
「いじめ撲滅」という大義名分を掲げ、アイドルやインフルエンサーの不祥事を暴露してきたX上のアカウント「デスドルノート」が、突如としてネットの海から姿を消した。
創設者である磨童まさを氏が、人気格闘技イベントBreakingDownにおいて和田悟氏(和田P)に敗北したことが、アカウント全削除の直接的な契機となったとみられる。総フォロワー数100万人を超える巨大な暴露メディアの終焉は、ネット上の私刑が孕む危うさと、そのもろさを改めて社会に提示している。
BreakingDownでの敗北とアカウント消去の背景
15日、磨童まさを氏は自身のXアカウントを更新し、「デスドルノートの全アカウントを削除いたしました」と報告した。現在、本アカウントである「@deathdol_note」およびサブアカウントの「@deathdolnote」はともに投稿が読み込めない、あるいは閲覧不可能な状態となっている。
X上の一般ユーザーらの投稿によると、事の発端は直近に開催された格闘技イベント「BreakingDown 20」での一戦である。磨童氏は同イベントのプロデューサーとしても知られる和田悟氏と対戦し、判定の末に和田氏が勝利を収めた。この敗戦により、磨童氏は事前の取り決め通り暴露を行わず、アカウントの消去へと至った模様だ。
試合後、和田氏は自身のXで、リング上で勝ち名乗りを受ける自身の写真とともに「勝ったでー!とりあえずプロデューサーやめずに済みました」と勝利を報告し、「さて、デスドルの処分はどうしようか?笑」と余裕の姿勢を見せた。一方で、試合の判定自体に対しては、一部の格闘技ファンから「和田Pに忖度した感が有る」「KO勝ちなら文句無いけれど、今回のは再試合だね」と疑問を呈する声もSNS上に投稿されている。とはいえ、格闘技イベントというエンターテインメントの場での勝敗が、100万人規模のフォロワーを持つメディアの存廃を決定づけたという事実は、現代のネット社会における影響力の流動性を示す特異な事例と言えるだろう。
「いじめ撲滅」の看板と「ネットリンチ」の実態への厳しい眼差し
磨童氏は引退のポストにおいて、「今後のいじめ撲滅活動につきましては、個人アカウントにて継続してまいります」と表明している。だが、一連の騒動とデスドルノートの消滅に対するSNS上の一般ユーザーの反応は、同情や労いよりも、むしろ批判や冷笑が支配的である。
長らく同アカウントは、匿名の「タレコミ」を基にターゲットの過去のいじめ疑惑などを暴露してきた。しかしその手法に対しては、以前から非難の声が絶えなかった。ある一般ユーザーは、「いじめ撲滅を謳いながらガキの失敗程度のアイドルや活動者の失敗までネットリンチに誘導できるアカウントで晒し上げてネットいじめしてたこと自分で気づいてたんだろうか」と、その活動が本質的に抱えていた大きな矛盾を鋭く指摘している。
また別のユーザーからは、「あんな悪質な一種の私人逮捕系?見た事ない。金のために偽善でいじめ撲滅運動」を行っていたのではないかと痛烈に批判する声が上がり、さらには「その晒しが事実とは全く異なって無関係の人が被害被った時の対応も散々だった」と、情報検証の甘さと無責任な運営体制に対する怒りも可視化されている。正義の名を借りた「数の暴力」であり、ビジネスや自己承認欲求を満たすための手段に過ぎなかったのではないかという疑念が、アカウント消去を機に一気に噴出した形である。
著作権への無自覚と『DEATH NOTE』原作ファンからの非難
さらに今回の引退騒動では、情報発信者としての根本的なモラルの欠如も明確になった。磨童氏が引退報告のポストに添付した画像は、人気漫画『DEATH NOTE』のキャラクターらが描かれた巨大なイラストを背景にし、その前に自身が立って両手を広げている姿であった。
これに対し、原作ファンとみられるユーザーからは「こんな穢らわしいことにデスノートという作品を使わないで欲しい」「デスノートが大好きだから自己陶酔やめて欲しい」といった悲痛な怒りの声が殺到している。また、「これデスノートの原作者となんか関係あんの?」と権利関係をいぶかしむ声や、「名前勝手にパクって使ってただけなのに堂々とDEATH NOTEの絵の前で写真撮って引退宣言するのスゴい」と、その厚顔無恥な態度を呆れる意見も散見された。
他者の著作物や圧倒的な知名度に無断でただ乗り(フリーライド)し、自身の威信や正当化のために利用しようとする姿勢は、他者のプライバシーや名誉を平然と侵害してきた暴露系アカウントの危うい倫理観そのものを象徴していると言わざるを得ない。
ネット私刑の限界と、インターネット社会が抱える今後の課題
総フォロワー数100万人超という強大な影響力を持った暴露メディアが、BreakingDownという格闘エンターテインメントの枠組みの中で終焉を迎えた事実は、極めて現代的な事象である。既存の法制度や社会規範では救済されない不満やルサンチマンを背景に、法を超越した正義を自称するアカウントが一部で熱狂的に支持される土壌は確かに存在する。
しかし、十分な裏付け調査や適正手続きを欠き、私怨や商業主義にまみれたインターネット上の私刑は、結局のところ新たな被害者を生み出す「いじめの再生産」に過ぎない。「普通にアカウント削除でいい、デスドルはいらん」「世の中の為に必要不可欠だけど、お前は不要だからな」と一般ユーザーが吐き捨てたように、彼らが掲げた大義名分がメッキに過ぎなかったことは、すでに多くの人々の見透かすところとなっている。
磨童氏は今後も個人アカウントでの活動継続を宣言しているが、その歪んだ手法の実態が広く認知された現在、かつてのような熱狂的な支持と影響力を取り戻すことは極めて困難であろう。デスドルノートの全アカウント削除という結末は、暴走した承認欲求と偽善がいかにして自壊していくのかを我々に静かに示しており、今後のSNS空間における自浄作用のあり方を問う重要な教訓として受け止めるべきである。



