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社歴100年超の長寿企業ランキング【デパ地下和菓子屋編】

コラム&ニュース コラム
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2023年に創業100年以上を迎える企業の数は、全国で4万2,966社。日本企業全体(358万社)の1.2%を占めます。(出典元:東京商工リサーチ『TSRデータインサイト』)

世界規模ではどうでしょうか。その数は7万4037社。3位のドイツや2位のアメリカを抑え、日本企業が占める比率は50.1%で首位。日本は世界一の長寿企業大国です。(出典元:日経BPコンサルティング・周年事業ラボ 調査データ『2022年版100年企業<世界編>』)

SDGsやESG(環境「Environment」社会「Social」ガバナンス「Governance」を意識した取り組み)、サステナブルなどの言葉が世界中でトレンドになる以前から、それらに通じる理念を持ち、持続可能な営みをしてきた日本企業が多いことが窺えます。

今回は社歴100年を超える企業の中でも、上質で美味しいものの宝庫、“デパ地下”にある和菓子の名店に注目します。伝統銘菓をつくる企業の理念や、歴史とともに育まれたステークホルダーとの関係とは。

世代を超えて愛され、成長し続ける老舗企業の所以を紐解いていきましょう。

“デパ地下”の歴史は80余年。1936年に松坂屋名古屋店が初導入

百貨店(デパートメント・ストア)の地下売り場を略した「デパ地下」。俗称として使われるようになったのは1990年代後半です。

渋谷(東京都)にある東急百貨店東横店の地階食品フロアが改装され、2000年に誕生した「東急フードショー」が雑誌などに掲載され、一般に広まるきっかけになりました。(出典元:日本大百科全書『ニッポニカ』)

1936年(昭和11年)12月1日にデパ地下を初めて導入したのは、松坂屋名古屋店。「いよいよ1日より開設『東西名物街』。古くから名代の老舗と謳はれる東西一流の代表的専門店を常設致しました」と書かれた当時の広告が同社のHPに掲載されています。

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画像出典元:松坂屋「ひと・こと・もの」語り

日本百貨店協会の『全国百貨店 売上高速報 2022年1月~2022年12月 』によると、調査対象である71社の売上総額は4兆9812億円。ネット通販など購入経路が豊富になり、消費者の百貨店離れが進む昨今ですが、2022年度の売上はコロナ前の9割まで回復しています。

商品別では食料品が1位で全体の29.0%を占め、中でも菓子の人気は根強いまま。特別な日の贈りものや自分へのご褒美に、「デパ地下なら間違いない」「有名店の高級和菓子なら安心」と手に取る方もいらっしゃるのではないでしょうか。

デパ地下に出店し、創業100年を超える老舗和菓子屋を社歴の若い順にご紹介します。

37位【合資会社 村上製菓所(むらかみ)】創業年1911年

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画像出典元:村上製菓所HP

「和菓子の基本は、美味しい餡づくりから。」創業以来、その心で和菓子をつくり続ける合資会社 村上製菓所(以下、村上)。石川県金沢市で明治44(1911)年に誕生しました。

その道30年以上の熟練職人には、「もういいよ、できたよ」と餡が語りかけるそう。「手を抜かず、楽をせず、当たり前のことを当たり前にやる」その哲学は、同社の商品に息づいています。

人気商品のひとつ、濃厚きなこ餡の風味豊かな「垣穂」は、第二十二回全国菓子大博覧会で、内閣総理大臣賞を受賞。

栗餡と小豆の餡で包みほっくり焼き上げられた「栗っこ」は、2022年に日本航空(JAL)国内線ファーストクラス機内食へ採用されています。

本拠地である石川の特産品を生かした和菓子も目に留まります。1番人気は「黒糖ふくさ餅」ですが、永く加賀地方で愛飲されてきた「加賀棒茶」を用いた「加賀棒茶ショコラふくさ餅」も新登場。

寒天と砂糖、白山の伏流水でつくられた涼やかな「わり氷」は、「金沢ゆずわり氷」や「能登塩サイダーわり氷」など、石川ならではの味わいです。

特別な日の贈答品としてだけでなく、日々のお茶の時間にもいただきたい季節の和菓子。同社のオンラインショップでは、多くの商品が1個から購入可能です。

販売個数やパッケージの種類が豊富で、購入シーンに合わせたお客様目線の心配りを感じます。

「金沢で この路、ひとすじ。」

その誠実できめ細やかな仕事ぶりは、細部にまで宿っています。

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画像出典元:村上製菓所HP 一番人気の「黒糖ふくさ餅」

合資会社 村上製菓所
所在地:〒921-8042 石川県金沢市泉本町1丁目4番地

デパ地下出店先:日本橋髙島屋店、横浜髙島屋店、阪急うめだ本店 など
(2022年度 売上TOP10の百貨店に出店している先を記載しています。以降も同様)

36位【株式会社 舟和本店(ふなわほんてん)】創業年1902年

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画像出典元:舟和本店HP

創業の地、浅草で今も変わらず本店を構える株式会社 舟和本店(以下、舟和本店)。その始まりは、明治35(1902)年に遡ります。

創業者の小林和助は、「もっと手軽にお客様に羊羹をお楽しみ頂きたい」という気持ちから、高価だった練羊羹の代わりに、芋ようかんを考案したそうです。

芋ようかんの材料は、さつま芋と砂糖、食塩。色料・保存料・香料は不使用で、自然な風味と素材のおいしさを届けます。

伝統の製法や味を守りつつも、時代に即して変化を続け、日々の研鑽を重ねてきたという同社。余計なものは加えず、シンプルを貫く中にも、和菓子づくりへの真心や誠実さを感じます。

創業時は、芋ようかんを始め、あんこ玉や栗むしようかん、煉(ねり)ようかんを販売。翌年の明治36年には、「みつ豆」に色鮮やかなフルーツを盛り付けて提供。

子どもたちの間で大人気に。喫茶店でみつ豆を提供したのは、舟和が初めてだったそうです。

浅草土産として定番の同社商品ですが、昭和27年、東京都観光協会が観光土産品に推奨したことがきっかけに。翌年には百貨店(現在のコレド日本橋)に出店し、全国へ展開されていきました。

昔も今も変わらず製品の安全・安心を第一に、創業者の想いと代々の技を後世へつなぎ続けています。

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画像出典元:舟和本店HP 「芋ようかん」

株式会社 舟和本店
所在地:東京都台東区駒形1-9-5

デパ地下出店先:西武池袋本店 など

35位【とよす株式会社】創業年1902年

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画像出典元:とよすHP

とよす株式会社(以下、とよす)は、明治35(1902)年に創業。初代 豊洲卯三郎は、大阪の阿波座で手焼きのあられ・おかきの製造を始めます。

米菓一筋120年以上。企画開発から製造、販売まで、社内で一貫して担う体制を続けています。
とよすの理念は、「米で人のくらしを豊かにしたい」です。

人の暮らしに豊かさ(ときめき・よろこび・すこやか)を提供していく企業になることを掲げ、「ときめき」「よろこび」「すこやか」の頭文字から、社名の「とよす」と名づけたそうです。

経営ビジョンは、「おいしい!をつくる職人になる」。「お客様の期待を超える品質・サービスを届けるために、伝統を大事に新しいことを取り入れ、磨き続ける人(企業)になる。」という方針は、様々なカタチで実現されています。

昭和38(1963)年に大丸心斎橋店へ出店し、百貨店進出を開始。昭和40年には、「サラダ油」を使った製品を開発・販売。CMを活用するなど新しい挑戦を続け、関西を中心に認知度を高めていきます。

平成23年には、日本初の柿の種専門店、「かきたねキッチン」が誕生。計量販売がめずらしい時代だったこともあり、多数のメディアに取り上げられ、全国展開を加速させます。

伝統と新しさを追い求める同社。職人による手わざを守りつつも、効率生産のハイブリッドで製造し、アイテム数はなんと350あるそうです。

米菓の種類の多さや、現在6種類あるオリジナルブランドは、時代に合わせて挑戦し続けてきた同社の歴史そのものです。

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画像出典元:とよすHP 「かきたねキッチン」の柿の種

とよす株式会社
所在地:〒563-0033 大阪府池田市住吉1丁目3番11号

デパ地下出店先:髙島屋大阪店、近鉄あべのハルカス店 など

34位【株式会社 中村屋(なかむらや)】創業年1901年

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画像出典元:中村屋HP

日常生活では、デパ地下よりスーパーを利用する方が多いのでは。「新宿中村屋」と聞くと、レトルトカレーや中華まんを思い浮かべますが、「円果天」という菓子ブランドも展開しています。

円果天といえば「月餅(げっぺい)」。主力商品は中国の伝統菓子ですが、伊勢丹新宿店では和菓子コーナーに分類されています。

株式会社 中村屋(以下、中村屋)の創業は明治34(1901)年。歴史の始まりは、創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻による一店の小さなパン屋。

「これからのくらしに役立ち、定着する」と確信し、当時は馴染みのなかったパン屋を始めたそうです。

経営理念は、「真の価値を追求し、その喜びを分かち合う」。
創業120年目の節目に創業者の信念に立ち返って刷新。

「多様化するニーズを掘り起こし、新しい価値の創造に向けて挑戦を続け、その先にある感動や喜びをパートナーの皆さま、お客さま、そしてかけがえのない仲間と分かち合っていきたい」その想いが込められています。

今や定番のクリームパンは同社が創案。インドカリーや中華まんじゅうなど、幅広い世代に愛され、独創性あるロングセラー商品を数々世に出しています。

中村屋のHPには、「理念体系・中村屋の約束」として、お客様、従業員、社会に対する使命が丁寧に綴られています。

ブランド名の「円果天」は、家庭円満の「円」、中国語でお茶請けおやつを意味する「果点」、天や自然からの恵み「天」から成る言葉。人と人とのつながりや自然、季節を慈しむ心が込められているそうですが、創業者の想いに通じます。

