
沖縄県の離島、多良間島。サトウキビ畑が広がるのどかな風景の中を、ゴルフカートのような小さな車両がゆっくりと進んでいく。運転席には人が座っているが、ハンドルを握る手は膝の上に置かれたままだ。車両はまるで意思を持っているかのように、カーブを滑らかに曲がり、路上の障害物を避けて停止する。これはSF映画のワンシーンではない。日本の地方が直面する「移動の足」の喪失という深刻な課題に対する、ある企業の回答だ。
この自動運転システム「YADOCAR-i」を開発したのは、Googleでもなければ、大手自動車メーカーでもない。愛知県名古屋市に本社を置く、あと2年で創業80周年を迎える老舗企業、東海クラリオン株式会社だ。かつて観光バスのラジオやカラオケ機器で一時代を築いた同社は今、AI搭載の安全装置や自動運転システムを開発する「メーカー」へと、静かに、しかし劇的な変貌を遂げている。
なぜ、地方のいち商社が、最先端技術を駆使した社会課題解決企業へと生まれ変わることができたのか。その背景には、安部源太郎社長が継承し、磨き上げてきた「現場への徹底的な寄り添い」と「変革への覚悟」があった。
焼け野原から始まった「楽しみ」の提供
「僕らの会社は、技術の最先端を走って次のムーブメントを作るようなハイテク企業ではありません。ただ、時代時代のお客様が『今、何に困っているか』をキャッチアップし続けてきたら、結果として80年続いていた。それだけのことなんです」
安部社長は穏やかな口調でそう語るが、同社の歴史はまさに日本のモータリゼーションの歴史そのものだ。ルーツは1948年(昭和23年)。戦後の焼け野原が広がる岐阜で、創業者がラジオの修理や電球用バッテリーの販売を始めたことに遡る。復興の槌音が響く中、創業者はある噂を耳にする。

「どうやら近くの工場で観光バスを作るらしい」。 当時はまだ、娯楽など数えるほどしかなかった時代だ。「せっかく観光バスを作るなら、楽しみがあったほうがいい。ラジオを積んだらどうだ」。創業者のこの提案が、すべての始まりだった。以来、同社は「バス・トラック・自動車」という領域で、時代のニーズに合わせて姿を変えてきた。
高度経済成長期にはカーオーディオやバス用カラオケが飛ぶように売れ、90年代にはカーナビゲーションシステムが市場を席巻した。「クラリオン」ブランドの販売代理店として、東海エリアでの地位は盤石に見えた。
「商社」としての限界と、3.11の衝撃
しかし、永遠に続く安泰などない。2000年代に入ると、スマートフォンの台頭によりカーナビの優位性は揺らぎ始め、「若者の車離れ」が叫ばれるようになる。そして2011年、決定的な転機が訪れる。東日本大震災とタイの大洪水だ。メーカーの工場が被災し、商品供給が完全にストップした。売るべきものがない。仕入れて売るだけの「商社」というビジネスモデルの脆さが、残酷なまでに露呈した瞬間だった。当時、社長に就任したばかりだった安部氏は、強烈な危機感を抱いたという。
「車が売れない、商品も入ってこない。このままでは座して死を待つのみです。お客様の話を聞いて回ると、『こういう機能が欲しい』という切実な声はある。でも、メーカーのカタログにはない。だったら、自分たちで作るしかないじゃないか、と」
ここから、老舗商社のメーカー化への挑戦が始まった。同社が立ち上げた自社ブランド「elpis(エルピス)」は、ギリシャ神話に登場する「パンドラの箱」に残された希望の名を冠している。未曽有の危機の中で、自らの手で希望をつかみ取るという決意の表れだった。
現場のドライバーが「スイッチを切らない」安全装置を

東海クラリオンが開発した製品の中で、現在、物流業界から熱い視線を注がれているのが、大型トラック向けの巻き込み防止AIカメラシステム「A-CAM(エーカム)」である。物流の2024年問題が叫ばれる中、トラックの事故防止は喫緊の課題だ。新型車には最新のセンサーが付いているが、日本中を走っているトラックの多くは、車齢10年、20年というベテラン車両であり、最新の安全装備は持たない。安部社長は、現場の運送事業者との対話の中で、ある矛盾に気づいていた。
「既存のセンサーを後付けした車もあるにはあるんです。でも、ドライバーさんがそのスイッチを切っちゃうんですよ。『うるさいから』って」

