
新車が売れた時代は、とうに過ぎた。市場は1990年をピークに縮小し、販売店各社は、それぞれの地域や事業環境に応じた経営のあり方を模索している。
多くの販売店が大規模化の道を選択する中で、大阪・豊中のネッツトヨタニューリー北大阪株式会社は、その流れとは少し違う道を選ぶ。会社の規模はそのままに、社員一人ひとりが価値創造する会社へ。どこでも同じ車が買えるからこそ、人と接してよかったと思える場所でありたい。代表取締役社長の小西敏仁氏は、そう言い切る。
その原点には、会社が赤字に沈んだ日々がある。社員の本音に触れ、変わるべきはまず自分だと気づいたところから、同社の歩みは動き出した。
効率だけでは、つくれないもの
国内の新車市場は、1990年をピークに長期的な縮小傾向にある。これまで整備や中古車事業等で収益基盤を守ってきた業界も、少子化からは逃れられない。
こうした環境の変化に対応するため、経営の更なる効率化に向けて、自動車販売店各社はさまざまな取り組みを進めてきた。合併、大規模化もその一つだ。
ネッツトヨタニューリー北大阪は、そこに少し違う重心を置く。会社規模はそのままに、独自化の道を選択した。しかもそれは、小西氏が一人で決めたことではない。店長や社員と話し合い、合意のうえで定めた方針だという。

小西氏
「経営効率を高めることは、もちろん大切です。ただ、私たち、効率化と、社員一人ひとりの価値創造の両方が大切だと考えています。その両方を実現する為に、今の会社の形を維持する必要がありました。」
では、独自化とは具体的に何を指すのか。同氏が繰り返し口にするのは、ホスピタリティという言葉だった。いつでも、どこでも、誰にでも提供できる高度に標準化されたサービス。それは販売や整備の土台として欠かせない。だが同社がその先に置くのは、その時、その場所、その人にしかできない関わりだ。
たとえば、と小西氏はホテルを例に挙げる。注文した飲み物が熱く、猫舌の子どもが飲めずにいる。その様子を後ろで聞いていたスタッフが、頼まれるより先に、冷えたコップをそっと運んでくる。こうした心配りは、つい誰かに話したくなる。豪華なベッドやルームサービスがよかったという自慢話とは、受け取られ方がまるで違う。
この、思わず人に話したくなる特別な体験を、同社はワースシェアリング(Worth sharing)と名づけ、ミッションに掲げている。標準化された良質なサービスの上に、一人ひとりの人間性がにじむ接客を重ねる。その積み重ねが、どこでも同じ車を買えるなかで、この店で、この人から買ってよかったという実感につながっていく。
理念やビジョンも、経営者が上から掲げたものではない。
小西氏
「これは経営の思いというより、社員の働き方を言葉にしたものです。もともとその時、その場所、その人にしかできないサービスを大事にするメンバーが多かったので、その姿を分かりやすい言葉に整理しただけです」
ビジョンに据えた「誰かがやるだろう、その誰かになる」も、同社の大先輩が座右の銘にしていた言葉から取った。自分たちらしい働き方を、そのまま会社の背骨にする。旗を立てて社員を引っ張るより、一人ひとりが動きやすいように、言葉で整える。小西氏の語りの端々には、そんな発想がにじんでいた。
社員の人生は、背負えるほど軽くない
小西氏が入社したのは、2011年1月。会社は累積赤字を抱えていた。2004年の販売チャネルの再編で、それまで専売だった車種が同じ地域のライバルと競合するようになり、構造的に苦しい状況に追い込まれていた。
トヨタ自動車で7年間、販売店の支援にも携わってきた同氏は、経営危機の会社で、まずやるべきことを絞ろうと考えた。在庫の削減、意思決定の階層の簡素化、そしてクルマの買い方の見直し。この3つを戦略に掲げ、丁寧に進めた。だが、思い描いていたようには動かない。本部で在庫を増やさないようにはできても、現場の在庫は減らない。売り方を変えようにも、なかなか手応えがなかった。
理由が分からず悩んでいたころ、労働組合が社内でとったアンケートを目にする。そこには、経営陣へ向けた言葉が並んでいた。最低の経営陣だ、早く会社を売ってほしい。いつ潰れるか分からないから、給料を前借りさせてほしい。店長に辞めろと言われた、お前が辞めろ、と。
