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【富士山遭難】「助けてもらえばいい」は誰の命で成り立つのか 富士宮市長が怒った“閉山中登山”の代償

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登山
PhotoACより

吹雪の富士山で、救助隊員の荒い呼吸音が響く。

閉山中の富士山で相次ぐ遭難事故に対し、静岡県富士宮市の須藤秀忠市長が「自己責任になっていない」と強い怒りを示した。問題は単なる“無謀登山”ではない。命懸けで救助に向かう隊員、公費負担、そして“観光化した富士山”の歪みまで、日本社会が抱える課題が浮かび上がっている

 

 

「冗談じゃない」 市長が怒りを隠さなかった理由

横殴りの雪だった。

視界は白くかすみ、足元は凍結。酸素の薄い標高3000メートル級の山で、救助隊員たちは重い装備を背負いながら、一歩ずつ雪面を踏みしめていく。

聞こえてくるのは、荒く切れる呼吸音だけ。

閉山中の富士山では、この春も遭難事故が相次いだ。5月には中国籍の23歳男性が9合目付近で滑落。さらに3月にも外国籍男性が遭難し、山岳遭難救助隊が出動している。

こうした事態を受け、富士宮市の須藤秀忠市長は会見で強い言葉を口にした。

「遭難したら助けてもらえばいいというのは、とんでもない話」

さらに、救助隊側の危険性についてもこう訴えた。

「もし二次遭難が起きたら、家族や上司は我慢できない。冗談じゃない」

この発言がここまで大きな反響を呼んだのは、多くの人が“救助する側の危険”を改めて突きつけられたからだろう。

遭難事故が起きれば、助けに行かなければならない。

しかし、その現場は、命を救うために別の命が危険へ踏み込む世界でもある。

 

閉山中の富士山は「観光地」ではなく“冬山”だ

夏の富士山しか知らない人にとって、閉山中の山は想像しづらいかもしれない。

だが、実際の富士山頂付近は、春でも真冬そのものだ。

気温は氷点下。突風は身体を横から吹き飛ばすほど強く、雪と氷で登山道は完全に別世界へ変わる。

一歩踏み外せば、そのまま数百メートル滑落する危険もある。

それでも毎年、閉山中の登山者は後を絶たない。

背景にあるのは、近年のSNS文化とも無関係ではない。

雪化粧をまとった山頂の映像は、美しく“非日常体験”として拡散される。「自分も行けるかもしれない」と錯覚する人も少なくない。

さらに富士山は、日本で最も有名な山だ。

そのため、「初心者でも登れる山」というイメージが強く残っている。

しかし、それはあくまで夏山シーズンの話である。

閉山中の富士山は、観光地ではない。

経験、装備、判断力、その全てを要求される本格的な冬山だ。

 

「自己責任論」が簡単ではない理由

今回、ネット上では厳しい声が相次いだ。

「閉山中の登山は違法化すべき」
「救助費用は全額自己負担にすべき」
「救助そのものを制限するべきだ」

実際、埼玉県では防災ヘリによる救助に手数料が発生する制度が導入されている。

須藤市長も、より高額な負担による抑止効果に言及した。

確かに、“救助される前提”で危険地帯へ入る行為に対し、一定の責任を求めるべきだという意見には説得力がある。

しかし一方で、「自己責任」で片付けきれない難しさも存在する。

遭難者をどこまで救助するのか。

装備不足なら対象外なのか。
外国人観光客はどう扱うのか。
経験者の事故はどう判断するのか。

線引きは極めて難しい。

さらに富士山は世界遺産であり、日本を代表する観光地でもある。

国も自治体も「日本へ来てください」と発信し続けてきた以上、安全情報や危険性の周知不足について、行政側の責任が全くないとも言い切れない。

つまり今回の問題は、「無謀な登山者が悪い」で終わる話ではなく、“観光”と“自由”と“公共救助”の境界線をどう設計するのかという、日本社会全体のテーマでもある。

 

なぜ人は「自分だけは大丈夫」と思ってしまうのか

そして、この問題をさらに深く考えるうえで重要なのが、人間の心理だ。

遭難事故が報じられるたび、多くの人は「なぜそんな危険な場所へ行くのか」と感じる。

だが、人間には本能的に「自分は大丈夫」と思い込む傾向がある。

心理学では「正常性バイアス」と呼ばれる現象だ。

周囲に人がいる。
SNSで成功体験を見る。
過去にも登った人がいる。

そうした情報が積み重なることで、本来の危険性が過小評価されていく。

特に富士山は、日本人にとって幼少期から見慣れた存在でもある。

教科書にも出てくる。
観光ポスターにも映る。
旅行番組でも特集される。

“身近な存在”であるがゆえに、「恐れる山」ではなく「行ける山」として認識されやすい。

しかし自然は、人間の都合で優しさを変えてはくれない。

天候が崩れれば、数分で死に直結する環境へ変貌する。

そこを忘れた瞬間、山は牙をむく。

 

長野でも続く山岳事故 “春山”特有の危険

事故は富士山だけではない。

長野県でも先日、山岳事故が相次いだ。

蝶ヶ岳では60代女性が滑落死。戸隠連峰では46歳の女性医師が死亡。鹿島槍ヶ岳では71歳男性が行方不明になっている。

さらに奥穂高岳では、71歳男性が約100メートル滑落し重傷を負った。

春山は、一見すると穏やかに見える。しかし実際には、雪解けと凍結が繰り返される最も危険な時期の一つだ。

雪が緩んだと思えば、日陰では氷が残る。朝と昼で状況が一変し、経験者でも判断を誤る。

「春だから大丈夫」

その油断が、命取りになる。

 

富士山は“聖なる山”であり続けられるのか

須藤市長は会見で、こうも語った。

「富士山を死人の山にしたくない」

この言葉は、単なる行政的な発言ではない。

富士山は古くから信仰の対象であり、日本人にとって特別な山だった。

しかし近年は、“映える観光地”として消費される側面も強くなっている。

登頂証明。
SNS投稿。
非日常体験。

もちろん観光そのものが悪いわけではない。

だが、「自然への畏れ」が薄れたとき、人は危険を軽視し始める。

今回の遭難問題は、その変化を象徴しているのかもしれない。

富士山は、誰にでも開かれた山である一方、決して人間に従う山ではない。

だからこそ今、必要なのは、「登れるかどうか」ではなく、「本当に登るべき状況なのか」を考える視点なのだろう。

 

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ライター:

Webライター。きれいごとだけでは済まない現実を、少し距離を置いて綴っています。

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