主力のフレコン事業とタイヤ事業の創成期から20~30年を経た現在、新たな価値の創出に向けてミッション経営へと舵を切った株式会社フクナガエンジニアリング(以下、フクナガ)。
20年にわたりフクナガの変遷を目撃してきた経営企画室長の古川圭一さん、ベトナム法人代表兼物流品質部門担当の乾晃一郎さん、営業部門総責任者兼人事責任者の野村景さんの3人に、彼らがフクナガを選び、残り続けた理由、20年の歴史の光と影、ミッション経営に通底する「ゼロイチを作ったエピソード」、社員に伝えたい想いなどを、自由に語り合っていただきました。
3人がフクナガを選んだ理由とは?
古川
経営企画室の室長をしております、古川圭一と申します。経理・財務をメインで担当しつつ、現在は経営企画室も担当しています。
入社以来、営業からIT、5S、資材管理まで、幅広い経験をしてきたこともあり、2016年4月には中小企業診断士の資格を取得しました。
経営企画室は、近年事業が停滞気味だったところ、新たなミッションを掲げようという流れの中で2年前に立ち上がりました。
改めて社会への影響や存在意義を見直したり、新事業の種を作ったりといったことが必要になって、ルーチンを持たない経営企画室がこれを担うことになりました。
社内にミッションを浸透させ、最終的にはお客さんにもミッションとの結びつきを感じてもらうことを目指しています。
乾
乾晃一郎です。古川と同じ43歳。入社も同じ新卒一期生なので、社歴は約20年になります。ベトナム法人の代表と、本社では物流品質部門の担当役員をしています。
海外展開を任されるようになって、現地の人とやりとりする中で、文化習慣や価値観の違いが非常に面白くなってきました。この興味を仕事にも生かしていければと考えているところです。
野村
野村景と申します。私も入社して20年で、入社時期は彼らと同じです。中途入社なので年齢はやや上ですが、彼らとは入社時からずっと一緒に仕事してきた間柄です。
今の担当領域は、日本国内の営業部門の総責任者と人事責任者を兼任しています。
大きな数字を持つ国内事業を担当させてもらっていることに加え、今後は「それをどう変えていくのか?」という命題ももらっているので、簡単なことではないですが、次のフクナガに向けてチャレンジしているところです。
皆さんそもそも、なぜフクナガエンジニアリングを就職先として選ばれたのですか?
古川
僕はまず、妻と子どもと一緒に大阪の実家に住まないといけない事情があって、「出張や転勤がない大阪の会社」という点が大きかったです。
あと、当時から環境事業の分野に興味を持っていて、社会に何らかのインパクトを残せるようなことをしたいという気持ちがありました。
当時、今の会長がフォークリフトのタイヤを二重構造にして減った分だけ取り替えるような商品を考案して、その事業化を模索していた時期でした。
「自分たちの場所から見える景色と経験をもとに、新しいもの作っていく」という姿勢に共感して、「この会社でやってみたい」と思いました。
乾
僕は大学で魚の勉強をしていて、東京の水産会社に内定していたんです。
でも、そこのオリエンテーションに行ったら、「2年間冷凍庫入れ」って言われて、「うわー、2年間も冷凍庫入るって…」と絶望感でいっぱいになりました。
そんなとき、たまたま友達について行った合同説明会で、フクナガがやたら「即戦力!即戦力!」って言っていて。
「即、エースとしてやれるで!」と言われて、「2年間冷凍庫入れられるよりは即戦力の方に行こう」と方向転換しました。
野村
私は前職の人材派遣会社で、営業マンとしてフクナガを担当していたんです。取引先として3年ぐらいお付き合いがあった中で、ある日社長に誘われて入社したという経緯です。
その前職の会社というのが、もうゴリゴリの営業会社で、軍隊みたいな会社だったんですね。
社内では私語禁止なくらい。一方、フクナガに行くと、皆が楽しそうに話しながら仕事している。そのギャップが大きくて、「雰囲気のいい会社で楽しそう」と思って入社しました。
しがらみがないから挑戦できる。業界大手も失敗も恐れず進んできた歴史
そこから約20年が経つわけですが、皆さんから見たフクナガエンジニアリングは、どんな会社ですか?
