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株式会社茂呂製作所

https://moross.co.jp/

〒407-0001 山梨県韮崎市藤井町駒井3169

0551-23-3366

鋼の火を絶やすな|峰岸商会峰岸一郎さんから見た茂呂製作所~響き合う日本のモノづくりへの想い

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鋼の火を絶やすな|峰岸商会峰岸一郎さんから見た茂呂製作所
「彼の仕事への姿勢に憧れている」。本誌インタビューで、株式会社茂呂製作所代表取締役社長茂呂哲也さんは、株式会社峰岸商会の3代目代表取締役社長の峰岸一郎さんについて、そう語りました。峰岸商会は、山梨県下で随一の金属材料の卸売業。50年以上にわたり山梨県のモノづくりを支えてきた業界の証言者です。峰岸さんの言葉には、日本のモノづくり産業が抱える課題と危機感、そして茂呂製作所と響き合う日本のモノづくりへの想いがありました。

株式会社茂呂製作所 代表取締役社長茂呂哲也さんから株式会社峰岸商会 代表取締役社長峰岸一郎さんへのコメント

株式会社峰岸商会 代表取締役社長峰岸一郎さんへ

 

茂呂代表自身が思い出深い、恩義を感じている人物は。

甲府市にある株式会社峰岸商会の代表取締役社長をされている峰岸一郎氏です。彼とは山梨青年工業会で知り合いました。この会は私の父が所属していて、私も23歳の時に入会しました。峰岸社長も先代から同会に所属していたので、後継ぎ同士、ほぼ同世代でしたので意識するようになりました。最初は所属する支部が違ったこともあり、話をする機会が少なかったのですが、一度、戦艦大和が好きだという話で盛り上がって、それから一緒に活動したり、グループ旅行で広島県の呉に戦艦大和の模型を見に行ったりしました。

 

その関係が大きく変わった出来事がありました。私がまだ会社を継ぐ前のことです。当時私は専務として既にほとんどの会社の業務をとり仕切っていたのですが、銀行対応だけはまだ父が担っていました。それがある時、父から『これからは銀行とのやり取りもお前に任せる』と言われ、引き継ぐことになりました。大したことはないだろうと思って気軽に引き受けたのですが、それからまもなく事務員が慌てて私のところに来て『入金される予定の金額が1千何百万円も不足している。取引先への支払いも社員の給料も払えない、どうしましょう』と。そんなこと言われても引き継いだばかりで何も分からない。これは困ったと思って相談したのが峰岸社長でした。

 

峰岸社長に相談すると『それは俺以外に誰にも言うな。他にバレたら会社が潰れかねない』、と。そんな大事なことだったのかと思いましたが、峰岸社長は銀行とのやり取りなど、丁寧にアドバイスをくれました。それで距離が縮まって、彼の真摯さや実直さ、そして筋が通った人物像を尊敬するようになったのです。

 

峰岸社長に伝えたいことや聞きたいことはありますか。

株式会社峰岸商会は金属材料の卸業をされているので、弊社とは業務の面でも深く関わっています。株式会社峰岸商会には峰岸社長流に貫いてきた社会的な信用を重視して、できるだけ当社から仕入れるように指示しています。その関係を継続していきたいと願っています。

 

私は峰岸社長の仕事への姿勢に憧れていますし、行動を一部、真似をして少しでも自分の習慣として身に着けたいと考えています。株式会社峰岸商会が材料を販売してくださるから共に山梨で頑張っていける、とも思っています。もし聞けるなら、山梨のモノづくり産業の今後についてどう考えているのか、伺ってみたいですね。地元愛、地産地消の考えが強い人ですから、その辺りをどう考えているのか、今後共に歩んでいきたい自分としては聞いてみたいですね。

株式会社茂呂製作所
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経営者としての成長を見てきた

Q.株式会社茂呂製作所の茂呂哲也代表取締役から、このような感謝のコメントをお預かりしました。コメントにあったようなアドバイスをされたことは覚えていらっしゃいますか?

