今回のソーシャルグッド雑談は、「誇りある就労」というテーマに長年向き合ってきた、作業療法士の高橋さんです。
高橋さんは昨年まで、NPO法人ディーセントワークラボ(以下「DWL」)の正社員として働かれていました。そして先日、正社員から、よりオープンでフラットな位置付けとなるビジネスパートナーという雇用契約へと転換されたそうです。
一体そこにはどんな意味があるんだろう? 聞いてみたいな。
そういえばおれ、高橋さんのこと、知っているようでほとんど知らない気がする——。
右: 高橋 亜矢子(たかはし あやこ)
2014年から作業療法士・ジョブコーチとして、障害のある人の就労支援に従事。2021年よりディーセントワーク・ラボにて現場支援を出発点に、プログラム開発、企業・官公庁支援、支援企画、事業企画・マネジメントへ展開。
個別支援の解像度を反映したプログラム開発やサービス企画が強み。「人は仕事を通じて幸せになれる」を体現する現場や組織を広げていきたい。
左: 八木橋 パチ(やぎはし ぱち)
「#混ぜなきゃ危険」をタグラインに、つながりをエネルギーに変え、組織や個人の力を引き出すコラボレーション・エナジャイザー。
近年は、障害のある方や外国ルーツの方など、声が届きにくい人たちの「働きにくさ」を起点に、すべての人にとっての「誇りある就労」を探究している。人間の矛盾や多様性を愛し、雑談と好奇心から豊かな時間と新しい可能性を生み出す。日本IBM所属。
◾️「この人、何考えているかわかんない」——高橋さんがミステリアスなワケ
◾️「作業を処方する」──仕事を「回復のためのアクティビティ」に
◾️広告制作会社での「名もなき人の物語」をすくい上げる経験
◾️「あ、自分の嗅覚、衰えてなかったな」——DWLとの出会い
◾️『ゆっくり歩く』と混ぜなきゃ危険——手段と目的を入れ替わらせない
◾️働けないよりつらいのは、自尊心を削られること
◾️暴走機関車と向き合う──組織と違和感に飲み込まれないために
◾️「この人、何考えているかわかんない」——高橋さんがミステリアスなワケ
パチ
高橋
それ、ほんとうによく言われます。 別にそうしようとしているわけじゃないんですが…。
思考に表現が追いつかないんです。頭の中ではずっと考えているんですけど、言葉になって外に出るのは100あるうちの1くらいで。
しかも、それも厳選したものってわけでもなくて。
そうか。おれは“見えない99”の方を感じ取っていたのだろう。 少し照れたように笑いながら、高橋さんは続けた。 |
高橋
前後の文脈が抜けて聞こえるんだと思います。自分の中ではずっと続いている考えですけど、急に“パッ”て口にしちゃうから、「何を考えているかわかんない」と思われるんですよね。
パチ
でも、高橋さんの話を聞いていると「そこに重要な鍵がありそう」と思わされることがすごく多くて。だから「もう少し教えて」ってお願いしたくなるし、実際に話を聞くと“ハッ”と気づかされるんです。
昨年「みんなのディーセントワーク」や「ケアノベーションマネージメント」の取り組みで毎月のようにご一緒しながら、何度もそれを実感していました。
特設サイト「みんなのディーセントワーク」
■「作業を処方する」──仕事を「回復のためのアクティビティ」に
パチ
高橋さんは作業療法士だよね。高橋さんにとっての「作業療法士とは何なのか」を聞かせてもらえる?
高橋
90%の作業療法士は病院で働いているんですが、私は「就労」の領域にいる少し珍しいタイプです。
これは私なりの解釈ですが、就労領域にいる作業療法士は、”仕事”を使って人の回復やスキル獲得をサポートしています。仕事を「お金を稼ぐ」だけではなく、“回復のためのアクティビティ”として捉えているんですよね。
そして私は、仕事をすごくいい作業媒介だと思っているんです。仕事だからこそできることがあるなって。
パチ
仕事って、単純作業からデリケートな人間関係まですごく幅があるよね。しかも、そこには必ず「他者」がいる。あるいは「組織」がある。
高橋
そうですね、たぶん仕事には「自分を外の世界と繋げる役割」があるんだと思います。
何かを提供するから、お金をもらえる。それはシンプルだけど、とてもシビアな関係でもある。
仕事って、「自分だけの視点」では完結しないんですよね。
パチ
なるほど。そしてお金って単なる報酬じゃなくて、「また一緒にやりたい」とか、「ここで活躍してほしい」という意思表示でもあるよね。
ところで、高橋さんはいつから作業療法士なんですか?
