
茨城県古河市の住宅で、同居していた女性の唇を針と糸で縫い付けたとして、49歳の女が逮捕された。被害女性は翌日、近くの商店へ逃げ込み、「助けてください」「しゃべれません」と書いた紙を差し出して救助された。声を奪うために、人の唇へ針を通す。その異様な行為の奥には、閉ざされた同居生活の中で何が起きていたのかという、薄気味悪い疑問が残る。
声を奪うために、唇へ針を通した
この事件で使われたのは、針と糸だった。同居していた42歳の女性の上下の唇に針を通し、糸で縫い付ける。口を開けられないようにし、声を出せないようにする。相手を痛めつけるだけではなく、助けを呼ぶ手段そのものを奪う行為である。暴力という言葉だけでは足りない。そこには、相手の体を自分の思い通りに扱おうとする支配欲がにじんでいる。
針先が唇に近づく瞬間、逃げたいのに逃げられない恐怖があったはずだ。糸が通され、口を開こうとしても皮膚が引きつれる痛み。叫びたくても声にならず、助けを呼びたくても言葉が外へ出ない。人の唇を縫うというのは、単に傷を負わせる行為ではない。お前はしゃべるな、お前の声は外に出させないという意思を、体に直接刻み込む行為だ。この事件の異様さは、まさにそこにある。
紙だけが、外の世界につながっていた
被害女性は翌日、近くの商店へ逃げ込んだ。口は自由に動かせず、事情を説明することもできない。そこで女性は、「助けてください」「しゃべれません」といった内容の紙を店員に差し出した。店に入ってきた女性が声を出さず、ただ紙を見せる。そこに書かれた言葉を読んだ店員は、目の前で何か尋常ではないことが起きていると悟ったはずだ。口で訴えられない人が、紙にすがって助けを求めている。その場面だけで、この事件のむごさは十分に伝わる。
さらに重いのは、女性がその状態で一夜を過ごしていることだ。針と糸で唇を縫われた直後に逃げ出したのではない。翌日になって、ようやく外へ出た。女性は警察に対し、怖くてすぐには逃げられなかったという趣旨の説明をしているとされる。外から見れば、なぜ逃げなかったのかと思う人もいるかもしれない。だが、相手を怒らせたら何をされるかわからない、助けを求めたことが知られたらさらにひどい目に遭うかもしれないという恐怖が続いていれば、ドアが開いていても足は動かない。口を縫われる前から、女性はすでに家の中で縛られていたのではないか。
同居の内側で絡み合った支配と依存
同じ屋根の下にいたからといって、関係が対等だったとは限らない。むしろ今回の事件で気味が悪いのは、唇を縫われた女性が、その家からすぐには逃げられなかったことだ。被害女性は翌日、逮捕された女の外出中に家を抜け出し、近くの商店へ助けを求めた。警察は、同居に至った経緯や犯行の動機、ほかに関わった人物がいなかったかを調べている。住宅には複数の人物が出入りしていたとの証言もあり、事件は2人だけの関係に収まらない可能性を帯びている。
家という場所は、逃げ場にも檻にもなる。行く場所がない人、頼れる人がいない人、金銭的に弱い立場にある人は、住む場所を握る相手に逆らいにくい。最初は世話になっているという遠慮でも、それが日々の圧力に変われば、相手の機嫌を損ねないことが生活の中心になる。怒らせないように言葉を選び、顔色を読み、今日を無事に終えることだけを考える。そうした生活が続けば、自分がどれほど危険な場所にいるのかさえ、うまく見えなくなる。
加害者と被害者の間に共依存関係があったと断定することはできないが、恐怖を感じながら同居が続き、すぐには逃げられなかったとされる経緯を見ると、支配と依存が絡み合っていた可能性はある。共依存とは、仲が深い関係のことではなく、傷つけられているのに離れられず、相手の怒りを避けるために自分を消していくような関係だ。今回、女性の唇を縫った糸は目に見える暴力だった。だが、その前から、家の中には別の糸が張られていたのではないか。逆らえない空気、助けを求められない関係、誰にも届かない生活。その延長線上で本物の針と糸が使われたのだとしたら、事件の怖さはさらに深くなる。
誰かが見ていたのではないかという疑念
警察は、ほかにも同居していた人物や共犯者がいた可能性も視野に入れている。もし住宅内に複数の人物がいたなら、犯行時に誰が何をしていたのか、被害女性の状態を知っていたのか、止める機会はなかったのかが問われる。唇に針を通し、糸で縫い合わせるという行為は、相手が抵抗すれば簡単には進まない。だからこそ、押さえつけた人物がいたのではないかという見方も出ている。ただし、実際に誰がどう関わったのかは捜査で明らかにされるべき部分であり、現時点で決めつけることはできない。
それでも、家の中に他人の目があったのかどうかは重い。誰かが同じ空間にいて、異変を見聞きしていたなら、その沈黙もまた問われる。近隣では、住宅前で女性がうずくまっていたという証言も出ている。家の前に人が座り込む。雨の中で横たわる。普通ではない光景があっても、他人の家の事情には踏み込みにくい。そうして異変は日常の端に押し込まれ、事件が表に出てから初めて、あの時の姿は何だったのかと記憶がつながっていく。閉ざされた家の中の暴力は、そうやって見えないまま膨らんでいく。
猟奇事件として騒ぐだけでは、また声を奪う
この事件は、「唇を縫い付けた」という言葉だけで人目を引く。恐怖、怒り、嫌悪が広がるのは当然だ。だが、その異様さだけを見て騒げば、被害女性がなぜそこまで追い込まれたのかという肝心な部分は置き去りになる。見るべきなのは、針そのものではなく、その針を手に取らせた関係性だ。糸そのものではなく、その家の中に張り巡らされていたかもしれない支配の構造だ。
被害女性は、声を奪われても紙を差し出した。口を縫われた状態で外へ出て、店員に助けを求めた。それは単なる脱出ではない。閉ざされた家の中で何かが壊れていたことを、外の社会に突き出した告発だった。警察は今後、動機や同居の実態、共犯者の有無を調べることになる。だが、こちら側がこの事件を「異常な人間が起こした異常な事件」として眺めて終わらせるなら、同じように声を封じられている人をまた見落とす。唇を縫う人間の狂気はもちろん恐ろしい。だが、それ以上に薄ら寒いのは、誰かの異変が見えていても、他人事として通り過ぎられる社会の鈍さだ。



