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『チャンスの時間』ドラマ☆麺・ナルちゃんの“メイク指摘”が賛否 容姿いじりか、身だしなみか…浮かび上がった「社会の断絶」

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みりちゃむ、「ドラマ⭐︎麺」ナルちゃん
みりちゃむInstagram(@mirichamu_0710)、マセキ芸能社プロフィールより

「もうちょい綺麗にした方がいい」みりちゃむの一言にナルちゃん反発

「メイクで全然話が入ってこなくて、もうちょい綺麗にした方がいい」

この一言は「容姿いじり」なのか。それとも、テレビに出演する人への「身だしなみ」の指摘か。

ABEMAのバラエティー番組『チャンスの時間』に出演した男女お笑いコンビ「ドラマ☆麺」のナルちゃんをめぐるやり取りが切り抜かれ、SNSで賛否を呼んでいる。

話題になったのは、「次世代男女コンビを今すぐ調整しよう」という企画。

ゲストのみりちゃむがナルちゃんのメイクについて「メイクで全然話が入ってこなくて、もうちょい綺麗にした方がいい」とコメントすると、ナルちゃんは、
「だからテレビ出たくないんですよ」
と叫んで反発。

さらに、みりちゃむに対して、
「男社会でおじさんとうまくやってる女性」
と切り返した。

これにみりちゃむも、
「お前、偏見すごいな」
と応戦。

短いやり取りだったが、その切り抜きがSNSで拡散されると、議論は単なる「芸人のメイクが変かどうか」を超えていった。

「女性の容姿を笑う古いテレビの構造だ」とナルちゃんを支持する声。
一方で「生まれ持った容姿ではなく、すぐ直せるメイクへの指摘まで容姿いじりなのか」という声。
同じ映像を見ているはずなのに、見えている問題そのものがまるで違う。

そこには、現在の日本社会に存在する“笑い”と“身だしなみ”をめぐる、想像以上に大きな価値観の断絶が表れているようにも見える。

 

ナルちゃんのメイクにみりちゃむ「話が入ってこない」

実際、今回の議論を理解するうえでは、ナルちゃんがどのようなメイクをしていたのかも重要だ。

番組出演時のナルちゃんは、鼻先、上唇の上、下唇の下などにかなり濃い陰影を入れていた。
下まぶたには、いわゆる「地雷ライン」を思わせる、大幅にタレ目に引いたアイライン。
さらに下まつ毛も、下まぶたの皮膚の上のアイラインで描くなど、一般的なナチュラルメイクとは大きく異なる個性的な仕上がりだった。

特に目を引くのが、鼻や口周辺のシェーディングだ。
通常のシェーディングで使われる肌になじむブラウンやグレーというより、映像上ではかなり黒く、はっきり見える。

そこでみりちゃむから飛び出したのが、
「メイクで全然話が入ってこなくて」
という指摘だった。

さらに千鳥・ノブからも、その見た目を「炭鉱で働く人」とたとえるツッコミが入った。

ここから議論が始まる。
これは、女性芸人の見た目を笑いものにした「容姿いじり」なのか。
それとも、本人が後から変更できる極端なメイクに対する、バラエティー上のツッコミだったのか。

 

「知らない相手の容姿をいじるべきではない」ナルちゃん支持派

SNSではナルちゃんを支持する意見も少なくない。
その中心にあるのが、「そもそも関係性のない相手の容姿を笑いの材料にしていいのか」という問題提起だ。

芸人同士の“いじり”は、相手との信頼関係や、その後のフォローまで含めて成立するもの。
そこだけを一般人が真似すれば、単なるいじめになることもある。
まして初対面に近い人物が、女性の見た目について「もうちょい綺麗にした方がいい」と言えば、不快に感じる人がいても不思議ではない。

さらに今回、ナルちゃん自身が問題視したのは、単に「メイクを否定された」ことだけではないようだ。

SNSでは、
「ナルちゃんが指摘しているのは男社会の構造では」
「女性が男性中心のテレビに適応するために求められてきた振る舞いを指摘したのでは」
「『男社会でおじさんとうまくやってる女性』という返しは本質を突いていた」
と、その発言を支持する声も上がった。

あるユーザーは、ナルちゃんの発言がお笑いとしても面白い切り返しだったにもかかわらず、良くない発言として処理されたように見えたとして、テレビの「度量の狭さ」を指摘している。

つまり肯定派からすれば、問題は「メイクを注意されたこと」ではない。
「テレビに出る女性は、既存の価値観に合わせた見た目や振る舞いを求められる」
という構造そのものなのだ。