乾
「他がやってないことをやりたがる会社」、「人と違うことに価値を置き、それを楽しめる組織風土」といったイメージがあります。
古川
そうですね。「逆を行く」みたいな部分が、根本にある会社じゃないかな。
しがらみがないので、業界的に「こうせなあかん」というルールに縛られずに違うことができる。業界団体みたいなところにも属していませんし。
象徴的だったのが、多分僕が入社して1年目ぐらいの出来事なんですけど、タイヤ事業で会長の考案したタイヤを売るための販路を作ろうとしていた時期、大手タイヤメーカーから警告文が送られてきたことがありました。
当時、ノーパンクタイヤを中国から輸入して販売し始めたんですが、業界のことを全く知らないまま始めたもので、大手メーカーの商品の意匠に引っかかっていたのです。
「売った分の利益を支払え」という内容の警告文がいきなり届いて。入社したばっかりでしたし、怖かったですね。
警告文が来たのは6、7月頃だったんですけど、その年の秋の展示会にブースを出すってことが決まっていました。
「それまでに新しいタイヤ作るぞ!」と、別パターンの商品を大急ぎで作り上げ、その大手メーカーのでっかいブースの隣に、小さいブースを出したことを覚えています。
業界の大物にも果敢に挑んで行かれたのですね。2009年にベトナムに現地法人を設立されていますが、乾さんは、ベトナムの市場調査の段階から携わっておられたのですか?
乾
きっかけは当社の代表が仲良しの同業者の社長さんに誘われてベトナム視察に行ったのがきっかけです。
そこから私もベトナムに同行するようになって、何かこの国でビジネスを作りたいという気持ちが強くなりました。
またフクナガでは、早くから外国籍の従業員を雇用したり、社長自身も国籍関係なく仕事したいという感覚があったりと、元々海外に対するハードルが低い会社です。
ベトナム進出当初は、金属リサイクル事業が主な柱だったと伺っています。現在はフレコンバッグの生産拠点としての機能が主になるのですか?
乾
現在も金属リサイクル事業は進化させつつ継続しています。
ただ主力事業としてはフレコンバッグの生産拠点並びに、ベトナムをはじめとする東南アジアへの販売をベトナム法人として販売拡大を進めています。
法人の立ち上げ当初は金属リサイクル事業だけで、赤字経営が続き何か経営変革を起こさない法人としての存続も難しいと悩み続けていました。
そんな中で、私以外のベトナム人従業員のモチベーションも上げることができず、次々と退職者が出て、一時期、私一人という状態も経験しあの時は本当に撤退を考えました。
ただそういった時期があったからこそ、現在のフレコンバッグ事業への注力にもつながり企業としての今の形ができたと思っています。
一方大阪本社では、翌2010年に現場で大事故が発生したのですね。
古川
その頃は、現場は今のような倉庫があったわけでもなく、重機が走っていたり、マグネットがついた大きな重機があったりする、雨ざらしのスクラップ現場でした。
作業員の熱中症やハシゴからの転落など事故が相次いで、ついには従業員が運転していた重機でお客さんの足を轢いてしまう大事故が発生してしまいました。
それまでは、スクラップ現場でもヘルメットをかぶらないような状態でしたが、事故が起きてからは意識がガラッと変わりましたね。
振り返ってみると、2010年前後は本当に会社が全体的に暗い雰囲気に覆われている時期でした。
そんな時期を経て、2015年頃からは「自走経営」を掲げて経営を進めていかれますね。
乾
はい。「トップから言われたことを一生懸命やる組織」から、「一人ひとりが自分で走っていける組織」に変えていきたいという想いが、その頃に社長の中で芽生えてきたようです。
コンサルが入って自走経営の方向性が示されたのですが、最初は皆、「なんやろ?宗教みたいやな」と、若干疑ってかかっていました。
でも結局は、それが今のミッション経営につながっているような気がしますね。フクナガが利益追求型の経営からミッション経営へと脱皮するためのスタート地点だったように思います。
ミッションにも通底するDNA、「フクナガはゼロイチを作ってきた」
福永社長も、「ミッション経営を取り入れないと、これから先成長していけないと痛感した」と仰っていました。最初に「ミッション経営」という言葉を聞かれたとき、皆さんはどんなことを考えましたか?
