
港に着いても、船のエンジンは止まらない。
日本へ運ばれる貨物の9割以上は、船で海を渡ってくる。その大きな船が岸壁に停泊しているあいだも、船内では発電機が回り続ける。動力はディーゼルエンジンだ。荷役の数時間、ときに数日、排気ガスと地響きのような低い音を出し続ける。港町の住民が長らく当たり前として受け入れてきた光景である。
この止まらないエンジンを、止める。それが港湾の脱炭素に向けた切り札の一つ、陸上電力供給だ。停泊中の船へ陸から電気を送り、発電機を切る。世界の主要港では、すでに導入の義務化が進んでいる。
その実現を足元で支えようとする企業がある。イグス株式会社。ただしこの会社は、電気を作らない。電気を船へどう運ぶか、という見過ごされてきた一点に、本業のプラスチック技術で挑んでいる。
停泊中も、船のエンジンは止まらない。港の脱炭素を握る、陸上電力供給という一手
話の舞台は、東京・墨田区に本社を構えるイグス株式会社である。ドイツに本社を持つ、プラスチック部品のメーカーだ。その日本法人に、港湾を専門に担うプロジェクトのチームがある。チームリーダーを務める山下茂樹氏と、メンバーの北嶋大樹氏。二人が全国の港を回り、いま力を注いでいるのが、陸上電力供給である。

まず、現実を押さえておきたい。世界中から、おびただしい数の船が日本の港に着く。問題は、その船が岸壁に停まってからも、エンジンを止められないことにある。
山下氏
「船は、港に停泊しているあいだも、エンジンを切ることができません。船内の設備も、安全装置も、その多くは電気で動いています。とくに客船は、いわば動くホテルです。乗客が船内で過ごすための電気が、絶えず必要になります。ですから発電機を止められず、停泊している間は排気ガスを出し続けることになります」
発電機の動力は、ディーゼルエンジンだ。数時間、ときに数日におよぶ停泊のあいだ、船は燃料を燃やし続ける。排出されるのは、二酸化炭素だけではない。においがあたりに立ちこめ、エンジンの重い唸りが絶え間なく続く。観光客には港の風情と映るその音も、毎日を岸壁のそばで暮らす住民にとっては、ないに越したことはないものだろう。 この問題は、一つの企業や一つの港にとどまらない。国土交通省によれば、港湾や臨海部には、国内の二酸化炭素排出量の約6割を占める産業が集まっている。港の脱炭素は、日本全体の脱炭素と分かちがたく結びついているのだ。国際海事機関(IMO)も、国際海運からの温室効果ガスを2050年ごろまでに実質ゼロとする目標で、基本合意に至っている。