「変わらない『おいしい』を、いつもあたらしく。」

新しさに挑み続け、口に運んだときの感動や食卓の笑顔までを想像してつくられた商品に、これからも魅了される人が多いのではないでしょうか。

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画像出典元:中村屋HP 『円果天』の季節商品、「円果天 窯出しイチジク」(9月~2月ごろ発売予定)

株式会社 中村屋
所在地:〒160-0022 東京都新宿区新宿三丁目26番13号

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デパ地下出店先:伊勢丹新宿店

33位【株式会社 釣鐘屋本舗(つりがねやほんぽ)】創業年1900年

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画像出典元:釣鐘屋本舗HP

四天王寺(大阪市天王寺区)は、593年に聖徳太子によって創建された日本最古の宮寺。同寺を中心になにわの町は賑わい、文化や生活が発展しました。

株式会社 釣鐘屋本舗(以下、 釣鐘屋本舗)が創業した明治33(1900)年、地元の有志から四天王寺に大梵鐘が奉納され、大阪商人の心意気を示す快挙として評判になったそうです。

奉納記念に四天王寺の門前で売り出されたのが「釣鐘まんじゅう」。参拝土産や大阪名物として喜ばれる「なにわの銘菓」の誕生です。

こだわりは四つ。その一は「小豆」で、厳選された北海道産小豆のみで餡をつくり、親しまれる味わいを守り抜きます。

その二は「てぼ豆」。吟味した北海道産「てぼ豆」を使用。丹念に炊き上げ、皮を除き、昔ながらの手法で丁寧に仕上げる。口あたりがなめらかで、ふんわり溶ける優しい味になるといいます。

その三は「生地」。ふんわり優しい、ボリュームと弾力。そしてしっとり感を出すため、独自配合の素材で練り上げた生地を一昼夜寝かせるそう。熟成された「寝かせ生地」を用います。

最後は「焼」。口あたりが大切なこし餡には一番挽きの餡を使い、手と目と心でしっかりと見守りながら、手業を生かして焼き上げます。

第二次世界大戦の時代、残念ながら四天王寺の釣鐘は供出されたそうですが、同社は釣鐘を模したかたちの商品や、伝統の味を後世へ伝え続けています。

目新しく洗練された洋菓子も心ときめきますが、良質な素材にこだわり、熟練職人の手業が生きた和菓子は日本人にとって懐かしく、心あたたまる味なのでしょう。

老舗和菓子屋には、日本の歴史が色濃く映る物語があり、それを後世に伝え続ける意志の強さが窺えます。

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画像出典元:釣鐘屋本舗HP「釣鐘まんじゅう」

株式会社 釣鐘屋本舗
所在地:〒556-0002 大阪市浪速区恵美須東1-7-11

デパ地下出店先:あべのハルカス近鉄本店 など

32位【株式会社 文明堂総本店(ぶんめいどうそうほんてん)】創業年1900年

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画像出典元:文明堂総本店HP

株式会社 文明堂総本店(以下、文明堂総本店)は、明治33(1900)年に初代 中川安五郎により長崎市丸山町に創業されました。

当初から「皆様に喜んでいただけるお菓子づくり」を一心に目指してきたといいます。

「手に職を持つことは将来の成功のもとである。」と父親に教え込まれた初代は、大工や鍛冶職の仕事に就くも馴染めず。

その後に知人の紹介で菓子舗に職人として弟子入りしたのを機に、菓子作りへのめり込んでいったそうです。

開業時、23歳だった初代は、大変な行動派で情熱家でもあったとか。開業後にお客さまが来ないと、開店を知らせるビラを3,000枚用意し、一軒一軒回ったといいます。

「熱心は成功のもとである」という創業者の言葉は、同社のカステラ作りや素材へのこだわりへ通じます。

カステラに欠かせない卵は、契約農場と一から開発した専用卵。カステラに最適な卵を追求し、飼料の配合に着目。牧草やコーンに目を付け、途方もない改善を繰り返す。理想の卵へ長い年月をかけて近づけていったそうです。

小麦粉は100%国内産の良質なものを厳選。一般的にはジャガイモやトウモロコシなどの澱粉が原料の水あめですが、同社はもち米を使用。褐色で独特の風味があるもち米の水あめは、カステラにふくよかな旨味をもたらしています。

最上を目指し、社員全員でお菓子づくりに向き合う。その団結力と真摯さが魅力です。

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画像出典元:文明堂総本店HP 文明堂のカステラ

株式会社 文明堂総本店
所在地:長崎市江戸町1番1号

デパ地下出店先:髙島屋日本橋店、三越日本橋本店、新宿伊勢丹店、西武百貨店池袋本店 など

31位【株式会社 豊島屋(としまや)】創業年1894年

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画像出典元: 豊島屋HP

鎌倉のお菓子といえば「鳩サブレ―」。そう連想される方も多いのではないでしょうか。鮮やかな黄色に白い鳩の絵柄が有名な鳩サブレ―を作るのは、株式会社 豊島屋(以下、豊島屋)。

明治27(1894)年に鎌倉の地で創業します。創業間もない明治30年頃、舶来のビスケットに感動した初代が、試行錯誤を重ねて完成させたお菓子だそうです。

その名は、初代が崇めていた鶴屋八幡に由来します。八幡様の「八」の字が鳩の抱き合わせだったことや、境内の鳩が子どもたちに親しまれていたことから、お菓子の形を鳩に。

同社を象徴する鳩サブレ―は洋菓子ですが、実は鎌倉を題材にした和菓子の品揃えも豊富です。水羊羹や金平糖、どら焼き、栗饅頭、豆大福。日本の伝統菓子である落雁(らくがん)も並びます。

経営理念は、「すべての人が笑顔になるために・・・」。 地域に根差し、同社ならではのお菓子づくりに共感する社員とともに、歴史を重ねていくことを大切にされています。

目指すものは量産でなく、質の向上であることから、店舗数の拡大は視野にないそうです。

すでに120年以上の歴史があり、多くのお客さまに愛される鳩サブレ―ですが、最良を求めて作り続ける。豊島屋の挑戦に終わりはありません。

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画像出典元: 豊島屋HP 「鳩サブレ―」

株式会社 豊島屋
所在地:〒248-0006 神奈川県鎌倉市小町2-11-19

デパ地下出店先:横浜高島屋店、日本橋 高島屋店、日本橋 三越本店、伊勢丹新宿店 など

30位【株式会社 末富(すえとみ)】創業年1893年

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画像出典元:末富HP

明治26(1893)年に創業した株式会社 末富(以下、末富)。初代からのお菓子作りの原点は、「夢と楽しさの世界」です。

京菓子は、味覚だけでなく、色や形を目でたのしみ、お菓子の銘を耳からたのしめる魅力があるといいます。

京菓子の素晴らしさを伝えるため、昔ながらの格式を守り、大量生産でない心のこもったお菓子づくりを大切にされています。

先人たちの培ってきた菓子づくりの伝統を重んじながら、戦後間もなく二代目の山口竹次郎は、包装紙に着目します。

日本がまだ包装紙にデザイン性を求めていなかった時代に、日本画の池田遥邨画伯に包装紙の意匠を依頼したそうです。

二人が創造した色目は「末富ブルー」として、今も鮮やかさを放っています。派手すぎず、見た目が上品で、和風であることを大切に。

京菓子を包む包装紙に心血を注ぎ、美学をつらぬき完成したのが、同社の包装紙です。お客様に「夢と楽しさの世界」を提供するという精神は、細部にまで徹底してこだわる同社らしさに息づきます。

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画像出典元:末富HP 定番商品の「野菜煎餅」

株式会社 末富
所在地:〒600-8427 京都市下京区松原通室町東入

デパ地下出店先:大阪髙島屋店、日本橋髙島屋店、横浜髙島屋店、ジェイアール名古屋髙島屋店 など

29位【株式会社 坂角総本舖(ばんかくそうほんぽ)】創業年1889年

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画像出典元:坂角総本舖HP

創業者の坂 角次郎(ばん・かくじろう)にちなんで名づけられた株式会社 坂角総本舖(以下、 坂角総本舖)。明治22(1889)年、横須賀(現在の愛知県東海市)の地に創業しました。

海老せんべい作りの修行奉公で技術を磨いた後、初代は江戸前期から伝わる「えびはんぺい」に目をつけ、同社の代表銘菓「ゆかり」の原形である生せんべいを完成させました。

生地を炭火で焼き、醤油をつけて食べる「生せんべい」へ改良された後も、味や姿を進化させ、昭和41(1966)年に「ゆかり」と命名したそうです。

「人さまに喜ばれる」という創業者の魂を受け継ぐ同社の商品は、贈答品としてお客さまに支持されています。

その役割を担ってか、坂角総本舖のHPには、「贈りもの講座」と題された贈答に関するマナーが惜しみなく掲載されています。

贈りものの本質を伝え、熨斗(のし)や水引(みずびき)について解説。「もっと詳しい贈答マナー」では、手みやげや季節のご挨拶、結婚・出産・人生行事、七五三・節句など、様々なマナーに関する詳細が。

取引先との信頼関係を築き、選び抜かれた素材で自然本来のおいしさを届ける同社。自社に息づく技術を伝承するだけでなく、日本の贈答文化を後世につなぐ心意気を感じます。

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画像出典元:坂角総本舖HP 代表銘菓「ゆかり」

株式会社 坂角総本舖
所在地:〒476-8577 愛知県東海市荒尾町甚造15-1

デパ地下出店先:三越 日本橋本店、髙島屋 日本橋店、伊勢丹新宿本店、髙島屋 横浜店、ジェイアール名古屋タカシマヤ店、松坂屋名古屋店、髙島屋 大阪店、あべのハルカス近鉄本店 など