峰岸:お話を伺って「そういうこともあったなあ」と思い出しました。私としては特別なことをした記憶はなく、普通にアドバイスをしただけなのですが、彼にとってはインパクトがあった、ということかと思います。経営者にとって金融機関はやはりパートナー的存在で時には優しく時には厳しい立ち位置で意見を下さいます。茂呂さんも今は立派に経営者としてやっていらっしゃいますから大丈夫だと思いますが、会社のリーダーになりたての頃はまだ金融機関対応の重要性に気づいていなさそうでしたから、アドバイスしたのです。

Q.茂呂さんとはどのようにお知り合いになったのでしょうか?

峰岸:茂呂さんからのコメントにあったように、2人とも山梨青年工業会に所属していたのが親密に話をするようになったきっかけですが、それ以前から弊社の取引先として知り合いではありました。

私が株式会社茂呂製作所さんに材料を納めに行くと時に、茂呂さんのお父様、先代の社長から話しかけられて「ちょっとお茶を飲んでいきなよ、話をしよう」と、そこで山梨県内の製造業についてなど様々お話ししましたね。その時には茂呂さんはもう専務として仕事をされていたので、挨拶する間柄でした。

Q.当時はどういった印象をお持ちでしたか?

峰岸:茂呂さんは真摯さやモノづくりへの想いを持った人だと思っていました。それは山梨青年工業会に入会した後も同じでしたね。また彼が若い時代に少しヤンチャな時代があったことも知っていたので、そういうところも含めて、アドバイスをしようとしたのだと思います。

その後茂呂さんはお父様の跡を継いで会社の舵取りをするようになり、研修や勉強会にも積極的に参加して経営改革や人材育成、スキルアップなどを実践するようになった。しかしそういった研修で学んだことを実践してみても、どうしても教科書通りには進まない。何故そうなってしまうのか、とジレンマに陥ってしまう。そんな経営の悩みについても何度も話しました。

Q.茂呂さんは会社を受け継いでから、積極的に海外進出をされています。そちらについてはどうお考えでしょうか。

峰岸:海外進出を決断されたことには驚きました。しかし以前話をしている中で、そういう考えを持っていることは、何度か話題に出てきました。

「何かやってみたいけど、国内じゃだめだ」と。

私もそれは当然と感じていました。国内重視のままではどうしても先細りで苦しくなってきます。だから海外に目を向ける、新しいマーケットを探すのは正しいと思います。

しかし山梨県の製造業の会社がどうやって海外に展開していくのか? 海外でどうやってモノづくりをしていくのか? についての答えが出ていなかった。

茂呂さんはそこに人材育成という答えを見つけましたね。海外で人材を育てて日本に来てもらう。その過程で茂呂さん自身も海外で仕事をすることが多くなるから、韮崎市にある自社工場を安定させるために社内の人材も併せて育成する。そういう経営者としての先見の明を持たれるようになったと思います。

茂呂さんは頼れる存在

Q.お二人が所属していた山梨青年工業会は、元々茂呂さんのお父様達が立ち上げをした会と伺いました。峰岸さんも以前会長をされていたそうですね。

峰岸:私は2005年度に34代会長、茂呂さんは2012年度に41代会長をされていました。会の卒業年齢は45歳なので2人とももう卒業しています。山梨青年工業会は茂呂さんのお父様世代の昭和1ケタ、10年代生まれくらいの人たちが集まって1971年に発足した組織で、2021年で創立50周年になります。当初は山梨県の機械金属業界の産業振興や情報交換の場としてスタートしたのですが、現在は機械金属業以外の業種の経営者にも広く入会してもらっています。

