丸紅ギャラリー(東京・大手町)が、特別展「日伊修好通商条約締結160周年&シモネッタ歿後550年記念特別展 イタリアと日本の文芸作品に描かれた美しきシモネッタ」を開催中だ。
国内で唯一のサンドロ・ボッティチェリ作品《美しきシモネッタ》の肖像を軸に、ルネサンスの思想と日本文学とを一本の線でつなぐ構成となっている。

日本で唯一のボッティチェリ
《美しきシモネッタ》が日本に来たのは1969年のことである。丸紅がロンドンの画廊から輸入したもので、日本のコレクターがルネサンス期の作品を手に入れた稀有の例であった。当初は自社で企画していた英国関連の催しのために借用を打診したが、断られたため、その場で購入へと方針を切り替えたという。
この一点は、来日するまでに長い旅をしている。1808年にイタリア・ボローニャで見出され、フランス、イギリス、ドイツを経て、ふたたびイギリスへ。第二次世界大戦中には、ナチスに接収されていた時期もあった。
日本に着いてからも波乱があった。1969年の秋、贋作ではないかとの疑いが報じられ、真贋論争が起こる。19世紀に加えられた修復のための上書きが洗浄によって取り除かれていたため、修復後の状態を写した古い写真と印象が食い違ったことが原因だった。疑いはのちの科学鑑定によって晴れた。
テンペラ画で、実物は65×45センチほど。金色の巻き毛の一筋、首飾りの宝石が含む光、衣の襞が落とす影の一つひとつまでが緻密に描き込まれている。現在は温湿度が一定に保たれ、さらに額の中で板ごと密封された状態に置かれている。
なお《美しきシモネッタ》という呼び名は、美術史家・矢代幸雄が研究書『サンドロ・ボッティチェルリ』で用いた「ラ・ベッラ・シモネッタ」に由来するという。
描かれているのは、シモネッタ・ヴェスプッチ(1453年生まれ)。ジェノヴァ近郊の港町ポルトヴェーネレ(ヴィーナスの港の意)に生まれ、16歳でフィレンツェの名家ヴェスプッチ家に嫁いだ。ロレンツォ・デ・メディチの弟ジュリアーノが騎馬槍試合で優勝した際、月桂冠を授ける役である「美の女王」に選ばれるなど、当時のフィレンツェで「もっとも美しい女性」と讃えられた人物である。しかし23歳で世を去った。本展はその歿後550年にあたる。
《プリマヴェーラ》に描かれた「愛の三態」

本展は、《美しきシモネッタ》そのものよりも先に、この絵が描かれた時代の人々が何を考えていたのかを紹介するところから始まる。
15世紀のフィレンツェには、古代ギリシャの哲学が流れ込んでいた。ビザンツからやって来たゲミストス・プレトンがプラトンの思想を伝え、ドイツの神学者ニコラウス・クザーヌスは、相反するものが実はひとつであるという「反対の一致」を説いた。その考えを受け継いだマルシリオ・フィチーノとピーコ・デラ・ミランドラが、プラトン思想とキリスト教を同じ真理の別の現れとして捉え直していく。
そこへ、1417年、古代ローマの詩人ルクレティウスの『事物の本性について』の写本が、修道院で発見される。万物は目に見えない最小単位からできているという原子論的な世界観は、プラトン思想ともキリスト教とも異なる第三の見方として広まり、のちの近代科学へとつながっていった。
こうした思想を背景に描かれたのが、ボッティチェリの代表作《プリマヴェーラ》である。会場には原寸大の複製が掲げられ、そこに何が描かれているのかが細かく解き明かされていく。
右端では西風ゼフュロスがニンフのクロリスを襲い、彼女はただちに花の女神フローラへと変身する。中央のヴィーナスは頭上にアーチを戴くが、これは聖母マリアの象徴であり、頭部を囲むミルテの枝葉はヴィーナスの象徴だ。つまり一人の女性像に、異教の女神とキリスト教の聖母とが重ねられている。
「これが新プラトン主義の考え方です。多神教の神々も、キリスト教の唯一神を分有した姿であり、元をただせば一つなのです」と本展を企画・監修した館長の杉浦勉氏は話す。
新プラトン主義を主導した哲学者フィチーノはプラトンの『饗宴』注釈の中で、「愛」は「肉体の愛」「魂の愛」「純粋知性の愛」の三相に分けられ、神から生まれた愛が肉体から魂へ、魂から純粋知性へと移行し、神の世界へと戻っていくひとつの円環を表すと説いている。その考え方をボッティチェリは《プリマヴェーラ》においてギリシア・ローマ神話の神々を登場させて目に見える形で表現しているのだ。右端のゼフュロスとクロリスは「肉体の愛」を、中央のヴィーナス/マリアに象徴される「魂の愛」はさらに三美神によって能動的愛、瞑想的愛、官能的愛に分解され、彼女たちが手を取り合い輪になって踊る姿は、循環そのものというわけだ。彼女たちにはキューピッドが矢を向け、左端のメルクリウスは「純粋知性の愛」を表して杖を掲げて雲を払い天上へと導いている。
画中には約40種の花が識別でき、その多くが愛と結婚にまつわるものだ。この絵はメディチ家の縁者の結婚祝いとして仕上げられており、花の選択もそれに沿っている。
シモネッタを書いた詩人と小説家

