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ESGbook

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B Corpの仕掛け人雨宮氏に聞く、ESG評価の現在地

サステナブルな取り組み ESGの取り組み
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ESG評価機関として名高い「ESGブック」。日本支店代表の雨宮寛氏は、国連グローバル・コンパクトの創設メンバーゲオルグ・ケル氏本人に誘われてアラベスク・グループに参画した。

後編では、雨宮氏がアラベスク・グループの日本事業を率いるに至った変遷を紹介しよう。

地場の広告代理店後継者、米国留学で異なる視点に触れる

雨宮氏の実家は、祖父の代から神奈川県の地域に根差した広告代理店・帝国社を営んでいた。最盛期は、横浜万博が開催された1989年頃。年商100億円規模の隆盛を誇っていたという。

「昔ながらのオーナー企業で、長男の私は会社を継ぐ前提で大学に進み、卒業後、帝国社に入社しました」

社長である父は、氏が中学生の頃に脳溢血で倒れて左半身不随となっていたため、息子の雨宮氏に後継者としての期待がかかっていた。

氏は、将来に向けて会社を発展させるべく、先進的なマーケティングを学びに米国コロンビア大学のビジネス・スクールへと留学する。

「当時の日本は今の中国のような状況で、米国企業も日本に高い関心を抱いていました。日本企業のケースがよく授業の題材になっていて、日本人とは異なる見方や視点に触れられたのは大きかったです。米国では女性も『ビジネスの第一線で活躍したい』という強い意志のもと、授業に参加していましたね」と振り返る。

2年間の留学で大いに刺激を受け、帰国した雨宮氏。インターネットが急速に普及する様子を米国で目の当たりにしたこともあり、インターネット広告を採り入れた新事業に着手した。

バブル崩壊のあおりで自主廃業、資産運用業界へ転身

ところが日本経済はバブル崩壊直後。帝国社の主要顧客である百貨店や大型小売店の業績が急激に悪化していた。

その打撃は大きく、顧客からの支払いは滞り、当時若干26歳の雨宮氏は、100人規模の社員を抱える企業の実質的な代表者として奔走。ついには1997年、自主廃業を決断した。

廃業後の残務処理の傍ら就職活動を開始した氏が選んだ道は、資産運用業界だった。

外資系金融機関クレディスイス・アセットマネジメント社で2年間資産運用に従事した後、モルガン・スタンレー・アセットマネジメント社で5年間、機関投資家向けのファンドなどの商品開発に携わる。

この金融商品開発における経験が、氏の関心をCSR、企業統治、サステナビリティといった分野へと向かわせることになる。

時は2000年代初頭、ネットバブルが崩壊し、9.11が勃発、そしてエンロン社の不正会計事件をはじめとする会計不祥事が国内外で相次いでいた時期だ。

「商品開発では、リテール向けに日本株のファンドを設定したり、機関投資家向けに米国の債券のファンドを作ったりしていました。会計不正が起きると、自分たちが作った商品で投資家の方々に負担を負わせてしまうことになります。そこで、『こうした不祥事を防ぐにはコーポレートガバナンスが重要なのでは』と考えるようになり、エンロン事件などの影響が落ち着いた後、改めて学ぶことにしました」。

ハーバード大学でジョン・ラギー教授に師事

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アラベスク(ESGブックの前身)の時に、ジョン・ラギー教授が東京に来られた際に写した写真。中央がラギー教授。その隣は、アラベスクグループCEOのオマー・セリム氏(提供:雨宮氏)

ちょうどその頃、コフィー・アナン国連事務総長のシニア・アドバイザーとしてグローバル・コンパクトの創設にも携わったジョン・ラギー教授が、米国ハーバード大学ケネディ・スクールに「CSRイニシアティブ」という学生研究会を立ち上げた。

これが決め手となり、雨宮氏は同スクールに志願、見事入学を果たした。

「CSRイニシアティブでは、大学院生2学年合わせて20人くらいの規模で企業のCSRレポートのレビューを行っていました。ちょうどラギー教授が、2011年に国連で正式に採択された『ビジネスと人権に関する指導原則』の策定に関わっている時期だったので、教授の研究会に企業からそういった依頼が多数来ていたのでしょう」

