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株式会社中部シイアイシイ研究所

https://www.ccic.co.jp/index.php

〒441-0301 愛知県豊川市御津町上佐脇大郡23番地

0533-77-2150

事務の要として26年、「中部CICは私を成長させてくれた会社」

ステークホルダーVOICE 社員・家族
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山本みち子さん
人を大切にする会社で事務の要として26年間勤めた山本みち子さん(画像提供:株式会社中部シイアイシイ研究所)

中部シイアイシイ研究所(以下、中部CIC)の事務の要として26年間勤めた山本みち子さんは、家庭の事情で同社を離れることとなった今も、「中部CICは私を成長させてくれた会社」と感謝の想いを口にします。

工場の規模が拡大し、顧客の幅も層も広がる中、会社の成長期を駆け抜けた山本さん。事務処理のツールも、事務コンピューターからパソコンへと変化し、社長と二人三脚で事務の要を担ってきました。

そんな山本さんに、中部CICでの日々を振り返ってもらい、仕事のやりがい、学び、同社に期待することなどを語っていただきました。

人を大切にする会社、20年余年の変遷で垣間見える「社長の優しさ」

はじめに、山本さんと株式会社中部シイアイシイ研究所(以下、中部CIC)とのつながりの経緯とお仕事内容についてお聞かせください。

山本

きっかけは、友人が「事務のパート募集中」のチラシをくれたことです。

ちょうど仕事を辞めたタイミングだったので、9時から16時までの事務職という条件に惹かれて応募しました。当時の豊橋工場は自宅から徒歩3分だったので、アクセスの良さも魅力的でした。

面接で会社を訪れたとき、若かりし頃の山口社長が、現場で仕分けをされていました。

今では笑い話ですが、若いアルバイトのお兄さんかと思ったら面接に臨席されていて、「この方が社長になる方だったのか」と驚いたことを覚えています。

採用された当初は、私の他にベテランの事務員が2人おられて、社長が半日現場、残りの半日事務に加わるという体制で回っていました。

ところが私が入社してわずか半年後、ベテランの2人が退職の時期を迎えます。あっという間に私がいちばんのベテランになってしまいました。

新しく2名の事務員が加わり、社長も率先して事務仕事を担ってくださったおかげで、なんとか仕事をこなす毎日でした。

新たに入社された方々も素直な方ばかりで、きちんとメモを取り、こちらが言わずとも率先して動いてくれました。

中部CICでは、雇用形態を問わず誰もが一生けん命に仕事をします。会長も社長も人を大切にする方々なので、良いご縁が繋がって好循環が生まれているのだと思います。

社内のあたたかい雰囲気が伝わってきます。中部CICの代表取締役社長の山口弘修さんからメッセージをいただいておりますので、代読いたしますね。

中部CICの代表取締役社長の山口弘修さんから山本みち子さんへ

  • 山口弘修さん
  • 山本みち子さん

山本さんは、豊橋から豊川に工場を移転するに伴い、退職した事務員さんです。

山本さんは、私が中部CICに戻った数カ月後に入社したのですが、その後約25年間、様々な苦楽をともにしてくれた功労者です。

会社の変遷を一番近いところで見てきたので、思うところもあったかと思いますが、『それでもここで働きたい』と長年思ってくれていたことに感謝しかありません。

私も『彼女がいるから大丈夫』という絶大な信頼を置いていました。

工場の統合を機に退職となってしまったのが非常に残念ですが、事務所の要として彼女の力が非常に大きかったので名前を挙げさせていただきました

とのことです。率直なご感想を聞かせてください。

山本

そんなふうに言っていただいて嬉しいです。社長がこうして気にかけてくださることに、感謝しかありません。中部CICはとても家庭的で仲が良い職場なので、本当はずっと勤めていたかったです。

以前社長にもお話していたのですが、「『今日は山本さん来んね。どうしたのかね?』と事務所の皆で言っていたら亡くなっていた」というような最期を思い描いていたくらいです。

社長が本当に従業員思いで、この20年余りの変遷の中でも従業員を思って改善された部分が多々あります。

例えば私が入ってすぐの頃は、それぞれの持ち場で昼休憩をとり、ばらばらに仕事に戻っていましたが、チャイムを設けて皆が揃ってしっかりと休憩できるように変わっていきました。

長年事務を担ってこられたベテランの2人を慮り、パソコン導入ではなく事務コンピューターの買い替えを決断されたときにも、社長の優しさを感じましたね。

その後パソコンを導入することになったときも、社長が懇切丁寧に使い方を教えてくださいました。

会社の成長期、奔走する日々に任された仕事で自身の成長も実感

従業員の働きやすさに気を配りつつ、会社をアップデートしてこられたのですね。山本さんは、中部CICで働く中で、どんなところにやりがいを感じましたか?