 

一方で「メイクまで容姿いじり扱い?」「一般的な清潔感への指摘では」の声

しかし、反対側から見ると、まったく違う景色になる。

SNSでは、
「歯並びや体型など簡単に変えられないものをいじるのと、すぐ直せるメイクを指摘するのは違う」
「さすがにこのメイクはツッコまれる前提に見える」
「テレビにこのメイクで出たら気になるのは普通では」
といった意見も出ている。

ここで重要になるのが、「容姿」と「身だしなみ」をどこまで同じものとして扱うかだ身長、骨格、顔立ち、体型など、本人が容易には変えられない身体的特徴を笑うことについては、現在のテレビでも以前より慎重になっている。

では、髪に寝癖がついている。
鼻毛が出ている。
口元に食べ物がついている。
ファンデーションが大きくヨレている。
あるいは、極端に濃いメイクによって表情より先に化粧へ視線が向いてしまう。

こうしたケースまで、すべて「容姿への言及」として避けるべきなのか。
今回の論争が難しいのは、まさにこの境界線上にナルちゃんのメイクが存在したことだろう。

 

「デーモン閣下と漫才していたらネタが入ってこない」に近い?

筆者自身、今回のみりちゃむの発言を見た際、最初に受け取ったのは「容姿を馬鹿にした」というニュアンスではなかった。
むしろ、「メイクのインパクトが強すぎて、話の内容に集中できない」という単なる指摘に聞こえた。

極端な例を出せば、普通の漫才コンビの片方が、何の説明もなくデーモン閣下のような強烈なメイクで舞台に立っていたとする。
観客はおそらく、最初の数分は漫才の内容より「なぜその顔なのか?」が気になるだろう。
それは「その人の顔が美しいか、美しくないか」という話とは少し違う。
視覚情報のインパクトが、伝えたい内容を上回っているという問題だ。

ナルちゃんの場合も、鼻先や口周辺に入れられた黒く見えるシェーディングや、下まぶたに描かれたラインが非常に目立つ。
だから「話が入ってこない」というみりちゃむの言葉には、一定の理解もできる。

ただし、その後にノブが「炭鉱で働く人」と表現した部分まで含めれば、明確に“笑い”へ転換されている。
ここは分けて考える必要がありそうだ。

 

「綺麗にした方がいい」という言葉には別の問題も

一方で、みりちゃむの言い方にまったく問題がなかったとも言い切れない。

特に引っかかるのが、「もうちょい綺麗にした方がいい」という表現だ。

「メイクが濃すぎて話が入ってこない」
「そのシェーディングの塗り方、ちょっと変かも」
であれば、あくまで“化粧方法”へのツッコミとして受け取られやすい。

しかし「綺麗にした方がいい」と言えば、「現在のあなたは綺麗ではない」という評価にも聞こえる。
そこに女性の外見をめぐる社会的な圧力を感じる人がいるのも理解できる。

今回の議論は、「何を指摘したのか」と「どういう言葉で指摘したのか」を分けて考えた方がよさそうだ。

メイクについて言及すること自体と、その人物の美醜を評価することは、本来同じではない。
しかし言葉の選び方によって、その境界は簡単に曖昧になる。

 

「男社会でおじさんとうまくやってる女性」は痛烈な本質か、偏見か

そして今回、メイク以上に議論を呼んだのが、ナルちゃんの切り返しだった。

「男社会でおじさんとうまくやってる女性」とは、かなり強烈な一言だ。
これを「本質を突いた」と評価する人もいる。

テレビ業界が長く男性中心で形成され、その環境の中で女性タレントには「男性出演者とうまくコミュニケーションを取る能力」が求められてきた、という問題意識だ。
ナルちゃんの言葉を、そうした構造へのカウンターとして受け取った人たちがいる。

一方で、みりちゃむ個人について「男社会に適応している女性」と一括りにすることもまた、別のステレオタイプではないかという疑問は残る。
実際、みりちゃむ自身も即座に、「お前、偏見すごいな」と返している。

女性に「綺麗であること」を求める固定観念を批判するために、別の女性を「おじさんとうまくやっている女」と類型化する。
ここにも、今回のやり取りの複雑さがある。

 