当時、会社の負債38億円は、代表者の個人保証。金策に走り回り、眠れば死ぬ夢を見たという。そんな日々の中で突きつけられた、社員たちの本音である。手応えのない戦略を続けてきて、初めて社員の本物の感情、硬い岩盤に触れた気がした。分かってほしい。その一心で、小西氏は全社員との面談を始める。
ところが、一人ひとりと向き合ううちに見えてきたのは、別のものだった。家族の病を抱えながら、仕事だけが救いだと話す社員。親の介護を背負いながら、恩返しのつもりで働く社員。店舗の課題に対して我が事のように悩む社員。7年間、数多くの販売店の社員に接してきた小西氏の目にも、同社の社員はより真摯で、輝いて見えた。

小西氏
「自分が社員の人生を背負っているつもりでいました。しかし、実際に話を聞くと、社員一人ひとりの人生は、私が背負えるほど軽いものではなかったのだということに気付かされました」
ある日、居酒屋でたまたま社員同士の会話が耳に入った。交わされていた話題の多くは、会社に対する不満だった。素晴らしい社員たちが、なぜこうもネガティブな言葉を重ねるのか。毎日8時間以上を注いだ仕事の結果が、来る日も来る日もマイナスで返ってくる。そのような環境の中に身を置く社員同士で分かち合う話題が愚痴になるのは、自然なことだった。組織の結果は、一人ひとりの能力だけでは決まらない。どんな会話が、どんな意図で交わされているか。それこそが組織を左右するのだと、小西氏は思い至る。
最初に手をつけたのが、人事考課制度だった。当時の制度は、減点方式で社員を評価するものだった。本来は、何をすれば顧客が喜び、成果が出るのか、自分はどうありたいのか。その意思を語り合う場であるはずなのに、と違和感を覚えていた。
とはいえ、上から変えると告げても、社員はついてこない。小西氏は全店舗を回り、頭を下げた。自分は大きな思い違いをしていた、自分だけで会社を運営しているつもりになっていた。一緒に人事考課制度を変えないか、と。集まったのは、立候補した37人。全社員の三分の一ほどだった。ここから彼らとともに、半年をかけて、人事考課と給与の制度を社員の手で作り直していく。何をすればお客様に喜んでいただけるか、どうすれば仕事が高品質で早く、効率的にできるのか。前向きな会話だけが交わされ、それが周囲に承認される。
新制度のお披露目の場で、ある社員が口にした。会社や上司が変わらなければと思って参加した、けれど本当にまず変えられるのは、自分自身だと気づいた、と。その言葉が、小西氏には嬉しかった。毎月、社員の反応も、経営の数字も、戦略の指標も、赤点ばかりを受け取っていたころである。初めて、そのままでいいと言ってもらえた気がした。
小西氏
「私は、会社を変えよう、行動を変えようと迫ることで、社員のそれまでの生き方を否定することだったのだと気付きました。人は自分を否定する相手と、一緒に仕事をしたくない。その当たり前が、私には抜けていたのだと思います」
社員の人生を肯定しながら会社を変える。変えるべきは、まず自分。社員の自由な意志と、何をしたいのかという思い。それを何より大切にする同社の姿勢は、この一年の原体験から生まれている。
手放すほど、うまくいく
2011年の立て直し以降、会社を動かす基本の仕組みがあった。毎年1月に小西氏が方針を示し、3月の合宿で、それをやり切るために必要なことを議論する。長らく続いたこのやり方を、同社は一昨年、やめてしまった。方針の発表も、合宿も。代わりに設けたのが、店舗が一年の活動を披露する活動発表祭である。

すると、不思議なことが起きた。方針の浸透度が、むしろ跳ね上がったのだ。
活動発表祭は、トヨタ自動車をはじめ、取引先や銀行など、同社を支えるステークホルダーを招き、ホテルのホールを貸し切って開かれる。会場選びや運営を決めるのは、入社2、3年目の社員で作る委員会だ。各店舗が、一年かけて何を意図し、何に取り組み、どんな結果が出て、これからどうしたいかを、20分かけて発表する。年間のKPIの順位に、来場者の投票が加わり、1位の店舗には全員での旅行が贈られる。昨年は沖縄、今年は韓国へ。堅苦しい報告会ではなく、文字どおりの祭りだ。
この発想は、幹部会での一言から生まれた。方針を説明しても、思うようには伝わりきらない。ならば、方針や表彰式や合宿に予算を使うより、いっそ祭りにしてはどうか。そんな問いかけが、かたちになった。