研究会に所属する学生たちの役割のひとつに、ハーバード大学のビジネス・スクールとケネディ・スクールが共同開催する年次大会「ソーシャル・エンタープライズ・カンファレンス(社会起業大会)」の運営補助があった。

「当時の日本ではまだ、一部の大企業を除いてCSRに取り組む企業はほとんどありませんでしたし、社会起業も注目されていませんでした。ハーバードの年次大会では、『社会や環境に悪影響を及ぼす利益の出し方を続けていると、長期的には企業価値が損なわれる』という見方が議論されたり、登壇者によって語られたりします。新興の企業も数多く参加していて、『これは日本の企業や起業家にとっても勉強になるのでは』と感じました」

そこで雨宮氏は、日本の若手起業家や学生が年次大会に参加できるよう「ハーバード社会起業大会参加ツアー」の実現に向けて動き始めた。

その土台となったのが、ビジネス・スクール時代にブラジル、ガーナ、中国などを訪問したスタディ・ツアーの経験や、帝国社で米国の主要なIT関連企業を巡るマルチメディア・ツアーを実施した経験だった。

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ハーバードのツアーの際に、ミシガン州グランドラピッド市を訪問した際に、複数のBコーポレーションを訪問した先の一社(GFB社)が製造するグルテンフリーのスナック菓子です。家族に小麦アレルギーの人がいたため、小麦粉の入らないスナック菓子を作ろうと思い立ち創業した会社(提供:雨宮氏)

「ハーバード社会企業大会参加ツアーは、エグゼクティブ向けのビジネス・ツアーと違って、社会起業のようなこれから伸びていくビジネスを学ぼうとするツアーです。大手の旅行会社よりも若者目線を持った旅行会社がフィットすると思いました」

当時、株式会社エイチ・アイ・エス(以下、HIS)は、創業メンバーの行方一正氏を中心に、ボランティア・ツアーやスタディ・ツアーに注力していた。

まさに雨宮氏の求めていた「若者目線を持った旅行会社」であり、社会起業大会参加ツアーのねらいに合致する旅行会社だった。

こうして雨宮氏とHISの協働で実現したツアーは、日本の若手起業家に米国で躍進する社会起業との出会いをもたらし、国際認証制度「B Corporation」の日本導入にもつながっていく。

B Corp企業で名高い石井造園や日産通信も取得の背景には雨宮氏の支援があった。その模様は以下の記事を読んでほしい。

ゲオルグ・ケル会長からの誘い

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記事中のインパクト投資の現地視察の際の写真です。ペルーのCompartamosというマイクロファイナンス機関の入り口で、現地の幸福の神様(エケコ人形)に扮した人が顧客勧誘しているところ(提供:雨宮氏)

ケネディ・スクール修了後の雨宮氏は、マイクロファイナンス、今で言うインパクト投資を展開する運用会社の依頼を受け、日本でマイクロファイナンスに投資する投資家を募る事業の立ち上げに携わっていた。

そんな中、2016年に韓国で開催されたCSR関係のグローバルシンポジウムに、パネリストとして招かれた。このシンポジウムにキーノートスピーカーとして登壇した人物こそが、ケル氏だった。

「ジョン・ラギーとゲオルグ・ケルは、一緒にグローバル・コンパクトを立ち上げたこともあり、仲が良かったのです。私が学生の頃、ゲオルグ・ケルがゲストスピーカーとしてハーバードに来たり、PRI(責任投資原則)ができた当初にその情報をメールで提供してもらったりしたこともありました。ただ、直接会ったことはなく、このシンポジウムの懇親会が初対面でした」

この懇親会での会話を機に、雨宮氏はアラベスク・グループに参画することとなる。

「ゲオルグ・ケルは、グローバル・コンパクト創設のときから日本企業に信頼を持っていたそうです。『ESG投資に関する新しいアプローチは、日本企業にも受け入れられるのではないか』と見込んでいて、私に『日本事業をやってみないか』と勧めてくれました」。

雨宮氏が語るESGの現況と展望

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2000年代初頭からCSRに関心を抱き、日本におけるCSRやサステナビリティの普及に尽力してきた雨宮氏は、ESGの現況をどう見ているのだろうか。

