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中村ゆりさん44歳死去 「7月の連絡が最後」スガシカオも絶句…YURIMARIから女優へ

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7月には「回復に向かっている」と説明されていた。それから約2カ月。女優・中村ゆりさんが44歳で亡くなったことが9月14日、所属事務所の発表で明らかになった。直腸がんだった。あまりにも急な知らせの裏には、13年前から続いていた闘病の日々があった

「回復に向かっている」から一転

女優の中村ゆりさんが、44歳で死去した。所属事務所アルファエージェンシーが9月14日に公式サイトで発表した。発表によると、中村さんが亡くなったのは9月1日。死因は直腸がんだったという。近親者、所属俳優、スタッフで葬儀を済ませたことも明らかにされた。今回の訃報で、多くの人が最も驚いたのは、その急激な変化ではないだろうか。中村さんは今年7月、腸閉塞を発症したことを公表。その影響で、2027年1月スタート予定だったNHKドラマ10『デンジャラス』を降板していた。

この時点では、所属事務所はスポーツ報知の取材に「回復に向かっている状況」と説明していた。「夏の暑さもあり、回復に専念できる環境を守ってあげたい」とし、活動を再開できるよう努めているという説明だった。少なくとも外から見れば、復帰を目指して療養している女優だった。ところが、今回の所属事務所の発表では、今年8月に再び腸閉塞を起こし、そこで「突然余命わずかと告知を受けました」と明かされた。7月にドラマ降板が伝えられた際、また戻ってくると受け止めたファンも少なくなかったはずだ。それが、わずか1カ月余りで最期の時間を迎えていたことになる。7月の休養が、周囲にとって最後の連絡になるとは。今回の訃報の衝撃は、そこにもある。

実はASAYANから出てきた

中村ゆりさんを女優として知った人には、意外な過去かもしれない。中村さんの芸能界入りのきっかけは、人気番組『ASAYAN』だった。1996年、歌手オーディションに合格した中村さんは、友人の伊澤真理さんとYURIMARIを結成。1998年に歌手としてデビューした。

ORICONによると、YURIMARIはシングル6枚とアルバム1枚を発表。1999年に解散している。今の若い世代にはYURIMARIと聞いてもピンと来ないかもしれないが、当時の中村さんは、いまのような実力派女優ではなく、テレビのオーディション番組から飛び出した新人だった。

 

ところが、本人にとってアイドル時代は華やかなだけではなかった。テレビ朝日のインタビューでは、当時について「苦しかった」と振り返っている。忙しさに追われ、自分自身を見失いそうになった時期でもあったという。YURIMARI解散後、中村さんは一度芸能活動から離れる。そして2003年から女優として再スタートを切った。ここが中村ゆりという俳優の面白いところだ。歌手として大きく売り出され、そのまま芸能界を駆け上がったわけではない。一度立ち止まり、別の場所からもう一度、自分の名前で勝負を始めている。YURIMARIから中村ゆりへ。芸能界で生き残るには、それだけでも相当な覚悟が必要だったはずだ。

『パッチギ!』で女優になった

女優として大きく注目される転機となったのが、2007年公開の映画『パッチギ! LOVE&PEACE』だった。中村さんはヒロインのキョンジャ役を演じ、全国映連賞女優賞や、おおさかシネマフェスティバル新人賞を受賞した。それまでのYURIMARIの中村ゆりから、作品の中で評価される女優・中村ゆりへ。ここから彼女のキャリアは大きく変わっていく。その後、『わろてんか』『エール』『天国と地獄~サイコな2人~』『クロサギ』『SUPER RICH』『グッド・ドクター』など、数々の映画やドラマに出演。主演として作品の中央に立つタイプというより、物語の中に入った瞬間、その人物として成立させる俳優だった。だからこそ、訃報を知った人の反応も興味深い。

それぞれが別の作品を思い出している。中村ゆりという名前を強烈に意識していなかった人でも、実は何度も彼女の演技を見ていた。そんな俳優だったのだろう。派手なスター街道ではない。しかし、気づけば作品の中にいる。それは20年以上にわたって女優を続けてきた中村さんの、何より強い存在感だった。

寝屋川から芸能界へ、韓国にルーツも

中村さんは大阪府寝屋川市の出身としても知られている。チケットぴあのプロフィールでも寝屋川市出身とされ、YURIMARIとしてのデビューから女優への転身までが紹介されている。そして中村さんには、韓国にルーツを持つという背景もあった。映画『パッチギ! LOVE&PEACE』への出演をきっかけに、在日としての自身のルーツについても語っている。父親は在日3世、母親は韓国生まれとされている。

ただ、彼女は自身のルーツだけを前面に押し出して芸能活動をしていたわけではない。むしろ、歌手から女優へ転身し、映画やドラマで一つずつ評価を積み重ねていった。その歩みを振り返ると、44歳という年齢はあまりにも若い。しかも所属事務所の発表では、病との闘いは今回突然始まったものではなかった。中村さんは13年前にもがんを患っていたという。その時は治療の末に寛解し、元気に仕事を続けていた。検査も欠かさなかったという。

しかし昨年1月、再びがんが見つかった。手術は成功したものの、その後に転移が判明。根治・寛解を目指すことは難しい状況となり、治療を続けながら、できるだけ長く、生き生きと人生を歩むことを目指していた。本人は病気について熱心に勉強し、主治医からも仕事を続けることを勧められていたという。だからこそ、今年7月のドラマ降板も「芸能活動を終える」という話ではなかった。復帰を目指していた。その先に、8月の急変があった。

「若すぎる」スガシカオ、ファンから悲痛な声

突然の訃報に、交流のあった著名人からも追悼の声が上がった。スポニチアネックスによると、スガシカオはXで「ゆりさん、悲しすぎます」と投稿し、「たくさんお世話になりました。ありがとう」と感謝を伝えた。そして「7月に休養された時、連絡したのが最後でした」と明かした。この一言が、今回の訃報の急激さを改めて浮かび上がらせる。7月には回復に向かっているとされていた。ところが8月に再び腸閉塞を起こし、余命わずかと告げられた。そして9月1日に亡くなった。SNSでも中村さんを惜しむ声が広がっている。

「めちゃくちゃ好きだった ショック過ぎる」
「降板したのは知ってたけど、そんなに重い病気だったとは」
「日本生命のCM好きやったな ご冥福をお祈りします」
「クロサギでの演技好きでした。若すぎる。ご冥福をお祈りします」
「グッド・ドクターで好きになった女優さんでした。悲しいです。ご冥福をお祈りします」

中村さんの名前を見て、まず思い浮かべる作品が人によって違う。それだけ長い時間、さまざまな作品に出演してきたということでもある。YURIMARIとして歌っていた20代前半から、女優として評価を確立した30代、40代。そして病と向き合いながら、それでも復帰を目指していた最後の日々。所属事務所によると、突然の余命宣告を受けた後も、中村さんは落ち着き、美しく優しさにあふれた笑顔を絶やさなかったという。家族や近しい人たちとともに、最後の時間を大切に過ごした。華やかな芸能界で20年以上を生きた中村ゆりさん。YURIMARIの人から女優・中村ゆりへ。その名前が持つ意味を振り返るには、あまりにも早すぎる別れとなった。

 

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ライター:

2人育児8年目ママ。健康を意識した丁寧な暮らしを大切にしています。好きなテレビ番組は『クレイジージャーニー』。日々のリアルな視点から、役立つ情報を発信したいです。

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