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第15回)富山県のものづくりに見るSDGs ~伝統産業を持続可能な産業へ

サステナブルな取り組み SDGsの取り組み
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富山県西部エリアにある高岡市、砺波市、南砺市は、北に富山湾を臨み、庄川や二上川によって作られた扇状地が広がる、自然豊かで水が美しい地域である。かつては「加賀藩の台所」と呼ばれる程の隆盛を極め、今も街道筋、町並み、生業や伝統行事などに、当時の町民の歩みが色濃く残されている。

ものづくりの心も同じ。高岡の鋳物(いもの)づくり、砺波の酒づくり、南砺(旧城端町)の絹織物業などの富山のものづくりにおいても、今の時代につながるSDGsの考え方が大切に続き、伝統ある産業を持続可能な産業にすべく、日々奮闘している。

工場見学を「産業観光」と位置付けた能作

株式会社能作(富山県高岡市)は、1916(大正5)年に創業された鋳物づくりの企業である。「鋳物」とは、金属の材料を熱して液状にした状態で型に流し込み、固まった後、型から取り出してできた金属製品のこと。能作は仏具、茶道具、花器だけでなく、近年はモダンなテーブルウェアやインテリア雑貨なども手がけ、パレスホテル(東京都千代田区)にも出店する人気ぶりだ。

食卓に上がる陶磁器などの食器は10年で売上が6割以上減少し、回復の兆しはなかなか見られない。100円ショップの台頭で、国内外の陶磁器メーカーの経営状況は厳しい。

工業用ではない鋳物となるとさらに用途、購入者も限定されることが推察できるが、能作は2002年に3代目となる能作克治氏が社長に就任して以降、売上は10倍、社員数は15倍と成長を遂げている。成長を続けながらSDGsの目標達成にも積極的に取り組んでいるのは8つめの目標「働きがいも経済成長も」につながっている。

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能作ではMyぐい呑みを制作する体験もできる

特に能作が注目される点は、高岡市の“観光のハブ”となることを宣言し、工場見学を「産業観光」と位置付けたことだ。北陸新幹線の新高岡駅からタクシーで3,000円はかかる、交通の便がよいとはいえないこの場所に、年間12万人もの見学者が訪れている。

筆者が取材に行ったのも平日午前であったが、ビジネスパーソンの視察だけでなく、女性同士の観光客と思われる人々など、非常に賑わっていた。

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能作を訪れる見学者のための展示

工場に足を踏み入れると、正面に2,500種もの木型が天井までびっしりと並ぶディスプレイに圧倒される。インスタ映えするスポットとして人気だが、これは実はディスプレイではない。普段使う木型を並べている様子をガラス張りにして見えるようにしている、工場の一風景なのである。

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能作エントランスに並ぶ木型2,500種

北陸唯一の見学できるウイスキー蒸溜所

若鶴酒造株式会社(富山県砺波市)の創業は、1862(文久5)年、砺波市三郎丸村での清酒製造から始まっている。第二次世界大戦の戦中・戦後の清酒製造が行き詰まった時代を打開するために、蒸留酒やワイン、ウイスキーなどの製造にも着手した。ウイスキー造りの象徴「三郎丸蒸溜所」であるが、平成に入った頃から国内ウイスキー消費量減少が進み、施設の老朽化も目立ってきた。
2016(平成28)年、北陸最古のウイスキー蒸留所のウイスキー造りを途絶えさせるわけにはいかないと、立ち上がったのが「三郎丸蒸溜所改修プロジェクト」である。

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2017年に改修された三郎丸蒸溜所

改修費用を募るクラウドファンディングは、目標額の2,500万円をはるかに超え、463名から3,825万円超の支援につながった。三郎丸蒸溜所は、“北陸でただひとつの見学できるウイスキー蒸溜所”として、年間1万人以上が訪れるようになった。

ウイスキー造りといえば「樽」が想起される。三郎丸蒸溜所の樽は、地元の林業家と木工職人とタッグを組み、富山県産ミズナラなどの地場木材を使っている。老齢になったミズナラを樽に加工することで付加価値を生み、水源地に新たな広葉樹の植林を行っている。