野村
ミッションという言葉が出る前に、コロナ禍に入る半年~1年程前に、社内で「事業の意味付けをしっかりしたい」という話が持ち上がっていました。
というのも、例えば事業の創成期には「他社とは違うやり方」を求めて熱い思いで取り組んでいたフレコン事業も、2、30年経つともはや他社との差別化はなくなっています。
ですから、今後もフレコン事業を続けていくのなら、「なぜフクナガがフレコンを売るのか?」という点についての意味付けが要ります。
しかし、その意味付けがどうしても弱い。そこで、改めて事業の意味づけを考え、全社的に共有して、足腰の強い事業として続けていきたいという想いがありました。
ちょうど世間的にもコロナ禍で先行きが不透明になっている中、社員同士の対面の頻度も減っていて、「事業の意味付け」の話から「ミッション、ビジョン、バリュー」という話へと発展していきました。
古川
そうですね。元々、中期経営計画の策定や今後どう成長していくべきかについて話し合っていたところでした。内容が大きく変わったわけではありません。ただ、コロナ禍と関連して重要な点が2つあります。
1つは、コロナでテレワークを導入するようになって、一人ひとりが主体的に判断するべき局面が増えてきたことです。
「会社の成長とともに個人の成長や夢を実現する」というミッションにもつながる話ですが、個々人が仕事を自分事として捉え、皆の力を使って新しい事業の種を考えていかないといけないという思いを強くしましたね。
もう1つは、コロナ禍に入って社会全体のデジタル化が急速に進んだとき、当社も1年足らずで一気にITの導入を進めたことです。事務所も解約して、仕事のやり方をガラッと変えました。
当社は、過去にフレコンバッグ事業でいち早くEC販売を始めたように、新しいツールが出てきたら「やってみようぜ」と軽やかに導入するようなところがあります。
そんな中小企業ならではの機動性の高さが、フクナガの持ち味だと再認識しました。
世の中も御社も変わろうとしている今、各事業の創成期に存在していたDNAが改めて必要とされているというわけですね。当時の業界の様子や、御社がどう事業を開拓していかれたかなど、お聞かせいただけますか?
野村
我々が入社した頃、フレコン事業は既にある程度独り立ちしていましたが、タイヤ事業は始まったばかりでした。
今では年間数億円の売り上げがありますが、当時のタイヤ事業はぺんぺん草。「昨日の売り上げゼロ」みたいな日もあったくらい。
そんな時代を見てきた身としては、フクナガは確かにゼロイチから事業を作れる会社だという手応えを知っています。
乾
フレコン事業でも、フクナガが業界の常識を突き崩しにかかった、ある意味フクナガが作ったゼロイチですよ。
野村
当時フレコンバッグって、化学メーカーや薬品メーカーなど、一部の限られた大手企業しか使っていなかったんです。
今となっては農業、漁業、スクラップ屋など、いろんなところで使われていますが、かつては限られた一部の会社が大量に使うものでした。
乾
当時は希少価値も製造コストも高くて、価格も高かった。だから、使いたいという人がいてもコスト的に手が届かなかったんです。
そこで、当社がそのギャップを捉えて、中古のフレコンバッグを縫製して「10枚単位で販売しますよ」と始めたわけです。「欲しい人には、路線便で送ります。注文いただけたら、即日出荷して明日にはお届けできますよ」と。
我々がやったのは、捨てられるはずだったフレコンを中古品として安価に手に入るようにして、一般の人たちも使えるようにしたことです。これをしたのは、フクナガが初。
このように、ミッションに掲げている「社会に埋もれている種をみつけて新しい価値に育てよう」というのは、何も真新しいものではなくて、これまでも「ゼロからイチを生む」をやってきたのです。
タイヤ事業やフレコン事業の創成期を知らない社員にも、そんなフクナガの可能性を伝えたい。自信を持ってチャレンジしてもらいたいです。
フクナガで拓ける可能性「もっと面白い仕事をしよう!」
古川さん、野村さんは、社員の皆さんに伝えたいことはありますか?