28位【株式会社 仙太郎(せんたろう)】創業年1886年

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画像出典元:仙太郎HP

株式会社 仙太郎(以下、仙太郎)は明治19(1886)年に京都で創業しました。
同社のHPには、「菓子屋のごたく(仙太郎の独言)」として以下の言葉が続きます。

「私共のつくる和菓子は、感性に訴えるよりも、まず機能を第一義に。経営志向よりも、人づくり、物づくりを上位に置く。」

近くの丹波や近江、大和、但馬でとれる産物など国産原料にこだわり、手づくり、無添加、無着色の和菓子を提供。人にやさしく、日本の農業を守る心意気を感じます。

目を惹くのは、素材や製法へのこだわり。「仙太郎大納言」とよばれる小豆を8年かけて完成させ、将来的には必要な小豆を全てまかなう夢を抱いているといいます。

もち米も自作を試しており、使用する前日に精米して各地へ配送。「八分搗き(はちぶづき)」を守り、胚芽を少し残す仕様という徹底ぶりです。

同社HPにサステナビリティやSDGs、ESGという言葉は見当たらずとも、小豆かすなどは天日に干して肥料に。もみ殻やぬかも全て活用。

ゴミにせず、「食べる」「紙の資材にする」「肥料にする」「土に戻す」ことに努めています。
仙太郎の和菓子は老舗の風格が上品に漂う一方で、ユニークさや遊び心も。

定番のおはぎは、「粒あん」「きなこ」「七穀」「玉露」のいずれも青じそ入りのもち米生地を使用。
本葛のみを使ったくず餅や、好きな時に自分で餡をつめ、出来たてをいただける最中の商品名は、それぞれ「本当くずもち黒糖」「お好きに召しませご存じ最中」。

「“美しい”よりも“美味しい”を大切にする。」という同社ですが、和菓子づくりへの姿勢はどこまでも美しく、心惹かれるお客様が絶えないのではないでしょうか。

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画像出典元:仙太郎HP「ご存じ最中」 丹波大納言小豆を炊き上げた自慢の最中餡。

株式会社 仙太郎
所在地:〒600-8032 京都市下京区寺町通り仏光寺上る中之町576

デパ地下出店先:阪急うめだ本店、阪急うめだ本店、髙島屋大阪店、松坂屋名古屋店、ジェイアール名古屋タカシマヤ店、髙島屋横浜店、伊勢丹新宿本店 など

27位【株式会社 青柳総本家(あおやぎそうほんけ)】創業年1879年

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画像出典元:青柳総本家HP

もっちりとしたやさしい食感と上品な甘みがあり、どこか懐かしい味わいのういろう。
「青柳ういろう」は、株式会社 青柳総本家(以下、青柳総本家)の代表銘菓です。

社是は、「いつも どこでも 心をこめて」。初代は後藤利兵衛。旧尾張藩主 徳川慶勝公より「青柳」の屋号を贈られ、明治12(1879)年に名古屋大須の地で創業しました。

創業時は竹の皮に包まれていた青柳ういろう。1日しか日持ちせず、お土産には不向き。「もっと遠くの人に、もっと多くの人に、食べてもらいたい。」その思いで独自の密封製法を開発します。

昭和6年、三代目が国鉄名古屋駅の構内売店やホームで「青柳ういろう」の販売を開始。これを機に名古屋の代表銘菓として知名度を高めていったそうです。

その後も販路拡大のため、市内百貨店への出店などを加速。昭和39年には、東海道新幹線の開通で青柳ういろうの車内販売を開始します。

許可を得たのは同店だけであったことから、ういろうの名古屋名物化に大きく貢献しました。

TVCMの放送や、業界初となるひとくちサイズのういろうの販売。名古屋で初開催された東京ガールズコレクションや、第1回名古屋ウィメンズマラソンとのコラボレーション……当記事でご紹介した内容は、歩みの一部にすぎません。

青柳ういろうに限らず様々な和洋菓子をつくり、多角展開する同社ですが、商品の多くは職人の手業で仕上げるそう。

青柳ういろうは国産の米粉を使い、職人が天候や気温の違いを見極めながら生地を仕込んでいく。同社のロゴマークでもあるカエルを模した「カエルまんじゅう」。

その表情は職人の手で一つひとつ焼き入れされます。

和菓子づくりへの心や伝統の技を失わず、発展し続ける青柳総本家。その歴史からは圧倒的な実行力と絶え間ない企業努力が窺えます。

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画像出典元:青柳総本家HP 右から「青柳ういろう」「カエルまんじゅう」ほか

株式会社 青柳総本家
所在地:〒463-8548 名古屋市守山区瀬古1-919

デパ地下出店先:ジェイアール名古屋タカシマヤ など

26位【株式会社 本髙砂屋(ほんたかさごや)】創業年1877年

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画像出典元:本髙砂屋HP

明治10(1877)年、株式会社 本髙砂屋(以下、本髙砂屋)は「紅花堂」の屋号で創業。瓦せんべいの製造・販売から始まりました。

本髙砂屋といえば、赤や緑、金銀の包装紙が目に鮮やかで、軽やかな食感がたのしめる 「エコルセ」を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。

同社がつくる神戸の代表的な洋菓子ですが、今回は和菓子に注目。

本髙砂屋は、丸形の江戸きんつばを日本で初めて四角に改良。店頭で焼きながら売る「高砂きんつば」を生み出し、100年以上つくり続けています。

「素材を生かしきること」がポリシーの同社。小豆餡を主役にした「高砂きんつば」は、まさに素材そのものを最大限に引き出した和菓子です。

経営理念は、「旨楽味遊(しらくみゆう)」。旨さを楽しみ、味に遊ぶ、という意味があるそうです。

「モノ消費からコト消費」がいわれる昨今ですが、同社は早くから美味しいお菓子を提供するだけでなく、召しあがる人々を楽しませたいと考え、遊び心が光る体験を提供しています。

コロナ禍の前は店舗で全商品の試食が可能でした。お客様にとって、たのしいお買い物体験になったことでしょう。この取り組みからも「旨楽味遊」の精神が窺えます。

創業以来、「変えてはならないもの」と「変えなければならないもの」を明確に区分してきたという同社。

製造から販売まで自社一貫体制を貫き、伝統の味や技を継承する一方で、遊び心のあるお菓子づくりのため、そしてより良い会社づくりのために、革新を続けています。

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画像出典元:本髙砂屋HP 100年以上にわたり、職人がひとつひとつ手焼きする元祖四角「高砂きんつば」

株式会社 本髙砂屋
所在地:兵庫県神戸市東灘区向洋町西5丁目1番

デパ地下出店先:日本橋三越本店、池袋西武店、松坂屋名古屋店、阪急うめだ本店、高島屋大阪店、阿倍野ハルカス近鉄本店 など

25位【株式会社 たねや】創業年1872年

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画像出典元:たねやHP

「たねやさん」の愛称で親しまれる株式会社たねや(以下、たねや)。

明治5(1872)年、「売り手によし、買い手によし、世間によし」を示す「三方よし」の理念をもつ近江商人の故郷、滋賀県で創業します。

経営理念は、商道は人道であることを説く「天平道(てんびんどう)」、天塩にかけることを心得る「黄熟行(あきない)」、今日如何にお客様によろこんで頂けたかの心を意味する「商魂(しょうこん)」の三つからなります。

他にも、たねやには「商いの心得」を社員に説いた『末廣正統苑』という冊子があるそうです。お菓子づくりは、良質な原材料、きれいな水が手に入らなければ成り立ちません。

地域の一員として、自然やたくさんの繋がりと共に生きていく商売であることを説きます。

デパ地下へは、1984年の日本橋三越店を皮切りに相次いで出店。ふくみ天平、たねや最中、栗饅頭など代表銘菓と共に、たねやの名が全国へ広まります。

そして2015年、「自然に学ぶ」をコンセプトにした「ラ コリーナ近江八幡」をオープン。

実り豊かな自然を守れるよう、木を植え、小川を作り、田畑を耕す。次の100年に向け、創業の地で壮大なプロジェクトが始動しています。

自社の利益のみならず、社会全体が持続可能となることを目指し、今できることに挑戦し続けています。

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画像出典元:たねやHP 代表銘菓「ふくみ天平」

株式会社 たねや
所在地:〒523-8533 滋賀県近江八幡市北之庄町615-1

デパ地下出店先:伊勢丹新宿店、日本橋高島屋店、日本橋三越店、池袋西武店、日本橋三越店、横浜高島屋店、名古屋高島屋店、名古屋松坂屋店、うめだ阪急店、大阪高島屋店、あべのハルカス近鉄店 など

たねやグループが長寿企業たる所以について、企業担当者に話を伺いました。
「三方よし」の理念を継ぐ商いの心得や、ステークホルダーとのつながり、未来もお菓子屋を続けるために進むべき道など、さらに詳しい内容を以下のリンクからお読みいただけます。

24位【株式会社 巖邑堂(がんゆうどう)】創業年1871年

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画像出典元:巖邑堂HP

株式会社 巖邑堂(以下、巖邑堂)は、明治4(1871)年に静岡県浜松市で創業。

社名にある「巖邑(がんゆう)」とは今の岐阜県恵那市岩村町、美濃国巖邑藩に由来します。廃藩置県をきっかけに、藩士であった初代は幕末期にその身分を捨て、創業の地へ移りました。

三代目が味を確立し、「巌千鳥(いわちどり)」や羊羹、今も販売する商品や菓子づくりの基礎を創ったそうです。

特に朝作りその日に食べる「朝生菓子」に注力し、毎日ひとつ一つ心を込めて手作りした出来たてのお菓子を食べていただきたいという想いは、伝統の製法や味と共に今の五代目に受け継がれています。