不況が長くなり若手の入会が少なくなってきたので、製造業以外にももっと周辺の協力企業なども参加してもらおうと方針を変更したのです。例えばコピー機など事務機の会社や工具の会社、保険会社や建築会社なども我々製造業が仕事をしていく上では必要不可欠なパートナー会社です。彼らを線引きして受け入れないと、情報が集まらなくなって視野が狭くなってしまいます。それでより広く人材を集めることに改めました。今は50人ほどが所属されていると思います。

Q.改めて株式会社茂呂製作所との繋がりについてお伺いします。

峰岸:株式会社茂呂製作所さんと弊社の繋がりは先代からなので、もう40年くらいの長いお付き合いになります。私も茂呂さんもまだ入社する前からの関係です。

弊社は金属材料、特に鉄系の材料の卸売を生業にしています。一方、株式会社茂呂製作所さんは工作機械の開発や製作、さらには機械の修理やメンテナンスなど様々な事業を行っておられます。お客様から「何でも対応してくれる」と評価されているそうですね。株式会社茂呂製作所さんのそういった多様なお仕事に合わせて、弊社から様々な材料を納めています。

株式会社茂呂製作所さんは、他にはない特徴をいくつも持っています。他ではできない加工ができることや、もう古すぎてメーカーでも対応できない修理や部品作りも頼めばなんとかしてくれる。部品の図面が失われてしまい、現物しかない部品でも作り上げてしまう。しかも対応が早い。

株式会社茂呂製作所さんのメンテマン、弊社のマシニングセンタを修理でお世話になったことがあります。これらの機械修理は本来、メーカーに保守依頼をすべきものなのかもしれませんが、森精機さんやオオクマさんなどの大手の工作機械メーカーは県外にあるのがほとんどで、これらメーカーに頼んでいたらどうしても対応が遅くなり仕事になりません。ですから県内で修理対応の相談ができるのは本当にありがたい。

県内の多くの企業にとって茂呂さんは頼れる存在だと思います。その点では、発明家のように新しいものを次々生み出していた茂呂さんの先代社長の精神が生きているのでしょうね。

モノづくりへの危機感……経営の使命は存続にあり

Q.先ほど、山梨青年工業会の入会者が減少しているというお話しがありましたが、これからの山梨県の製造業についてどうお考えでしょうか。

峰岸:私は20年前からずっと、このままだと状況は厳しいと言い続けています。日本の人口構造と同様に山梨県も少子高齢化が続いています。それに伴って、製造業に興味を示す人材も減少している。私たちの父の世代が築いてきたモノづくりの文化、製造業の土台が揺らいできている。父の世代が家族経営でやってきた企業が、息子たちに継がせずに廃業していく傾向がこの10年で急増しているのです。

それは大手メーカーが中小企業を育てなくなったことが大きな要因です。企業城下町と呼ばれるように、高度経済成長時期の日本の地方都市には、大手メーカーが工場を構えるとその協力会社が付近に集まっていくモデルがありました。

山梨県にも東京エレクトロン株式会社さんが1970年代に韮崎市に事業所を建設し、そこに協力会社が集まって製造業が発展した歴史があります。当時の大手メーカーには協力会社を育てようという気持ちがあった。製品の品質向上のために、大手メーカーは協力会社に厳しい要求をしてきますが、同時に単価などでは余裕を持って見てくれた。そうやって共存共栄でモノづくりをしてきたのです。

しかし不況の時代になってくるとそういう考え方をしてくれる大手メーカーは無くなってきた。拝金主義、コストカット、株価重視の価値観だけで経営を進めた結果、ただ単価だけで判断して下請けに値段の切り下げを要求してくる。それでは町工場は潰れていってしまいます。結果良い製品が生まれなくなり日本の製造業は弱くなっていったのです。

そういう風潮の中では、経営者たちも自分の息子たちに跡を継がせようと思わない。山梨県にも甲府工業高校や、山梨大学などの学校がありますが、卒業した若者たちも起業しようという気持ちにならない。自分が社長になろう、プレハブの小屋に機械を入れ、これから1人で製造業を始めようと考える若手経営者は全くいません。

