大学生向けのキャリア教育や学校教育機関へのコンサルティングなどの事業を行う株式会社BYD。
ここ数年は若年層も対象に、なぜ何のために学ぶのかを考え、人生を主体的に作る力を育むアントレプレナー教育の普及に力を入れています。
墨田区立桜堤中学校はいち早くITC教育に取り組み、すべての生徒の可能性を引き出す「個別最適な学び」や「協働的な学び」の実現を目指しており、2021年からは株式会社BYDとともに来世代の育成教育に向けた共創に乗り出しています。
公立中学でのアントレプレナー教育という、日本で前例のない取り組みにかける想いと目指すものについて、桜堤中学校校長の窪宏孝さんと株式会社BYD代表取締役の井上創太さんが語り尽くしました。その模様をお伝えします。
公立中学でアントレプレナー教育?前例なきチャレンジ
まずは、株式会社BYD、桜堤中学それぞれのプロフィールについてお聞かせください。
井上
株式会社BYDは私が大学在学中に始めた学生団体を母体に、大学生向けのキャリアスクールの会社として設立し、ビジネス基礎やアントレプレナー教育を行ってきました。
2年目くらいから依頼に応えて高校などでも授業を行う中で、社会に出る将来を見すえて学ぶ意義を深めるアントレプレナー教育が最も必要なのは大学に入る前ということに気づきました。
そこで、徐々に大学生向けのキャリアスクール事業から高校・中学・小学校にプログラムを提供する事業へと比重が移ってきています。
弊社が提供する学校プログラムでは、キャリア教育やアントレプレナー教育を軸に、ドローンやVRといったテクノロジーを駆使した授業を行います。
価値ある学びを提供することで、子どもたちにも学校にも、そして社会人となった子どもたちを通じて地域や社会にも貢献していく。生徒・学校・社会の「三方良し」の社会にしていくことを目指しています。
窪
桜堤中学は2校が統合し、10年目を迎える学校です。
かつては生活指導が大変な時期もありましたが、2年前に私が着任した時は、地域に応援されながら「墨田区にある勢いのある学校」として前進しており、そのテーマを引き継ぎながら学校運営に取り組んでいます。
前任の校長がタブレットを導入し、ICTに取り組んでいたことで、コロナ禍でオンライン授業をしている学校として、テレビ番組「ガイアの夜明け」に取り上げられました。
それを機に生徒全員にタブレットを行きわたらせ、さらにICTに注力しています。
その一方で、当校の生徒たちの課題として、学力も含めて自分を表現することがあまり得意ではないと感じていました。
そんな時に墨田区出身で地元のために協力したいという井上さんとつながれたのは、本当にありがたく、得難い出会いだったと実感しています。
そもそもの出会いはどのようなきっかけだったのでしょうか。
井上
桜堤中学の学校支援員でありICTの活用に詳しい伊藤先生と私がSNSで出会ったことが始まりです。
これまで全国各地の学校で授業をしてきましたが、自分の出身地である墨田区の学校とは縁がなく、地元でやってみたいと思っていました。
そこで、伊藤先生から第3学年主任の岩井先生、校長の窪先生へとつないでいただき、昨年の5月下旬から授業を始めました。
窪
井上さんにお会いし、アントレプレナー教育の授業を積み上げていけば、生徒たちがなぜ今学ばなければならないかにたどりつくと聞き、絶対にやりたいと思いました。
今、公立の学校は先をいっている私立との差がどんどん開いている状況です。何とかしたいという危機感がありました。
授業をお願いするにあたり、本校で実例を重ねて墨田区の学校全体がBYDさんを活用していく将来の予想図の元、お金のことは度外視していただけたことは大変ありがたく、すぐに実現に動きました。
お金のことは度外視してとのことですが、経営者としてすごい決意ですよね。
井上
これがNPOであれば行政の補助が出てから始めることになりますが、行政の判断を待っていては遅すぎる。
弊社は、教材開発コンサルティングなどの収益事業がありますから補助に頼らずに私の意思で可能です。
何よりも窪先生がおっしゃったように公立と私立の差が開いている中、公立出身の私自身もその危機感を共有し、公立中学の生徒たちに学びを与えたいと強く思いました。
いったん利益はおいておき、公立中学でやれるのならやってみよう、と決断しました。
時間割への組み込みなど授業はどのような形で行ったのでしょうか。
窪
総合学習の時間を使い、3年生を対象に自己実現の力を身に付けるための授業や、2年生を対象にオンラインでさまざまな職場の人たちと結ぶ対話形式の授業をしてもらいました。