古川
僕は、「皆の力使おうぜ」って言いたいですね。僕らだけで「種」を探して「ゼロイチ」を作ろうとしても、多分これからの世の中を生き残ってはいけないですから。
ただ、経営層と社員との間にはまだまだ温度差があるような気がしています。
経営層は社長に近いからかもしれませんが、「既存事業だけでは廃れていく。次の10年後に残る事業を作らないと」という強い危機感を抱いています。
一方、社員の中には「既存事業だけでもやるべきことが山積みだし、進化させるべきこともあるだろう」という感覚があるかもしれません。
既存事業が大事なことは僕らも分かっているんですが、「構造自体を変えていかないと」という意識は、全社的に統一していかなければと思っています。
野村
私は、「ワンチャンあるぞ」って伝えたいですね。自分のやりたいことを思いっきりできる可能性がある会社ですから。
フクナガには、いい意味でも悪い意味でもセオリーがない。「業界ではこうすれば成功する」とか、「このやり方でやらないと」とか、そういうセオリーがないんですね。
社歴が長い超ベテランがいるわけでもなくて、僕らが一番長いくらい。同じ業界の中から超優秀な人をヘッドハンティングしてくるなんてことも、一切ないわけですよ。
なので、発想も方法も自由です。
旧来型の日本的な会社のように、検討に検討を重ねてリスクを見定めて、「小さなリスクがあるからやめておこう」みたいな意思決定って、ほとんどないんですよね。「やろうぜ」って発案があれば、一旦やれる。
それが多分フクナガの魅力であって、私が20年居られたのは、そこを見ているから。正直、それ以外にうちってそんな魅力ないぞと思ってるんで(笑)。
だから若い人たちには、安定ではなく、ワンチャンを狙ってほしいって思っています。
乾
僕も、「もっと面白い仕事しようや!」って伝えたいですね。
サラリーマン的な発想で、「社員だからこういう仕事をします」ではなくて、仕事に自分の思いを一緒に乗せられたら、もっと力出せるのになって。「俺はこんな仕事がしたいから、やらせてくれ」って、ちょっとでもなってくれるいいな。
野村が言ってるような、「1発当たるかもしれない」、「もしかするとバズる」みたいなYouTuber的な要素があるのは、よそとは違うことをしているから。
しっかりしたルールがある会社や老舗の会社は、長持ちしてもバズることもないだろうけど、そういう場所では僕はあんまり人生楽しくならない。
もしかしたら落ちる時もあるけど、光れるチャンスもあるという点は、うちの会社の魅力だと思います。僕自身、ワクワクしています。
野村
最近あった話だと、フォークリフトのタイヤを売っているチームが、タイヤだけじゃなくてフォークリフトそのものも売りたいという話を持ってきました。
完全に社員が自分で作ってきたコネクションで、提案してきた話です。
この件については、社長に正式な稟議を上げるでもなく、営業チーム内で「やるか!」という感じて実際に進行しています。
このように、大きな規模感ではありませんが、社員の発案で新しいことがスタートするケースは、このところ増えてきています。
ただ、まだまだ自ら手を上げる文化や、発案した人を奨励する文化が足りていないかもしれません。そこは、経営陣の中でも課題として残っています。
古川
そうですね。確かに野村が言うように、「やってみよう」でやれるところはあると思うんです。
ただ、それを感じてるのは僕らだけかもしれないですし、皆にちゃんと伝わってるかどうかは分からない。これからの課題ですね。
社長も、「1人1人に夢を持ってほしい」と仰っていたのですが、それを発信する場は社内にあるのですか?