高橋
私は……忘れちゃったな(笑)。資格を取ったのは2014年ぐらいですね。
その頃、想いが先走って、「どんなに難しい状況の人でも就労を実現するプロになりたい」と思っていました。一方、現実を動かすのは難しいとどこかで感じてもいた。だから、変わりたいと願う人が変われる手段は何でも手に入れたかったんです。
逆説的ですが、「作業療法は、依拠する引き出しの一つでいい」と思えたことが転期だったのかも。ライセンスを取って3~4年くらい経ってからですね。
仕事は、単なる労働ではない。 自分を外の世界とつなぐ媒介であり、回復を支える“作業”にもなる——。 “働く”という行為をそんなふうに捉えたことがなかったので、その視点にハッとさせられました。 |
■ 広告制作会社での「名もなき人の物語」をすくい上げる経験
パチ
さっきもちょっと話したけど、高橋さんには「みんなが見落としていた視点を的確に指摘してくれる人」って印象があります。
特にそれを感じたのが、ウェブサイトや動画、本などのクリエイティブの話をしているとき。「こうあるべき」というイメージを頭の中に持っているんじゃないかなって感じていたんですけど、そうじゃないですか?
高橋
パチ
おれは「好きか嫌いか」や「しっくりくるかこないか」は瞬時に感じる方だと思うけど、「脳内イメージが明確か」と聞かれれば、そうでもないかな。
高橋
そうなんですね。私、一応、社会人の最初は広告制作会社にいたんです。
パチ
高橋
そうです。作業療法士の資格は、広告制作会社に勤めたあと、フリーランス時代に社会人学生として取りました。
その頃、進路情報誌のディレクションをしていて、「OBがどう活躍しているか」を取材していたんです。いろんな人のお話を聞き、その人の感性や人生とかをストーリーとしてまとめる。いわば「名もなき人」に光を当てる仕事。めちゃめちゃ楽しくて。初めて「仕事が本当に楽しい」と思えた時期でしたね。
広告会社で“隠れたヒーロー”の物語を掘り起こし、今は作業療法士として“その人の中にある意味”を一緒に見つめている——この話を聞いて、高橋さんが“見落とされた視点”をスッと差し出せる理由が腑に落ちた気がしました。 きっと、障害者の特性や強みに着目した「ポジティブな雇用・就労支援」のパイオニアとして、福祉業界や行政・企業から極めて高い評価を受けているDWLと高橋さんの出会いにも、運命的な物語があったのでは? |
ご提供いただいた広告制作会社時代の写真。以下、一緒にいただいた高橋さんのコメントです:
「右も左もわからぬ中で、面白い仕事に没頭して職能を高めると、手ごたえがかえってくる。そんな純粋な仕事の高揚感を教えてもらったのが広告制作時代でした。損得や時間を忘れて夢中になる「フロー感覚」は、努力以上に、勝手に人を変えてくれる。「誇りある就労」の実践でも再現しつづけたい核となっています。」
■「あ、自分の嗅覚、衰えてなかったな」——DWLとの出会い
高橋
それが、特になくて。普通に検索してDWLを知ったんです。
作業療法士の資格を取った後は、障害者の就労移行支援を行う民間企業で7年ほど働き、現場も本部業務も経験しました。
でも…。唐突ですけど、パチさんは、「居続けること」に我慢できなくなることってありませんか?
パチ
ある。「なぜここに居続けるべきなのか」っていう理由を必死に探して、自分を納得させようとして…でもやっぱり「無理」って。あるよ。
高橋
組織って、「仕事」の範囲内でしかできないじゃないですか。当たり前のことではあるんですけど。
私は「型」にはまるのが得意じゃなくて。当時、組織とその中にいる自分に課題と限界を感じて、オンラインで見つけたのがDWLでした。
そしてDWLに入って、「あ、自分の嗅覚、衰えてなかった。間違えてなかったな」と思いました。
DWLは――代表の中尾さんの言葉を借りると――「役割があって、外からもその役割を認められて、それによって人間らしい仕事、誇りある就労を実現していこう」という組織です。
しかも、「社会にそれを実装するなら、自分たち自身もそうであろう」ということも言っている。組織自体がそうであるべきだし、自分自身もそうであるべきだって。
パチ
うん。DWLがその高い理想を本気で目指しているのは知っているし、見ていてもいつもそれを感じる。
でもそれじゃあどうして、何を変えようとして、今年DWLから一歩離れたの?