山本

仕事を任せていただけるところです。

入社してすぐの頃に社長に言われたのが、「ここでの事務は、ケースバイケースで対応しなければいけません」ということです。

お客様ごとに対応する必要のある事務が多く、一ヶ月のルーティンを回すだけの通常の事務とは異なります。なので、「私に務まるだろうか……」と、最初は不安でした。

すると社長が、こんな言葉をかけてくださいました。「一日ひとつ、確実に仕事を覚えれば、1年で365も覚えられます。大丈夫ですよ」。

また、1週間、1カ月、1年と時期を区切って目標を立てて実行していくことも教わりました。私が40歳のときに教わったことですが、もっと早く知っていたら人生違っていたかも、なんて思います。

学び多き職場だったのですね。会社の規模が拡大していく中で、ご苦労されたこともあったのでは?

山本

豊橋だけだった工場が、三重、豊川と拡大して、お客様の範囲も広がってきました。

大企業とのお取引も増え、会社ごとに期日までに請求書を発行したり指定伝票を書いて出したりと、覚えることが山積みでした。豊橋から三重の客先まで、営業車で連れていってもらったこともあります。

どうしても当日に指定伝票を届ける必要があり、車中で数字を書きながら運んでもらって、何とか午後5時に間に合いました。一時期は、綱渡り状態でしたね(笑)

事務コンピューター「帳作くん」からパソコンへと移り変わる過渡期も経験しました。パソコン操作は社長に教えていただいたおかげで、教室に通うことなく習得できました。

データをうまくエクセルに落とし込めなかったり、数字がおかしくなったりする度に、「すみません、社長」と尋ねながら進めていきました。社長も大変だったと思います。

中部CICは「成長させてくれた会社」、朝礼当番で身についた人前で話す力

早い段階から事務の要を担ってこられた山本さんを、社長も頼りにされていたようですね。山本さんにとって、中部CICとはどのような存在ですか?

山本

中部CICは、私を成長させてくれた会社です。朝礼の最後に「職場の教養」を読んだ感想を発表する「朝礼当番」があるのですが、これが始まった当初は、前日緊張で寝れなくなるほどでした。

人前で話し慣れていませんでしたから、皆の前で感想を言うなんてドキドキして仕方がなかったです。ところが何度もやるうちに慣れてきて、少しずつですが人前でも話せるようになりました。

おかげさまで、現在の勤務先の朝礼でも臆せず話せています。中部CICで貴重な経験をさせていただいたことが、とてもありがたかったです。

山本みち子さん
「成長させてくれた会社」と語る山本みち子さん(画像提供:株式会社中部シイアイシイ研究所)

基本を大切に「世界から期待され、注目される会社になって」

それでは、今後の中部CICに期待することをお聞かせください。

山本

世界から期待され、注目される会社へと飛躍して欲しいと願っています。豊橋で働いていた当時、社長に「韓国やシンガポールに支店を作ってくれたら、私も海外で頑張ります」と話したことがあります。

現状は、夫や孫の事情もあるので私個人で判断できない状況ですが、夫が退職して動きやすくなれば、韓国やシンガポールに行くことも可能になるかもしれません。

事務で一緒だった同僚に誘われたのをきっかけに、実は韓国語を習っているのです。まだうまく喋れませんが、楽しみながら勉強しています。

いつか役に立つことがあるかもしれませんね。最後に、社長の山口さんにお届けしたいメッセージはありますか?

山本

会社が大きくなっても基本がブレていないところが素晴らしいです。

基本に忠実だからこそ、規模が大きくなっても「中部CICにクリーニングを依頼して良かった」「きちんとした仕事を、期限に遅れず届けてくれる」と、お客様に信頼いただいているのだと思います。

中部CICは、本当にあたたかい職場でした。子どもの学校の行事や介護などで仕事に出られないとき、会社が配慮してくれる場面が少なからずありました。ありがたい職場だったと、改めて感謝しています。

これから中部CICで働きたい方にとっても、心強い環境ですね。本日は、素敵なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

◎プロフィール
山本みち子(やまもと・みちこ)
1995年10月、中部シイアイシイにパートタイムの事務職員として入社。事務方として現場のサポートや環境づくりに邁進する。在職中に提案した使用済み切手とボトルキャップの回収活動は、退職後も同社内で引き継がれている。2021年8月、豊橋から豊川への工場移転に伴い退職。孫の将来と旅行がこれからの楽しみ。

ライター:

1985年生まれ。米国の大学で政治哲学を学び、帰国後大学院で法律を学ぶ。裁判所勤務を経て酒類担当記者に転身。酒蔵や醸造機器メーカーの現場取材、トップインタビューの機会に恵まれる。老舗企業の取り組みや地域貢献、製造業における女性活躍の現状について知り、気候危機、ジェンダー、地方の活力創出といった分野への関心を深める。企業の「想い」と人の「語り」の発信が、よりよい社会の推進力になると信じて、執筆を続けている。

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