お客様の心を豊かにする和菓子づくりのため、手間ひまを惜しまない。巖邑堂の味わいを守るため、産地に出向いて収穫を共にし、生産者との信頼関係を築くことで満足いく材料が手に入るといいます。

同社には、50年以上製法・配合を変えていないという人気商品の「巌千鳥」や、羊羹、最中、どらやきなどの伝統菓子の他に、現代風にアレンジされた焼き菓子も。

「弘厳月餅」の餡にはピスタチオやくるみ、カシューナッツが入り、アクセントにクランベリーのドライフルーツを使用。最後に日本のウィスキーで風味付けし、外皮はラードでなくココナッツオイルを。

原材料にも目を配る方が多い時代にマッチします。

2018年には浜松から海外へ。タイやバンコクに出店し、同社のHPには日本語だけでなく英訳が並びます。日本の食文化を継ぐ意志は、「かしあわせ」とよばれる和菓子の手作りキットにも映ります。

薔薇や桔梗、菊、梅……美しい花々を模した和菓子づくりの体験ができるのも、同社ならではでしょう。

伝統技術を守りながら創意工夫を凝らし、世界へ視野を広げる巖邑堂。和菓子業界に限らず、ますます日本企業が必要とされる選択ではないでしょうか。

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画像出典元:巖邑堂HP 古くからの人気商品「巌千鳥(いわちどり)」

株式会社 巖堂
所在地:〒4300935 静岡県浜松市中区伝馬町62番地

デパ地下出店先:日本橋高島屋店

23位【桂新堂株式会社(けいしんどう)】創業年1866年

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画像出典元:桂新堂HP

「ほっぺたがおちるような美味しいお菓子で笑顔をつくります」を企業理念に掲げる桂新堂株式会社(以下、桂新堂)。

その歴史は、幕末の慶応二(1866)年まで遡ります。愛知県の西部、伊勢湾に面する知多半島で豊富に獲れるえびを用いて、初代 光田慶助がえびせんべいを作り始めました。

こだわりは海老の鮮度と品質。海老の種類や産地に合わせ、美味しい時期を逃さず新鮮に焼成できるよう、北海道余市の漁港近くに工場を建設したり、活きたまま空輸したり。高級食材の車えびを始め、甘えびやぼたんえび、芝えびも国産にこだわります。

たくさんの人にお届けできるよう機械化し、先端技術に頼る一方で、「えびの美味しさがちゃんと表現できているか」を一番に据え、丁寧でえび愛のある熟練職人の手焼きを守ります。

写真からも海老の香ばしさが漂ってきそうな、素材感溢れる同社のせんべいですが、「サステナブルえびせんべい カレー味」が目にとまりました。

SDGsの中でも食品ロス問題をテーマに、名古屋拠点のカレーうどんの名店「若鯱家(わかしゃちや)」や、名古屋国際中学校・高等学校と共に共同開発。美味しさにこだわりながら、甘えびの頭のペーストや、うどんの端材を生地に加えた商品を販売しています。 自社のアイデンティティをしっかりと携えながら、時代のニーズに寄り添い他社や地域と共生する姿が見られます。

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画像出典元:桂新堂HP 桂新堂を代表する海老菓子のひとつ、「炙り焼き」

桂新堂株式会社
所在地:名古屋市熱田区金山町1-5-4

デパ地下出店先:三越 日本橋本店、西武 池袋本店、伊勢丹 新宿本店、髙島屋 横浜店、松坂屋 名古屋店、ジェイアール名古屋タカシマヤ店、髙島屋 大阪店、阪急 うめだ本店 など

22位【株式会社 豆源(まめげん)】創業年1865年

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画像出典元:豆源HP 

東京の麻布十番商店街に本店を構える株式会社 豆源(以下、豆源)。豆菓子やおかきの専門店を営む同社は、慶応元年(1865年)に創業します。

初代は”豆やの源兵ヱ“さんと愛称された駿河屋源兵衛。煎り豆を肩に担いで屋台荷車を引いて歩き、江戸下町の人々に親しまれたそうです。

現在、麻布の本店のほか、伊勢丹新宿本店、伊勢丹浦和店、東武百貨店池袋店、松屋銀座店、日本橋高島屋店、大丸東京店に出店。関東を中心にお客さまから支持されています。

従業員数は50人とHPにありますが、店内にはなんと約80種類の商品を揃えます。味の違いがわかるよう色とりどりのラベルが貼られ、小袋に入った豆菓子やおかき。百貨店のデパ地下で鮮やかに並ぶ姿に足が止まり、選ぶ楽しさを味わえます。

豆源一番人気の「おとぼけ豆」を始め、海老やイカ、わさび、胡麻、カレーなど馴染みのある味から、チリバジルマカダミアやブランデーアーモンドなど変わり種も見られます。

経営理念や商品開発の様子、生産者との関わりなど、詳細はHPに公表されていませんが、ぜひ一度伺ってみたいものです。

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画像出典元:豆源HP 真ん中が豆源一番人気の豆菓子「おとぼけ豆」。青海苔、きざみ海苔、海老の3種類が入った磯風味。

株式会社 豆源
所在地:106-0045 東京都港区麻布十番1-8-12

デパ地下出店先:伊勢丹新宿本店、日本橋高島屋店 など

21位【株式会社 鶴屋八幡(つるやはちまん)】創業年1863年

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画像出典元:鶴屋八幡HP

文久三(1863)年、大阪市中央区の高麗橋(こうらいばし)にのれんを掲げた株式会社 鶴屋八幡(以下、鶴屋八幡)。

同社の技法は、300年以上前に江戸時代の上方で有名だった老舗菓子店、「虎屋伊織」が起源。その菓子店は『東海道中膝栗毛』にも登場し、繁盛していた様子が描かれています。

幕末まで九代続き、江戸時代の商人番付にも度々登場する繁盛ぶりだったようですが、九代目当主が病弱のうえ実子がおらず、世情不安も重なり商売に陰りが見えます。

幼少期から奉公し、大名や鴻池家等の豪商、お茶人などから信頼を得ていた初代が、九代目から当家製法を託され創業に至ったそうです。

鶴屋八幡の菓子づくりは、前身の虎屋伊織の時代から続く、素材へのこだわりが窺えます。煮ても割れず、大粒で光沢が美しく、風味の良い大納言小豆。丹波黒大豆や一般にはほとんど出回らない白小豆。角がピンと立った良質な寒天に、吉野の本葛(ほんくず)。

安価なもので妥協せず、人々の期待に応えて老舗の格を守り続けるひたむきさが、同社の長い歩みを支えているのではないでしょうか。

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画像出典元:鶴屋八幡HP 大納言小豆入り 舞鶴

株式会社 鶴屋八幡
所在地:大阪市中央区今橋4丁目4-9

デパ地下出店先:阪急うめだ本店、高島屋大阪店、あべのハルカス近鉄本店、高島屋日本橋店、西武百貨店池袋本店 など

20位【株式会社 辻利兵衛本店(つじりへいほんてん)】創業年1860年

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画像出典元:辻利兵衛本店HP

株式会社 辻利兵衛本店(以下、辻利兵衛本店)は蔓延元年(1860年)に創業。

拠点である京都の宇治といえば、世界遺産の平等院や世界文化遺産の宇治上神社があり、源氏物語の舞台に登場。京都随一のお茶どころとしても有名です。

同社の歴史は、山崎屋 利右衛門の長男であった仙助(辻利兵衛の幼年期の名)が辻家に入ったことから始まります。

仙助は辻家に入ったのち、当時の親の仕事であった農耕と餅屋を手伝い、茶園をまわり茶摘みさんたちにあんころ餅を売り歩いていたそう。

幕末、徳川幕府が失墜するなか、宇治の茶師たちも庇護を失い、茶園が荒廃していく様子を目の当たりに。

「宇治の素晴らしい茶園風景を失いたくない」という想いから、同社の前身である「辻商店」を起業。17歳のときに私財を投じて茶園30アール(約907坪)を買い取ったそうです。

同社のHPに企業理念や家訓などは見当たりませんでしたが、「当時は汽車などもなく仙助は『東海道或は山陽道、時に九州までも草履で歩き、得意先を増やし秋から冬にかけて全国へ売り歩いた』と言われている」との記載が。初代の商魂は代々受け継がれていると想像します。

明治元年(1868年)には玉露の改良に成功。日本茶の最高峰として知られる玉露ですが、同社初代による多大な貢献があったことでしょう。

茶葉の販売だけでなく、「白玉入り宇治抹茶 生ぜりー」「宇治有機抹茶入大福」「宇治抹茶 わらび餅」など、今では茶を用いた緑鮮やかな和菓子の数々が店頭に並びます。

日本だけでなく、海外でも人気が高い抹茶。アメリカのロサンゼルスに出店しています。和菓子づくりへの想いや海外展開など、200年を見据えた話をお伺いしたいものです。

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画像出典元:辻利兵衛本店HP 「白玉入り宇治抹茶 生ぜりー」

