「国会前デモの曲だな!!!!」という投稿もあり、ドラマの主題歌を現実の社会への抗議として聴く人もいる。
注目したいのは、曲への評価が「良い音楽だった」にとどまらないことだ。
他の表現者にも続いてほしい、もっと広く届いてほしい。
そんな期待には、普段抱えている不満を、公の場で言葉にしてくれる存在を求める気持ちがうかがえる。
確認したコメントは全体の一部だが、そこには、過激な表現に驚く以上に、声が上がったことを喜ぶ反応があった。
自分が感じていた理不尽さが、歌として響いた。その解放感も、今回の支持を支える理由だろう。
暮らしと怒りが重なる
支持の理由を読み解く鍵は、歌詞が政治を生活の問題として描いていることにある。
出発点にあるのは、誰がどの思想を掲げているかではなく、自分の人生に無関心な相手が、なぜ自分の生活を左右できるのかという疑問だ。
負担を求められる側と、他人のお金で豊かさを享受する側。
その距離を並べることで、不公平が感覚として伝わってくる。
世襲への批判も、家柄によって権力に近づく人々と、その決定に従う人々の落差として読める。
ただし、歌詞は具体的な税率や政策の是非を論証しているわけではない。
怒りを極端な比喩や皮肉に変え、聴き手が自身の経験を重ねられる余地を残している。
終盤に身近な相手とのつながりへ視線が移る点も見逃せない。
社会への怒りの先にあるのは、そこで何とか生き続けようとする人の姿だ。
政治の話が、遠い議事堂から自分の部屋へ戻ってくる。それが歌の切実さを支えている。
保守にも届く理由
興味深いのは、政府への批判を歓迎する理由が、支持者の間でも同じではないことだ。
投稿には、現在の政府への不満を重ねる人もいれば、政治全体の腐敗への批判だと捉える人もいる。
保守の立場から、政府批判と国を思う気持ちは両立すると訴える声も見られる。
同じ曲を支持していても、想定している問題や政治家は違う。
そこで共有されているのは、細かな政策への合意より、権力者に異議を唱える姿勢なのだろう。
歌詞に高市氏など特定の政治家の名前は出てこない。
確認した公式コメントでも、批判対象を特定政権に限定してはいない。
一方、聴き手が現在の政治と重ねて受け止めることには、自然な流れがある。
ただ、支持する投稿に書かれた移民政策などへの主張まで、そのまま作者の意図とはいえない。
作品が開いた共感の入り口に、それぞれの政治認識が持ち込まれている。
支持の広がりを見るうえで、この違いは押さえておきたい。
政治の金を盗む女
曲の背景にある『ポリティカルパン』は、石原さとみ主演、野木亜紀子脚本の怪盗ドラマ。
舞台は日本によく似た架空の国・ニッポニアだ。
大泥棒の如月弥生は、国の衰退で盗みの商売も難しくなるなか、不透明な政治資金に目をつける。
弥生は元総理の娘に接触し、政界へ入り込もうとする。
そこで待ち受けるのが、高橋一生演じる与党金庫番のエリート議員。
政治家と泥棒がだまし合う物語の中で、政治のお金の行方が浮かび上がる。
世襲、公金、怪盗。主題歌の言葉は、ドラマの設定と密接につながっている。
主人公自身も盗む側にいるからこそ、何が合法で、誰が悪党なのかという問いも生まれる。
制作側は公式紹介で、現実の社会にテレビドラマができることを考え、政治のお金を題材に選んだと説明している。
主題歌を現実の政治への抗議として聴く反応は、ドラマの問題意識とも地続きなのだ。
RADに残っていた牙
『前前前世』などの大ヒット曲からRADWIMPSを知った人には、今回の言葉は意外に映るかもしれない。
一方、投稿には、社会の不合理への皮肉は以前からあった、という受け止め方もある。
反骨精神を歓迎する声には、驚きだけでなく、慣れ親しんだバンドへの信頼もにじむ。
YouTubeでは「尖ってこそ我らがRADWIMPSよ」「RAD変わってなくて嬉しい」といった声も見られる。
政治的なメッセージへの賛同とは別に、鋭さを失わないバンドへの喜びがあるのだ。
ライブで観客が声を合わせる光景を思い描く投稿もあり、支持は歌詞の主張だけでなく、音楽としての高揚感にも向けられている。
この連続性は、制作側の説明にも表れている。
北野拓プロデューサーは『おしゃかしゃま』『DADA』を好んでいたことを挙げ、今回の主題歌を依頼した経緯を明かしている。
野田洋次郎も、挑戦的な依頼を受け、自身の苛立ちや憤りを制作に注いだと語った。
今回の曲だけで、バンドの政治的立場を決めることはできない。
ただ、美しい旋律で人を包み込む表現と、鋭い言葉で居心地の悪さを突きつける表現は、同じバンドの中に共存している。
だからこそ、新たに共感した人には「代わりに言ってくれた」と響き、以前からのファンには「牙が残っている」と映るのだろう。
主題歌として生まれた『娑婆堕罵』は、聴き手が自分自身の声を見つける場所にもなっている。



