
10月23日、作家の村上龍氏が10月17日に自宅で逝去していたことが発表された(享年74)。葬儀はすでに家族葬として執り行われ、遺作となったのは2023年の『ユーチューバー』だった。
かつて村上春樹氏とともに「W村上」として時代を牽引し、テレビ東京系『日経スペシャル カンブリア宮殿』のメインインタビュアーを約20年にわたり務めた巨星の突然の旅立ちに、列島には大きな衝撃が広がっている。
だが、訃報に接した人々の脳裏に浮かぶのは、作家としてのあまりに多面的な横顔だ。 ドラッグと性に溺れる退廃を描いたデビュー作『限りなく透明に近いブルー』や、都市の性と暴力に肉薄した『トパーズ』――日本の純文学界でもっとも先鋭的で危険な香りを放ち続けた鬼才が、なぜ2003年、突如として子ども向けの職業図鑑『13歳のハローワーク』を上梓し、180万部超の国民的ベストセラーを生み出したのか。その裏には、大人たちの欺瞞をえぐる“計算された猛毒”が仕掛けられていた。
「トパーズと同じ作家とは思えない」世間を震撼させた大転換の謎
1976年、武蔵野美術大学在学中に執筆した『限りなく透明に近いブルー』で第19回群像新人文学賞および第75回芥川賞を受賞した村上氏。選考委員の埴谷雄高氏が「ロックとファックの小説」と評し、吉行淳之介氏が「因果なことに才能がある」と呻いた鮮烈なデビュー以降、『コインロッカー・ベイビーズ』『愛と幻想のファシズム』など、常に社会の暗部と破壊衝動を描き続けてきた。
そんな“アナーキーの象徴”が、子どもたちに向けて500種以上の職業を提示した『13歳のハローワーク』を発表した際、文壇や読者からは「啓蒙家に転向したのか」「とても『トパーズ』と同じ作家の仕事とは思えない」と戸惑いの声が上がった。
だが、本人は生前、その違和感を冷徹に否定している。 自身にとって重要だったのは世間の作家イメージなどではなく、「伝える価値のある質の高い情報」を届けること。そして何より、この本には彼らしい強烈な“毒”が周到に込められていた。
大人たちが激怒した猛毒 仕事は我慢論への強烈な一撃
当時、ネットの掲示板やレビュー欄で巻き起こったのは、大人たちからの凄まじい反発だった。「現実を無視している」「仕事とは嫌なことを我慢してやるものだ」「好きなことを仕事にできる人間ばかりではない」という猛烈な批判が相次いだのだ。
大人たちがそこまで激昂した理由を、村上氏は冒頭の一節にあったと見抜いていた。 本の中で彼は「世の中には2種類の人間しかいない」とし、それは金持ちと貧乏人でも善人と悪人でもなく、「活き活きと充実感を得ながら仕事をやっている人と、そうではない人だ」と断じたのである。
自分で考えず組織に忠誠を誓い、苦痛を我慢することの見返りに庇護を得て生きてきた大人たちにとって、その指摘はあまりに痛烈で不愉快な現実だった。 しかし、村上氏は批判に一切怯まなかった。 「『人生は苦労と我慢の連続だ』と子どもに言うのは、フェアじゃない。そんなことを教え込めば、子どもが本来持っている好奇心を摘んでしまう」 上からの命令に従順なだけの“社畜”を作る教育への怒りと、個人の尊厳への信頼――それこそが、彼が子どもの本を書いた真意だった。
「編集部にご飯たかり」「ジャズ喫茶の一喝」 知られざる怪物の素顔
こうした硬骨な思想の根底には、ネットのファンや編集者の間で語り草になっている、村上氏自身の型破りな原体験があった。
芥川賞を受賞した直後、まだ美大の貧乏学生だった若き日の村上氏は、空腹に耐えかねては文芸誌の編集部をぶらりと訪れ、担当編集者に「ご飯をたかりに来ていた」という。編集者の机にあるゲラを勝手に覗き込み、「ここに書いてあるカタカナのバンドの名前、みんな知らないでしょう」と不敵に笑う――そんな無邪気で奔放な愛すべき素顔を覗かせていた。
また、基地の街・佐世保で育った高校時代、通い詰めたジャズ喫茶での有名な逸話がある。風変わりなマスターにジョン・コルトレーンの前衛作『クル・セ・ママ』をリクエストしたところ、「チャーリー・パーカーを聴いてないやつには、『クル・セ・ママ』なんか聴かせられねえ!」と一喝され、ボサノヴァの『ウェイヴ』でお茶を濁されたという。 本物の熱量とカルチャーの洗礼を浴びたこの青春の原風景が、後の映画監督進出やキューバ音楽レーベルの設立、坂本龍一氏との共闘へとつながっていく。
早すぎた実験と、遺された最後のメッセージ
時代の半歩先を見通す嗅覚も群を抜いていた。 2000年に小説『共生虫』を発表した際には、出版界に先駆けて「全国のコンビニのコピー機(オンデマンド)で小説を印刷・製本して限定販売する」という前代未聞の実験を行い、現在の電子出版やネットプリントの萌芽を作った。金融メールマガジン『JMM』の創刊や、晩年の小説『ユーチューバー』に至るまで、テクノロジーと社会の変容に誰よりも貪欲に向き合い続けた生涯だった。
「好きな仕事を探すのではない。好奇心の受容体を開いていれば、いつか出会う」
冷徹なリアリズムと、少年のような好奇心を最後まで失わなかった村上龍氏。彼が大人たちの欺瞞を撃ち、子どもたちに遺した問いかけは、混迷を深めるこれからの時代にこそ、より重く響き渡るはずだ。



