
競走馬の命を守る人間の命は、誰が守るのか。
川崎競馬場で働いていた43歳の男性厩務員が2024年に自殺し、17日間の連続勤務やパワハラを背景に労災認定された。
遺族側は調教師から「死ね」などの暴言を受けたと訴えているが、調教師側はハラスメントを否定している。
競馬界では過去にも暴行やセクハラなどの不祥事が発覚していた。
華やかなレースの裏側で、何が起きているのか。
17日間連続勤務とパワハラで労災認定
2026年10月22日、川崎競馬場で勤務していた男性厩務員の自殺が労災認定されていたことが明らかになった。
男性は2024年に43歳で亡くなった。
遺族側によると、男性は死亡前に17日間連続で勤務し、上司にあたる調教師から人格を否定するような言動を受けていたという。
労働基準監督署は2026年6月、過重労働やパワハラによる心理的負荷がうつ病の発症につながったとして、労災を認定した。
さらに遺族側は、男性が亡くなった当日にも調教師から「死ね」「きゅう務員はゴミ以下」といった暴言を浴びせられ、長時間叱責されていたと主張している。
一方、調教師側の代理人弁護士は日本テレビの取材に対し、ハラスメントに該当する行為はしていないと否定した。
自殺当日の具体的な言動については双方の主張が対立しており、事実関係を慎重に見極める必要がある。
会見した74歳の母親は、息子の髪が抜け、急激に痩せていった様子を明かした。
競走馬の健康を管理する厩務員が、自らの健康を損なうほど追い詰められていた。
今回の問題が突きつけた矛盾はあまりにも重い。
JRA木村哲也調教師が大塚海渡騎手に暴行
競馬界のハラスメント問題は今回が初めてではない。
2021年には、日本中央競馬会(JRA)の木村哲也調教師が、所属していた大塚海渡騎手への暴行で刑事処分を受けている。
大塚騎手は木村調教師から繰り返し暴言や暴行を受け、精神的苦痛を負ったとして、約850万円の損害賠償を求めて提訴した。
大塚騎手側は頭部を殴られるなどの暴行が続いていたと主張。
2019年12月には、祝儀袋の文字が汚いことを理由に頭を叩かれたと訴えていた。
この暴行事件で木村調教師には2021年7月、罰金10万円の略式命令が下され、同月に確定した。
JRAは同年10月31日までの調教停止処分を科した。
JRAは再発防止に向け、全調教師への注意や指導を徹底する方針を示した。
だが、競馬界の指導者が若手騎手に暴力を振るい、刑事処分にまで発展した事実は消えない。
調教師は競走馬の管理だけでなく、所属する騎手や厩務員の仕事にも大きな影響力を持つ。
その立場が不適切に利用された場合、弱い立場の人間は声を上げられるのか。
川崎競馬場の事件にも通じる問題である。
笠松競馬場で女性厩務員へのセクハラ
岐阜県の笠松競馬場でも、調教師による女性厩務員らへのセクハラが問題となった。
岐阜新聞によると、男性調教師は過去に注意を受けていたにもかかわらず、セクハラ行為を繰り返していた。
岐阜県地方競馬組合は2021年4月、調教停止90日などの処分を決定。
その後、男性の調教師免許は更新されず、同年8月に引退が公表された。
ただし、免許が更新されなかった理由について地方競馬全国協会は明らかにしていない。
さらに深刻なのは、問題が以前から把握されていた点だ。
笠松競馬の不正問題を調査した第三者委員会は、競馬組合が2018年に調教師へ誓約書を提出させたものの、その後もセクハラ被害が続き、積極的な対応が取られなかったことを問題視した。
つまり、問題を把握していながら被害の再発を防げなかったということだ。
職場での注意や誓約書が、被害者を守るための実効性を持っていたのか。
組織の対応が厳しく問われる事例といえる。
名古屋競馬の岡部誠騎手にもハラスメント処分
不祥事は調教師だけの問題ではない。
2024年7月、愛知県競馬組合は名古屋競馬所属の岡部誠騎手について、複数の不適切行為を認定し、開催日8日間の騎乗停止などの処分を発表した。
内部通報をきっかけに調査した結果、2023年11月から2024年5月にかけて、他の騎手への粗暴な行為やハラスメント、競馬主催者の職員へのハラスメント、女性厩務員へのセクハラなど、計6項目の行為が認められた。
さらに組合の公式発表では、岡部騎手が2012年にも、レース後に他の騎手へ暴力を振るったとして騎乗停止6日間の処分を受けていたことが記されている。
岡部騎手は2024年7月時点で地方競馬通算5100勝を超える実績を持つトップジョッキーだった。競馬界で実績を積み重ねた人物による不適切行為を、周囲はどこまで指摘できるのか。
また、笠松競馬では調教師や騎手による馬券の不正購入問題も発覚し、第三者委員会が競馬組合の管理体制の不備を指摘した。
暴行、セクハラ、不正購入。性質は異なるものの、競馬界では繰り返し不祥事が表面化してきた。
個別の処分だけで、再発防止は十分なのだろうか。
「17日間連続勤務を誰も止めなかったのか」SNSで問われる競馬界の責任
今回の川崎競馬場の労災認定を受け、SNSでも厳しい声が上がっている。
あるユーザーは「この調教師だけでなく、他でも同じような事が起きてないかきちんと調べて欲しい!」と投稿。
人材不足などの事情があったとしても、暴言や不適切な行動は許されないと訴えた。
別のユーザーは、今後さらに人手不足が進めば、連続勤務が増えるのではないかと懸念している。
なかでも印象的なのが、17日間連続で働いていた男性を、周囲が止められなかったのかという疑問だ。
ある投稿者は、追い詰められた労働者に「限界なら逃げて」と言うだけでは不十分だと指摘。
本人が限界を迎える前に、周囲が異変に気づき、働き方を変えられる仕組みが必要だと訴えた。
実際、厩務員の労働環境は国会でも議論されている。
2026年3月26日の参議院農林水産委員会では、厩務員の長時間労働や人手不足、労働基準法上の取り扱いなどが取り上げられた。
厚生労働省は、一般的に厩務員が個々の調教師と雇用契約を結んでいる実態を説明している。
競走馬の世話は365日必要だ。
しかし、それは厩務員1人が休まず働く理由にはならない。
もちろん、今回の事例だけで競馬業界全体に違法な労働慣行が広がっていると断定することはできない。
それでも、過去に発覚した暴行やセクハラ事件を振り返れば、職場の権力関係や監督体制について検証すべき課題があることは明らかだ。
華やかなレースを支えるのは、騎手や調教師だけではない。
日々、馬と向き合う厩務員たちの存在があってこそ競馬は成り立つ。
馬の命を守るために働く人間の命が守られない。そんな矛盾を、競馬界はいつまで放置するのか。