大学を出たら大手会社に就職する。親の後を継がない。親たちもそれを許している。同じことはやらなくていい、もう製造業の時代じゃないと。

Q.家族以外の外部の人材に継いでもらうことはないのでしょうか。

峰岸:1つの案としてはあると思いますが、急にそちらに路線変更はできないと思います。結果が出るまで30年はかかるでしょう。

今、製造業は曲がり角に来ているのですが、まだ曲がり切れていないのです。

ですから茂呂さんが海外に目を向けたように、貪欲に日本の技術を吸収しようとしている海外のパートナーと手を組むのが、日本のモノづくりの次のステージになると思っています。

モノづくりには貪欲さ、しつこさ、めげない気持ちが必要です。100回試してみても1つしかモノにならないのがモノづくりです。それらの気持ちが今の日本の若い人にあるのでしょうか。そして、それを許してくれる環境が日本にあるでしょうか。

それは大手メーカーも同じです。コストカット、利益優先になった結果、開発費が削られてイノベーションが生まれなくなった。R&Dは損するのか得するのか分からないものですが、それでも継続して資金を投入し、やり続けなければ成果には繋がらない。

芽が出るまでには時間がかかります。今、大手メーカーはそういった視野がないから、海外の製品のモノマネしかできなくなっている。日本はもうモノマネ製品を作っていた時代ではないでしょう? 新たなステージで新たな製品を作るのは日本のお家芸だったはずです。それができなくなった日本、そして山梨の製造業は下降し続けています。世界をアッと言わせた、ウォークマンのような画期的な製品を作れなくなってしまったのです。

Q.そのような厳しい状況の中、モノづくりはどう進んでいけばいいのでしょうか

峰岸:先述したように、海外に目を向ける、特に若い人たちにどんどん外に出て行ってもらって挑戦してもらうことが大事です。日本ではできないことが海外ならばできますから。

経営者としてはこの下降する流れをなんとか食い止め、おかしな方向に変化していかないようにしなくてはなりません。そのためには、地域を大事にすると共に、何より経営を継続させていかなければならない。

弊社の理念は第一に「経営の使命は存続にあり」と掲げています。

この理念には、私の父が亡くなる前に残した「鋼の火を絶やすな」という想いが込められています。弊社や、他の製造業に関わる企業が廃業していけば、いつか本当に日本のモノづくりの火は消えてしまう。それを何としても避けるために経営を続けていかなければならないと考えています。

Q.最後に、株式会社茂呂製作所さんへより良くなってほしいことがあればお伺いできればと思います。

峰岸:製造業は「お困りごと解決業」だとも思っています。メンテナンスの面でそれを実践されている茂呂さんにはもっと県外にアピールしていってほしいですね。本当に困っている人たちが茂呂さんの活動を知ることができれば、モノづくりの炎は残っていくでしょう。

茂呂さんはその能力のある企業ですから、やってくれると思っています。そうしたら忙しくなるでしょうし、こちらも忙しくなるでしょうね。地域の製造業を支えていくために、これからもお互いに影響し合いながらやっていけたらと思っています。

峰岸商会峰岸一郎さんか

<企業プロフィール>

峰岸一郎

1966年5月23日生まれ。1990年に父の創業した株式会社峰岸商会に入社。現在同社代表取締役社長。農場キツネファームも運営し、農業にも取り組んでいる。

株式会社峰岸商会

本社 〒400-0832 山梨県甲府市増坪町74

Tel.055-241-3151 Fax.055-241-8530

http://www.minegishi-web.co.jp/

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ライター:

1980年千葉県生まれ 筑波大学大学院博士課程中退(台湾留学経験有り)。専門は中国近代政治外交史。その他、F1、アイドル、プロレス、ガンダムなどのジャンルに幅広く執筆。特にガンダムに関しては『機動戦士Vガンダム』blu-ray Box封入ブックレットのキャラクター・メカニック設定解説を執筆(藤津亮太氏と共著)。

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