
川崎市多摩区の農園に、大型のビニールハウスが並ぶ。2025年11月、その一棟で、精神障害のある47歳の男性は鶏ふんと腐葉土を混ぜ、堆肥を作っていた。ハウスにはアンモニアの刺激臭が充満していた。頭痛と吐き気が続き、換気を頼んでも応じてもらえないことがあった。
年が明けた2026年1月、肺炎の疑いと診断され、2月に退職。7月、労働基準監督署が労災と認定した。読売新聞オンラインが9月19日に報じた事案である。
この男性の雇い主は、農園の運営会社ではない。川崎市高津区の「総合高津中央病院」だった。
雇ったのは病院、働く場所は別会社の農園
同紙によると、男性は2024年夏、「ネクストワン」(東京都渋谷区)とアルバイト契約を結び、同社が運営するこの農園で野菜を育てていた。翌25年9月、同社の提案で病院のパート職員になる。だが病院で勤務することはなく、病院側の求めで農園での作業を続けた。収穫した野菜は持ち帰るなどしており、病院食に使われた形跡はなかったという。堆肥作りを指示したのはネクストワン側だった。
男性は同紙に「障害者に配慮された安全な職場だと思っていた」と語り、危険性の説明はなかったと訴えている。「体調不良を訴える障害者はほかにもいた。泣き寝入りした人もいたのではないか」とも話す。同紙は、雇用企業に直接連絡しないよう障害者に求める資料の記載があったことも報じた。
ネクストワンは労災の事実を認め、「施設を管理する立場として重く受け止めている」とコメント。病院を運営する医療法人は「真摯に対応していく」とした。病院の職員でありながら、病院の仕事はしていない。病院が支払っていたのは、この男性の賃金と、おそらくは農園の利用料である。
では病院は、何を買っていたのか。
パーテーションの向こうに並ぶ、証券会社と法律事務所と商社
筆者には、この構図に見覚えがある。以前取材した、郊外のオフィスビルのワンフロア。パーテーションで細かく区切られた区画は、それぞれ40~50㎡ほど。大手証券会社、大手法律事務所、商社、有名メーカー。業種も規模も違うが、日本を代表する有名企業の社名を冠した看板がそれぞれ掲げられている。そう、パーテーションの区切りを通して、各社の職場が、壁一枚を隔てて並んでいる異様な光景が、郊外のだだっ広いワンフロアのオフィスで展開されていたのだ。
各区画で働いているのは、それぞれの会社に雇用された障害のある人たち、それぞれの仕切りのなかで数名が働いているようだった。障害者雇用を代行するサテライトオフィスである。
主にうつ病などの精神障碍者が多いということだった。観察している限りやっていることは、プリンターのまえで、ひたすら書類をスキャンをし続ける人がいたり、デスクに座りながら居眠りしている人がいたりなど、やはりどこか普通のオフィスとは程遠い。それは異様な空間で、活気はゼロの重たい空気の滞留を感じた。
聞けば、仕事は、会社の事業を支えるというより、一日を差し障りなく過ごすために用意されているようなものが多いという。雇用契約を結んだクライアントの大手企業会社は、この部屋の中で起きていることを、どこまで知っているのだろうか。当時の疑問が、川崎の農園の事案で形になった。
納付金は月5万円。それより高くつくのに、なぜ企業は払うのか
仕組みはこうだ。企業が障害のある人を自社の社員として直接雇用し、賃金を払う。働く場所と日々の支援は、農園やサテライトオフィスを運営する事業者が用意し、企業はその利用料を払う。派遣ではなく、あくまで自社の社員として数えられるところがポイントである。
背景にあるのは法定雇用率だ。一定規模以上の民間企業には従業員数に応じた人数の障害者を雇う義務があり、その率は2026年7月、2.5%から2.7%に引き上げられた。常用労働者100人超の企業が満たせなければ、不足1人につき月5万円の納付金が生じる。改善しなければ企業名の公表もあり得る。
ここで一つ、素朴な疑問が出る。利用料は賃金とは別に払う。エスプールプラスの料金案内には、初期の採用費、毎月の農園運営費、障害のある社員とサポートスタッフの人件費が並ぶ(金額は問い合わせ方式)。納付金5万円を払ってやり過ごすより、出費は大きくなりやすい。
それでも企業がこのサービスを選ぶのは、雇用率の未達が単なるコストではなく、企業名公表や株主・取引先への説明という評判の問題だからである。統合報告書やサステナビリティ報告に障害者雇用率を載せる企業は珍しくない。数字は、対外的に開示を迫られるものとなり、企業の社会的責任として社会包摂を体現する文脈から、どこも抗えなくなったのだろう。
運営事業者は、この需要を事業にした。東証プライム上場のエスプールは、子会社エスプールプラスを通じて「わーくはぴねす農園」を展開。投資家向けには、複数の顧客が共同利用し、利用企業が増えるほど継続収入が安定するモデルだと説明している。障害者雇用支援サービスの利用企業は約750社。収穫物を売る農業ではない。企業の雇用課題を解決することが、毎月の収入になる。
