
NECが量子コンピューターの実機開発をやめた。では、そこで育った研究はどうなったのか。科学技術振興機構(JST)の公開資料をたどると、かつてNEC主席研究員として紹介されていた山本剛氏が、いまは産業技術総合研究所で超伝導量子コンピューターの開発を率いていることがわかる。
実機開発中止より前の2026年3月3日のシンポジウム資料でも、すでに産総研所属だった。
ダイヤモンド・オンラインが9月4日に報じたところによると、NECは3月末で実機開発から撤退し、多くの研究者が富士通に移ったという。富士通への移籍報道と、山本氏の産総研での活動。人と研究の行方を見る限り、NECの撤退と日本の研究の終わりは同じではない。
もっとも、人材が国内に残れば安心という話でもない。なぜ名門は実機開発をやめ、米国勢は研究する方式を増やしているのか。その違いを追うと、実用化という言葉の危うさが見えてくる。
NECが選んだ「実用化への近道」
時計を1999年に戻そう。当時NECにいた中村泰信氏らは、超伝導回路による量子ビットの動作を世界で初めて実証した。いまGoogleやIBMが進める超伝導量子コンピューターの源流の一つは、日本の企業研究所にあった。
そのNECが、後に実機開発で注力したのが「量子アニーリング」だ。配送先を回る順序や勤務シフトなど、膨大な組み合わせから望ましい答えを探す計算に照準を合わせた。2022年12月の公式記事では、幅広い計算をこなす誤り耐性型を最終目標としつつ、より早い実用化を見込めるアニーリングに力を入れると説明している。
ここで一つ、整理が必要になる。超伝導、光、イオン、中性原子、半導体スピンは、量子情報を何に担わせるかの違いだ。一方、アニーリングと、操作を組み合わせて多様な計算をするゲート型は、計算の仕方の違い。同じ超伝導でも、NECが注力したアニーリングと、GoogleやIBMのゲート型は、そのまま同じ物差しでは測れない。
NECは実用化を考えていなかったのではない。むしろ、早く事業につなげる道を探していた。汎用型に向けた研究も並行して進めており、アニーリングだけに賭けた企業という描き方も正確ではない。2023年6月には、産総研と開発した8量子ビットのアニーリングマシンを使い、東北大学との共同研究を始めた。
それでも、実機開発を続ける道は選ばなかった。9月7日の時事通信は、ハード開発の継続は費用対効果が見合わないと判断したとみられると報じた。ただし、量子を活用する技術開発は続けるという。「量子をやめた」のではなく、どこまで自社でつくるかを変えたと見る方が適切だろう。
GoogleとIBMは、超伝導を捨てていない
では、超伝導方式そのものが限界に来たのか。GoogleやIBMも別方式に乗り換えた、という説明は、公表資料と食い違う。
Googleが2026年3月24日に発表したのは、超伝導に加えて中性原子方式を研究する方針だ。IBMも8月26日に、半導体スピンの技術を持つHRL Laboratoriesの買収完了を発表したが、超伝導の開発を続けることを明記した。乗り換えではなく、複線化である。
Googleの説明では、超伝導は操作の速さに、中性原子は多数の量子ビットを並べ、柔軟につなぐ点に強みがある。どちらにも未解決の課題があり、長所を使い分ける狙いだ。一方式の寿命が尽きたというより、実用化への有力な道が一つに定まっていないと読む方が近い。
中国も超伝導を捨てていない。中国科学技術大学は2025年12月、107量子ビットの「祖冲之3.2号」で、誤り訂正に使う量子ビットの規模を広げるほど、誤りを抑えられる実験成果を発表した。量子ビットをただ増やすだけでなく、壊れやすい量子情報を守り、計算を続けられるようにする。それが実用化への関門だ。
同大学は2026年5月、最大3050個の光子を扱う「九章4号」の成果も発表した。ただし、こちらは特定のサンプリング課題を解く装置で、任意の産業課題をこなす汎用機の完成ではない。米中の成果は大きいが、「先端実験で勝った」と「事業として使える」の間には、なお距離がある。
撤退する企業の一方で、複数の道を追う企業がある。競争力の差は、最初に正解を当てる能力だけではなく、答えが出ない期間に、いくつの可能性を追い続けられるかにも表れているのではないか。
研究者が見ていた「2023年」の難しさ
山本氏がNEC在籍時に答えた、量子フォーラムのインタビューを読み返すと、印象的な言葉がある。社会実装は何年後かと問われ、こう述べていた。
「NECとしては2023年と言っているのだが、簡単ではない」
同氏は、従来型の計算機と小規模な量子計算機を組み合わせ、価値を生む道も説明している。実用化を否定していたのではなく、どのような形なら可能なのかを探っていたのだ。
筆者も大学の研究者を取材するなかで、社会が求めるロードマップと、研究者が課題の解決を見積もる時間の隔たりを感じてきた。実用性の見通しを慎重に語る研究者もいれば、期待が先行した反動で、量子ICTに再び「冬の時代」が来るのではないかと懸念する声もあった。
装置が動くことと、利用者が費用に見合う利益を得ることは違う。特定の計算で従来機を上回ることと、幅広い産業用途で使えることも違う。それらをすべて実用化と呼べば、研究が前進していても、社会には約束を守らなかったように映りかねない。
ロードマップに年号を置くことは必要だろう。だが、目標年を示したことによって、残る難題の解き方まで決まるわけではない。企業の投資回収の時間と、研究に必要な時間。そのずれを、誰が引き受けるのか。
富士通やNTTだけに「待つ責任」を負わせるのか
国内では、富士通と理化学研究所が2025年4月に256量子ビットの超伝導機を発表した。光方式では、OptQCとNTTが2026年8月、2030年度までに100万物理量子ビット級の誤り耐性型を目指すと発表している。日本の挑戦は続く。ただし、後者は将来目標であって、完成した装置の性能ではない。
必要なのは、こうした企業に「名門なのだから、もっと頑張れ」と迫ることではない。一方で、長期研究を理由に、検証なしで資金を出し続けることでもない。
米国防高等研究計画局(DARPA)は、2033年までに産業上有用な量子コンピューターを実現できるかを、第三者として検証する事業を進める。有用性の基準は、計算によって生まれる価値がコストを上回ることだ。成功を約束するのでも、未知だから切り捨てるのでもなく、開発計画の実現性を確かめる仕組みである。
山本氏は前述のインタビューで、日本の課題を資金だけに求めてはいなかった。必要なのは、複数の研究機関が活動し、情報交換、競争、協力ができる環境だと指摘している。
現在、同氏が取り組む研究には、極低温の装置へ引き込む配線を減らす課題がある。配線が増えれば場所を取り、外から熱も入り込む。「夢の計算機」の実現は、こうした地道な難題の解決にかかっている。
日本は超伝導量子ビットの開発で、かつて先頭を走った。いま問われるのは、その歴史を誇れるかではない。企業が撤退を判断しても、検証に値する研究を別の担い手へつなげられるかだ。次の冬が来たときに守るべきなのは、すべての会社の看板ではなく、もう一度走り出せる人と技術である。