株式会社 辻利兵衛本店
所在地:〒611-0021 京都府宇治市宇治若森41

デパ地下出店先:阪急うめだ本店 など

19位【株式会社 満月(まんげつ)】創業年1856年

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画像出典元:満月HP 

株式会社 満月(以下、満月)は、江戸末期の安政三(1856)年、京都で創業します。同社の商品は4種類のみ。

「阿闍梨餅(あじゃりもち)」「満月」「京納言(きょうなごん)」「最中(もなか)」と品数は少ないですが、熟練した職人の技で高品質な和菓子づくりを貫いています。

餅粉ベースのしっとりした皮と、あっさりした餡がおいしい、代表菓子の「阿闍梨餅」は、大正期に二代目が開発。比叡山で修行する僧にちなんで命名されたそうです。

特徴的な形は、阿闍梨様が修行時にかぶる綱代笠を再現。約千日におよぶ厳しい修行中、餅を食べて飢えをしのいだことから考案されたといいます。

もう一つの看板菓子「満月」は、明治期に旧九條公爵御用達に。戦後30年の時を経て復活し、曜日を限定して本店のみで販売されています。

同社の基本方針は、「一種類の餡で一種類の菓子しかつくらない」。また、「材料の質を落とさず、値段は極力上げないよう努める」がモットー。

自らが納得できる商品をつくり、納得できる価格で販売する満月。その心意気に触れ、今の厳選された商品ラインナップになったことが理解できます。

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画像出典元:満月HP 代表菓子の「阿闍梨餅」

株式会社 満月
所在地:〒606-8202 京都府京都市左京区鞠小路通今出川上る

デパ地下出店先:阪急うめだ本店、あべのハルカス近鉄本店、高島屋大阪店、西武池袋本店、三越日本橋店、高島屋日本橋店、高島屋横浜店、ジェイアール名古屋高島屋、松坂屋名古屋店 など

18位【株式会社 美濃忠(みのちゅう)】創業年1854年

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画像出典元:美濃忠HP

「美味しいお菓子で笑顔を創る」
安政元年(1854年)創業、名古屋を拠点とする株式会社 美濃忠(以下、美濃忠)の企業理念です。

国際化が進む中、日本文化に精通する日本人や密接に関わる企業は100年前に比べ減少していることでしょう。

同社は「素晴らしい日本固有の文化を守り抜き、後世に伝えていく」という使命を果たすため、「作り出すお菓子が美味しいものであること」、そのお菓子で「一人でも多くのお客様に笑顔になっていただくこと」が最も重要だという考えをお持ちです。

初代は伊藤忠兵衛。江戸時代に初代尾張藩主 徳川義直公が名古屋城入府の際、駿河の国(現在の静岡県中部)より同行し、尾張藩御用の菓子屋を勤めた「桔梗屋」からのれん分けされました。

美濃忠の技と味が世に広まったのは明治時代。第1回帝国菓子飴大品評会や京都記念博覧会などに積極的に出品し、その味が高く評価されます。

昭和に入ると百貨店への出店を加速。松坂屋名古屋本店などに出店。茶人とのつながりが深かった三代目は、様々な流派からお菓子の御用命もいただいたといいます。

五代目による株式会社化や工場・店舗の新築を経て、六代目の伊藤芳子 代表取締役社長は「日本古来から長く続いてきた和菓子文化を、これからを生きる若い人達にも伝えていきたい」と同社HPに綴っています。

羊羹や饅頭、最中、ぜんざい、お汁粉……伝統的な和菓子をつくり販売するだけでなく、それらをより身近に感じられるよう、親子和菓子教室などのイベントも開催されています。

「『おいしい和菓子』の真髄をありのままに、無骨に皆さまに届けたい……」
美濃忠が160余年守ってきたという志は、令和の時代にも変わらず息づいています。

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画像出典元:美濃忠HP「大棹羊羹」

株式会社 美濃忠
所在地:名古屋市中区丸の内1-5-31

デパ地下出店先:ジェイアール名古屋タカシマヤ店、松坂屋名古屋店 など

17位【株式会社 播彦(はりひこ)】創業年1849年

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画像出典元:播彦HP

「美味しさと感動をお届けする」が理念の株式会社 播彦(以下、播彦)。

嘉永二(1849)年、大阪・島之内で漢方医だった野村彦次郎が煎餅司の暖簾を掲げました。
「せんべい」と聞けば醤油や塩味の米菓を連想しますが、関西では古くから「玉子せんべい」が主流。

新鮮な玉子や野菜、大阪の河内ぶどう、長崎県の茂木びわ、山形さくらんぼ、北海道十勝産の小豆……風味豊かで薄く繊細なせんべいに仕上げるには、熟練の技が必要です。

江戸時代より受け継ぐ手法や志を守って、 1枚1枚丹精込めて焼き上げているといいます。
「暖簾は守るものではなく、興すもの」

これは同社に代々伝わる教え。新しい味を求め、どの時代も創意工夫に努めてきた歩みが見られます。

和菓子にも洋風素材が取り入れられる昨今ですが、80年代にはいち早くレモンなどの果実、チョコレートなどを練り込んだ洋風せんべいを販売。

自然の豊かさや四季が織りなす感動を表現するため、薄く繊細なせんべいに季節の草花を描いた「花はんなり」を創作。1998年の第23回全国菓子大博覧会・盛岡において名誉総裁賞を受賞しています。

「花はんなり」に並ぶ代表銘菓、しょっぱいおかきと甘いせんべいが融合した「あまからさ
ん」には、香り豊かな発酵バターやアーモンド、オランダ産エダムチーズなど、従来のせんべいにはない食材も。

「澪々(みをみを)」というせんべいには、地元大阪への強い想いと感謝の心が込められています。

同社HPには、代表銘菓の開発秘話や名前の由来が丁寧に記されています。読めばその物語に心を動かされ、上質な贈り物として大切なあの人へ届けたくなるのでは。

コミュニケーションやプレゼンテーションがキラリと光る播彦。お菓子の美味しさはもちろん、大阪商人の粋な振る舞いに魅了されるお客様も多いことでしょう。

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画像出典元:播彦HP「花はんなり」一枚一枚手刷りした季節便りのようなおせんべい

株式会社 播彦
所在地:大阪府東大阪市三島3丁目1番12号

デパ地下出店先:高島屋 大阪店 など

16位【株式会社 緑寿庵清水 (りょくじゅあんしみず)】創業年1847年

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画像出典元:緑寿庵清水HP

日本唯一の金平糖専門店である株式会社  緑寿庵清水(以下、緑寿庵清水)。弘化四(1847)年、京都で初代清水仙吉が創業しました。

同社の金平糖は、皇室の慶事に引き出物の一つとして贈られたり、漫画「美味しんぼ」にも登場します。

HPを見て驚くのは、金平糖の種類の豊富さ。今や60種類に及び、目を楽しませてくれます。「究極の金平糖」シリーズは、チョコレートやキャラメル、白赤ワインに日本酒、ブランデーなど、これまでの金平糖の概念を覆すラインナップ。その希少性から毎年キャンセル待ちになるそうです。

口に運べば程なく溶ける金平糖ですが、一種類16日〜20日間かけて作られます。金平糖にはレシピがなく、職人が五感で覚える一子相伝の技。型にはめて出来上がるものでもなく、体得するのに20年かかるといいます。

経営理念として明示されているものは見つけられませんでしたが、緑寿庵清水のそれは、金平糖づくりを通して垣間見えます。

砂糖に素材を加えると、酸や油分、塩分が作用し、固まらないという常識を覆し、「素材を加えた風味ある金平糖」を創りあげた同社。新製品完成まで2年以上をかけ、同社にしかできない金平糖を一心に探求し続ける姿勢が、日本唯一への道に繋がっていると想像します。

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画像出典元:緑寿庵清水HP 究極の日本酒の金平糖

株式会社 緑寿庵清
所在地:〒606-8301 京都市左京区吉田泉殿町38番地の2

デパ地下出店先:伊勢丹新宿店

15位【株式会社 榮太樓總本鋪(えいたろうそうほんぽ)】創業年1818年

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画像出典元: 榮太樓總本鋪HP

「日本橋の菓子屋」として200年以上の歴史がある株式会社 榮太樓總本鋪(以下、榮太樓總本鋪)。創業は文政元年(1818年)。

伝統に胡坐をかかず「温故知新」の社風のもと、時代を先取りした提案を継続。「味は親切にあり」との考えから、原料を吟味し製法にこだわります。

美味しさと品質を第一にした菓子作りで、お客様へ「心の豊かさ」を届けられるよう励んでいるといいます。

文政元年、細田徳兵衛が「井筒屋」を構え、徳兵衛の曾孫にあたる三代目、細田安兵衛(幼名 栄太郎)が日本橋に屋台を開業。

三代目の家族思いで気前の良い人柄、「大きくて甘くて美味しい」と評された金鍔(きんつば)は、江戸中へ広まります。

看板商品である「梅ぼ志飴」は安政の時代に創製。その姿が梅干しに似ていることから、洒落好きな江戸っ子が「梅ぼ志飴」と名づけたそうです。

東京大空襲で日本橋店舗や工場が焼失。失意に暮れるも復興を志し、昭和26年にデパ地下のルーツである「東急東横のれん街」の設立に尽力。

工場や創業の地日本橋に栄太楼ビルを竣工するなど、事業を発展させます。
今や代表的な東京土産である同社のお菓子ですが、さまざまな挑戦の歴史があってこそ。

長期保存に適う専用缶を開発のうえ「みつ豆」「あんみつ」を商品化し、テレビCMも放映。全国百貨店や駅ビルへの出店に留まらず、お茶の間へも広く定着させていきます。

平成には量販店市場に参入。「黒みつ飴」などが全国のスーパー、コンビニ等で購入可能に。

現在5つのブランドを展開していますが、国産果物を使用した無香料・無着色の果汁飴や、体に優しい糖質オフの商品も並びます。

時代の変化に合わせて流通形態や商品を柔軟にシフトしていく同社。200年以上続けるには、変わることを厭わない姿勢がいかに大切かを教えてくれます。

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画像出典元: 榮太樓總本鋪HP 左から看板商品の「梅ぼ志飴」と「黒飴」

株式会社 榮太樓總本鋪
所在地:東京都中央区日本橋1-2-5

デパ地下出店先:日本橋髙島屋店、日本橋三越本店、西武池袋本店、横浜髙島屋店、ジェイアール名古屋タカシマヤ、松坂屋名古屋店、髙島屋大阪店、阪急うめだ本店、あべのハルカス近鉄本店 など

