
元フジテレビアナウンサーの渡邊渚氏がInstagramを更新し、PTSDのフラッシュバックによる心身の不調と仕事のセーブを告白した。この切実な訴えに対し、ネット上では同情と非難が交錯し、大きな波紋を呼んでいる。
突然のフラッシュバックと終わりの見えない苦悩
渡邊氏のInstagramへの投稿によると、今月に入ってからは比較的調子が上向いていたものの、突如として「久々に強烈なフラッシュバック」に襲われたという。発作によって心身は限界を迎え、今週は仕事をセーブせざるを得ない状況に追い込まれた。
投稿には、「1人でいると、涙が止まらなくてご飯も食べられないし、異性や他人の存在が無理になって」と、その症状がいかに深刻であるかが赤裸々に綴られている。さらに、「脳や身体に刻まれたトラウマは永遠に消えてくれなくて」と、PTSD(心的外傷後ストレス障害)特有の、終わりが見えない苦悩を生々しく吐露した。
ネロリの香りで心を落ち着かせようと懸命に努めているというが、少し回復したかと思えば再び悪化するという残酷な現実に、彼女の言葉からはこれまでの治療が水泡に帰したような深い絶望感が読み取れる。
「被害者ムーヴ」と揶揄するSNSの冷酷な現実
この痛切な告白に対し、SNS上では世論が真っ二つに分断されている。
一部のユーザーからは、「過活動からの突然フラッシュバックで動けなくなってしまうのは性被害者あるある」「順調に回復してると思っていたら急にくるからね」と、トラウマを抱える人間の心理状態に深く理解を示し、彼女を擁護する声が上がっている。
しかし一方で、目を疑うような冷ややかなコメントや、明らかな誹謗中傷も後を絶たない。影響力を持つ一部のアカウントからは、「思い出したように被害者ムーヴ発動すんのはキツイ」「フラッシュバックって、都合の良い病やん」と、彼女の症状を真正面から揶揄するような言葉が投げかけられた。
また、一般ユーザーからも「話題出なくなると定期的に被害者ムーヴ再開するな」「単なる承認欲求の塊」といった言葉が相次いでいる。「本当にPTSDで精神的に苦しんでいる人を侮辱している」と、彼女の現在の活動と病状の告白が矛盾していると糾弾する意見すら見受けられるのが、現在のSNSの冷酷な現実である。
検索サジェストが暴く大衆の好奇心。「グラビア」と「中居正広」
なぜ、一人の女性の病の告白に対して、これほどまでに刃のような言葉が向けられるのだろうか。その背景には、彼女がフジテレビを退社し、フリーランスとなってからの活動に対する世間の複雑な視線と、無責任な好奇心がある。
現在、インターネットの検索窓に「渡邊渚」と打ち込むと、「何があった」「何をされた」といった、過去のトラウマの原因を詮索するキーワードが真っ先に並ぶ。それに加えて目立つのが、「グラビア」「写真集」といった言葉だ。
長期間の病気療養を経て局を退社した彼女が、復帰後に露出度の高いグラビア活動や写真集の出版へと舵を切ったことは、世間に大きな驚きを与えた。しかし、この劇的な転身が、一部の層には「重病だったはずなのに、なぜそんな活動ができるのか」という疑念を抱かせる一因となってしまったことは否めない。精神的な疾患と、身体的な活動の可否が必ずしも連動しないという医学的な事実への理解不足が、バッシングの根底に横たわっている。
さらに、検索サジェストには「中居」「中居正広」といったキーワードも現れる。これは、X上で一部のユーザーが「中居君から9000万せしめて、グラビア写真集売って、局アナ時代より稼げてるって高笑いしてたよね?」と書き込んでいるように、過去のテレビ番組でのやり取りやネット上の真偽不明な噂が独り歩きしている実態を示している。本人が詳細を語らない以上、周囲が土足で踏み込むべき領域ではないにもかかわらず、大衆は攻撃のための材料としてこれらの情報を消費し続けている。
「見えない痛み」に社会はどう向き合うべきか
渡邊渚氏の現在の状況は、心の傷がいかに複雑で、かつ治癒が困難であるかを静かに、そして痛烈に物語っている。PTSDにおけるフラッシュバックは、本人の意思とは無関係に過去の恐怖を現在に引き戻す、極めて暴力的な症状である。一時的に調子が良い時期があったとしても、それが完治を意味するわけでは決してない。
しかし、現代のSNS社会は、そうした「見えない痛み」に対して驚くほど不寛容だ。表面的な行動(例えば、グラビア活動をおこなっていることや、笑顔の写真を投稿していること)だけを無機質に切り取り、「元気そうではないか」「都合が良い時だけ病気をアピールしている」と断罪する。そこには、他者の複雑な内面を想像する力の決定的な欠如が見て取れる。
彼女がInstagramで綴った「私の文章は、病と闘う人がたくさん見てくださっているから悲観的なことを書きすぎないようにいつも意識している」という言葉は、表現者としてのギリギリの矜持に他ならない。限界を迎えてようやく吐露されたその苦鳴を、「被害者ムーヴ」という安易な言葉で切り捨てる社会であってはならないはずだ。
ネット上で「何があったのか」「何をされたのか」と無責任な好奇心を満たそうとする前に、我々はまず、今まさに苦しみの渦中にある一人の人間の声に、静かに耳を傾けるべきではないだろうか。彼女が再び心穏やかな日々を取り戻し、「来週は楽しい投稿しますね!」という約束を果たせる日が来ることを、今はただ見守るしかない。