乾
海外事業に関しては、先に個人ビジョンを立ててもらって、今年の11月に社内に発表する予定です。
全社的には、正月に自分のまんだらを作ります。そこにプライベートも含めた自分のやりたいことを書くので、まずはそういった場から始めていきたいです。
「やりたいことがあれば声を上げてやろうよ」という部分は、確かに古川が言っているように、まだ皆に伝わっていないかもしれませんね。
伝える方法としては、発案者を褒めることかもしれないし、いろいろあると思いますが、経営陣が意識して伝えていかないといけないと思っています。
普段の会話の中で「やりたいことやりや」って言っても、なかなか真に受けてもらえなかったり、逆に「責任とれよ」というメッセージに響いてしまったり。
なので、心の声を出しやすい場づくりや取り組みを続けていって、少しでもハードルを下げていければいいですね。
皆さんがありがとうを伝えたい相手
優先的に感謝を伝えるとしたら、安東さん、山﨑さん、杜氏さん、植木さん、トゥイさん、吉澤さん、近藤さんの7名です。彼らは、7人のマネージャー、リーダーたちです。
コロナの影響で働き方にも変化がある中で、ミッション、ビジョン、バリューを打ち出して全社的に発信するところまで来れたのは、やっぱり彼らがいてくれたから。
我々3人も社長も、どちらかというと「変化を生む」方に目線を向けます。ただ、既存の商売は毎日進行していて、そこに当然お客さんもおられます。
マネージャーたちは、我々の「変えていかないと」という話も受け止めながら、それぞれのチームでの商売をしっかり回してくれています。
彼らがいるからこそ、既存事業と変化を生むためのミッションづくりを両立できました。
既存事業への貢献度は、我々3人も社長もそんなに高くない。そう考えると、既存事業を守りながら変化に向けた話ができているのは、彼らのおかげです。感謝しています。
考えてみると、サプライヤーさんに対してあまり感謝の気持ちを伝えたことがなかったです。
でも、コロナ禍で世界中が大混乱にある中、商品供給し続けてくれているサプライヤーさんたちには、やはり感謝を伝えたいですね。
全てのサプライヤーさんに対して感謝していますが、特にフレコンバッグ関連の供給元、ベトナムのダムフミーは、コロナ禍、従業員が工場に泊まり込んでオーダーの納期に間に合うよう力を尽くしてくれたり、中国の商社・シノイが当社と工場との間に入って交渉してくれていたりと、本当にありがたい存在です。
野村
タイヤ関連では中国の貴州タイヤさんが、安定的な商売を支えてくれています。
港が動かなかったり船が確保できなかったりと、ここ数年いろいろと困難はあるはずなのですが、安定的にリクエスト通り出荷してくれています。本当に感謝しています。
乾
これまでは僕らが一方通行で要望ばかり言ってきました。
でも、サプライヤーも仲間である以上、彼らが会社としてどう成長していきたいか、どんな取引をしたいかを共有できるような関係になれれば、お互いにとってより良い形になると思います。
彼らも仲間である以上、社員の声を聞くように、彼らの声も聞かせてもらいたいです。
古川さんが「ありがとう」を伝えたい相手はどなたですか?
僕はやっぱり、社員に対してありがとうと言いたいですね。特に、コロナ禍でボーナスが減ったり働き方が変わったり、いろいろな変化がありながらも頑張ってくれていますから。
残ってくれている社員たちは、「フクナガを少しでも良くしたい」、「自慢できる会社にしたい」という想いをもって働いてくれているんです。
そんな人たちともっと仕事をしたいし、そんな社員が集まっている状態が、とても嬉しい。
だから、経営層のやり方に対して「何やってんの?」と苦言を呈する人もいますが、それは多分、「もっといい会社、自慢できる会社にしたいから、ちゃんとやってや」という気持ちの裏返しです。
だから、文句でも何でも、伝えてくれるのはすごくありがたいし、感謝しています。
古川圭一さん
取締役 経営企画室 室長 中小企業診断士
1979年9月5日生まれ、大阪府出身。
大学卒業後フクナガエンジニアリングに入社し、タイヤ事業部に配属される。
福永会長が考案したエコソフトタイヤの研究開発の補助から業務を始め、営業、IT、経理財務、一通りの業務を経験。
2016年4月中小企業診断士の資格を取得
現在は経営企画室としてミッション浸透をメインに従事している。
乾晃一郎さん
取締役
1979年8月10日生まれ、大阪府出身。
大学卒業後、2002年にフクナガエンジニアリングに新卒入社。
金属リサイクルの現場業務に従事後、フレコンバッグの営業を経験。
2006年より関東オフィスの立ち上げ、2014年よりベトナム法人代表。
2019年に本社取締役を兼務。現在に至る。
野村景さん
取締役 事業本部長
1974年5月15日生まれ、石川県出身。
大学卒業後、食品メーカーや人材派遣会社を経て2002年にフクナガエンジニアリングに入社。
入社後は営業部署の責任者を経て2019年に取締役就任、現在に至る。