経営から現場への指示を減らすほど、現場はよく回る。たとえば、顧客に定期点検へ足を運んでもらう割合は、一昨年の約50%から現在までに、10ポイント上がった。安全に車へ乗り続けてもらううえで、欠かせない数字だ。
指示を減らすことが成果につながる理由を小西氏は、オーケストラにたとえる。
小西氏
「オーケストラは、たった一人の指揮者で、あれだけ多くの人が演奏します。楽譜が共有できているから、あれだけの仕事ができる。その基本の楽譜が、少しずつ社内で共有できてきたのだと思います」
手放す経営の裏側で、小西氏が丁寧に見つめているものがある。社員の、目に見えない状態だ。同社は健康経営優良法人に選ばれているが、本人は、普通のことを普通にやっていたら通った、と、謙遜気味に話す。それよりも大切にしているのは、心の健康のほうだという。
小西氏
「健康診断で分かる体の健康は、もちろん大事です。ただ、それ以上に、目に見えない心の健康が重要だと思っていて。本意でないことをやる、やらされ感の多い仕事をする。そういうことは、社員の健康を害してしまうことにつながります」
2か月に1回、社員にアンケートをとる。問うのは、自分の存在を重要だと感じられているか。そして、チームの中で自分が何をすべきかが、はっきり見えているか。この2つの軸で、一人ひとりの状態を確かめる。評価も同じだ。全店長と全役員が集まり、全社員分の仕事を共有し、話し合って決める。手間を惜しまず、一人ひとりに目を向ける。
自分の意志で動く社員を信じ、見えないところに手をかける。その積み重ねが、現場の確かな変化となって返ってきている。
その人にしか、できないこと
同社の価値観は、スローガンの中ではなく、現場の一場面に宿る。小西氏が語るエピソードには、それがよく表れている。
ある店舗に、毎年冬の前になると、タイヤを履き替えに来る高齢の男性客がいた。北国への旅行を控え、冬用のタイヤにする。外した夏用のタイヤは、自宅の2階にある倉庫へしまう。その重いタイヤを階段で運び上げる作業を、担当の営業が毎年手伝っていた。
一人暮らしだったその客は、作業のあと、いつも食事を用意して営業をもてなした。差し向かいで食卓を囲むうち、ある時こんな話をしてくれたという。本当は息子が欲しかった。けれど仕事に追われ、結婚もしないままここまで来た。だから、お前のことを息子のように思っている、と。旅行から帰るたび、両手いっぱいの土産を抱えて店舗を訪ねてくれる、そんな間柄だった。
ある日、その客の兄弟が、わざわざ店舗に足を運んできた。兄が亡くなったこと、生前とてもよくしてもらったようだから、せめて礼を伝えたかったこと。そう言って頭を下げたという。担当の営業は、自分にもっとできたことはなかったのかと、しばらく言葉を漏らし続けていた。車の付き合いは、一生の付き合いでもある。
この出来事は、一人の営業の胸の内だけでは終わらなかった。結婚を望みながら、相手と出会えずにいる人は、世の中に少なくない。相手がいないという理由だけで結婚に至らない人が、およそ半数にのぼるとも言われる。あのお客様のように、家族を持つことを願いながら、きっかけをつかめないまま年を重ねる人がいる。その一人ひとりに、自分たちなら何かできるのではないか。こうした思いから、同社はのちに、出会いを支える結婚相談の事業を立ち上げた。目の前のお客様一人の後ろに、同じ願いを抱えた人が大勢いる。その気づきが、新しい取り組みのかたちになっていった。

もう一つ、別の店舗での話がある。大切に乗っていた車を事故で失い、やむなく新車へ乗り換えることになった客がいた。その車は、亡くなった父がずっと大事にしていたものだった。店舗のスタッフは、その事情を知っていた。納車の日、ふだんなら新しい車とお客様の記念写真を撮るところを、スタッフは、全損で直せなくなった元の車も洗って磨き上げ、新車の隣にそっと並べた。花を添え、2台そろえて写真に収める。父の形見に、きちんと別れを告げてもらう。買い替えの手続きで終わらせない、その人のための一日だった。
こうした関わりは、マニュアルからは生まれない。
小西氏
「経営効率の改善は、会社をやっていくうえで、とても重要です。ただ、それが人間性の否定にならないように、ということはそれ以上に大切だと思っています」
