
年間休日を、業界で最も多い水準へ。現場から上がる声を、次々と制度に変える。新入社員が恩師に宛てた色紙を、母校まで届けにいく。いま、富士産業では、人を大切にするための新たな取り組みが、次々と生まれている。全国で高齢者施設や病院などの給食事業を手がけ、従業員は1万7000人。この大企業の人事を統括しているのが、2025年に発足したばかりの人事本部だ。
そしてこの本部は、現場の栄養士から人事の仕事に移った稲田絵梨香氏を含む若手社員たちが二度の却下を越えて立ち上げたものだった。人に選ばれ、人が育ち、居たいと思える会社へ。その歩みを、稲田氏と、本部を率いる若山智弘氏に聞いた。
発足1年足らずで、休日を業界トップへ。人事本部が次々に起こす変化
富士産業に人事本部が発足したのは、2025年10月のことだ。まだ一年にも満たない。だが、この短い間に、会社は目に見えて動きはじめている。
象徴的なのが、働き方をめぐる変化だ。かつて年間107日だった休日は、この4月から130日へと引き上げられた。同業の中で、最も多い水準である。正月に働く従業員への手当が新たに設けられ、人事評価の仕組みも、現場の実態に合う形へと見直された。いずれも、従業員から寄せられた声を起点にした変化だ。
人事担当者の工夫が、全社へと広がる動きも生まれている。ある事業部で始まった、新入社員が恩師へ感謝の色紙を届ける取り組みは、いまや全国へと展開されつつある。そうした循環が、回りはじめた。
これらはいずれも、発足まもない人事本部が生み出したものだ。人を採用し、育て、長く働き続けてもらう。その取り組みを、富士産業はいっそう前へと進めている。では、この変化は、どこから始まったのか。物語は、若手社員が抱いた、切実な思いにさかのぼる。
人事本部の歩みをたどる前に、この変化の当事者である二人が、富士産業という会社をどう捉えているのかを聞いた。
富士産業株式会社への評価
ステークホルダーVOICE
若山智弘さん (富士産業株式会社・人事本部 執行役員本部長)
取材・証言確認:綿引誠 / 2026.10.28 掲載
富士産業株式会社への評価
ステークホルダーVOICE
稲田絵梨香さん (富士産業株式会社・人事管理部 兼 人事戦略部 戦略課)
取材・証言確認:綿引誠 / 2026.10.28 掲載
現場を渡り歩いた栄養士が、人事に転じて見た現実
稲田絵梨香氏が栄養士として富士産業に入社したのは、2016年のことだ。まずは高齢者施設に配属された。以来、稲田氏は様々な現場での経験を積んでいく。別の高齢者施設へ、病院へ、そして子ども療育センターへ。数年ごとに環境を変え、高齢者から子どもまで、さまざまな人の食を支えてきた。異動の多くは、稲田氏自身が望んだものだった。新しいことに挑みたい。その気持ちを上司に伝えると、快く送り出してもらえた。
栄養士として現場を経験する中で、稲田氏の関心は、次第に「人」へと向かっていく。後輩の面倒を見ること、人と関わることが、もともと好きだった。転機が訪れたのは、入社8年目のころだ。事業部ごとに人事課が新設されるタイミングで、出身地である愛媛の四国西事業部に採用担当がいないという。上司から声がかかり、稲田氏は現場の栄養士から、人事の仕事へと移った。
新しい役割は、やりがいのあるものだった。だが同時に、それまで見えていなかった現実を突きつけられることになる。
採用に携わってみると、どの現場も、慢性的な人手不足に苦しんでいた。人を採っても、なかなか追いつかない。加えて、一度入った人に長く働き続けてもらうことの難しさも、稲田氏は肌で感じるようになる。自分が採用に関わり、相談に乗ってきた人が職場を去っていくたびに、その難しさが胸に迫った。

稲田氏
「現場はどこも人手不足な中でも、採用した人や、相談に乗っていた子たちが辞めていってしまう。人事課をしていた時、それが一番つらかったんです。どうにかこの状況を打破できないか、という思いが、何より強くありました」
人を採用することと、入社した人に長く働いてもらうこと。その両方の難しさを、稲田氏は現場の最前線で見ていた。人事にもっと力を入れるべきではないか。人を大切にし、育てることに、もっと会社の力を振り向けるべきではないか。稲田氏の中で、その思いは日ごとに強くなっていった。