14位【株式会社 あみだ池大黒(あみだいけだいこく)】創業年1805年

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画像出典元: あみだ池大黒HP

「おこし」とは、米や粟などを熱して干した後、熱した砂糖や水飴に混ぜ、型に入れ乾燥させた干菓子のこと。

文化 二(1805)年に創業以来、大阪でこのお菓子をつくり続けているのが株式会社 あみだ池大黒(以下、 あみだ池大黒)です。同社によると、「おこし」は 日本で最も古い歴史を持つお菓子だそう。

江戸時代、大阪は「水の都」として栄え、全国物産の集散地へ。「天下の台所」と呼ばれ、「おこし」の原料である良質の米や飴の入手が可能に。これに着目したのが初代 小林林之助でした。

おこしは「身を起こし 家を起こし 国を起こす縁起の良いお菓子」として大阪の繁栄に伴い名物となり、広く人々に親しまれるようになります。

全国へ認知されるようになったのは、明治37年以降。日露戦争の時に明治天皇より35万箱を大量受注。戦地へ向かう兵隊さんへ配るためでしたが、非常に好評で帰国後も求める風潮が高まったそうです。

社是は「暖簾は絶えず創り直していくもの、暖簾にあぐらをかくことなく、日々新た」
「伝統」に未来の新風を吹き入れ「日々新た」なチャレンジを続けて行く覚悟だといいます。

「おこし」自体は米や粟のやさしい色合いですが、パッケージが色鮮やかで縁起物らしい雰囲気が漂います。

その歴史も華々しく、大正3(1915 )年にサンフランシスコ万博で「福おこし」が日本のお菓子として初出品。その後も全国菓子博覧会にて「内閣総理大臣賞」を始め、数々の賞を受賞しています。

平成23(2011)年以降は「おこし」の新ブランド「pon pon Ja pon」などを発表。カラフルな小袋に入った洋風おこしには、「きゅんきゅんいちごミルク」など可愛らしい名前も。

味に厳しい大阪の人々と向き合い上質を極め、おこしの可能性を広げるあみだ池大黒。強力な看板商品を軸に、今後も遊び心あふれる歩みが期待されます。

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画像出典元: あみだ池大黒HP 

株式会社 あみだ池大黒
所在地:〒550-0014 大阪市西区北堀江3-11-26

デパ地下出店先:あべのハルカス近鉄本店、阪急うめだ本店、髙島屋大阪店 など

13位【株式会社 船橋屋(ふなばしや)】創業年1805年

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画像出典元: 船橋屋HP 

和菓子で唯一の発酵食品をつくるのは、文化二(1805)年に創業の株式会社 船橋屋(以下、船橋屋)。

同社の「くず餅」は、小麦粉からグルテンを取り除いた上質な小麦澱粉のみを使用。15ヵ月乳酸発酵させた澱粉質を蒸し上げた餅は、ほのかな香りや酸味、しなやかな食感が際立ちます。

製造工程は450日に対して消費期限はわずか2日間。お子さまや妊娠されている方も安心して食べられるよう、無添加自然発酵にこだわります。

関西では葛(くず)が原料のくず餅ですが、関東では小麦澱粉が主流。初代の出身地である下総国(千葉県北部)船橋は、良質な小麦の産地でした。

江戸時代、亀戸天神(東京都 江東区)が四季を愛でる参拝客で賑わうのを見て上京し、くず餅をつくったことが創業のきっかけに。

またたく間に参拝客の間で人気となり、江戸名物の一つになるほど評判を得たといいます。

明治初頭、かわら版「大江戸風流くらべ」において、江戸甘いもの屋番付に「亀戸くず餅(久寿餅)・船橋屋」が横綱としてランクイン。以降は同社の名声が不動のものとなります。

船橋屋の命。それは江戸時代から代々受け継がれてきた唯一無二の発酵製法。 関東大震災や第二次世界大戦、東京大空襲の災害や戦災を越え、奇跡的に発酵澱粉だけがその被害を免れたそうです。

200年以上におよぶ歴史の中には、芥川龍之介など著名な文化人が堪能したという逸話も。

人工添加物のない江戸時代に生まれた船橋屋のくず餅。当時はそれが当たり前でも、時代が進む中で保存期間を延ばす選択もあったはず。

それでも伝統を守り続け、今は無添加やグルテンフリーへの関心が高い風潮にマッチしています。
お客様の健康や刹那の口福のため、本質からぶれない威風堂々とした姿が印象的です。

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画像出典元: 船橋屋HP「元祖くず餅」

株式会社 船橋屋
所在地:東京都江東区亀戸3-2-14(亀戸天神前本店)

デパ地下出店先:西武池袋本店 など

12位【株式会社 松崎商店(まつざきしょうてん)】創業年1804年

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画像出典元: 松崎商店HP

「一枚一枚 心を込めて 手を抜くな」

自身にそう語るのは、東京の銀座を拠点にする株式会社 松崎商店(以下、松崎商店)。
文化元年(1804年)に創業しました。

材料を吟味し、心を込めて正直な商いを日々心がけているという同社。

それは「美味しいものをお客様にお召し上がりいただくために」「丁寧に作ることで材料を無駄にしないために」「お客様お一人ごとに真心を込め販売するために」と明確な目的が存在します。

初代 松﨑惣八が創業以来、200年以上の時を経て八代目が継承。途中、関東大震災などで店舗を消失するも、昭和23(1948)年に六代目が株式会社へ改組。以降は新宿伊勢丹店や渋谷東急東横店など、百貨店への出店を強化します。

甘いものを連想しがちな和菓子ですが、醤油の効いたせんべいも立派な和菓子の代表。同社の一押しは草加煎餅です。

厚みのある生地は噛むほどに味わい深く、うるち米の美味しさや「醤油」「胡麻」「辛子」「海苔」「味噌」「ざらめ」など様々な味わいを楽しめます。

代表銘菓には瓦煎餅「大江戸松﨑 三味胴」も挙がります。職人によって四季折々の風情が砂糖蜜で丁寧に描かれており、口に含めば卵のコクや柔らかな甘み、心地よい食感が広がります。

素朴な味わいの卵ボーロも目に留まりました。原材料は国産のみにこだわり、小麦粉は不使用。小麦アレルギーの方や幼児にも喜ばれることでしょう。

企業の歩んだ歴史について、HPに詳細は見当たりませんでしたが、創業時からの原理原則やステークホルダーとの関係など、さらに深く伺ってみたいものです。

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画像出典元: 松崎商店HP「草加煎餅」

株式会社 松崎商店
所在地:〒104-0061東京都中央区銀座4-13-8

デパ地下出店先:高島屋 日本橋店 など

11位【株式会社 鶴屋吉信(つるやよしのぶ)】創業年1803年

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画像出典元:鶴屋吉信HP

株式会社 鶴屋吉信(以下、鶴屋吉信)に代々受け継がれる家訓は、「ヨキモノヲツクル為ニ材料、手間ヒマヲ惜シマヌ事」。経営理念には、大切な5つの「ヨキモノ」として、以下を掲げています。

  1. 良き菓子を創ろう。
  2. 良き社風を育てよう。
  3. 良き印象をお客様に伝えよう。
  4. 良き職場をつくり、 豊かな明日を手にいれよう。
  5. そして、社会に貢献できる 良き企業を目指そう。

享和三(1803)年、鶴屋吉信は初代伊兵衛が創業します。京菓子が現在の姿になったのは江戸時代に入ってから。公家文化の復興と茶の湯の文化が隆起し、京菓子が多彩な発展をとげる時代に創業されました。

代表的な和菓子に昭和天皇も召し上がった 「柚餅」や、銘菓「京観世」が挙げられ、220年の伝統がある同社。

一方、大正時代に生きた4代目は、西洋の素材を使用したプリンのレシピを書き残し、昨今は「星のカービィ(任天堂の人気キャラクター)」とコラボレーションするなど、代々ルールや慣習にとらわれない企業精神が魅力です。

部署間を超えた対話を活発に行い、地域行事にも積極的に参加。コミュニティを大切にしつつ、「ヨキモノ」を創り続けるため、新たな価値の創造に向け、果敢に挑戦されています。

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画像出典元:鶴屋吉信HP 柚餅と書いて「ゆうもち」、京都独特の読み方

株式会社 鶴屋吉信
所在地:〒602-8434 京都府京都市上京区今出川通堀川西入る

デパ地下出店先:日本橋高島屋S.C.、伊勢丹 新宿店、三越日本橋本店、西武百貨店 池袋本店、高島屋 横浜店、阪急うめだ本店、高島屋 大阪店、あべのハルカス 近鉄本店、JR名古屋高島屋、松坂屋 名古屋店 など

10位【株式会社 福寿園(ふくじゅえん)】創業年1790年

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画像出典元: 福寿園HP

寛政二(1790)年に創業の株式会社 福寿園(以下、福寿園)。江戸後期から明治末期にかけて、日本茶は生糸と共に輸出の花形産業であり、初代 福井伊右衛門が茶商を始めました。

家訓は「無声呼人(むせいこじん)」。徳のある人のところには、呼ばれなくとも人が集まるという意味で、古くから福寿園に伝わるといいます。

また、社是は「福とは “ 豊かさ ” である。」として、以下の5つの蓄積を目標に、「仕事を通じて社会の発展に奉仕しよう。そして 豊かな生活を築きあげよう。」と説きます。

Policy1 信用を蓄積しよう
Policy2 得意先を蓄積しよう
Policy3 技術を蓄積しよう
Policy4 人材を蓄積しよう
Policy5 資本を蓄積しよう