2025年12月には、屋内農園「IBUKI」とサテライトオフィス「INCLU」を運営するスタートラインが東証グロースに上場してもいる。「雇用率を満たしたい企業」を顧客とする事業が、上場審査を通る規模になったということだ。厚生労働省が2026年4〜5月に業界団体を通じて行った調査では、集計された就業者1万1612人のうち8638人、約74%が農園型で働いていたという。
「身体は取り合い、精神は読めない」 経営幹部の本音
自社で受け入れればよいではないか。実際に古くからの上場企業の場合、大抵グループ会社に雇用率を満たすための障がい者が働くための法人が用意されていたりする。オフィスの清掃を担ってもらう企業もあれば、書類の制作などを任せている企業もある。ただ、すべての企業が自社で箱を用意できるわけではない。
実際に言うのは簡単だが、取材で聞いた企業経営幹部の話は、それほど単純ではなかった。身体障害のある人は、雇用率を満たしたい企業の間で取り合いになる一方で、精神障害のある人については「積極的に雇いたくはない」という。現実問題、コミュニケーションの取り方が難しい人が多いからだろう。また、体調の波が大きく、重要な仕事を任せた直後に休まれると業務が止まる。だから結果として、責任の軽い仕事しか渡せなくなる。
実際に、障碍者が急に休んだとき誰が引き継ぐのか。担当上司に、業務を組み替えたり本人と面談したりする時間はあるのか。人事が採用しても、配属先に支援の人員も予算も付いていないなら、現場は困る。その体制を用意できない会社にとって、場所と専門スタッフをセットで提供するサービスは、合理的な選択肢になってきたのだ。
厚労省の研究会報告書も、職務の選定、採用、合理的配慮、育成の難しさと企業のノウハウ不足を、利用が増える背景に挙げている。
こうして、雇用率と仕事の中身が切り離される。必要な仕事があって人を採るのではなく、義務の人数を先に埋め、その人の仕事を後から探す。探す手間ごと外に出せば、会社は社員が何をしているかを知らずに済むし、奇声をいきなり発するような同僚を健全な社員が関わらずにも済む。
なかなかに直視しがたいが、現実社会の澱というか、難しい問題である。
それでも、農園で働く人は生き生きしていた
ただし、筆者が農園を取材したとき、そこで働く人の多くは生き生きしていた。人と話すことが苦手な人にとって、目の前の土と作物に向き合う仕事は、オフィスで電話を取るより向いているのだろう。
そして、障碍者の方が育てたハーブや野菜は本社の来訪者に出され、顧客との打ち合わせで振る舞われていた。ささやかではあっても、その人の仕事と会社の活動はつながっていた。
本人がその環境で働き続けたいと望むなら、本社にいないという理由だけでその働き方を否定することはできない。「会社から離れた場所で働かされている」という見方だけでは捉えきれない姿が、確かにあった。
だが、川崎の農園で起きたことは、その姿の対極にある。収穫物は病院に届かず、堆肥作りの危険は説明されず、体調を訴えても現場は動かなかった。同じ農園型でも、雇用主が社員の仕事をどう位置付け、現場をどこまで見ているかで、中身はまったく違う。場所の名前だけでは、雇用の中身は分からない。
ドイツは「仕事」を買う、日本は「席」を買う
ところで、海外に同じものはあるのか。米国の障害者差別禁止法「ADA」は、雇用率を課す法律ではない。米雇用機会均等委員会の説明によれば、必要な配慮があれば仕事の本質的な業務を担える人を、障害を理由に排除しないことが柱だ。原則として従業員15人以上の企業が対象で、著しい困難や費用を伴う過度の負担には例外がある。人数ではなく、職務と配慮を問う。
ドイツには雇用率制度があり、原則20以上の職場を持つ事業主に5%の重度障害者等の雇用を求める。ただ、日本と決定的に違う仕組みがある。認定された障害者作業所に仕事を発注すると、請求額のうち労務に相当する部分の50%を、未達成分の納付金から控除できる。発注先の人を自社の社員として数えるのではない。企業が買うのは、作業所が納めた仕事という寸法だ。
日本の農園型で企業が買っているのは、自社の社員を置く席と、その席を維持する支援だ。仕事の成果が誰に届いたかは、料金に関係しない。この違いは、国民性ではなく制度の設計から来ているとも言えるだろう。
病院は、あの男性の仕事をどう説明するのか
厚労省は8月31日の審議会で、事業者に事業開始の届け出を義務付け、利用企業にも就業場所、業務内容、管理担当者などの報告を求める案を示した。まだ検討段階だが、人数の背後にある実態を把握しようという方向である。
農園や別のオフィスで働くことと、会社から切り離されることは同じではない。専門家の支援を借りながら自社の仕事を任せる企業もあれば、日常の接点が消え、社員の仕事にも成長にも安全にも関わらなくなる企業もある。厚労省の資料が挙げる「雇用責任の希薄化」とは、後者のことだ。
総合高津中央病院は、9月の時点で「真摯に対応していく」と述べている。だが、まだ答えていないことがある。病院職員として雇った男性が、別会社のハウスで鶏ふんを混ぜることを、病院はどの業務として位置付けていたのか。その野菜は誰のためのものだったのか。改善の訴えは、誰に届く仕組みになっていたのか。
雇用率の数字は、病院の帳簿では満たされていたはずだ。その社員の一日を知ることは、それとは別の作業である。