一人は、彼女と同時代のフィレンツェにいた詩人アンジェロ・ポリツィアーノ。メディチ家に仕え、フィチーノの主宰するプラトン・アカデミアに列せられた人物である。その『騎馬槍試合のためのスタンツェ』は、1475年1月の騎馬槍試合で優勝したジュリアーノ・デ・メディチを讃えて書き始められた。作中、ジュリアーノは狩りの途中で一人の美しいニンフに出会い、心を奪われる。そのニンフこそがシモネッタだった。ところが1478年、ジュリアーノがパッツィ家の陰謀で暗殺され、詩は未完のまま残される。《プリマヴェーラ》はこの詩に着想を得たとする見方が広く知られており、絵と詩は同じ人物と同じ季節を見ていることになる。会場には、花の図像研究で知られる美術史家ミレラ・レヴィ・ダンコーナの旧蔵書が並び、シモネッタが登場する箇所を原典で確かめられる。
そしてもう一人が、辻邦生である。『春の戴冠』は雑誌『新潮』に5年近く、全45回にわたって連載された長編で、原稿は3000枚に及んだ。語り手は、ボッティチェリの幼なじみという設定の架空の古典学者。若い頃にシモネッタの家庭教師も務めた男が、老いてから15世紀フィレンツェの栄華と没落を回想していく。
杉浦氏は、辻が残した創作メモや草稿を一つずつ読み込んだ。そこから見えてきたのは、この作家がどれだけ入念に下調べをして書いていたかである。
『春の戴冠』は、ボッティチェリが《プリマヴェーラ》を描き上げるまでを追う小説でもある。その作中に、「桜草」という語が130回も出てくる。ところが肝心の《プリマヴェーラ》に、桜草は描かれていない。なぜ辻はこの花を選んだのか。
杉浦氏が注目したのは、ダンコーナの研究である。そこでは、桜草は聖母マリアを象徴する花とされていた。絵には描かれていないが、花の意味を調べていけば必ず出てくる花なのである。辻はそれを知ったうえで、あえて桜草を選んだのではないか、というのが杉浦氏の見立てである。
「今を楽しめ」が日本に届くまで

展示の終盤では、『春の戴冠』の冒頭に引かれたロレンツォ・デ・メディチの一句「今を楽しめ、明日は定かならぬ故に」がたどられる。この言葉はロレンツォが考え出したものではなかった。フィチーノのプラトン・アカデミアに掲げられていた銘文にすでに同じ趣旨の一句があり、さらに遡ると古代ローマの詩人たちに行き着く。死後の裁きへの恐れから人を解き放とうとしたルクレティウス。そして「カルペ・ディエム(その日を摘め)」と歌ったホラティウス。明日のことは分からないのだから今日を生きよという考え方が、1500年ほどの時を隔ててフィレンツェでふたたび口ずさまれたことになる。
その歌には、続きがあった。シモネッタの死を悼んでロレンツォが詠んだ歌は、やがてヴェネツィアのゴンドラの船頭たちに歌われるようになる。それを聞いたアンデルセンが『即興詩人』に書き留め、森鷗外が日本語に訳した。
「いまも歌われている歌のなかに、シモネッタが残っているんです」と杉浦氏は言う。
一人の女性をめぐって書かれた詩や歌が、画家の手に渡り、小説家の手に渡り、翻訳者の手を経て、日本語になった。文化というものは、誰かが意識して守ったというより、こうして知らないうちに次の誰かへ渡っていくのかもしれない。
「日伊修好通商条約締結160周年&シモネッタ歿後550年記念特別展 イタリアと日本の文芸作品に描かれた美しきシモネッタ」
会期:開催中〜2026年9月30日(水)
会場:丸紅ギャラリー(丸紅本社ビル3階)
開館時間:10:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日:日曜・祝日
公式HP: https://www.marubeni.com/gallery/