誰に対しても同じ品質で届ける高度なサービスは、きちんと標準化する。プロとして、そこは譲らない。そのうえで、それ以外の部分を、いかに自由にやってもらうか。小西氏はそう考えている。だから、何を大切にするかはスタッフによって違う。契約から納車までの、お客様が心待ちにして過ごす時間こそ腕の見せどころだと考え、その間に何ができるかを工夫する者がいる。一度きりの初対面で、軽口を言い合えるほど親しくなることを信条にする者もいる。
小西氏
「あえて標準化しない、その時、その場所、その人にしかできないことを大事にする。そもそも人間は、この人のために自分だったら何ができるのかと、つい考えてしまう生き物なのではないでしょうか。それを邪魔しないことが大切だと思っています」
車は、売って終わりの商品ではない。店とお客様を、そしてその先にいる人と人とをつなぐ、媒介なのだ。目の前の相手を、一人の客という記号ではなく、固有の人生を持った一人の人間として見る。その積み重ねが、同社のホスピタリティを形づくっている。
誰かが、ではなく
今後の展望を語るとき、小西氏の言葉は、自分の生い立ちにまで遡る。
5歳の夏、小西氏は、墜落したあの日航123便に予約を入れていた。早く空港へ行きたいとぐずり、母とともに一本前の便へ振り替えてもらったことで、難を逃れた。以来、父は小西氏を「ラッキーボーイ」と呼ぶ。しかし長じてから思うのは、自分が助かった分、席を譲るように亡くなった人がいる、ということだった。人は、望むと望まざるとにかかわらず、人との因果の中で生きている。だからこそ、人の役に立つことが本質的に大事なのだ。その思いが、小西氏の原点にある。
転機は、2020年に訪れた。最初の緊急事態宣言で、地元の商店が次々と苦境に立たされた。自身も資金繰りで苦しんだ身である。見ていられなかった。店長会議で何かできないかと話すと、ある店長が提案した。値引きを現金で返す代わりに、地元で使えるお買い物券で返してはどうか、と。慣れない飛び込み営業で加盟店を一軒ずつ増やし、お客様にお買い物券を渡す。お客様がそれを地元の店で使い、店は同社で換金する。そんな循環ができた。

期限付きで使い道も限られる券である。売上は下がるだろう。小西氏はそう覚悟していた。ところが、受注はかえって伸びた。販売店の多くが苦しんだ2020年に、受注を増やした数少ない一社となったのだ。共感を通してなら、営利企業であっても、人の役に立てる。その手応えが、次の一歩を後押しした。
もっとも、営利企業が社会貢献に踏み出すことに、小西氏は慎重でもある。会社には良い時も悪い時もあり、支援を途中で手放せば、かえって人を傷つけかねない。だからこそ、自分たちに何が担えるのかを問い続けてきた。たどり着いた答えは、仲間を増やすことだった。
小西氏
「世の中のあらゆる問題は、問題だと思う人が増えれば、消えてなくなっていく。だから、自分たちにできるのは、仲間を増やすことだと考えました」
いま、同社は本社の改装を進めている。ショールームの三分の一と役員室を取り払い、そこを地域に開かれた公共のスペースへと変える。地域の課題に向き合うNPOや、誰かの居場所をつくりたい人たちと組み、この場所で、地域の居場所づくりを進める。引き渡しは12月、オープンのイベントは来年の春を予定する。あわせて、地域で社会問題に取り組む団体を毎年応援する地域通貨「ファン」を、商店街とともに運用し始めた。事業と矛盾しないかたちで、足元から地域の問題を解いていく。

背景には、小西氏の危機感がある。同じ地域で起きた、老老介護の末の無理心中。7人に1人と言われる子どもの貧困。介護の担い手が足りなくなる2040年問題。身の回りには、つい他人事にしてしまう問題があふれている。会社は雇用と納税で社会的責任を果たす、とかつては教わった。けれど、税収が細っていくこれからの世で、地域の福祉や課題を自治体や国に預けきってはいられない。
小西氏
「地域の会社こそ、そうした問題に積極的に関わっていく。その事例を、私たちが率先してつくっていけたらと思っています。それだけの力を持った社員たちだと、信じていますから」
その社員たちへ。取材の最後に尋ねた「感謝を伝えたいステークホルダーは誰か」という問いへの回答として、小西氏が宛先に選んだのは、ほかでもない、ともに働く仲間だった。
役割を与えてくれて、ありがとう
取材・証言確認:綿引 誠 / 2026.10.22 掲載
誰かがやるだろう、ではなく、その誰かに、自分たちがなる。かつてビジョンに掲げた言葉は、車を売る仕事の外側へと、静かに広がり始めている。