そこで浮かび上がってきたのが、陸上電力供給(以下、陸電)という考え方である。停泊中の船へ、陸から電気を送る。すると船は、自前の発電機を止められる。エンジンが止まれば、排気ガスはゼロになる。港湾の脱炭素に向けた、確かな一手だ。この仕組みを日本の港に根づかせること。それが、同社の挑んでいる課題である。
カリフォルニアは、10年以上前に義務化した。世界に後れを取る、日本の港
日本が本腰を入れるよりも前に、世界はとうに動き出していた。
普及を先導したのは、アメリカのカリフォルニア州だ。10年以上前、州の法律で陸上電力供給を義務づけた。ロサンゼルスやロングビーチといった港で導入が始まり、いまでは州内に入るすべての客船とコンテナ船が、陸上電力の利用または同等の排出削減措置を備えていなければならない。ノルウェーも、早くから陸電に力を入れてきた国の一つである。
流れを決定づけたのは、ヨーロッパだった。港町に暮らす市民の環境意識が高まり、ディーゼルの排気ガスによる健康被害が指摘されるようになる。二酸化炭素の排出量に応じて罰金を科す。そうした締めつけが、年を追うごとに強まっていった。
北嶋氏
「EUでは2025年に、船舶の脱炭素化を進めるための明文化された法律(*1)が施行されました。将来的にEUの港に入る船は、陸上電力供給の設備を持っていないと、もう入れません。あるいは、罰金を払うか。そのどちらかです。船の側がその設備を持つのが当たり前になってくると、今度は、受け入れる陸の側にも設備がないと成り立たない。船と陸の設備が調和して、はじめて動く仕組みなのです」
ヨーロッパの主要な港では、すでに実証の段階を終え、運用が始まっている。
ひるがえって、日本はどうか。国土交通省が陸電の本格的な検討を始めたのは、2020年のことだ。翌2021年には、港湾の脱炭素をめぐる検討会が、国の主導で立ち上がった。各地で協議の場を設ける港も増えていく。脱炭素化を話し合う協議会を置いた港は、2023年10月の時点で71港。それが、2026年6月末には101港にまで広がった。国の2026年度予算の概算要求でも、港湾を含む交通分野の脱炭素化に、140億円が充てられている。
数のうえでは、たしかに動いている。だが、実際に陸電の設備が整った港は、国内にはほとんどない。意欲にも濃淡がある。先陣を切ろうと張り切る自治体がある一方で、やりたくても人手が足りずに進められない、という声も漏れてくる。世界の背中は、思いのほか遠い。
*1:New EU rules aiming to decarbonise the maritime sector take effect – Mobility and Transport(https://transport.ec.europa.eu/news-events/news/new-eu-rules-aiming-decarbonise-maritime-sector-take-effect-2025-01-10_en)
電気は作れても、船まで運べない。陸電に潜む、接続のジレンマ
陸上電力供給と聞くと、単純な話に思える。発電所でつくった電気を、停泊中の船につなぐ。ただ、それだけのことではないか。同社も、最初はそう考えていたという。だが現場を知るほどに、それが容易でないことが見えてきた。
はじめに、役割を整理しておきたい。電気そのものを、同社がつくるわけではない。発電や変電は、その道の専門メーカーが担う。同社が引き受けるのは、その電気を船まで安全に運ぶ役目である。

山下氏
「私どもは、電気を作ることはできません。良い電気を作るのは、専門のメーカーさんのお仕事です。私どもの役割は、その電気をいかに上手に船まで運ぶか、という部分にあります。船というのは、地面に固定されたものとは違います。波があれば揺れますし、潮の満ち引きで浮いたり沈んだりもする。大きな港では、船がどちら側から、どの位置に入ってくるかもその都度変わります。電気は作れる、船の設備もある。では、どうやって、どこでつなぐのが合理的なのか。そこにこそノウハウが要るのです」
ここに、接続のジレンマと呼ぶべき難しさが凝縮されている。岸壁は、長いものでは数百メートルに及ぶ。そこへ、大小さまざまな船が日によって違う位置に、違う向きで着岸する。一方、船の側で電気を受け取る口は、一、二か所と決まっている。小型船の中央と大型船の船尾が同じ位置に来るとはかぎらない。その差は、およそ200メートル。左右両側を考えれば、400メートルもの幅のどこであっても確実につなげなければならない。

さらに、船側の設備と陸側の設備は、規格が合わなければつながらない。この点は、電気の国際規格をつかさどる機関を中心に標準化が進み、すでに内容は固まっている。同社は、その規格づくりに古くから関わってきた。海外で得た最新の情報を、各省庁や自治体へ伝える。技術的なよりどころを示すことも、同社の担う役割の一つだ。
では、従来はどうしてきたのか。答えは人力である。船から垂らしたケーブルを、岸壁のコンセントまで運んでつなぐ。そのケーブルは、10メートルで200キログラムにもなる。重機のような延長設備が要り、現地には太いケーブルが岸壁に長々と横たわる。その上、ケーブルが届く範囲でしか船を停められない。遠くに着岸すれば、高圧の電気を扱うための安全柵を張り巡らせ、5人、10人と人を集める必要も出てくる。港の仕事を、その設備が圧迫する。脱炭素という大義の裏で、現場はそんな矛盾を抱えていた。
港の働き方は、一切変えない。コンセントが、船を迎えに行く仕組み
ここで、同社は発想を切り替えた。港の働き方そのものを変えてまで、陸電を押し込むのではない。港の仕事を一切変えずに、もっと楽に、もっと無理なく電気を送れないか。そう考えたとき、答えは自分たちの本業のなかにあった。プラスチックの技術である。