やがて稲田氏は、一つの考えにたどり着く。今の人事課の枠組みでは、この課題には立ち向かえない。人事のあり方そのものを、変える必要がある。この確信が、後の大きな挑戦へとつながっていく。
役員5人、全員が「否」。二度の却下でも、消えなかった火
富士産業には、「若手育成会議」という場がある。若手社員が集まり、研修を通して会社をより良くするための提案を練り上げ、経営陣にプレゼンする取り組みだ。二年のあいだに半年の活動期間が二度あり、時間をかけて一つの提案を練り上げていく。子ども療育センターで働いていたころ、稲田氏は上司の推薦を受けて、この会議に参加することになった。栄養士という立場でありながら、会社の未来を考える場に加わったのだ。
そこで稲田氏が仲間とともに掲げたのが、人事本部の設立だった。人事課はすでにあった。事業所の運営を優先させなければならない事情も多く、採用や人材育成に十分な力を注ぎきれない。ならば、人事の機能そのものを引き上げ、採用にもっと本腰を入れられる体制をつくるべきだ。稲田氏たちは、そう訴えた。
だが、提案は通らなかった。審査員を務める5名の役員は、全員が「否」の判断を下したのだ。
稲田氏
「一度目では承認をもらえませんでした。今ある組織でもできるのではないか、という指摘もありました。私たちの準備やプレゼンも、審査員を納得させられるほどのものではなかったのだと思います」
一度目の却下のあとも、稲田氏たちは引き下がらなかった。それでも人事本部は必要だ。どうにかしたい。その思いを同じくする仲間とともに、情報収集を続け、再びプレゼンに臨む。だが、結果は変わらなかった。二度目も、「否」だった。
二度の却下は、多くの場合、そこで諦める理由になる。実際、若手育成会議での提案そのものは、これで幕を閉じた。だが、稲田氏たちの中で、火が消えることはなかった。会議という枠組みで通らなかったとしても、この課題が消えてなくなるわけではない。現場では、いまも人が足りず、人が去っていく。提案が採点される場のためではなく、本当に必要だと信じているからこそ、稲田氏たちは歩みを止めなかった。
そして、ちょうどこのころ、稲田氏の環境にも、大きな変化が訪れる。社長から声がかかり、稲田氏は本社の新設部署へと異動することになったのだ。かねて東京で働きたいという思いを抱いていた稲田氏にとって、それは願ってもない機会だった。そしてこの異動が、二度却下された提案を、思わぬ形で前へと動かしていく。
人を増やせば済む話では。その問いを越えた、三度目の挑戦
稲田氏たちの提案を受け止めた一人が、若山智弘氏だった。当時、若山氏は総務本部長の職にあり、その傘下には総務、情報、そして人事の部門があった。人事を預かるその立場から、若山氏は若手育成会議に呼ばれ、稲田氏たち5人のメンバーと向き合うことになる。人事本部を立ち上げたい。5人がそろって訴える提案を、若山氏は受け止める側にいた。 もっとも、若山氏は当初から賛同していたわけではない。むしろ、稲田氏たちの熱意に対して、慎重な問いを投げかけていた。人事本部で何をやりたいのか。従業員と密にコミュニケーションを取り、離職を防ぎたい。巡回して、現場の声を拾いたい。そう語る稲田氏たちに、若山氏はこう返した。それは、今のメンバーでもできるのではないか。人を増やせば済む話ではないか。わざわざ部を本部に格上げする必要が、どこにあるのか。

若山氏
「面談や離職防止、採用をやりたい、と。それは今のメンバーでもできるでしょう、人を増やせばいいのではないか、と申し上げていました。あえて部から本部にする必要があるのか、と。そこは、かなり厳しく言っていました」
提案は、若手育成会議では承認されなかった。今ある組織の延長で対応できるのではないか。その問いを越えられないかぎり、話は前に進まない。稲田氏たちは、一度ならず二度までも、その壁に阻まれた。
だが、稲田氏が本社の新設部署へ異動してきたことで、若山氏との距離は近くなる。同じ本社で、相談を重ねられるようになったのだ。そして、稲田氏たちが三度目の提案に臨んだとき、若山氏の前に置かれた資料は、それまでのものとは明らかに違っていた。面談、離職防止、採用。やりたいことの中身は、変わっていない。だが、その手前に、新しい論理が加わっていた。なぜ人事本部が必要なのか。人事はどうあるべきか。まず現場の情報を集め、それを分析し、各事業部の人事課へと戦略として落とし込んでいく。単なる業務の担い手ではなく、会社全体の人事戦略を描く司令塔になる。そういう構想だった。
