
人的資本経営、ESG、パーパス。日本企業は、この30年、数々の施策を打ってきた。それでも、何かが変わらない。並木将仁氏はその理由を、施策ではなく、経営者の思想に見る。PwC、マッキンゼーを経て、ブランドコンサルティングのインターブランドジャパンで約9年トップを務めた並木氏は、2024年に独立し、株式会社テロス・エロス・エトスを設立した。
会社の存在意義を、ステークホルダーの視点から問い直し、パーパスだけでは選びきれない正解のない問いに、複数の視点で判断する技術を説く。エシックス、すなわち倫理である。目指すのは、成果を出す「強い会社」から、思想に基づいて判断できる「善い会社」への転換だ。
企業ブランドは、売上では測れない。「求められる会社」をどうつくるか
テロス・エロス・エトスが手がけるのは、社長や役員といった経営者に助言を重ねる、アドバイザリーである。扱う主題は多岐にわたるが、その入り口は多くの場合、ブランドの話から始まる。
ブランドは、大きく二つに分けられる。製品のブランドと、企業のブランドである。
製品ブランドが問うのは、どうすれば買ってもらえるか、という一点に尽きる。買い手の心を動かす価値を見出し、製品そのものや広告を通じて、それを届けていく。この領域に長けた者は、世に少なくない。同社は、ここを主戦場とは位置づけていないという。
問題は、企業ブランドのほうにある。世間ではしばしば、製品ブランドと変わらぬ手つきで、企業ブランドが論じられる。その会社の売りはどこにあるのかを探し出す、という発想である。だが、並木氏はそこで立ち止まる。製品と企業とでは、ブランドがもたらすものが、根本から異なるのではないか。
並木氏
「製品のブランドは、売上に直結します。ですから、やるべきことは明確です。しかし、企業のブランドは、直接的に売上へつながる仕組みには、なかなかなりにくい。会社のイメージが良くなったとして、それが短期の売上をどれだけ押し上げるかは、説明がつきにくいものです。それならば、製品と同じやり方で企業ブランドに取り組んでも、意味をなさないのではないか。私は、そう考えています」
では、企業ブランドは、何のために存在するのか。長く問いを重ねた末に、並木氏が得たのは、一つの明快な定義だった。企業が、人からどうすれば求められるか。コーポレートブランドとは、つまるところ、その問いに向き合うことにほかならない。
製品であれば、今日つくり、明日売ることもできる。だが企業は、今日組織を変えたところで、明日その価値が高まるわけではない。新たな事業も、組織文化の変革も、成就には年単位の時間を要する。だとすれば、経営が真に問うべきは、この会社がステークホルダーから求められる状態とは何か、である。そこへ向けて、企業戦略を、事業戦略を、組織戦略を、いかに組み替えていくか。それを構想することこそ、経営陣が本来担うべき、企業ブランドの仕事なのだ。
勝ち方より、あり方。だが「人が本当に求めるもの」が、いちばん見えにくい

企業が、人からどうすれば求められるか。この問いを置いた瞬間、経営の関心は、静かに移動する。いまある価値をどう伝えるか、ではない。この会社はどう成長していくのか、である。
もっとも、どう成長するかという問いそのものは、経営戦略の世界で目新しいものではない。並木氏によれば、古典的な戦略論は、大きく二つの型に収まる。一つは、市場のどこに機会があるかを起点に組み立てる、ポジショニングの戦略。もう一つは、自社の強みを起点に据える、リソースベースの戦略。いずれも問うているのは、どうすれば勝てるか、である。
並木氏
「市場をもとに、あるいは自社の強みをもとに、どう勝つかを考える。かつては、それで良かったのだと思います。しかし今は、顧客がブランドに向ける社会貢献への期待や、投資家が投資先に寄せる期待まで含めて考えなければなりません。そうなると、どういう会社であれば、より求められるのか。その視点から戦略を立てることが、重要になってきています」