「社会に迎合」か「他人への配慮」か

そして、この騒動を追っていて筆者が最も考えさせられたのは、メイクそのものではなかった。

社会に合わせることを、どこまで「抑圧」と考えるのか。
ここで認識が大きく分かれている。

会社員なら、取引先へ行く日に最低限髪を整える。
接客業なら、清潔感のある服装を心がける。
冠婚葬祭では、その場に応じた服装をする。
テレビに出るなら、視聴者が内容に集中できる程度に身だしなみを整える。

これらを「社会に迎合させられている」と捉える人もいるかもしれない。

一方で、それを「自分と接する相手を不快にさせないための配慮」と考えている人も大勢いる。
ナルちゃんをめぐるSNSの議論を見ていると、この二つの価値観の距離が想像以上に離れていることに気づかされる。

 

「社会でうまくやれない側」という物語に回収していいのか

一部の議論では、
「社会にうまく適応できない人を、既存の価値観に合わせようとしている」
「普通を押し付ける社会の問題だ」
という方向にも話が広がっている。

もちろん、社会の「普通」が誰かを必要以上に苦しめることはある。
かつては学校や職場で当然とされたルールが、現在では理不尽だったと見直されている例も少なくない。
ただ同時に、あらゆる指摘を「社会からの抑圧」として処理してしまえば、他者からのフィードバックを受け取る機会そのものが失われる危険もある。

「あなた自身を否定している」のか。
「その場では、この振る舞いの方が伝わりやすいと助言している」のか。
両者はまったく違う。

今回、ナルちゃんを支持する一部の声と、みりちゃむの指摘を理解できるとする声が噛み合わない理由は、そもそも「他人から社会的な振る舞いを指摘されること」への認識が違うからなのかもしれない。

 

「筆者の常識」も時代遅れの感覚なのかもしれない

もっとも、ここまで書いておいて、自分自身の感覚も疑う必要がある。

筆者は今回の映像を見て、
「テレビに出るなら、もう少しメイクを整えた方がいいのでは」
と比較的自然に感じた。
だが、この感覚そのものが、ナルちゃんを支持する人たちが批判している「社会に合わせることを当然視する価値観」なのかもしれない。

10年前には普通だった容姿いじりが、現在では「なぜ人の身体的特徴を笑っていたのか」と見直されている。
女性にヒールや化粧を事実上求める職場文化についても、価値観は大きく変わってきた。

今の筆者には「身だしなみ」に見えるものが、10年後には「不必要な同調圧力」と見なされている可能性だってある。
逆に、個人の自由が尊重される社会になっても、他者と生活する以上「相手への配慮としての身だしなみ」は残り続けるかもしれない。
その答えはまだ出ていない。

 

「容姿いじり」と「身だしなみ」の境界はどこにあるのか

ナルちゃんのメイクをめぐる、わずか数分のやり取り。
しかしSNSで起きた論争をたどっていくと、その奥には意外なほど大きなテーマが横たわっている。

生まれ持った容姿を笑うこと。
本人が選んだメイクを批評すること。
テレビ出演者の見た目に言及すること。
他人に不快感を与えない身だしなみを求めること。
女性に「綺麗であること」を求めること。

これらはすべて同じなのか。それとも、一本ずつ別の線を引くべきなのか。

今回、みりちゃむの「もうちょい綺麗にした方がいい」に反発した人と、「いや、あのメイクなら気になる」と感じた人。
おそらく、どちらも自分の側では「当然の感覚」なのだろう。
だからこそ、ここまで話が噛み合わない。

『チャンスの時間』の一場面から浮かび上がったのは、「容姿いじりは良くない」という単純な結論ではなく、「個人らしさを尊重すること」と「他者と共存するために社会的なコードを共有すること」を、これからどこで折り合わせるのかという難しい問いだったのかもしれない。

ナルちゃんのメイクを見て「自由でいい」と感じるのか、「身だしなみとして気になる」と感じるのか。
その答え以上に、なぜ自分はそう感じたのかを考えてみると、私たち自身が持っている「普通」の輪郭が見えてきそうだ。

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『チャンスの時間』ナルちゃん“メイクいじり”が賛否 みりちゃむ「綺麗にした方がいい」容姿批判か身だしなみか

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「男社会でおじさんとうまくやってる女性」ナルちゃんの反撃が物議 みりちゃむ“メイク指摘”から見えた断絶

あたりが強いです。

SNS流入まで考えると4本目がかなりクリックされやすいと思います。「SNS真っ二つ」「容姿いじり/身だしなみ」で、記事を読む前から争点が分かるからです。

第一段落の見出し

「もうちょい綺麗にした方がいい」みりちゃむの一言にナルちゃん反発

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軽田 カルダモン

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