シングルビザは2250円から1万6750円に

「えっ、ビザ代だけで1万6750円もするのか」——中国旅行を計画していた日本人からは、そんな戸惑いの声が聞こえてきそうだ。
中国が日本人向けの訪中ビザ手数料を大幅に引き上げる。9月14日から、1回だけ入国できるシングルビザは、これまでの2250円から1万6750円へ。実に約7.4倍である。2回入国できるダブルビザも、3750円から2万5100円に跳ね上がる。
中国外交部の毛寧報道官が示した理由は、わずか一言だった。
「相互主義に基づく対応だ」
旅行者にとっては突然の値上げ。しかし、中国側にとっては、単なる手数料改定ではないようだ。
中国が日本人向け訪中ビザを約7倍に値上げ、料金はいくら?
背景には、日本側の査証手数料改定がある。在中国日本国大使館は、2026年7月1日以降の標準的な査証手数料を、一次査証715元、二次査証1430元、数次査証1430元と公表している。さらに、代理申請機関の手数料もかかる。
日本側の改定を受け、中国側が「こちらも同じように対応する」と打ち出した構図だ。中国ウォッチャーの見立てでは、今回の値上げには、少なくとも三つの狙いがあるという。
「まずもって、対等性の演出です。中国国内向けには、日本の措置を一方的に受け入れたのではなく、同じカードを切ったと説明できます。『相互主義』という言葉は、そのために非常に使いやすい。もう一つの意図として、日本側へのシグナルです。ビザは行政手続きですが、料金を大きく動かせば、相手国の旅行者や企業に負担を感じさせられる。つまり、査証制度も外交上のカードになると示したわけです。あとは、関係悪化の責任を日本側にも負わせるメッセージという意味合いもあるでしょう。『日本が先に条件を変えたから、中国も対応した』という形にすれば、中国側の措置を報復ではなく、対等な対応として見せられます」
ただし、これは中国が日本人を全面的に締め出す措置ではない。ビザそのものを廃止したわけでも、入国を禁止したわけでもないからだ。観光客や出張者を受け入れる余地は残しながら、費用の面でハードルを上げたのである。
訪中ビザ値上げで日本人旅行者・出張者はどうなる?
影響が大きいのは、短期の個人旅行者や家族連れだろう。大人2人で中国を訪れるなら、シングルビザの手数料だけで3万3500円。航空券やホテル代に加えて、旅の出発前にまとまった固定費が発生する。
中国への出張が多い企業にとっても、負担は無視できない。マルチビザを使えば1回あたりの費用を抑えられる場合があるが、問題は料金だけではない。外交関係が変化するたび、ビザの条件や費用も変わるのではないかという不安が残る。
中国ウォッチャーはこう指摘する。
「旅行者が嫌がるのは、金額そのものだけではありません。次に何が変わるのか分からないことです。ビザが外交の温度計になれば、旅行会社も企業も、長期の計画を立てにくくなります」
日本のインバウンドへの影響は? 在日中国人事業者が語る現場
では、日本にとってはどうか。今回の値上げは、日本人が中国へ行く際のビザ料金であり、中国人が日本を訪れる際に直接かかる費用ではない。したがって、これだけで日本のインバウンドが急減するわけではない。
しかし、日中間の応酬が続けば、話は変わってくる。旅行会社がツアーを組みにくくなり、航空会社が路線の維持に慎重になる。旅行者の間に「日中間の旅行は不安定だ」という空気が広がれば、訪日旅行の予約にも影響が及ぶ可能性がある。
日本でインバウンドビジネスを手がける中国人事業者は、現場の感覚として次のように話す。
「今回の中国側の値上げは、日本に来る中国人旅行者に直接かかるものではありません。だから、明日から訪日客が一斉に減るという話ではないと思います」
「ただ、日中関係が悪くなると、旅行者はニュースを見て慎重になります。家族旅行や高齢者の旅行では、『今は行って大丈夫か』という心理が予約を左右します。数字に表れる前に、問い合わせや予約の入り方が鈍くなることがあります」
「日本側も、中国人観光客が来続けることを当然だと思わない方がいい。中国市場は大きいですが、韓国、台湾、東南アジア、欧米、インドなどにも販売先を広げておく必要があります」
この指摘は、日本の観光産業にとって重要だ。JNTOによれば、2025年の訪日外客数は4268万3600人で過去最多を更新した。観光庁も同年の訪日外国人旅行者数を4268万人と整理している。
訪日客が増える一方で、特定の国や地域に依存しすぎれば、外交や景気の変化がそのままホテル、免税店、観光バス、地方の宿泊施設に波及する。
訪日中国人は減る? 日本の観光業に必要な備え
日本在住の中国人インバウンド事業者は、こう続ける。
「日本の観光業は、外国人に来てもらうことだけでなく、関係が悪化しても事業を続けられる仕組みを考えるべきです。中国人旅行者を歓迎することと、中国市場への依存を減らすことは両立します」
中国市場を切り捨てる必要はない。むしろ、重要な市場だからこそ、政治的な変動に耐えられる販売網を作る必要がある。中国人旅行者の個人旅行化や地方旅行への対応を進めながら、他地域の旅行者も受け入れる。これが現実的な備えとなる。
今回のビザ値上げは、日本のインバウンドに対する直接攻撃ではない。しかし、日中関係の悪化が旅行者の心理を冷やせば、影響は遅れてやってくる。
中国の訪中ビザ値上げは日中関係の新たな火種か
今回の措置は、経済制裁のように往来を断つものではない。だが、相手国の旅行者に負担を求め、相手国政府に警告を送るという意味では、外交と観光の境目にある対抗措置だ。
中国ウォッチャーは最後にこう語る。
「この問題の本質は、1万6750円という金額だけではありません。両国が、旅行やビザを外交上の応酬に使い始めたことです。今後、料金がさらに上がるのか、逆に緩和へ向かうのか。次の一手が、日中関係の方向を占うことになります」
一方、日本在住の中国人事業者は、こう警鐘を鳴らす。
「観光は政治と無関係ではありません。ただ、旅行者同士の交流まで止めてしまえば、双方が損をします。日本側は中国人旅行者を歓迎しつつ、同時に市場を分散させる。その二つを冷静に進めるべきです」
「相互主義」という言葉は、対等な関係を示すこともあれば、報復を正当化することもある。今回の値上げが一度限りの応酬で終わるのか。それとも、日中の人の往来に長く影を落とすのか。旅行者と観光業界は、次の発表を固唾をのんで見守っている。