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地場の木材を用いた三郎丸蒸溜所のウイスキー樽

衰退する絹業を持続可能なビジネスへ

戦国時代末期の1577年、城端(じょうはな、現在の富山県南砺市)の商人であった畑庄左衛門によって、城端で絹織物が始められたと伝えられている。養蚕が盛んだった山間部の五箇山地域(富山県南砺市)から生糸が持ち込まれ、城端で絹織物となり、「加賀絹」として京都や江戸に運ばれた。江戸時代には、城端の住民の半数以上が絹織物に関わり、町のいたる所で機織りの音が響き、大いに栄えた。その面影を、毎年5月に開催される「城端曳山祭」が物語っている。当時は五箇山地域の生糸をタテ糸に、福光町(現・南砺市福光)の生糸をヨコ糸に使用した絹を生産していた。

松井機業(富山県南砺市)は1877 (明治10) 年の創業時から、伝統ある城端絹や、しけ絹と和紙を貼り合わせたしけ絹紙を一貫生産し、販売している。近年はしけ絹の風合いを生かしたインテリアや服飾品なども展開しており、城端地域で唯一の老舗機屋となった。しけ絹とはどんな絹なのか。

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趣を残した松井機業のエントランス

一旦は東京で働いていたが、意を決し、6代目見習いとして城端に戻ってきた松井紀子さんは教えてくれた。

「1頭の蚕が、ひとつの繭を作りますよね。でも稀に、2頭が一緒になってひとつの繭を作ることがある。その繭を“玉繭”といい、玉繭からできる“玉糸”を織り上げたものを“しけ絹”といいます。」

蚕たちから玉繭が生まれる確率は実に、100個に2、3つ。かつては「節絹」と呼ばれ、安く取引されていたが、現在ではその希少性とまたとない模様が評価され、「玉繭」「玉糸」ともに高値で取引されている。

現代人は絹を身につける機会は減っている。絹は中国などからの安価な商品に依存し、化合繊維物の普及などによって、絹業は衰退の一途。現在、全国の養蚕農家は数百世帯まで激減し、しけ絹の製造に至っては全国で松井機業のみである。現在、生糸はブラジルから輸入しているが、松井機業の工場内の養蚕場で蚕を育てている。いつか、南砺に養蚕を復活させることが目標だと松井さんは語る。

人肌と同じタンパク質を主成分とし、保湿性・調湿性にすぐれ、自然由来の心地よさを持つ「絹」を現代の生活の中に生かす商品を生み出している松井機業の伝統的な工程を見学できる。

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2頭が一緒になって作った「玉繭」向かって左)

伝統産業は本来のSDGsの考え方を受け継いでいる一方で、雇用の課題やニーズの変化から事業の継続が難しい局面も多い。富山県のものづくりはSDGsを実践しながら、同時に未来につながるビジネスへとさらに成長させるため、各企業が切磋琢磨を続けている。

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カタコトと縦糸と横糸が織られる松井機業の現役機械

(参考)
能作:https://www.nousaku.co.jp/
ビジネス+IT 「10年で売上6割減…衰退した市場から生まれた「陶磁器イノベーション」(2019年10月4日):https://www.sbbit.jp/article/cont1/37077
若鶴酒造「三郎丸蒸溜所」:https://www.wakatsuru.co.jp/saburomaru/malt_and_peat/
松井機業について:https://www.matsuikigyo.com/company

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ライター:

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植田 聡子 (PRコンサルタント)

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全日本空輸株式会社、株式会社福武書店(現:ベネッセコーポレーション)、株式会社ベルシステム24を経て、東京都庁に入都。広報部署をメインに、文化事業、東京2020組織委員会広報局などを経て、2020年独立。外資系OTAにおいては官公庁や自治体の渉外窓口として、インバウンド誘客などの事業を実施。 現在はスタートアップや中小企業をクライアントとして広報・PRサポート、地域観光振興支援、講演・セミナー等を行なっている。 関心領域は観光による地域再生、官民連携、アート、スポーツ、社会課題解決、食、パラレルキャリア、セカンドキャリア。 2017年より神楽坂と相模湖の二拠点生活を実施中。国家資格キャリアコンサルタントとして、公務員のキャリアや個人のコンサルティングにも対応。

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