若山氏
「三度目の資料は、それまでと違っていました。まず情報を収集して、分析して、各人事課に落とし込むという戦略を立てたい、と。それを見て、私も、そうだったらいいな、と思ったのです。むしろ、その部分ができていなかったのだ、と気づかされました」
「強化」から「戦略」へ。稲田氏たちの提案は、既存の業務を延長するものから、会社の人事のあり方を根本から描き直すものへと、姿を変えていた。若山氏が長く感じていながら、手をつけられずにいた空白。それを、稲田氏たちの構想が突いてきたのだ。かつて厳しい問いを投げていた若山氏は、このとき、提案の最も強力な後押し役へと変わっていく。
そして、この三度目の資料には、もう一つ、大きな仕掛けがあった。人事課を、事業部から切り離して本社付けにする、という提案である。若山氏自身、考えたことのない発想だった。この構想が、人事本部の設立を、決定的に後押しすることになる。
人事課を、事業部から切り離す。本社付けが生んだ、横のつながり
三度の挑戦を経て、稲田氏たちの構想は、ついに役員会議で承認される。2025年10月1日、富士産業に人事本部が発足した。二度の却下から諦めずに歩み続けた提案が、会社の新しい柱として形になった瞬間だった。
この人事本部の設計には、一つの大きな転換があった。人事課を、事業部から切り離し、本社付けにしたことだ。それまで、人事課は各事業部の中に置かれていた。営業課、業務課、栄養管理課、人事課。同じ事業部の中で並ぶこれらの部署のうち、どうしても優先されるのは、売上に直結する営業や業務だった。人を増やそうにも、事業部の労務費の枠がある。人事は、後回しにされがちだった。
稲田氏
「事業部の中に人事課があると、どうしても営業課や業務課が優先されてしまいます。人を増やすとなっても、人事課ではなく、そちらに回る。事業部の運営の都合が、どうしても先に立つのです。それに、一つの事業部だけが良くなればいい、というわけではありません。会社全体として良くなってほしい。その事業部は採用ができるけれど、ほかはできない。それでは、意味がないと考えました」
人事課を本社付けにすれば、この構図が変わる。特定の事業部の都合に左右されず、全社を見わたして採用や育成に力を注げる。しかも、指示の流れも速くなる。それまでは、本社が事業部に依頼し、事業部長が人事課へ指示を下ろす、という段階を踏んでいた。人事本部からなら、各事業部の人事課へ、直接指示を届けられる。動きが、格段にスピーディーになった。
本部となった人事は、全国に広がる組織を束ねるため、「ブロック」という単位を設けた。富士産業の事業部は、全国におよそ23。これらをいくつかのブロックにまとめ、関東ブロック、首都圏ブロックといった括りで動かしていく。各ブロックにはリーダーを置き、人事本部は、そのブロックリーダーと毎月ミーティングを重ねる。さらに、各事業部の人事課からは、一週間の動きを記した週報が上がってくる。全国に散らばる現場の情報が、こうして本社へと集まる仕組みが整えられた。
この横のつながりが、それまでにはなかった動きを生み出す。かつて、事業部の人事課は、それぞれが単独で動いていた。一つの事業部に、人事担当がたった一人。孤立しがちなその働き方が、ブロック制によって変わる。

稲田氏
「これまでは、事業部の人事課の一人が、一人で動いていました。それが、ブロックの人事課の数名と一緒に打ち合わせをしたり、学校訪問に行ったりできるようになりました。そこは、変えて良かったところだと感じています」
一人で抱えていた採用の仕事を、複数の目と手で進められるようになった。情報を持ち寄り、知恵を出し合う。本社付けとブロック制がもたらしたこの変化が、人事本部の実際の力になっていく。
恩師に届く、一枚の色紙。現場の声が、会社の制度を動かす
情報が本社に集まるようになったことで、人事本部は、各地の良い取り組みを全社へ広げられるようになった。その象徴が、一枚の色紙をめぐる取り組みだ。
きっかけは、東京事業部の試みだった。その年の新入社員が、母校の恩師に向けて、色紙にメッセージを綴る。色紙の片側には、白衣を着て事業所で働く、いまの自分の写真。もう片側には、四年間の感謝の言葉と、こんな仕事をしていますという近況。それを、人事課の担当者が、直接その恩師のもとへ届けにいく。