高橋
DWLがそういう組織だからこそ、自分の中の“ずれ”にも向き合わないといけないなって思ったんです。
DWLの理想と対立しているわけではないんです。でも、自分の中にある少し違う感覚を大事にしたいし、自分なりの優先順位の付け方をしたいという気持ちもあって。「組織ではまだ難しいことを、個人として試してみたい」という感覚に近いかもしれません。
パチ
なるほど。すごく共感します。じゃあ今は個人プロジェクトが中心ですか?
高橋
まだ模索中です。しかも今、DWLとの仕事が過去一番くらい忙しくて(笑)。
ただ、以前のように「DWLの高橋」ではなくて、「個人としての高橋」というスタンスで話せるようになったのは、自分の中では大きな変化ですね。
組織の理想を語りながら、自分自身の働き方には目を向けられない——そんなことが社会には案外多い気がします。だからこそ、自分の“ずれ”に正面から向き合い、「人生における順番は自分で決めたい」と語る高橋さんの姿勢に、強く惹かれました。 このあと、読書や写真、散歩、楽器演奏など、「どうやって本来の自分を見失わない時間をつくるか」について話は広がっていきました。 そして、これまでの話と重なる部分が多い本として、おれが最近読んだ小川公代さんの『ゆっくり歩く』の話をしました。 |
■『ゆっくり歩く』と混ぜなきゃ危険——手段と目的を入れ替わらせない
パチ
『ゆっくり歩く』ですごく印象的だったのが、母親を病院に連れて行く話だったのね。
本来はお母さんの健康や尊厳を守るために病院に向かっているのに、気づいたら、「病院へ連れて行くこと」が目的化してしまっていた、という出来事。
高橋
めっちゃわかります。ケアって、手段が目的にすり替わりやすいですよね。しかも、医療や福祉だけじゃなくて組織や教育、家庭でも起きている気がします。
就労支援でも、いつの間にか「働かせ続けること」が目的になってしまっていたり。
パチ
うん。組織として在り続けることを考えると、いつの間にか目的がすり替わっていて。それに違和感を感じても、「いまはしょうがない」とか「それはそういうもの」みたいな意識が強くなり…。
高橋
そうなんです。私も「今ここで我慢した方が得られるものが大きいなら」と口をつぐんでしまうことがあります。
でも、それを続けていると、そもそも自分が何を大事にしていたのか、どう表現すればいいのかまでわからなくなってしまうんですよね。
だから、パチさんはすごいなぁって思うんです。「混ぜなきゃ危険」というキャッチフレーズを地で行っているなぁって。かき混ぜたり引っ張り出したりして、みんなで違和感を見つめ直す場を作り出すじゃないですか。
パチ
ありがとう。でも、それをしないと、本当に欲しかったものと違うものを手にしちゃう気がするんだよね。
たとえば今日、高橋さんおすすめの「コーヒートニック」を頼んだじゃないですか。そして出てきたグラスでは、層が分かれているようにも見えて。「かき混ぜてしまったら、ただのアイスコーヒーになってしまうのかも?」ってさっき思ったんだよね。
欲しかったのがアイスコーヒーならそれでいいんだけど、でもおれが飲みたかったのは高橋さんおすすめの「コーヒートニック」なんだよ。だから「これはかき混ぜてから飲むの?」って確認したんだよね。
高橋
すごい。……ちょっと脱線しちゃうけど、やっぱりパチさんって“たとえ”が秀逸ですよね。私はパチさんのそういう例え方が好きなんです。
パチ
ありがとう。まあ、目の前にあったから思いついただけだけどね(笑)。
この日の雑談場所は、東京・中延の商店街の一角にある「隣町珈琲」。すごく居心地が良くて、すっかり長居してしまいました。
■働けないよりつらいのは、自尊心を削られること
高橋
話を戻すと、一度「これがスタンダード」という空気ができると、組織ではそれがどんどん強化されていきがちですよね。
だから、会社で違和感を語ろうとすると、「場を悪くしてしまうんじゃないか」という理性が働いてしまう。