創業から時代は下り、昭和27(1952)年。「生粋の宇治茶を味わっていただきたい」との思いから、京都駅に直売店を開設。

その後は全国各地へ直売店を構え、百貨店にも出店。宇治茶の普及や販売に尽力します。

工場の新設で量産体制を整え、生産の合理化や自動化を図り、経営を近代化。昭和58(1983)年には世界で初めて日本茶の缶ドリンクを販売します。

平成以降は、茶の文化(Culture)、健康(Health)、快適さ(Amenity)を研究する「福寿園CHA研究センター」を関西文化学術研究都市に開設。

海外初出店となる「福寿園シンガポール店」の開店や、サントリーホールディングス株式会社とのコラボレーションブランド「伊右衛門」の発売など、華々しい歩みが続きます。

上質な茶葉が主力商品の同社ですが、宇治茶を使った和洋菓子の販売も。宇治茶銘菓「宇治のみどり」や「抹茶わらびもち」「抹茶プリン」など、香り高い茶商ならではの和菓子を提供します。

福寿園はティーライフ企業として、日本のみならず世界を舞台に挑戦されています。

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画像出典元: 福寿園HP 宇治茶銘菓「宇治のみどり」

株式会社福寿園
所在地:〒619-0295 京都府木津川市山城町上狛東作り道11

デパ地下出店先:西武池袋店、松坂屋名古屋店、髙島屋大阪店 など

9位【株式会社 俵屋吉富(たわらやよしとみ)】創業年1755年

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画像出典元: 俵屋吉富HP

「菓心求道」を理念に掲げるのは、株式会社 俵屋吉富(以下、 俵屋吉富)。
宝暦五(1755)年に京都で創業以来、“ 常にいい菓子を求め、菓子道に励むこと ” を志しています。

代表銘菓は「雲龍」。現在の店主である石原 義清 代表取締役社長の祖父、七代目菓匠・石原留治郎が考案。京都・相国寺の「雲龍図」に感銘を受け、長年にわたる試行錯誤の末に龍の雄々しさを表現した和菓子を完成。

長年「雲龍さん」と呼ばれ、親しまれています。

創業時から変わらず、修練された職人の手業でつくる「雲龍」。最高品質の素材を用い、愛情を込めて一本一本作り上げられるからこそ、趣き深い味わいがあり、愛され続けているといいます。

世界中から茶道に携わる方々が訪れるという茶道御家元、小川通り(京都)。京菓子の創作とお茶席菓子により向き合う覚悟で、同社はここに店を構えます。

2016年、伊勢丹パリ店オープニングの御茶会を担い、新商品を創作。京菓子の世界発信に挑戦。残念ながら同店は閉鎖されますが、2018年には伊勢丹京都店で新ブランド「といろby Tawaraya Yoshitomi」を始動。

「見て美しい 食べておいしい いつまでも心に残っていただけるような京菓子作り」に日々向き合う同社。全国菓子博覧会での度重なる受賞や、NHKドラマの制作監修など、これまでの軌跡をたどれば、ステークホルダーからの信頼の厚さが窺えます。

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画像出典元: 俵屋吉富HP 代表銘菓「雲龍」

株式会社 俵屋吉富
所在地:〒602-0029 京都市上京区室町通上立売上る室町頭町285-1

デパ地下出店先:西武百貨店池袋本店 など

8位【株式会社 笹屋伊織(ささやいおり)】創業年1716年

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画像出典元:笹屋伊織HP

株式会社笹屋伊織(以下、笹屋伊織)の創業は、享保元年(1716年)。江戸時代、徳川吉宗が徳川幕府八代目将軍に就任した年です。

伊勢の城下町で和菓子職人をしていた初代笹屋伊兵衛は、その腕が認められて御所の御用をうけたまわり、創業の地である京都に移ります。以来、京都御所と寺社仏閣、茶道お家元のご用命だけを勤めてきたそうです。

代表的な銘菓は、どら焼。その姿を見たお客様は一様に驚かれるといいます。「副食となる菓子を作ってほしい」と京都・東寺のお坊さんから依頼を受けた五代目が、お寺の銅鑼(どら)の上で焼いたことから「どら焼」と名づけられました。

抗菌作用のある竹の皮で包み、忙しいお坊さんの手を汚すことなく、合理的な副食として考案されたのが、笹屋伊織のどら焼です。

仏の教えにより、「殺生」を禁じられていたお坊さんは動物性食品を摂らなかったため 、卵は不使用。手間がかかり、量産ができないことから、弘法大師の月命日である「弘法さん」に合わせて、毎月20、21、22日に販売されています。

豊かな地下水や上質な材料が手に入りやすい環境を生かし、300年以上にわたり京菓子の発展を支えてきた同社。笹屋伊織の和菓子には、最上を求めるお客様の声に応えながら磨かれた技や、物語が息づきます。

次の100年に向け、私たちに「日本の心」を伝え続けてくれるでしょう。

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画像出典元:笹屋伊織HP 代表銘菓「どら焼」

株式会社笹屋伊織
所在地:〒601-8349 京都市南区吉祥院池田町35

デパ地下出店先:新宿伊勢丹店、西武池袋本店 など

7位【株式会社 赤福(あかふく)】創業年1707年

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画像:赤福HPスクリーンショット

富士山が噴火し、宝永山ができた宝永四(1707)年、三重県伊勢市で株式会社 赤福(以下、赤福)は創業。

経営理念は、「赤心慶福」。「赤子のような、いつわりのないまごころを持って自分や他人の幸せを喜ぶ」という意味が込められています。

伊勢名物といえば筆頭に挙がる赤福餅。老舗が築き上げたブランドは、300年以上の時を超え、今も伊勢神宮のお膝元で脈々と生き続けています。

同社のHPには、「私どもは赤福餅一筋に、お伊勢参りの皆さまをお迎えして参りました。昔も今も、そして、これからも。」という言葉が掲載されています。

伊勢神宮は1年を通じて朝5時からお参りが可能ですが、それに合わせて赤福も朝5時に開店。店内では、「餅入れさん」と呼ばれる女性職人が繊細な指先を使い、赤福餅の三筋の清流を一つ一つ真心こめて形づくる様子が見られます。

赤福餅の餡(あん)は、北海道産の小豆を使用。お餅は北海道名寄産を中心に、一部熊本県八代産のもち米を使用し、国産にこだわります。赤福ができるまでを丁寧に細部にわたり、同社HP上で公開されているのも印象深い。

お参りや旅のお土産に欠かせない和菓子の代表、赤福餅。誠実で清らかな和菓子づくりへの姿勢が魅力です。

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画像出典元:赤福HP

株式会社 赤福
所在地:〒516-0025 三重県伊勢市宇治中之切町26番地

デパ地下出店先:松坂屋名古屋店、ジェイアール名古屋タカシマヤ店、阪急うめだ本店、高島屋大阪店、近鉄あべのハルカス店 など

6位【株式会社 山本山(やまもとやま)】創業年1690年

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画像出典元:山本山HP

株式会社 山本山(以下、山本山)の経営理念は、「いまうまい。~いつでも、どこでも、おいしい~」です。お客様がほしい時に、ほしい場所で、おいしいと思っていただける味をお届けすることを使命にされています。

日本最古の煎茶商として知られる同社は、元禄三(1690)年に創業。永谷宗円(現在の永谷園の創業者の先祖)によって煎茶が発明され、初めて販売したのが山本嘉兵衛商店(現在の山本山)であったと、明治期の茶業通鑑に記されているそうです。

山本山は江戸の当時、茶業のほかに和紙づくりも生業に。和紙の技術を応用したシート型の海苔づくりへと事業転換し、手の届かない高級品だった海苔を庶民へ広める一役を担います。

お茶と海苔で有名な同社は、お菓子の販売も。甘い物を連想しがちな和菓子ですが、せんべいなども含まれるため、今回のランキングに登場していただきました。

お茶と海苔で有名な同社は、素材を生かしたお菓子の販売も。一見派手さはないお茶や海苔ですが、「あなたの味の基盤となる名脇役でありたい」「本物の日本の美味しさをお分けしたい」という想いがあるといいます。

初代による煎茶・六代による玉露・九代による海外展開など、伝統を守りながらも革新を続ける山本山。

「不易流行(伝統を踏まえる一方で、新しいものを取り入れることが大切だとする説)」を重んじる同社から、謙虚な姿勢でクオリティを追求し続ける日本の企業らしさを感じます。

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画像出典元:山本山HP 海苔が主役。磯の香りをまとう贅沢な「のりせんべい」

株式会社 山本山
所在地:東京都中央区日本橋2丁目5番1号 日本橋髙島屋三井ビルディング11階

デパ地下出店先:日本橋髙島屋店、阪急うめだ本店 など

5位【株式会社 両口屋是清(りょうぐちやこれきよ)】創業年1634年

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画像出典元:両口屋是清HP

天下は三代将軍・徳川家光の治世にあり、豊臣家が滅亡した大阪夏の陣から19年後の寛永十一(1634)年。株式会社両口屋是清(以下、両口屋是清)の初代、猿屋三郎右衛門は新天地を求めて大阪から名古屋に移り、創業しました。

若き初代の夢は、いつの日か藩の御用をたまわる「ご扶助の町人」になること。「ご扶助の町人」は、藩務を負担する代わりに、営業の独占など特権が認められるため、尾張藩の御用菓子製造を志します。

初代が存命中に夢は叶わなかったものの、後に幕府や尾張藩、他藩にまでその名が知れ渡り、尾張藩の御用菓子所の老舗として、信頼を獲得していったそうです。

人気菓子の「旅まくら」は、昭和二十五(1950)年の愛知国体で天皇・皇后両陛下の旅のつれづれをお慰めする菓子として誕生。松坂屋名古屋店に日本初のデパ地下ができて16年後の昭和二十七(1952)年には、同店に両口屋是清も出店を果たします。

「大勢の人に愛される菓子づくり」を モットーにし、昭和二十九(1954)年には菓子製造の一部を機械化。伝統手法を守りつつも、量産を適える現在のスタイルを確立したそうです。