この取り組みが、思わぬ反響を呼んだ。それまで、企業と学校の接点は、就職支援課の窓口で止まることが多かった。だが、教え子の近況が綴られた色紙が、恩師のもとへ直接届く。

若山氏
「先生方が、とても感動してくださいます。教え子が富士産業に入社して、まだ数か月だけれど、こういう仕事をして、こんなふうに働いている。それを実際に見て、涙を流す先生もいらっしゃいます。新しく入ってきた社員を、これだけ大事に教育しています。本人はこれだけ頑張っています。そういう会社だということを、伝えたいのです」
学校とのつながりが、以前よりも深まる。この東京事業部の試みが、ブロックの会議で共有された。人事本部は、これを全社の取り組みへと広げていった。一つの事業部の工夫が、本社に吸い上げられ、全国へと波及する。本社付けとブロック制がもたらした、情報の循環が、確かに機能しはじめていた。
人事本部が動かしたのは、現場の工夫の共有だけではない。従業員の声を、会社の制度そのものへと反映させる流れも、着実に進んでいる。
富士産業では、2022年から、従業員満足度調査を実施している。従業員が何を求めているのかを集計し、その結果を取締役会に示す。そこから、次の施策を人事が提案していく。この仕組みが、いくつもの具体的な制度を生み出してきた。
たとえば、休日だ。富士産業の年間休日は、かつて107日だった。給食事業は、365日、誰かが現場に立ち続ける仕事だ。休みを増やしてほしいという声は、以前から上がっていた。同業他社の多くが年間120日を超える中で、富士産業は、その水準に届いていなかった。
そこで会社は、大きく舵を切る。社長の号令のもと、業界で最も休日の多い会社を目指すことになったのだ。新たにリフレッシュ休暇の制度を設け、有給休暇の取得と合わせて、年間休日を130日にまで引き上げた。同業の中で、最も多い水準である。この4月から、その新しい休日数が始まっている。
制度の見直しは、休日だけにとどまらない。365日稼働する職場ゆえに、盆も正月も誰かが働く。その声を受けて、正月に働く従業員への手当が新設された。
人事評価の仕組みも見直された。それまで、現場の従業員を評価する一次評価者は、事業部の管理部門の社員が務めていた。だが、「毎日一緒に働いて、自分をより近くで見てくれている人から評価されたい」。そんな声を受けて、評価者を、事業所の責任者へと改めた。新入社員の研修も、これまでの一日から二日へと拡充し、社会人としての土台を、より丁寧に築けるようにした。
これらの制度改善に共通するのは、いずれも従業員の声を起点としていることだ。若山氏は、その変化の背景を、こう語る。

若山氏
「2022年から、少しずつ変えてきました。従業員の声をもっと取り入れよう、しっかり聞いていこう。会社として、その姿勢を年々強めてきたのです。現場の声に耳を傾け、一つひとつ形にしてきた。その積み重ねだと思います」
現場の声が、制度を動かす。かつて、事業部の中で後回しにされがちだった人事は、いまや、従業員の声を会社の変化へとつなげる回路になりつつあった。
新卒だけではない。外国人材も、教育も、内定者フォローも
人事本部が向き合うのは、新卒採用だけではない。その仕事は、いくつもの領域に広がっている。
まず力を注いでいるのが、リクルーターの育成だ。会社説明会で、学生が最初に出会うのは、人事課の担当者である。若山氏は、リクルーターこそが富士産業の「顔」だと考えている。
若山氏
「学生からすれば、人事課イコール富士産業、その顔なのです。だからこそ、リクルーターには、一人ひとりの学生をしっかり見てほしい。学生が何を求め、何を聞きたいのか。それを察して、応えていく。目配り、気配り、心配りが、何より大事だと思っています」
説明会で分厚い資料を最初から最後まで読み上げても、学生の心には響かない。相手が本当に知りたいことは何か。それを感じ取り、応える。そうした姿勢が、学生との信頼関係を生む。若山氏は、リクルーター一人ひとりと向き合い、その伝え方を鍛えてきた。学生が入社の理由を問われたとき、「あの人がいたから、この会社に決めた」と答えてくれる。そんな採用こそが、目指す形だ。実際、ある新入社員は、入社の理由を「東京の人事課の方が素晴らしかったから」と語ったという。