同社が主力に据える製品は、iMSPO(アイエムエスピーオー)と呼ばれる。正式には、イグス・モバイル・ショア・パワー・アウトレット。直訳すれば、移動式の陸上給電コンセントだ。名前のとおり、コンセントそのものが動く。
従来のように、船の着いた場所へ人がケーブルを運ぶのではない。コンセントの側が、岸壁に沿って最大400メートルを移動し、船のもとへ近づいていく。どこに、どの向きで船が着こうとも、迎えに行けばよい。こうして、接続の難しさは解ける。
形は、設置する港によって変わる。一つは、地下に埋め込む方式だ。普段、岸壁の表面は平らで、フォークリフトもトラックも、その上を自由に行き交う。船が来れば、収めてあったコンセントがせり上がり、作業車で船とつなぐ。陸電を終えれば、再び地下へ収まり、ふたをすれば、もとの平らな岸壁に戻る。操作は遠隔で、装置は自走する。もう一つは、岸壁に据え付ける方式だ。コンテナを扱う岸壁は、重いクレーンを支えるために地盤を固く締めてあり、容易には掘れない。そうした場所では、掘らずに横へ付ける。外装はステンレスや防錆処理をしたスチールを使用しており、塩水をかぶっても錆びない。
この仕組みを根っこで支えるのが、エナジーチェーンと呼ばれる、同社の本業の技術である。動くものへ電気を送り届けるために、ケーブルを収めて保護し、何度でも滑らかに動かす。ケーブルが絡むことも、傷つくこともない。港湾という過酷な現場のために、わざわざ生み出した技術ではない。もともと手の内にあった技術が、ここで生きた。

山下氏
「iMSPOは、港湾の求めるものに対して、もっとも合理性が高いと考えています。港の主要な部分には、一切手を入れません。ですから、現場の作業者の方はこれまでどおりの仕事をしていただければよい。陸上給電のためには、二人か三人の方に来ていただいて、つないでもらえば、それで終わりです」
利点は、人手の軽減にとどまらない。可動する部分に人が近づかないため、安全性が高い。見た目もすっきりと保てる。塩害にも、強い風にも、災害にも耐える。メンテナンスはほとんど要らず、交換する消耗品も少ないため、使い続けるほどに費用がかさむこともないという。寿命は、動いた往復の回数から計算して、少なく見積もっても20年。港湾クレーンでの長年の使用実績がその裏づけになっている。
もっとも、いいことばかりではない。同社は、その点も正直に語る。
山下氏
「課題は、規模が大きくなることです。ほぼ自動化に近い設備ですから、導入のときの費用は、人手でやるよりも、かえって高くつくかもしれません」
ただし、と山下氏は続ける。一度きちんと据えてしまえば、あとから次々に費用がかかることは、まずない。いわば、完成された形で収まる。長い目で見れば、その差は小さくないという。残る壁は、むしろ日本の制度の側にある。海外では素手でつなぐ現場もあるが、日本では高圧を扱う以上、安全のための囲いが欠かせない。こうした制度面において折り合いをつけていくことは、これからの課題である。
港のクレーンで、20数年鍛えた技術。その応用の先に、陸電があった
ならば、なぜ同社にそれができるのか。意外に思えるかもしれないが、陸上電力供給は同社にとってまったく新しい挑戦ではない。移動するものへ電気を送り届ける技術は、長らく港湾のクレーンで使われてきた。その応用の先に、陸電があった。
巨大なコンテナクレーンは、重い荷を抱え、何十メートルもの距離を昼夜を問わず行き来する。その動く部分へ絶え間なく電気を送る。エナジーチェーンは、まさにそこで鍛えられてきた。国内の港湾だけでも、その採用はここ20数年で300機を超える。東京、横浜、大阪、神戸、福岡といった主要な港では、いまや標準的な方式として定着している。横浜市では、近年新たに導入するクレーンにこの方式が指定されているという。
選ばれる理由は、はっきりしている。メンテナンスがほとんど要らないこと。交換する消耗品が少ないこと。そして、強い風に耐えること。高い場所での危険な作業が減り、倉庫に予備の部品を抱え込まずに済み、台風のさなかでも荷役を止めずにいられる。港湾の現場が身をもって確かめてきた利点である。
山下氏
「港湾のお客様とは、長きにわたって信頼関係を築かせていただいてきました。プラスチックを、こうした重要な設備に使うということに対して、否定的なお話をいただくことは、ほとんどありません。そこは、私どもの何よりの強みだと思っています」

