
6月12日に公開された映画『おそ松さん 人類クズ化計画!!!!!?』には、草間リチャード敬太の姿がある。しかし、公開初日の舞台あいさつに本人は登壇しなかった。作品の中には確かにいるのに、現実の表舞台にはまだ立っていない。その距離が、草間の現在地を静かに物語っている。そんな中、Aぇ! groupのメンバーが番組収録などで草間の名前をたびたび口にしていると伝えられた。そこにあるのは、単なる仲間思いの美談ではなく、消してしまうには濃すぎる時間と、簡単には戻れない現実が絡み合った複雑な空気だ。
『おそ松さん』公開で浮かんだ草間リチャード敬太の不在
映画『おそ松さん 人類クズ化計画!!!!!?』は、赤塚不二夫さんの名作ギャグ漫画をもとにした実写映画の第2弾で、Aぇ! groupの小島健、末澤誠也、正門良規、佐野晶哉、草間リチャード敬太、関西ジュニアの西村拓哉が6つ子を演じている。本来であれば、Aぇ! groupにとって大きな話題作として明るく打ち出されるはずだった。しかし、草間は昨年10月、公然わいせつの疑いで逮捕され、その後、略式命令を受けたと伝えられている。この一件を受けて映画の公開は延期され、草間は同年11月にAぇ! groupを離れた。
一時は作品そのものの行方にも不安の声が出ていただけに、半年近く遅れて封切られたことには、関係者やファンの間にも安堵があったはずだ。とはいえ、映画が公開されたことと、草間が表舞台に戻ったことは同じではない。公開初日の舞台あいさつに本人の姿はなく、作品の中で役を演じる草間と、観客の前に立つことを控えた草間との間には、まだ埋めきれない距離が残っている。ここを曖昧にすると、今回の状況を見誤る。出演作が世に出たから完全復活したわけではなく、むしろ公開されたからこそ、本人がまだ戻りきっていない現実がはっきり見えたともいえる。
Aぇ! groupメンバーが名前を出すことの重さ
一部では、Aぇ! groupのメンバーが番組収録やメディア撮影の場で、草間の名前をたびたび出していると伝えられている。ある地上波番組のロケでは、小島健が草間のエピソードを何度も話し、スタッフから別の話題も求められたという。これを復帰への地ならしと見る人もいるだろうし、実際にそうした意味合いがまったくないとは言い切れない。ただ、それだけで処理してしまうと、この話の生々しさが薄れてしまう。
芸能界では、不祥事や脱退が起きた途端、それまで当たり前のように語られていた名前が急に扱いづらくなる。過去の映像は使われにくくなり、メンバーの会話からも外され、気づけばその人がいた時間までぼんやりと輪郭を失っていく。番組には番組の事情があり、スポンサーや視聴者の反応を無視できないこともわかる。それでも、ファンにとって沈黙は重い。応援してきた日々まで、誰かの判断でそっと塗りつぶされるように感じるからだ。
だからこそ、メンバーが草間の名前を口にすることには、単なる雑談以上の意味が生まれる。声を張り上げて擁護するわけでも、復帰を強引に求めるわけでもない。ただ会話の中に名前を残し、同じステージに立ってきた時間をなかったことにはしない。その小さな行為は派手ではないが、ファンの記憶に寄り添うものでもある。きれいに整えられた言葉より、ふとした場面で名前が出ることの方が、かえって関係の深さを感じさせる。
小島健の言葉に見える、リーダーとしての距離感
小島健の名前が報じられている点も見過ごせない。小島はAぇ! groupのリーダーであり、彼が草間の話をすることは、単なる内輪の思い出話では済まない。番組の空気、制作側の反応、ファンの受け止め、世間の目をまったく意識せずに話しているとは考えにくく、だからこそ、その言葉には慎重さと感情の両方がにじむ。
Aぇ! groupは、すでに草間が離れた形で活動している。これは動かせない事実だが、草間を含めた時間がファンやメンバーの記憶から急に消えるわけではない。昨日まで隣にいた人を、今日から何もなかったように語らなくなることは、前向きというより乱暴に見える場合もある。小島が草間の名前を出すことに反応が集まるのは、そこに復帰を望む声だけでなく、過去を雑に扱わない態度が見えるからだろう。
ただし、ここを仲間の絆だけで語り切るのは危うい。草間の不祥事によって映画の公開は延期され、関係者にも影響が出た。ファンも大きく揺れた。メンバーが名前を出しているから許されたわけではなく、周囲が支えているから元通りになるわけでもない。復帰とは、誰かが席を空けて待っていれば済む話ではなく、本人が失った信頼を時間をかけて積み直していくしかないものだ。
地上波復帰までに残る現実的な壁
草間は映画公開に合わせるように、特番や雑誌などで姿を見せる機会が出てきている。とはいえ、地上波番組で以前と同じように活動しているとはまだ言いづらい。テレビは、配信や雑誌よりも反応の幅が広く、応援する人がいる一方で厳しく見る人もいる。スポンサーや番組制作側が慎重になるのは自然なことであり、本人の意思やファンの声だけで一気に進められるものではない。
そのため、いま起きているのは本格復帰そのものというより、その手前の動きに近い。本人が大きく前に出る前に、まず名前が出る。姿を見る前に、会話の中で存在が思い出される。草間を長く見てきたファンには現在地を伝え、騒動後の印象だけで見ている視聴者には、少しずつ存在を戻していく。派手な演出ではないが、むしろ現実にはこのくらい慎重な進み方でなければ難しいのだろう。
草間は、長い下積みを経てAぇ! groupとして大きな場所に立ったメンバーでもある。関西弁で場を和ませ、いじられながらも空気をやわらかくする存在として知られてきた。そうした姿を覚えている人ほど、今回の出来事を簡単には割り切れない。応援したい気持ちはあるが、何もなかったように見ることもできない。その引っかかりを抱えたまま、ファンもまた草間の今を見ている。
復帰に必要なのは、美談より本人の態度
草間リチャード敬太がもう一度表舞台に立つには、仲間の後押しだけでは足りない。何を失ったのかを本人がどこまで受け止めているのか、仕事の場に戻る覚悟をどのように示すのか、支えられる側にとどまらず自分の足で戻ってこられるのか。その部分が見えないままでは、どれだけメンバーが名前を出しても、復帰の道は太くならない。
一方で、名前を呼ばれることには確かに意味がある。芸能界で一度姿が見えなくなった人にとって、批判と同じくらい怖いのは、語られなくなることだ。誰も話題にせず、誰も思い出さず、過去の映像の中だけに閉じ込められていく。そうなれば、戻る場所はますます遠くなる。
Aぇ! groupのメンバーが草間の名前を出しているのだとすれば、それは復帰の約束ではない。ただ、完全に消してしまわないための合図ではある。スクリーンにはいるが、舞台あいさつにはいない。メンバーの言葉の中にはいるが、以前と同じ場所にはまだ戻っていない。その距離を埋められるかどうかは、最後には草間自身の姿勢にかかっている。仲間ができるのは名前を呼び続けるところまでで、その先を歩くのは本人でしかない。



