
「中小企業を守る」——その旗印のもと、2026年1月に鳴り物入りで施行された取適法(中小受託取引適正化法)。その適用第一波とも言える勧告が、丸亀製麺を展開するトリドールホールディングスに下された。公正取引委員会は9月9日、同社が下請け37社への代金からシステム利用料名目で1.1%を差し引き、約1億4741万円を不当に減額していたとして、下請法・取適法違反を認定し勧告した(前報)。
法律は確かに機能したように見える。だが取材を進めると、産業界からは意外な声が漏れてくる。「あの法律、理念は立派だが、現場は大混乱ですよ」。取適法は本当に中小企業を守る盾になるのか。それとも、皮肉にも中小企業の仕事を奪う”悪法”になりかねないのか。トリドール勧告を入り口に、施行8カ月の実像を追った。
トリドールが開示した「お詫び」全文の中身
まず、勧告当日の9月9日にトリドールホールディングスが開示したプレスリリースの内容を丁寧に見ておきたい。
同社は「公正取引委員会からの勧告について」と題する文書で、改正前の下請代金支払遅延等防止法(下請法)と、2026年1月施行の「製造委託等に係る中小受託事業者に対する代金の支払の遅延等の防止に関する法律」(取適法)の両方に基づく勧告を受けたことを明らかにした。旧法と新法をまたいで違反が認定された、いわば”二重勧告”である。
勧告の内容は、下請法・取適法の適用対象となる取引先から受領していたシステム利用料が、下請代金・製造委託等代金の「減額」に該当すると判断されたというもの。同社は公取委の指摘を「真摯に受け止め」、対象取引先への返金対応を進めるとともに、当該システム利用料の徴収を既に廃止したとしている。
再発防止策としては、役員および取適法対象取引に関わる従業員への教育、社内管理体制の強化、業務運用の見直しを挙げた。さらに本年4月に新設したグループガバナンス本部を中心に法令遵守・取引管理体制の強化を推進し、コンプライアンス委員会主導による役員・幹部向け教育を継続的に実施するという。文書は「お取引先の皆様をはじめ関係者の皆様に多大なるご迷惑とご心配をおかけしましたことを深くお詫び申し上げます」と結ばれている。
型どおりの謝罪文にも見えるが、注目すべきは「グループガバナンス本部を4月に新設」というくだりだ。公取委の調査は通常、勧告の相当前から進む。つまり同社は調査進行中にガバナンス組織を立ち上げていた可能性が高い。それでも勧告は避けられなかった。
そもそも取適法とは何か?
取適法をおさらいしておこう。2026年1月1日に施行された取適法は、従来の下請法を抜本改正したもので、資本金基準に加えて「従業員数基準」を新設し、手形払いを原則禁止、支払期日は60日以内厳守、価格転嫁の協議拒否や物流の買いたたきも規制対象とした。「協議に応じない一方的な代金決定の禁止」「手形払などの原則禁止」「振込手数料の負担禁止」という3つの新ルールが柱で、適正価格での取引と中小企業の資金繰り安定化を図る狙いだ。
背景には、労務費・原材料費・エネルギーコストの急上昇がある。「物価上昇を上回る賃上げ」を実現するには、サプライチェーン全体で価格転嫁を定着させる必要がある——これが立法の理念である。ここに異論を挟む者はほとんどいないだろう。実際、トリドールのケースでは、双方が使うシステムの費用を下請けだけに負わせ、しかもその一部が発注側に還流していたのだから、法が牙をむくのは当然だ。
だが現場は悲鳴 「どうしたら良いか分からないのに、拘束力だけは強い」
問題は運用である。企業の法務・調達担当者の間で今、囁かれているのはこんな声だ。
「公取委の資料を読んでも、運用方法の規定が曖昧なことが多い。発注側として具体的にどう対応すればいいのか不明な点だらけで、正直、お役所側の準備不足感が否めない」
理念は良い。しかし「企業側がどうしたら良いか分からないことが多い割に、法的拘束力だけは強い」。これでは、真面目に遵守しようとする企業ほど身動きが取れなくなる。法令の理念が悪いのではない。運用規定が杜撰で、企業側がまともに運用できない——その一点において”悪法状態”に陥っているという指摘である。
そして、この曖昧さが生む副作用は深刻だ。すでに一部の発注企業では、こんな判断が広がり始めているという。
「法令違反リスクがあるから、取適法の対象になる中小企業への発注そのものをやめよう」
国が「中小企業を守ろう」と施行した法律が、運用面の不備ゆえに「中小企業を使うこと自体がコンプライアンス違反リスクになる」という逆転現象を生みかねない。守るための法が、仕事を減らす。これほど皮肉な話はない。
「取適法逃れ」も始まった 発注先を大手商社に付け替える動き
さらに看過できないのは、一部大手企業で始まっているという”迂回”の動きだ。取適法の対象商材の発注先を、取適法の対象にならない規模の大きめの商社・問屋に付け替える——事実上の「取適法逃れ」である。
思い出してほしい。トリドールのケースでも取引の間には卸売会社が介在していた。公取委は、価格や仕様の交渉をトリドールが直接行っていたことから、卸を介していても委託事業者はトリドールだと判断した。今回は実態で網をかけられたが、逆に言えば、形式も実態も大手商社に寄せてしまえば法の網は届かない。そのとき割を食うのは、直接取引を失う中小の製造業者だ。
「悪法のせいで中小企業の仕事が減り、中小企業が苦しくなった」——そんな本末転倒の結果を招かないためには、実運用が円滑にできる、現実に即したガイドラインの策定が急務だろう。
コンプラ全盛の時代に、なぜ勧告は後を絶たないのか
それにしても、である。これだけ世間が「コンプライアンス」を叫び、どの企業も統合報告書やサステナビリティレポートで「パートナーシップ」「サプライチェーンとの共存共栄」を高らかに謳う時代に、なぜ勧告は後を絶たないのか。
トリドールは「法の理解が不十分だった」と説明した。だが、双方が使うシステムの費用を下請けにだけ負担させ、その一部を自社側に還流させる仕組みが「理解不足」で済むのか、疑問の声は消えない。企業姿勢がそのまま業績に直結してしまう昨今、口先のコンプライアンスではなく、本気の改善を求めたい。
一方で国の側にも宿題がある。理念先行で運用設計が生煮えのまま強い拘束力だけを持たせれば、真面目な企業は萎縮し、したたかな企業は抜け道を探す。その狭間で、守られるはずだった中小企業が置き去りにされる。
取適法が「中小企業を守った法律」として歴史に残るか、「中小企業の仕事を奪った悪法」として記憶されるか。その分岐点は、公取委がこれからどれだけ現実に即したガイドラインを示せるかにかかっている。トリドール勧告は、その試金石の第一号である。