この信頼の上に、陸電の実績が積み上がりはじめている。海外では、ロッテルダムやハンブルクといった欧州の主要港で、すでにiMSPOが動いている。世界では、iMSPOが19基、その他の陸電関連設備が37基運用されており、さらに58基のプロジェクトが進行中だ。国内でも芽は出た。川崎市では、電気で動くタンカーに高速で充電するための陸上給電設備が日本で初めて据えられた。そのケーブルを管理する中核の部分に同社の製品が使われている。川崎市の試算によると、この一隻だけで年におよそ365トンの二酸化炭素が減るという。一般家庭、およそ250世帯分の電力に相当する量だ。
とはいえ、日本の大型の港での本格的な導入は、これからである。

北嶋氏
「大型のコンテナ船やクルーズ船で決まった、というところはまだありません。本当に動き始めたばかりです。ただ、小型の電気タンカーでは、すでに国内で実績が出ています」
世界に遅れと取りつつも、日本の港はいま、ようやく最初の一歩を踏み出そうとしている。
このままでは、船が来なくなる。脱炭素が左右する、港の競争力
脱炭素は、環境だけの物語ではない。日本の港が、この先も世界に選ばれ続けられるかどうか。その問いとも分かちがたく結びついている。
かつて、日本の港は世界の上位にあった。30年ほど前には、神戸をはじめ名だたる港が国際的な存在感を放っていた。だが、いまはどうか。世界を行き交う貨物の量は、増え続けている。にもかかわらず、そのなかで日本の港が占める割合は下がる一方だ。船から船へ荷を積み替えるハブとしての役割も、上海やシンガポール、台湾の港へと移っていった。一つの転機は、阪神・淡路大震災だったという。神戸港が一時使えなくなり、船がほかの港へ回る。やがて、そのまま戻らなくなったのだ。
選ばれる港と、選ばれない港。その分かれ目はどこにあるのか。近代化され、自動化され、合理化された港ほど、船の停まる時間が短く費用も安い。船会社は、停泊した時間に応じて対価を払う。接岸が短く済む港は、それだけで選ばれる理由になる。ところが日本は人件費が高く、人の手に頼る作業も多い。その上、港湾の現場は人手不足と高齢化が進む。脱炭素への対応は、この構図とも重なる。環境に配慮した港でなければ、これからの船は寄りつかない。陸電の整備は、もはや環境対策であると同時に、競争力そのものなのだ。
北嶋氏
「港湾に関わる方々は、すでに強い危機感を持っておられます。このままでは、日本に貨物が入ってこなくなる。日本そのものが、少しずつ右肩下がりになってしまう。そうした話は現場でもかなり交わされています。ただ、その危機感がまだ周りにうまく伝わっていない。そこをもっと多くの方に知ってもらえればと思っています」
技術の側は、すでに答えに近づいている。同社の見立てでは、構造や仕組みにまつわる課題は、ほぼ解けている。残るのは、電力をどう確保するか、岸壁をいつ整えるか、そして法律をどう整えていくか。いずれも、一社の努力だけでは動かない大きな歯車だ。それでも同社は、2030年までに主要な港での実現を後押ししたいと考えている。

山下氏
「海外での運用の様子を見ても、汗をかいて働いている人はいません。以前よりずっと少ない人数で、負担の軽い形で動かせます。とてもスマートで近代的だと思います。優れたプラスチックの製品があるからこそ、成り立つ仕組みです。私どもの持つ技術を日本の主要な港へ届けられること。それが何よりの強みだと考えています」

船のエンジンを止める。たったそれだけだと見られがちなことの裏に、脱炭素という大義と港の競争力という現実が分かちがたく絡み合っている。その二つを、足元の電気をつなぐという地道な技術が静かに支えようとしている。日本の港にエンジンの止まった静けさが訪れる日は、そう遠くないのかもしれない。



