
テレビ番組でゲストが何人も並べば、全員に話を振る。番宣の出演者にも見せ場を作る。話が少し弱くても笑いでつなぎ、時間通りに次のコーナーへ進む。長年かけて磨かれてきたテレビの進行術だ。
9月6日放送のTBS系「週刊さんまとマツコ」に出演したお笑い芸人の永野は、その「当たり前」に異議を唱えた。永野は「トーク番組の段取りはなし」と提言し、出演者に満遍なく話を振る進行について「その満遍なさが、つまらない」と指摘。さらに「これがつまらなくした、テレビを」とまで言い切った。単なる毒舌にも聞こえるが、NetflixやYouTubeなど視聴者の選択肢が増えた今、その発言はテレビの弱点を考える材料にもなる。
永野が問題視した「全員に振る」テレビ
番組で永野が問題にしたのは、出演者全員に公平に話を振る進行だった。誰かの話が盛り上がっていても、次の出演者へ移る。番組全体のバランスや時間配分を考えれば自然なやり方だが、永野はそこに「ドラマが生まれない」と指摘した。
これに対し、明石家さんまは、最初は目立たなかった出演者に話を振ったことで、思いがけない面白さが生まれることもあると反論した。つまり争点は、単純に「段取りがあるか、ないか」ではない。出演者全員に見せ場をつくるテレビの設計と、その場で生まれた面白さを優先する進行のどちらを重く見るのか、という問題だ。
視聴者が冷めるのは「型」が見えたとき
番組では、平成ノブシコブシの吉村崇が、あまり盛り上がらない話が出た際に大きく笑い、そのまま次へ進むテレビ的な処理を再現する場面もあった。永野は、こうした進行に対しても厳しい言葉を投げかけた。
視聴者は制作現場を知らなくても、長くテレビを見ていれば番組の型を覚える。ここで笑いが入り、このあとCMに入り、最後には出演者が作品を告知する。こうした流れが何度も繰り返されれば、内容より先に進行が見えるようになる。制作側にとっては安定した番組運びでも、視聴者には「またこの流れか」と映ることがある。永野の発言は、その慣れを強い言葉で突いたものといえる。
NetflixやYouTubeとの違いは「自由さ」だけではない
動画配信サービスが支持される理由を「テレビより自由だから」と片付けるのは簡単だ。ただ、Netflixにも企画があり、演出や編集がある。YouTubeの人気番組にも構成は存在する。完全に無計画なコンテンツが支持されているわけではない。
違いがあるとすれば、視聴者に「この先がどうなるか分からない」と感じさせられるかどうかだ。恋愛リアリティー番組なら、誰と誰の関係が変わるのか分からない。トーク動画でも、話が予想外の方向へ転ぶことがある。視聴者が求めているのは、制作側に段取りが存在しないことではなく、段取り以上に人間の反応や出来事が前へ出てくる感覚なのだろう。
テレビが「失敗しない番組」を求めてきた理由
もちろん、テレビが現在の形になったのには事情がある。決められた放送時間の中で番組を終え、スポンサーに配慮し、出演者全員に役割を持たせ、安全面にも気を配らなければならない。話が止まればMCが助け、場が沈めば芸人がつなぎ、時間が押せば進行を巻く。番組を破綻させない技術は、テレビが長年積み重ねてきた強みでもある。
一方で、その仕組みが完成されるほど、誰が出演しても同じように番組が成立するようになる。これは安定性という意味では長所だが、見方を変えれば「誰が出ても同じ場所へ着地する」と感じられる危険もある。永野の発言をテレビ全体への批判として受け取るより、こうした安定と予測不能さのバランスを問うものとして見る方が分かりやすい。
さんまの反論が示した、MCの役割
ここで見逃せないのが、さんまの反論だ。発言の少ない出演者にも話を振ることで、その人自身も予想していなかった面白さが出てくることがある。何も起きていないように見える場所へあえて話題を振り、そこから展開を作るのもMCの仕事だ。
さんまが長年テレビの中心で活躍してきた理由の一つも、用意された流れだけで番組を進めない点にある。相手の一言を拾い、その場で話を広げる。段取りがあっても、そこから外れた瞬間を生かせる。永野の指摘とさんまの反論を並べると、テレビに必要なのは「段取りをなくすこと」ではなく、予定外の面白さが生まれたときに、それを優先できる余白なのだと見えてくる。
「昔のテレビに戻れ」ではない
テレビがつまらなくなったという議論になると、「昔はもっと過激だった」「規制が増えたから面白くなくなった」という話に流れやすい。しかし、安全性や人権、コンプライアンスへの配慮まで以前に戻せばいいわけではない。
むしろ今のテレビが直面しているのは、視聴者側の環境が変わったことだ。Netflix、YouTube、生配信など、別のコンテンツへ移るハードルは極めて低い。無難に番組が成立しているだけでは、最後まで見てもらえるとは限らない。かつては「テレビをつければそこに番組がある」こと自体が強みだったが、今は無数の選択肢の中から選ばれる必要がある。
永野の言葉が突いたテレビの難しさ
永野の「これがテレビをつまらなくした」という言葉は、かなり強い。ただ、そのまま「テレビは段取りを捨てるべきだ」と読む必要はない。テレビには進行も安全管理も必要で、出演者全員を生かそうとする設計にも意味がある。
それでも、予定通りに進むことが目的になれば、偶然生まれた面白さを逃すことがある。テレビがこれからも選ばれ続けるために必要なのは、段取りをなくすことではなく、段取りを超える瞬間をどれだけ生かせるかなのかもしれない。永野とさんまのやり取りは、テレビが持つ「安定」と「予測不能さ」のどちらをどう残すのかという、今の番組作りの難しさを浮かび上がらせた。



