
シアトルの夜、米国代表はベルギーに1-4で敗れ、カナダ、メキシコに続いて開催国がそろって16強で姿を消した。ただ、この敗戦がただの力負けとして語られないのは、前戦で一発退場となったFWフォラリン・バログンが、FIFAの異例措置によって結局この試合に先発していたからだ。本人は審判と握手する紳士的な姿勢を見せていた。それでも、政治の影がちらついた瞬間、彼の名前は公平性を疑う声の中心に置かれた。
発端はボスニア・ヘルツェゴビナ戦の一発退場
騒動の発端は、米国がボスニア・ヘルツェゴビナを破った決勝トーナメント1回戦にあった。米国のエース格として今大会3ゴールを挙げていたバログンは、後半に相手選手の足を踏む形となり、VAR確認の末にレッドカードを受けて退場した。主審が最初から即座に赤を出したわけではなく、映像確認を経て判断が変わったことで、ピッチ上の空気は一気に硬くなった。米国は勝ち上がったが、バログンは次戦のベルギー戦に出られない。少なくとも、その時点では多くの人がそう受け止めていた。
退場後のバログンは、荒れなかった。判定に激しく食ってかかることも、怒りを引きずるような態度を見せることもなく、試合後にはレッドカードを出した主審と握手を交わした。本人は、子どもたちを含め多くの人が選手を見ている以上、不当だと感じる場面でも正しい対処の仕方を示さなければならないという趣旨の言葉を残している。たとえ自分に不当なことが起きたと感じても、それは無礼な態度を取る理由にはならない。そう語ったバログンは、判定への不満を飲み込み、代表選手として見られる側の責任を引き受けようとしていた。
ところが、その紳士的な振る舞いのあとに、話は別の方向へ転がっていく。FIFAはバログンの出場停止処分の執行を1年間猶予し、ベルギー戦への出場を認めた。ここにトランプ大統領の動きが重なった。トランプ氏は、バログンのプレーは反則ではなかったとの考えを示し、FIFAのインファンティーノ会長に見直しを求めたことを認めている。FIFA側は独立した機関による判断だと説明したが、開催国の大統領が動いたあとに開催国の主力選手が出場可能になる。この順番が、世界中のサッカーファンの胸にざらついた違和感を残した。
バログン先発で始まったベルギー戦
ベルギー戦の先発メンバーにバログンの名前が入ると、試合前からSNSには批判があふれた。レッドカードが厳しかったかどうかを論じる声もあったが、怒りの中心はそこではなかった。VARを経て出された退場処分を、なぜ大会途中でここまで軽くできるのか。しかも、それが開催国の選手で、大統領の働きかけまで報じられている。サッカーは誤審も含めて飲み込む競技だが、政治の力でルールの扱いが変わったように見えた瞬間、我慢してきた側の感情は一気に荒れる。
米国はホームの大歓声を背に受けながら、立ち上がりからベルギーに押し込まれた。前半9分、右サイドを破られて先制を許すと、31分にはマリク・ティルマンのFKが相手に当たってゴールに入り、一度は同点に追いついた。スタジアムの音量は跳ね上がり、米国が流れを引き戻したようにも見えた。だが、そのわずか2分後、またしても右サイドから崩されて勝ち越しを許す。追いついた熱気が残るうちに突き放される展開は、米国の足元からホームの勢いを奪っていった。
後半、米国はレイナを投入して前へ出た。ボールを握る時間は増え、反撃の気配もあった。それでも、試合の急所を握っていたのはベルギーだった。後半12分、GKマット・フリースがペナルティーエリア外へ飛び出した場面で処理を誤り、痛恨の3失点目を献上する。終盤にはルカクにもネットを揺らされ、スコアは1-4。バログンも後半にクルトワとの1対1を迎えたが、シュートは止められた。結局、米国を救うことはできなかった。
SNSに広がった「ずるしても負けた」
米国の敗退後、SNSでは厳しい言葉が一気に広がった。天罰をくらった、ずるしても負けた、やっぱりインチキはダメ、トランプが余計なことをしたせいで、政治が介入するな。敗れたチームをあざ笑うような荒い言葉もあったが、その奥にあったのは、開催国だけが特例を受けたように見えることへの拒否感だった。
コメント欄でも、怒りはバログン個人だけに向いていたわけではない。むしろ、FIFAの手続きそのものを疑う声が目立った。世界中のチームが判定や処分を飲み込んできたのに、なぜ開催国の主力だけが処分猶予になるのか。VARを経て出されたレッドカードを後から実質的に緩めるなら、審判の判断や大会規律はどこまで信じればいいのか。米国代表が正々堂々と戦う姿勢を見せるなら、監督判断でバログンを先発から外すべきだったという声まで出た。バログン本人が退場後に示した品格と、ベルギー戦に出場した事実が、ここでねじれた。
米国は負けた。だから、この問題は勝敗に直接影響しなかったと言う人もいるかもしれない。だが、それで済ませるには後味が悪すぎる。もしバログンが決勝点を決め、米国が勝ち上がっていれば、批判はさらに燃え上がっていただろう。米国が敗れたことで騒動が小さく見えるだけで、FIFAがなぜこの処分猶予を認めたのかという疑念は、1-4のスコアでは消えない。
米国敗退でも消えないFIFA不信
カナダ、メキシコに続き、米国も16強で敗れた。北中米3カ国共催として大きな注目を集めた大会は、開催国がそろって準々決勝に届かない結果となった。米国にとっては力負け。ベルギーの試合運び、決定力、米国守備陣のミスを逃さない冷静さは、スコア以上に差を感じさせた。
それでも、シアトルの夜に残ったものは、開催国全滅という結果だけではない。バログン本人は退場後に審判と握手し、見られる側の責任を語った。そこまでは美しい話だったが、政治の働きかけとFIFAの曖昧な処分猶予が入った瞬間、その美談は別の色に染まった。本人の品格まで、組織の判断が泥で汚したように見えてしまったのだ。
FIFAが本当に守るべきだったのは、開催国の顔でも、大統領の機嫌でも、スター選手の出場機会でもない。世界中の選手とファンが、同じルールで戦っていると信じられる空気だった。米国は負け、バログンも不発だった。それでも、この一件を笑って終わらせる気にはなれない。ずるしても負けたという冷笑の裏で、本当に削られたのは、サッカーがまだ公平な競技だと信じたい人たちの我慢だった。