外国人材の受け入れも、人事本部が担う大きな領域だ。富士産業は、2019年から外国人の採用を始め、いまでは技能実習生と特定技能を合わせて、およそ1800人の外国人が在籍している。その支援や在留資格の手続きを、専門の部署が引き受ける。日本の文化に不慣れな彼らのために、日本語の研修や、暮らしのマナーを学ぶオリエンテーションも設けている。さらに、意欲のある外国人が調理師の資格を取得できるよう、試験対策の勉強会も定期的に開いている。労働人口が減っていく中で、外国人材の力は欠かせない。彼らのキャリアを、会社が本気で支えていく姿勢が、そこにはある。
社員教育の体系づくりも、人事本部の仕事だ。入社時の研修から、経験を積むごとに受ける段階別の研修まで、学びの道筋が整えられている。今年からは、これまで手薄になりがちだった二年目、三年目の社員に向けた研修も新たに加えた。ここでも起点となったのは、従業員満足度調査で寄せられた声だった。
内定者へのフォローにも、細やかな工夫が凝らされている。内定から入社までのあいだ、学生が不安を感じてしまわないように。連絡の手段は、学生になじみの薄いメールから、日常的に使うメッセージアプリへと切り替えた。内定式の会場も、学生が自信とやる気を感じることができるような場へと見直している。同じやり方を続けるのではなく、絶えず改善を重ねてきた。
採用、外国人材、教育、内定者フォロー。人事本部が担うこれらの領域は、それぞれが、人を採り、育て、長く働き続けてもらうという、一つの目的へとつながっている。
いまは、まだ二合目。「選ばれ、育ち、居たい会社」へ
発足から、まもなく一年。人事本部は、いまどのあたりを歩いているのか。その現在地を、若山氏は山登りにたとえる。
若山氏
「目指す理想の形を頂上とするなら、いまはまだ、二合目くらいだと思います。発足してまだ一年も経っていないのですから。ようやく登りはじめたところです」
二合目。それは、まだ道半ばであることの正直な表明であると同時に、確かに歩みはじめているという手応えでもある。二度の却下を越えて生まれた本部が、目指すべき頂を見据えながら、一歩ずつ足を進めている。まだまだできることはある。それでも、情報が本社に集まり、現場の声が制度を動かし、良い取り組みが全社へ広がっていく。その手ごたえは、着実に積み上がっている。
登るべき道の先には、新たな課題も見えている。富士産業は近年、企業向けの産業給食を強化する方針を打ち出した。事業が広がれば、その現場を支える人が、さらに必要になる。調理師も、栄養士も、パートも。営業部門が描く事業計画に合わせて、人事本部は、必要な人材をどう確保していくかを見据え、備えを進めている。事業の成長と、それを支える人の確保。その両輪を回していくことが、これからの人事本部に課せられた役割だ。
そして、この歩みが向かう先にあるのが、富士産業が掲げる一つの方針である。人に選ばれ、人が育ち、居たいと思える会社。学生や求職者から選ばれる会社であること。入った人が学び、力をつけ、成長できる会社であること。そして、働く人が、この会社にずっといたいと思える会社であること。この三つを満たす会社をつくること。稲田氏たちが人事本部の設立に込めた思いは、この会社の目指す姿と、まっすぐに重なっていた。
現場で人の離職に胸を痛めた一人の栄養士の思いは、二度の却下を越え、一つの本部となって、いま会社を動かしはじめている。その歩みは、まだ二合目。だが、目指す頂は、はっきりと見えている。
感謝を伝えたいステークホルダーへのメッセージ
最後に、二人が日ごろ感謝を伝えたい相手を尋ねた。返ってきたのは、二人とも、同じ方向を向いた言葉だった。会社を根底で支える、現場の人々への思いである。
若山 智弘氏(富士産業株式会社 人事本部 執行役員本部長)より、全国の事業所で働く従業員の皆さんへ
取材・証言確認:綿引誠 / 2026.10.28 掲載
稲田氏の感謝も、同じく現場へと向かう。自らが現場を歩んできた経験が、その言葉ににじんでいた。
稲田 絵梨香氏(富士産業株式会社 人事戦略部 戦略課 人事管理部)より、現場で働く皆さんと、支えてくれた上司の方々へ
取材・証言確認:綿引誠 / 2026.10.28 掲載