勝ち方を問うのか、あり方を問うのか。同氏が引くのは、この一線である。そしてそれは、販売の現場で気に入られる方法を探す話でも、一部門が担う話でもない。会社の存在意義と存在価値を、ステークホルダーを起点に問い直す。それは、社長や経営層が、経営戦略の一部として向き合うべき主題だ。だからこそ、同社と同じ土俵に立つ者は、ほとんどいないという。
では、ある会社が存在する価値は、どこから導かれるのか。並木氏は、三つの変数の掛け算で捉える。一つは、その企業に特有の「らしさ」。一つは、社会のなかでどのような価値を生みたいかという、会社の意思。そしてもう一つは、人が根源において何を求めているか、という変わらない部分である。この三つを掛け合わせれば、10年後に求められる会社であるために、いま何を変えるべきかが見えてくる。
ただし、この掛け算は、たやすくは解けない。人が根源で何を求めているか。その問いが、何より難しいからだ。世の多くは、顧客調査で拾えるニーズ、すなわち売上につながる欲求へと向かう。安い、早い、きれいになる。あるいは、楽しい、心地よい。そうした機能や情緒の価値は見つけやすいが、人は本当のところ何を欲しているのかという、その根に降りていく者は少ない。
戦略の型もまた、経営者を縛る。市場起点か、自社能力起点か。確立された型の内側から、容易には出られない。これが正しいと決め込んでしまえば、別の視点が入り込む余地はない。並木氏が仕事をしてきたのは、そうと決めず、是々非々で耳を傾けられる、数少ない経営者たちだった。
制度を変え、いくら伝えても人は動かない。「伝える」と「伝わる」の差
変革は、何かを変えることから始まる。人事の制度、組織の形、日々の業務、報酬の仕組み。そして経営は、変えた中身を、あの手この手で社内へ伝えようとする。全社集会を開き、社内報を刷り、動画をつくる。多くの会社が、ここに力を注ぐ。だが並木氏は、その手前で、大切なものが抜け落ちていると見る。
並木氏
「いまの施策は、制度や組織を変えて、それをどう伝えるか、というところが中心だと思います。ただ、そこで見落とされがちなのが、従業員の気持ちと、その人たちが変化をどう受け取るか、という視点です。給料を上げたのだから、もっと働いてほしい。そうした前提を持つ経営者も、少なくありません。しかし、本人が前向きに受け止めてくれなければ、制度をいくら変えたところで、振る舞いは変わりません」
伝えることと、伝わることは、違う。同氏がこだわるのは、その差である。言葉を尽くせば尽くすほど届く、というものではない。社員が自分の頭で考える時間と、そのきっかけを、どうつくるか。社員にとって、どういう形なら理解しやすいか。そこまで踏み込んで、はじめて変化は根を張る。
伝え方に、唯一の正解はない。ある社員には、社長が直に語りかけるより、直属の上司と酒を酌み交わす場のほうが、よほど届く。文章より動画が合う者もいる。一度で呑み込む者もいれば、十度聞いて、ようやく腑に落ちる者もいる。相手によって、届く経路はまるで違う。
結局のところ、問われているのは、発信する側の構えである。
並木氏
「なぜこれだけ言っているのに伝わらないのか。そう考えているうちは、おそらく伝わりません。そうではなく、受け手の立場に立ったとき、どうすれば届くのか。それを考え続けられるかどうかだと思います」
ここでも、問いの立て方は、ブランドのときと変わらない。ステークホルダーを起点に考える。その構えへと、経営者の視点をずらしていく。何をやるべきかの一覧を手渡すのではなく、物事を見る視野そのものを、少しずつ広げる手伝いをする。それが、同氏の仕事である。
ESGの旗を潮目で下ろす会社。問われるのは、経営会議の議論の質
ここまでは、人から求められる会社を、どうつくるかという話である。だが並木氏の関心は、その裏側にも向かう。求められる会社を目指す前に、そもそもその会社は、よく経営されているのか。
時代は、追い風ではある。サステナビリティ情報の開示が義務づけられ、ESG投資やインパクト投資という言葉が広がり、良いことをする会社に、資金が集まるようになった。その流れに応えようとする企業も、確かに増えている。だが、と同氏は見る。サステナビリティや社会貢献への取り組みを声高に掲げていた会社が、政治の潮目が変わったとたん、その旗を静かに下ろしてしまう。人的資本の充実をうたい、人に投資すると宣言しながら、ふたを開ければ、社内の空気は以前と何も変わっていない。そうした会社も、少なくない。良い経営は、思うほど簡単ではない。