その人には、ただ見えてしまっているだけなのですが、素直さや誠実さが悪く働いて、違和感を自分の中で無理に処理しようとして、ストレスを溜めて機能にまで影響が出てしまう——。
このパターンの方にたくさん出会ってきました。
パチ
うん。その積み重ねこそが「誇りある就労」を失わせてしまうんだと思う。
高橋
そうなんです。私、パチさんの「誇りある就労」って言葉に、強く共感したんです。
つらいのは、仕事ができないこと自体じゃないんですよね。病気やお金の問題で、自尊心を削られていくことですよね。しかも、自分ではどうにもできない理由ならなおさらです。
だからこそ、また働けるようになることがどれだけ嬉しいことか。そこにどれほどの回復感があるか。
パチ
うん。高橋さんは、そういう彼らのつらさや回復の喜びをとてもよく知っているし、感じることができる人だよね。やっぱり、おれたち少し似ていると思うな。
高橋
私も、パチさんと話していると感覚がすごくリンクするから嬉しいんです。
正直、私も、「個」の重みがすごく強いタイプで、長い間、組織を維持したり守ったりすることがそんなに大事だと思えなかったんです。
でも、DWLに入ってから、少し変わってきました。
■暴走機関車と向き合う──組織と違和感に飲み込まれないために
高橋
なぜ組織に違和感があったかというと、組織の中にいると、倫理観や間接的な影響が後景化されてしまうことが少なからず起こってしまうから。その人自身はめちゃくちゃいい人なのに、組織全体になると誰かを傷つける側に回ってしまうことがあるからです。
私はずっと、組織にはそういう「暴走機関車」みたいな怖さがあると感じていました。
でも一方で、「働きたい」「自立したい」と思っていても、それを奪われてしまう人がいる。生まれつきだったり、生活の中でそうならざるを得なかったり。
そういう人たちの主体性を引き出すには、環境や関係性が必要だし、コストや人手もかかる。
だから、そうしたものを作り上げるために組織があるのなら、私は意味を感じられるんです。
パチ
すごくしっくりくる話。おれも一つ、突っ込んだ話をさせてもらうね。
「誇りある就労」について考えるとき、おれは頭の中にはいつも、完全に寝たきりの状態で、自分で動かすことができるのは眼だけ——そんな状態の人のことが浮かぶんだ。
それでも、その人が誰かに「元気でいてくれて嬉しい」と感じさせているのなら、それも立派な“働きかけ”でありそれは「誇りある就労」だって、おれは言いたいのよ。
…でもね、時々ふと、「お前はその“就労”を、本気で信じ切れているのか?」って声が、自分の中から聞こえてくるんだよ。
高橋
わかる。その思考プロセス、めっちゃわかります。こういう活動をしていると、どうしてもそこまで考えが行きますよね。私も、やっぱり「誰を救えるのか/救えないのか」みたいな話を、ここ数年ですごく身近に感じています。
私は、違和感の輪郭が見えないと前に進めないタイプなんです。「これはこういう違和感なんだ」とわかると、「じゃあこう向き合おう」と考えられる。
たぶん、ここはパチさんと似てるんじゃないかしら。
パチ
うん。そこも似ているね。
そして、おれは “輪郭を持たない違和感”そのものも暴走機関車だと思っているんだよね。放っておくと、自分まで飲み込まれてしまいそうな気がして。
だから、言語化したい、文字として書き残したい、それについて話したい——。それが、おれの違和感への立ち向かい方なんだと思う。
…なんだか、最後はおれの違和感を聞いてもらう時間になっちゃったね。
高橋
いや、そんなことないですよ。今日は普段話したいけど話す機会がないことをお話しさせてもらえる、とてもいい時間でした。
高橋さんと話していて思ったのは、違和感をごまかさずに扱える環境をつくることが、“誇りある就労”と直結していること。
ときに、両手を広げて、暴走機関車の前に立ちふさがること——。その積み重ねが、自分らしく働くための道をつくっていくんじゃないだろうか。