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西山鋼業株式会社

https://www.nishiyama-kougyo.com/

〒116-0002 東京都荒川区荒川5-18-4

03-3892-1111

材料屋からモノづくり支援企業へ。1世紀のご縁と荒波が育んだ西山鋼業のステークホルダー経営

ステークホルダーVOICE 経営インタビュー
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西山鋼業社長
西山鋼業 社長 (撮影:加藤俊)

鉄鋼業界において、流通から加工までを一貫して手がける複合型企業として独自の存在感を放つ西山鋼業株式会社(東京都荒川区)。1923年(大正12年)の創業以来、関東大震災、太平洋戦争、そして幾多の経済危機を乗り越え、100年以上の歴史を刻んできた。

同社の最大の特徴は、特定のメーカーや商社の資本が入らない「独立系企業」であること。そして、自社で在庫リスクを負う「自販比率100%」を貫き、約1000社に及ぶ顧客と直接向き合っている点にある。

今回は、昨年社長に就任し、同社を次なる100年へと導く4代目の西山晋平代表取締役にインタビューを実施。現在の同社が注力する「提案型営業」や、現場を大切にする企業文化、次なる100年への展望を伺った。 そして記事の後半では、同社の100周年記念誌を紐解き、西山鋼業がなぜこれほどまでにステークホルダーとの「ご縁」を重んじるのか、そのルーツとなる創業期の物語を紹介する。

 

「自販比率100%」と「提案型営業」で選ばれるパートナーへ

西山鋼業 製品群
西山鋼業の製品群

— まずは、現在の西山鋼業の事業内容と、御社ならではの強みについて教えてください。

西山晋平社長(以下、西山): 弊社は鉄鋼の流通を祖業としながら、現在では薄板(うすいた)の曲げや穴あけといったプレス加工、さらにはその加工に使う「金型」の設計・製作までをワンストップで手がけています。従業員数はパート等を含めて174名、年商は158億円(2025年9月期)となっています。

私たちが扱う材料や加工品は、空調ダクトやエレベーター等の建築設備、OA機器やサーバーラック等の通信設備、セルフレジや陳列棚等の商業設備など、ありとあらゆる最終製品に姿を変え、社会のインフラを支えています。

— 流通から金型づくりまでを一貫して行う企業は珍しいのでしょうか。

西山: 加工まで行う会社はあっても、金型まで自前で作れるところは同業でもうちくらいだと思います。 それに加えて、私たちは「受託加工(賃加工)」を一切行わず、「自販比率100%」を貫いています。業界としてはメーカーや商社から加工委託を受ける、いわゆる賃加工の商売もありますが、私たちはすべて自社のリスクで材料を仕入れ、在庫を持ち、自分たちでお客様を見つけて販売しています。

— リスクを負ってまで、自販にこだわる理由は何でしょうか。

西山: その方が「商売としての面白み」があるからです。販売価格は市況で決まりますが、仕入価格は自分達で工夫して抑えることが出来ます。そして何より、お客様に対して自由な「提案」ができるからです。例えば、お客様によっては一級品ではなく、少しキズが入っているような材料でも問題ない場合があります。

弊社としても廃棄する製品が減るので歩留りが向上しますし、一級品より安くなるのでお客様にも喜んでもらえます。また、弊社のお客様は大抵、金型を使わない板金加工でモノづくりをされています。

しかし、なかには手間の掛かる加工もあり、私たちが「この部品はプレス加工に工法転換すれば、手間とコストが大幅に削減できますよ」と提案する。手間とコストのかかる板金加工は弊社がプレス加工で請け負うことで、お客様の生産性が向上し、大変感謝されます。

受託加工の決められた枠内では、こうした伴走はできません。「材料屋」から、お客様の課題を共に解決する「モノづくり支援企業」へと進化することが、今の私たちのテーマです。