並木氏
「良い経営をしようという意思を持った方は、本当にたくさんいます。それでも、結果として普通の経営に落ち着いている会社が、とても多い。なぜなのか。私のなかにある仮説の一つは、経営会議で、良い議論ができていないのではないか、ということです。より良い議論を重ね、より良い意思決定ができるようになること。それが、より良い会社をつくる大前提だと考えています」
この問題意識を、並木氏は倫理という言葉でくくる。ただ、倫理とは、手垢のついた言葉でもある。それが大切だと正面から説いても、なかなか耳を傾けてもらえない。だからこそ同氏は、あえて「エシックス」とカタカナで呼ぶ。使い古された語感をいったん脇に置き、主題そのものに向き合ってもらうためである。
並木氏
「倫理的な経営とは何か。私は、バランスの取れた価値観のなかで、その会社の哲学に向き合った意思決定ができることだと捉えています」
バランスとは、三つの軸の釣り合いだ。経済合理性が担保されているか。自分たちが義務と考える価値観に、譲歩していないか。そして、自分たちが良いと信じられるものに、きちんとコミットできているか。この三つを、会社の哲学に照らして見極める。
やっかいなのは、義務と呼ぶものの輪郭が、会社ごとに違うことである。たとえば、戦争をしてはならない、という原則がある。だが、侵略を受けた国が自国を守る戦いは、どうなのか。防衛と、その先の攻撃との境は、どこに引かれるのか。あるいは、人の時間を際限なく奪い続ける仕組みを、良しとしてよいのか。かつて、害が広く知られる前に、当然のように売られていた嗜好品もあった。価値観が拮抗するこうした場面で、正しく決められるか。その土台がなければ、どれだけ求められる会社を目指したところで、その結論はどこか偽物になる。
だからこそ同氏は、この領域に、ブランドと同じか、それ以上の比重を置く。経営会議で、どう議論し、どう決めるか。出世の階段をのぼってきた者たちが集う場では、できて当たり前という前提が、いつしか問いを奪っていく。できると思い込んでいたことに、もう一度立ち返る。合理性のその先にある、この問いにこそ、経営の質は宿る。
企業ブランドは、売上では測れない。「求められる会社」をどうつくるか
ブランドをめぐる問いと、倫理をめぐる問い。別々に見えたこの二つは、並木氏のなかで、一本の線につながっている。その線の先に、同氏は会社の三つの姿を見ている。
はじめに、「強い会社」がある。市場で競い、成果を上げ、数字で勝つ。多くの経営が、ここを目指してきた。だが、勝つことだけを問うていては、やがて立ち行かなくなる。それは、これまで見てきたとおりだ。
次に、「良い会社」がある。ステークホルダーにとって良い存在であろうとし、社会に資することをなす。時代の要請もあって、そう志す企業は増えた。けれど、良いとされることをなぞるだけでは、風向きひとつで揺らいでしまう。
その先に、「善い会社」がある。価値と価値がぶつかり合う場面で、自社の哲学に照らし、善い判断を下せる会社。強さでも、良さでもない。何を善しとするかを、自らの言葉で定められること。並木氏が経営者とともに目指すのは、この最後の一段である。
社名に、その道筋は畳み込まれている。テロス、エロス、エトス。テロスとは、目的であり、存在意義である。エロスとは、人を内側から突き動かす情動、人が根源で求めるものを指す。そしてエトスとは、倫理である。何のために存在するのかを問い、人が本当に欲するものに向き合い、そのうえで、善い判断の拠りどころを持つ。三つのギリシャ語は、そのまま、同氏が経営に差し出す問いの順序になっている。
2024年、並木氏はこの名を掲げて独立した。経営者に手渡すのは、こうすれば勝てるという答えではない。どうあれば、人から求められ、かつ、自らの哲学に恥じない会社でいられるか。その問いの立て方である。答えのない問いに、複数の視点で向き合う。その営みの先にしか、善い会社は立ち現れない。