負担増も「コストに見合うリターンをどう確保するか」

海外展開している企業のみならず、今後の海外展開を見据えている企業、さらにはグローバル企業と取引のあるサプライチェーン上の企業も、サステナビリティ関連規制やガイドラインへの対応を迫られている。

投資家も同様に、投資先企業の財務情報だけでなく、気候変動への対応などの非財務情報も収集しなくてはならない。

「近年、世界でサステナビリティ関連規制が強化されてきており、企業にとっても投資家にとっても負担が増えていることは間違いありません」

地球規模の社会課題が山積し、企業も投資家もこれらの課題解決に向けた規制と無関係ではいられない現在、雨宮氏は「負担増」をマイナスの「コスト」と捉えるより、「コストに見合うリターンをどう確保するか」という発想で取り組むことを推奨する。

「世界の様々な国や地域で、サステナビリティ関連規制は強化され続けています。多少なりとも海外と取引がある企業や、成長のために今後海外取引をしようという企業は、サステナビリティ規制への対応が不可避です」

こうした状況のもと、「今後1~3年ほどかけて、それらの規制が企業と投資家にどのような影響を与えるか注視しつつ、評価会社として企業や投資家のニーズに応じて貢献したい」と、評価機関としてのESG ブックの方向性を語る。

気候変動「対応策を講じなければならないことは明らか」

ESGの中でも特に喫緊となっている課題が、気候変動だ。2050年NETゼロの達成に向けてそれぞれの国や企業が枠組みづくりや取り組みを進めている。

しかし、2050年NETゼロを達成したところで、果たして気温上昇による人類への壊滅的な影響をくいとめられるかどうかは定かでない。

そのうえ、米国保守層や日本国内にも懐疑論が根強く存在し、政治的な色合いも帯びている。

これに対して雨宮氏は、「自然災害は年々増加していますし、何かしらの対応策を講じなければならないことは明らか」と断言する。

「政治的な駆け引きはあるものの、現状ではやはり、IPCCの報告書をベースに皆が共通認識のもと対応すべき段階にきています。国連やIPCCは、透明性の高い情報を公開しつつ、強いリーダーシップでけん引していかなければなりません」

ESGブックも今後一層、存在感を増すだろう。

先述のとおり、定性的要素の大きいESGにスコアを付け、定量的に評価することは難しい。それにもかかわらず、企業には規制やガイドラインに沿った企業活動が求められ、投資家は企業の貢献度やリスクを加味した投資判断を迫られる。

ESG ブックはまさに、企業と投資家のこうした負担軽減のためにその真価を発揮する。

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気分転換は週1回の水泳。30分ほど続けて泳ぐ。「水中だと何も考えず無心になれるのが良いですね」(雨宮氏)

◎プロフィール
雨宮寛
ESGブック(アラベスクS-Ray) GmbHパートナー兼日本支店代表。アラベスクAI日本事業担当。コーポレートシチズンシップ代表取締役。コロンビア大学ビジネススクール経営学修士およびハー バード大学ケネディ行政大学院行政学修士。クレディ・スイスおよびモルガン・スタンレーにおいて資産運用商品の商品開発を担当。2006年コーポレートシチズンシップを創業。明治大学公共政策大学院兼任講師。NPO 法人ハンズオン東京副代表理事。CFA協会認定証券アナリスト。共訳書に、ピエトラ・リボリ著『あなたのTシャツはどこから来たのか?』、ロバート・ライシュ著『暴走する資本主義』 (いずれも東洋経済新報社)など多数。

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ライター:

1985年生まれ。米国の大学で政治哲学を学び、帰国後大学院で法律を学ぶ。裁判所勤務を経て酒類担当記者に転身。酒蔵や醸造機器メーカーの現場取材、トップインタビューの機会に恵まれる。老舗企業の取り組みや地域貢献、製造業における女性活躍の現状について知り、気候危機、ジェンダー、地方の活力創出といった分野への関心を深める。企業の「想い」と人の「語り」の発信が、よりよい社会の推進力になると信じて、執筆を続けている。

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