危機を飛躍に変えた「現場の力」とボトムアップの社風

西山鋼業 社長

— 御社の提案力の根底には、どのような企業文化があるのでしょうか。

西山: 長年大切にしているのが、「直需志向(ユーザーと直接取引をすること)」と「現場への権限委譲」です。トップダウンで指示するのではなく、現場の社員に考えさせ、任せるボトムアップの社風が根付いています。この社風が、過去の大きな飛躍を実現し、危機を救ってきました。

例えば、昭和53年(1978年)に浦安にコイルセンター(鉄のコイルを加工する自社工場)を作った時のことです。当時、うちは仕入れ元の商社から加工済みの板を買って販売していました。自社で工場を建てるということは上流工程を自ら行うことになり、仕入れ元からは猛反対を受けました。しかし、現場の熱意に押されて工場設立を断行。結果的に現場の営業が一生懸命に売り先を開拓し、商売を大きく拡大させ、最終的には仕入れ元との取引額も増えて喜んでいただけたのです。

— プレス加工事業への本格参入時にも、現場の力が発揮されたそうですね。

西山: はい。現会長の西山寬が平成9年(1997年)に福島工場を立ち上げた時のことです。当初、大手事務機メーカーの二次下請けとして部品を作っていましたが、ある時、当社の取引先であった一次下請けの会社が倒産してしまいました。 最悪の事態でしたが、うちはその倒産した会社のキーパーソンとなる熟練従業員たちを自社に受け入れ、生産体制を再構築しました。

メーカー側は当初、新規の直接取引先を増やすことに難色を示していましたが、彼らが福島工場に視察に来た際、かつての馴染みの職人たちがうちの巨大なプレス機の前で懸命に働いている姿を見て、「これなら任せられる」と一次下請けへの昇格を認めてくれたのです。人の縁と技術を現場で引き継いだ熱意が、ピンチをチャンスに変えました。

 

法改正や国内回帰を追い風に、生み出した利益を社員へ還元する

— 昨今、日本のモノづくり産業を取り巻く環境は激変していますが、現在の事業環境はいかがですか。

西山: 過去と比較すると、商売しやすい環境になりつつあると感じております。

一つは、地政学リスクや為替変動による「国内回帰」の動きです。これまで中国などの海外で金型を作り生産していた企業が、BCP(事業継続計画)の観点から金型を日本に引き上げ、国内生産に戻す動きが加速しています。そのため、金型設計からプレス加工まで国内で一貫対応できる当社への引き合いが増加しています。

もう一つは、「取引適正化法(旧下請法)」の影響です。これまで、金型をお客様から預かって保管していても、保管料は頂けないのが業界の暗黙のルールでした。しかし、コンプライアンス意識の高まりにより、適正な金型保管料をいただけるようになるなど、取引の健全化が一気に進んでいます。

— そうして得られた適正な利益は、どのように活用していくのでしょうか。

西山: 従業員への還元や、生産性向上のための投資に回しています。一般的に、中小企業の生産性は大企業の6割程度と言われています。我々が今後も生き残っていくためには、この「4割のギャップ」を埋めていかなければなりません。

そこで社内に「生産性向上委員会」を立ち上げ、専門機関にも依頼して「この工程は自動化(FA化)できる」「動線をこう改善できる」といった客観的な診断を受けました。適正な取引によって生まれた利益を、設備の自動化や職場環境の改善に投資することで、社員の働きやすさを高め、さらなる付加価値を生み出す好循環を作っていきたいと考えています。

祖父の遺言を胸に。次なる100年へ向けた決意

— 西山社長ご自身の入社の経緯についても教えてください。

西山: 大学卒業後、アメリカやドイツへの留学を経て、鉄鋼メーカーで数年間修行を積み、2014年に30歳で西山鋼業に入社しました。

会社を継ぐことを強く意識したのは、祖父(2代目)の存在が大きいです。私が大学4年の時に亡くなったのですが、幼いころから「晋平、大きくなったら頼むぞ」と声をかけてくれていました。そんな祖父の期待に応えたいという気持ちもあり、後継者としての道を歩むことを決意しました。