両口是清が得意とするのは棹菓子。棹菓子とは、棹(さお)の形をした棒状の菓子で、代表的なのは羊羹です。軸となる人気商品を持ちつつ、日本文化を象徴する年中行事や四季に合わせて多様な和菓子を提供する。

代々の当主が築き上げた実績に安住せず、つねにお客様の五感を楽しませる新しさが同社の強みではないでしょうか。

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画像出典元:両口屋是清HP 一番人気は右から、よも山・旅まくら・志なの路の三つの味わいが楽しめる『銘菓詰合』

株式会社両口屋是清
所在地:〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内三丁目14-23

デパ地下出店先:高島屋日本橋店、三越日本橋本店、伊勢丹新宿店、西武百貨店池袋本店、高島屋横浜店、阪急うめだ本店、高島屋大阪店、近鉄あべのハルカス店 など

4位【株式会社 森八(もりはち)】創業年1625年

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画像出典元: 森八HP

寛永二(1625)年に創業以来、石川県金沢市を拠点に菓子づくり一筋の株式会社 森八(以下、森八)。
以下の経営理念は、経営トップからの号令ではなく、すべて社員の立場で書かれたものだそうです。

一、私たちは、最高の味、最高のおもてなしでお客様に満足を提供します。
一、私たちは、加賀金沢の菓子文化を、美味しい伝統文化として未来へ守り伝えます。
一、私たちは、この仕事に誇りを持ち、この仕事を通じて、幸せな人生を実現します。

日々お客様と接し、お菓子を提供する社員の願いを反映させ、「世の中への恩返し」を続けるために掲げているといいます。

森八の伝統銘菓は、落雁(らくがん)の「長生殿」や家伝の蒸餡を求肥で包んだ「千歳」、金沢の名水でつくる「黒羊羹」など。

同社の和菓子には、450年以上の歴史があり加賀藩御用葛として重用された「宝達葛(ほうだつくず)」や、徳島県産の上質な和三盆糖、400年の歴史を持つ「能登大納言小豆」など、選び抜かれた素材が使われています。

初代 大隅宗兵衛から始まり、390余年の歴史を歩む同社。

バブル期に経営難となり、平成7年には破産の予防を図る和議を申請。近年の約20年、陣頭指揮にあたる中宮 紀伊子 取締役女将や夫の社長が再建に挑みました。

その過程はNHKのドキュメント番組で全国放送されて大反響を呼び、女将はその詳細を自著の中で記しています。

平成16年、再建を完了。経営危機を乗り越えた老舗企業は、間もなく400年を迎えます。

理想の企業像を「小さくても、永遠に生き続ける企業」と据え、ステークホルダーへ感謝の言葉を伝え続けています。

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画像出典元: 森八HP 伝統銘菓の「長生殿」

株式会社 森八
所在地:石川県金沢市大手町10番15号

デパ地下出店先:西武池袋店、三越日本橋本店 など

3位【株式会社 カステラ本家 福砂屋(ふくさや)】創業年1624年

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画像出典元:福砂屋HP

日本が鎖国へと向かう激動の時代、株式会社 カステラ本家 福砂屋(以下、福砂屋)は寛永元年(1624年)に長崎市引地町で創業します。

そもそもカステラは和菓子か洋菓子か。全国和菓子協会によると、カステラは和菓子に分類されるそうです。16世紀中期にポルトガルから長崎へ伝えられ、その後は時代の変遷に従って、日本独特のカステラができあがったと福砂屋のHPにも記されています。

福砂屋が創業以来、一貫して変わらないのは、手づくりによる一人一貫主義の製法。お客様に本物の味わいを届けるため、「手わざ」を伝承し、カステラ本家としてカステラ文化の創造や普及、発展に尽力されています。

時代に翻弄されることなく、カステラづくりの技を研ぎ澄まし、間もなく400年を迎える同社。少数精鋭の職人が焼き上げる量産できない本物のカステラは、希少性を増すばかりです。

長崎の地で根をおろし、「のれんに培われた味と、手作りカステラの伝統を守る」という覚悟が見える福砂屋。一貫性ある姿勢は信頼につながり、地元の人々だけでなく、全国のお客様に愛される所以ではないでしょうか。

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画像出典元:福砂屋HP

株式会社 カステラ本家 福砂屋
所在地:〒850-0904 長崎県長崎市船大工町3番1号

デパ地下出店先:ジェイアール名古屋タカシマヤ店、松坂屋 名古屋店、阪急百貨店 うめだ本店、髙島屋 大阪店、あべのハルカス近鉄本店、髙島屋 横浜店、三越日本橋本店、髙島屋 日本橋店、伊勢丹 新宿本店、西武池袋本店 など

2位【株式会社 虎屋(とらや)】創業年1501年頃

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画像出典元:虎屋HP

株式会社虎屋(以下、虎屋)の歴史は、なんと5世紀にわたります。デパ地下にある和菓子屋の中でも圧倒的な歴史を刻む同社。創業は室町時代後期(1501年~1700年)に遡ります。

虎屋の経営理念は、「おいしい和菓子を喜んで召し上がって頂く」。京都で後陽天皇の御用を承った時代から、現在に至るまで脈々と受け継がれています。

500年の歴史がある虎屋が、和菓子づくりにおいて何より大切にしていることは、「技術」だといいます。美味しさや美しさ、最良の素材にこだわり貫き、目に見えない底にまで意識を向け、妥協せず丁寧に仕上げていく。

和菓子づくりへの誠実さは、ステークホルダーとの関わり方にも通じます。原材料の生産者のもとを訪ねて感謝を伝え、菓子づくりへの思いを共有。餡づくりの過程で残る国産豆の皮は、畜産やバイオガス発電に有効利用されています。

和菓子業界全体の発展や食の安全を願い、2003年には「おいしさ」を科学的に検証し、数値化する研究を開始。徹底的な品質検査のもと、2009年には羊羹の賞味期限を延長し、フードロス問題にも取り組みます。

天の恵みや生産者、働く人たちへの感謝を忘れず、時代で変化するお客様の嗜好や社会のニーズに寄り添い、常に和菓子業界を牽引する姿が印象的です。

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株式会社虎屋
所在地:〒107-8401 東京都港区赤坂4-9-22

デパ地下出店先:日本橋三越売店、日本橋髙島屋S.C.売店、池袋西武売店、新宿伊勢丹売店、横浜髙島屋売店、名古屋松坂屋売店、ジェイアール名古屋タカシマヤ売店、梅田阪急売店、髙島屋大阪店、近鉄あべのハルカス など

1位【合資会社 塩瀬総本家(しおせそうほんけ)】創業年1349年

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画像出典元: 塩瀬総本家HP

デパ地下の和菓子屋で圧倒的な歴史を誇るのは、合資会社 塩瀬総本家(以下、塩瀬総本家)。日本最古の菓子司は、674年前の貞和五(1349)年に創業しました。

初代の林浄因は、日本で初めて饅頭を創作。肉が食べられない僧侶向けに小豆を甘味で煮詰め、甘い餡が入った饅頭をつくったのが始まりとされています。

功績を認められた初代は、宮中の女性と結婚。祝事の際の紅白饅頭や、お祝い事に引き出物としてお菓子を贈る文化は、初代が結婚のときに紅白の饅頭を創作し、配ったことで形づくられたといいます。

その後も歴代の将軍の催事に重用され、一族の林宗味は秀吉公の寵愛を受けます。

千利休に茶を学び、利休の孫娘を妻に。和菓子と茶の湯は強く結ばれていきます。茶人を唸らせる饅頭をつくる同社には、多くの注文が舞い込み、和菓子はお茶菓子へと確立されていきました。

時代は下り、明治。菓子商として初めて宮内省御用を命じられます。当主は明治陛下などと親睦が深く、祝宴のアレンジ等を任されたそうです。

業界に革命を起こした饅頭を創作して以降、上生菓子や羊羹など数々の和菓子を世に出し、献上品や名物、おやつとして国民に愛されてきた塩瀬総本家。

同社の一日は、「材料落とすな割守れ」の格言とともに、一心に餡を炊くことから始まるといいます。

「生き生きとした小豆一粒一粒に魂を吹き込み、手作りの皮で包みこんでいく。六百七十年余り変わらないこの日常の積み重ねが、歴史を作り出してきました。」

塩瀬総本家の言葉は、商いを永く続けるための本質的な解を導いてくれます。

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画像出典元: 塩瀬総本家HP 日本三大饅頭にも選ばれた和菓子の原点塩瀬のお饅頭「志ほせ饅頭」

合資会社 塩瀬総本家
所在地:東京都中央区明石町7-14

デパ地下出店先:日本橋高島屋店 など

まとめ

デパ地下で出会える社歴100年超えの和菓子屋をご紹介しました。世代を超えて愛され、成長し続ける企業には、近江商人の「三方よし」の理念や「社会の公器」の考え方が根底にあることがわかります。

唯一無二の際立ったアイデンティティを携えながら、時代に寄り添いステークホルダーと共生する姿も共通して見られました。

WEB上に公開されていない、各社のこだわりや「らしさ」を象徴する物語はまだまだ存在するのではないでしょうか。デパ地下にある実店舗へ足をのばし、長寿企業たる所以を自ら紐説くのも面白そうです。

2023年8月時点調べ:当記事は独自調査のもと作成しています。掲載情報に誤りやご意見等がございましたら、cokiにお問合せください。

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ライター:

大学卒業後、国賓・皇室はじめ国内外のお客様が来館する日系ホテルに入社。経営改革プロジェクトや人事部で採用を担う。フランスの化粧品会社へ転職し、採用・研修・評価に携わる。理念浸透を始め国内外のプロジェクトを率いた後、結婚・出産を機に退職。専業主婦を経て、11年間の会社員経験やキャリアコンサルタントとしての「聴く力」を生かし、インタビューライターへ転身。対話から生まれる「その人らしさ」をたいせつに執筆を続ける。

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