従来の超音波センサーなどは、ガードレールや看板など、動かない「物」にも反応してピーピーと警告音を鳴らす。プロのドライバーにとって、運転中の不要なノイズはストレスでしかない。結果、安全装置がオフにされ、悲惨な巻き込み事故が起きてしまう。
「機械が正しくても、人間が使ってくれなければ意味がない」。そう考えた安部社長たちがたどり着いたのが、AI(人工知能)による画像認識だった。カメラ映像をAIが解析し、人や自転車だけを識別して警告する。単なる障害物には反応しない。この人間中心の設計思想が、現場のプロたちに受け入れられた。価格は約35万円と、安価なサイドカメラやソナーの数倍する。それでも発売から約3年で約1800台を受注したという事実は、現場がいかに実効性のある安全を求めていたかを物語っている。
「メーカーさんはどうしても新車の開発にリソースを割きます。だから、世の中の大多数を占める『既存車』の課題は置き去りにされがちです。そこを拾い上げるのが、現場に近い我々の役割なんです」
1億円のバスはいらない。「ヤドカリ」の発想で地域を救う
この「既存のものを活かす」という思想は、自動運転事業にも色濃く反映されている。地方自治体が自動運転バスを導入しようとすれば、車両だけで1億円近いコストがかかることも珍しくない。財政難にあえぐ地方都市にとって、それは高嶺の花だ。そこで東海クラリオンが提唱するのが「YADOCAR-i」である。
これは、ゴルフカートや既存の電気自動車に、GPSやLiDAR(ライダー)、制御用PCといった自動運転キットを「後載せ」するシステムだ。車両(宿)が変わっても、システム(中身)を載せ替えれば機能する。だから「ヤドカリ」。これなら、導入コストを劇的に抑えることができる。
「地方創生といっても、そこに住むおじいちゃん、おばあちゃんが病院や買い物に行けなければ生活が成り立ちません。最新鋭のキラキラした技術じゃなくてもいい。低速でもいいから、安価で維持できて、地域の人たちが日常的に使える『足』を提供したいんです」
現在、沖縄の多良間島や茨城県つくば市などで実証実験が進んでいる。派手な技術革新ではないかもしれない。しかし、既存の車両という地域資源を有効活用し、持続可能な交通インフラを作るこのアプローチこそ、真の意味での「公益」に資するイノベーションではないだろうか。
「真空管を持って四国へ」受け継がれる商人の矜持
なぜ、東海クラリオンはここまで現場にこだわるのか。その原点は、創業間もない頃のエピソードにある。当時、名古屋で取り付けたバスラジオを載せた観光バスが、遠征先の四国で故障したという連絡が入った。当時の真空管ラジオは振動に弱かったのだ。その時、同社の社員は迷わず真空管を抱え、四国まで修理に走ったという。
「売って終わり、にはしない。それが我々のDNAなんです」と安部社長は力を込める。大手メーカーの製品であっても、販売した後に撤退したり、サービスが終了したりすることはある。しかし、地元の運送会社やバス会社は、その後も走り続けなければならない。「つけた後に、誰が面倒を見るんだ」という顧客の不安に対し、「我々が見ます」と言い続けてきた80年だった。
だからこそ、AIや自動運転という未知の領域に踏み込んでも、顧客は「東海クラリオンがやるなら」と信頼を寄せる。技術が変わっても、その信頼関係という社会共通資本は変わらないのだ。
イノベーションとは、生き残るための変化
「50年、80年続くということは、老舗として同じことを守り続けてきたわけではありません。むしろ逆で、イノベーションを繰り返してきたからこそ、生き残ってこれたんです」
インタビューの終盤、安部社長は自身のキャリアを振り返りながら語った。実は安部氏は、最初から家業を継ぐつもりはなく、以前は広告業界に身を置いていたという。外の世界を知っているからこそ、自社の持つ「現場との接点」という資産の価値と、変わり続けなければならないという危機感の両方を持てたのかもしれない。
ラジオからカラオケへ、ナビへ、そしてAI自動運転へ。扱う商材は変わった。しかし、「移動する空間に、安心と快適を届ける」というミッションは一貫している。日本の企業の99%以上は中小企業であり、その多くが事業承継やビジネスモデルの転換に悩んでいる。東海クラリオンの事例は、決して特殊なハイテク企業の成功譚ではない。「足元の顧客の声を聞く」「既存の資産を見つめ直す」「売って終わりではなく、共に歩む」。商売の原点に立ち返り、それを現代の技術(AIやIoT)で再編集することで、地方の商社は世界に通じるソリューション・ベンダーへと進化できるのだ。
「次の80年に向けて、また新しい『ヤドカリ』の殻を探し続けますよ」
そう言って笑う安部社長の視線の先には、テクノロジーと温かい人間味が共存する、新しい日本の交通社会の姿が見えているようだった。