— 最後に、次なる100年に向けての意気込みをお願いします。

西山: 人口減少に伴い国内需要が減る中で、お客様のモノづくりにどこまで入り込めるかがテーマになります。現在の事業領域は鉄鋼流通、プレス加工、金型設計・製作ですが、今後は事業領域を広げながらお客様のモノづくりにより深く入り込み、それを支えていける企業を目指したいと考えております。

これからも現場の社員や取引先の皆様と共に、新しい価値を創造していきたいですね。

 

【創業期の物語】なぜ「ご縁」を重んじるのか。焼け野原と奇跡のタンス預金

西山社長が語るステークホルダーとの絆や直需志向。その確固たる信念のルーツはどこにあるのだろうか。同社の100周年記念誌を紐解くと、そこには事実は小説より奇なりと言えるような、先人たちの壮絶なドラマと数奇なご縁の物語が記されているので再構成して紹介したい。

一家の没落と「借金のカタ」。それでも失わなかった矜持

西山鋼業の古い写真
昭和初期の西山鋼業の写真(提供:西山鋼業)

西山鋼業の創業者である初代・西山傳平(でんぺい)は、明治34年(1901年)、山梨県春日居村(現在の笛吹市)で生を受けた。父・幸作は20人ほどの従業員を抱える製糸工場を営んでいたが、ある時、生糸価格の暴落という不運に見舞われる。これに端を発し、一家は2万円(現在の価値で数億円に相当)という多額の負債を背負い、工場を手放す事態へと追い込まれてしまった。

幸作には10人もの子供がいた。長男であった傳平は当時、尋常小学校の高等科2年。級長を務めるほど優秀で、上の学校へ進学することを夢見ていた。しかし、家が没落した今、自分が働きに出るしかない。14歳の傳平は、幼い弟妹たちを養うため、そして一家の借金を返済するため、同村の生原製糸という会社へ年季奉公に出ることになった。それは事実上、「借金のカタ」として身売りされるに等しい形だった。

この窮状を見かねた村の有力者が傳平の才能を惜しみ、「あと1年なんだから、学費を出すから奉公は卒業してからにしたらどうか」と援助を申し出た。しかし傳平は「他人の世話にはなりたくない」と、即座にその申し出を辞退し、自らの足で過酷な労働環境へと飛び込んでいった。

だが、傳平はただの奉公人で終わるつもりはなかった。「こんな調子ではどんなに頑張っても借金は返せない。東京へ出て、力いっぱい働き、自分で商売をして一旗揚げたい」。そんな強い野心を抱いていたのである。

傳平の秘めた才能を感じ取っていた母・すえは、奉公先の生原嘉四郎社長に「傳平を東京へ行かせてやってほしい」と直訴した。貴重な働き手を失うことに当初は難色を示した嘉四郎だったが、最後にはこう言って快諾する。

「傳平という男はなかなかのものだ。借金のカタに山梨で使っているのも悪い気がする。好きなようにやらせてみるか」 この生原社長の恩情による決断がなければ、西山鋼業の歴史は幕を開けることはなかった。解放された傳平は、東京・浅草の銅鉄商「飯島商店」に住み込みで働き始め、鉄という商材と出会うことになる。

関東大震災の動乱と「奇跡のタンス預金」

飯島商店で懸命に働いた傳平は、給料を無駄遣いせずコツコツと貯金し、ついに独立資金として400円を蓄えた。いよいよ自分の店舗を持とうと、払い下げ家屋の入札に臨むため、浅草の実業銀行からその400円を引き出した。

しかし惜しくも落札は叶わず、大金を手元に置いておくのは不用心だと銀行に戻そうとしたが、すでに午後3時を過ぎて入金できなかった。翌日も祝日だったため、傳平は仕方なく自分の部屋のタンスにその400円を仕舞っておいた。

