
朱色の鳥居が連なる京都・伏見稲荷大社の千本鳥居付近で、外国人観光客らがダンスする動画がSNSで拡散し、批判が広がっている。わずか数カ月前には周辺の竹林への落書きが問題になったばかりだ。
今回は鳥居や樹木を傷つけたわけではない。それでも反発が強い背景には、伏見稲荷大社が世界的な観光名所であると同時に、現在も参拝者が祈りをささげる神社であるという事情がある。SNS映えする「撮影場所」として見る観光客と、「信仰の場所」として利用する参拝者。その認識のずれが再び表面化した。
千本鳥居の前でダンス、後ろには通行を待つ人も
問題となった動画は9月5日ごろからSNSで拡散した。千本鳥居付近で複数の外国人男女がダンスする様子が映り、その後方には通行を待っているように見える人々も確認できる。動画に反応した一人が、日本で長く活動する米国出身ギタリストのマーティ・フリードマンだった。伏見稲荷が信仰の場所であることを踏まえて苦言を呈し、その投稿も拡散した。
伏見稲荷大社は公式サイトで、境内において参拝者や近隣住民の迷惑となる撮影、長時間場所を占有して行う撮影などを禁じている。今回の問題も単に「神社で踊った」という部分だけを見るのではなく、SNS動画を撮影するために参拝者の通行や利用を妨げたのかという点が重要になる。
5月には竹林100本超に落書き被害
伏見稲荷周辺では今年5月にも、外国人観光客をめぐる問題が起きていた。周辺の竹林で100本を超える竹に名前や日付などが刻まれていることが明らかになり、SNSでは竹に文字を刻む外国人観光客の様子を撮影した動画も広がった。伏見稲荷大社は5月19日、境内は神聖な神域であり祈りの場であるとして、立ち入り禁止区域への侵入や鳥居、樹木などを傷つける行為をやめるよう呼び掛けている。
もちろん、竹を傷つける落書きと今回のダンス動画では行為の性質も深刻さも異なる。ただ、双方には共通点もある。世界的に知られる景観が、その場所の歴史や用途から切り離され、「自分のSNS投稿を作るための背景」として扱われているように見えることだ。
なぜ伏見稲荷はSNSの舞台になりやすいのか
伏見稲荷大社の千本鳥居は海外の旅行サイトやSNSでも京都を象徴する景色として紹介されてきた。朱色の鳥居がトンネルのように続く風景は、一枚の写真や短い動画でも場所が伝わりやすい。スマートフォンでも印象的な映像が撮影でき、InstagramやTikTokとの相性も抜群だ。
旅行写真の意味も変わった。かつては「自分がその場所を訪れた記録」という意味合いが強かったが、現在はフォロワーを増やしたり、再生回数を伸ばしたりするためのコンテンツでもある。そこで求められるのは、単純な記念写真よりも目立つ映像だ。踊る、演技をする、特徴的なポーズを取るといった行為が加わりやすくなる。
世界的観光地になっても「神社」であることは変わらない
一方、伏見稲荷大社は観光客向けにつくられたテーマパークではない。全国に約3万社あるとされる稲荷神社の総本宮であり、現在も参拝を目的に訪れる人がいる。千本鳥居も撮影用のセットとして設置されたものではなく、信仰と奉納によって形成されてきた。
ところがSNSで伏見稲荷の映像だけを繰り返し目にすると、こうした背景は伝わりにくい。画面上には「美しい鳥居のトンネル」が残り、そこが祈りの場であることは見えにくくなる。観光客側に悪意がなくても、映える場所なら踊る、撮影するというSNS上の習慣をそのまま持ち込めば、現地を日常的に利用する人や参拝者との摩擦が生まれる。
「外国人観光客のマナー」で終わらせてはいけない
この問題を外国人観光客だけの問題として片付けることもできない。公共の場所で何度も撮影をやり直したり、通行人を止めて動画を撮ったりする行為は、日本人のSNS利用者でも起きている。問題の基準は国籍ではなく、場所の意味を理解し、周囲の人に配慮できているかどうかだ。
一方で、世界各国から大量の観光客が訪れる場所では、日本国内の暗黙の了解だけに頼ることにも限界がある。禁止事項を多言語で明確に伝え、旅行前や現地で「撮影できる場所」と「撮影のために占有していい場所」は違うと理解してもらう仕組みも必要になる。
落書きからダンスへ、形を変えて続く摩擦
5月には竹への落書き、9月には千本鳥居付近でのダンス動画。行為そのものは異なるが、伏見稲荷がSNS時代の観光と信仰の衝突地点になっていることは共通している。人気観光地ほど人が集まり、その中には写真や動画を目的に訪れる人も増える。観光客が増えれば地域経済には恩恵がある一方、神社としての静けさや参拝環境をどう維持するかという課題も大きくなる。
伏見稲荷の美しい風景が世界に知られ、多くの人が訪れること自体が問題なのではない。必要なのは、撮影する一瞬だけでも、その画面の外側にいる人を意識することだろう。誰かが祈っていないか、誰かの通行を止めていないか。その視点が失われたとき、観光地は簡単に「SNSコンテンツの背景」に変わってしまう。