運命の大正12年(1923年)9月1日。関東大震災が発生する。

外出先で激しい揺れに襲われた傳平は、急いで飯島商店に戻った。店は倒壊し、家財道具が道端に投げ出されている。火の手が迫り、地獄絵図のような状況の中、傳平の目に入ったのは、道に転がっていた自分のタンスだった。

震える手でタンスの引き出しを開けると、「あった、あった」。そこには400円の現金と預金通帳が無事残っていた。震災の影響で実業銀行は倒産し、預金残高は返ってこなかった。もしあの時、銀行にお金を預けたままだったら、傳平の血と汗の結晶である独立資金はゼロになっていたのである。

この奇跡的に手元に残った400円と、かつての恩人・生原嘉四郎社長からポンと貸してもらった400円、合計800円を元手に、焼け野原の東京で「西山銅鐵店」は産声を上げた。焼け跡から古トタンを集めて再生し、古鉄を回収する。生きるための商売からのスタートだった。

 

焼け野原からの再起と、世代を超えた伏線回収

不屈の精神で立ち上がった西山鋼業だったが、昭和の時代に入ると再び戦争という大きな波に飲み込まれる。

2代目社長となる傳平の長男・繁(しげる)は、学徒出陣で戦地に赴いた。南京で終戦を迎え、昭和21年(1946年)に東京・新三河島へ復員してきた繁が見たのは、再び焼け野原となった故郷の姿だった。「もう二度と戦争はやってはいけない」。そう強く感じた繁は、「毎日ブラブラしているのは嫌だ。商売を始めたい」と、空き地に15坪のバラック小屋を建てて商売を再開する。

戦後の物資不足の中、繁は信じられないような情報を耳にする。「山梨県のある山中に、数十トンの亜鉛をはじめスズや銅の塊(インゴット)が隠されている」というのだ。旧日本軍が生産し日本へ運んだものだった。そして、そのインゴットが収納されていた場所こそ、初代・傳平が若き日に奉公し、独立の背中を押してくれた恩人の会社、「生原製糸」の倉庫だったのだ。

繁はすぐに生原製糸の管理者と交渉し、そのインゴットを払い下げてもらった。戦後の復興でメッキ用の材料が喉から手が出るほど求められていた時代、これらのインゴットは飛ぶように売れ、西山鋼業の財政的な基礎を盤石なものにした。初代を助けた恩人の会社に、世代を超えて再び助けられるという数奇なご縁であった。

未来へ受け継がれるDNA

「借金のカタ」というどん底からのスタート、奇跡のタンス預金、焼け野原からの二度の再起、そして恩人たちとの繋がり。西山鋼業の歴史は、決して平坦なものではない。だからこそ、どんなに会社が大きくなっても、特定の資本に頼らず自らの足で立つ「独立系」にこだわり、リスクを取ってお客様と直接向き合う「直需志向」を大切にしているのだ。

100年という歳月をかけて培われてきた、ステークホルダーとの絆と不屈のDNA。それは今、4代目・西山晋平社長の「モノづくり支援企業」という新たなビジョンに受け継がれ、次なる100年へと力強く脈打っている。

西山鋼業 社長

<企業情報>
西山鋼業株式会社
設立:1923年9月
事業内容:鉄鋼流通事業、プレス加工事業、金型設計・製作事業
本社所在地:東京都荒川区
従業員数:174名(パート等含む)
売上高:158億円(2025年9月期)

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ライター:

株式会社Sacco 代表取締役。一般社団法人SHOEHORN理事。週刊誌・月刊誌のライターを経て2015年Saccoを起業。 連載:日経MJ・日本経済新聞電子版『老舗リブランディング』、週刊エコノミスト 『SDGs最前線』、日本経済新聞電子版『長寿企業の研究』

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