3年生には3月に映像を撮影して編集し、ドローンを飛ばすという卒業記念講座も実施し、思い出に残る体験になったととても好評です。
井上
自己実現のための授業では、これからの社会で必要なことや社会がどう変わっていくかを学ぶほか、コミュニケーション講座を行いましたが、みんなちゃんと聞いてくれて質問も出てくる。
学ぶ姿勢がとてもよく、伸びるものを感じました。担任の先生たちの日頃からの取り組みの賜物だと思います。
この6月に弊社がこれまでにやってきたキャリア教育の内容をまとめた映像をローンチするのですが、桜堤中学での授業でも取り入れる予定です。
先に映像を見てもらい、その後私が授業することでより高い効果が発揮できると思います。先生が授業で映像を活用することもできます。
公立中学の挑戦が墨田区、日本全体へのロードマップに
公立と私立の違いについてお話がでましたが、私は私立の小中校の少ない地方出身なので違いがわからないところがあります。違いや差はどれくらいあるのでしょうか。
井上
私は東京出身ですが、家計的に私立に行く選択肢がなかったこともあり、高校までずっと公立です。
今、中学受験が望ましい将来の進路に必須のように言われていますが、そんなことはない。ずっと公立でもすてきな先生やいいプログラムと出会えて、すてきな友人関係ができればちゃんと人格が形成されていきます。
むしろ高偏差値の私立校では過剰に競争させられたり、スポイルされてしまったりするおそれも。公立はやり方次第でチャンスはたくさんあると思います。
窪
小学校6年で上位の成績だった子どもたちは私立に抜けていきます。逆に言えば、それまで目立たなかった子たちが公立の中学で前面に出られるようになります。
そして、3年間かけて自分を表現していく、物事を決めていく力が備わったら井上さんが言うようにチャンスになっていくと思います。
井上
今は、これまでの偏差値で決まる学力ではない能力が求められるようになってきています。英語に特化する、プログラミングや映像、デザインなどに取り組むなどさまざまなアプローチがある。
ただ、学力がなくてもいいのではなく、物事を深く考え、さまざまな事象をつなぎあわせる時に中学校の基礎学力は土台として必要だと思います。
たとえば、因数分解の意図を理解していないと物事を論理的に分解することの意味を理解しにくい。私はアントレプレナー教育の授業でも、これは理科の考え方なんだよ、とちょいちょい差し込んでいます。
中学までの5教科はしっかりやることがやはり大切です。
窪
本校の特長として、推薦で都立高校に進学する率が高いことがあげられます。
第3学年の在籍167人のうち約90人が推薦で受験していて、区内の他中学と比較しても相当多い。都立高校でも難関ではなく推薦で受かりやすい高校を選んでいくのですが、合格率は一般的には20~30%のところ40%以上の結果を出している。
これをさらに伸ばしていきたい。そのためにも、学ぶことの意味を知るアントレプレナー教育は有効だと思っています。
ただ、保護者の方には、アントレプレナー教育の内容や意義がまだまだ伝わらないところがありますから、日々の学校生活をしっかりと過ごし、生徒も教師も9教科の全てに取り組む姿勢を大切にすることで、新しいチャレンジへの理解を得られるようにしていきたいですね。
今は桜堤中だけの取り組みですが、他校でもアントレプレナー教育は必要ではないかと感じました。区全体に拡大すれば、予算もつくのではないでしょうか。
井上
もちろんそこが目標です。今はまったく区の補助はなく、ゼロ円で授業を提供させていただいています。実績を作り、いいものであることをお見せすれば墨田区さんは必ず予算をつけてくれるだろうと思っています。
桜堤中学さんとコラボした理由は、出身地の墨田区から日本の教育を変えていきたいという想いから。もうひとつ墨田区では学生が起業にチャレンジする情報経営イノベーション専門職大学(iU)を誘致しています。
大学だけではなく、小中学校の教育にも力を入れてほしい。墨田区の教育で育った子どもたちが世界に羽ばたいていく、その環境を整えることこそが大切だと思っています。
今後は、その実現のために桜堤中学さんでの実例を盛り込んだプレゼンをしていく予定です。
窪
私の方でも昨年度のBYDさんの取り組みを他中学校の校長やPTAの方々、地域の青少年育成に関係する方たちにお話し、興味を持っていただいています。これらの取組が区議会の方々や区長さんに届くことを期待しています。
井上さんともいつもお話ししているのですが、墨田区で育ち、世界に羽ばたいてく子どもが出てきてほしい。「何のために勉強するのか」を知れば、子どもたちは未来を見つめ、自分の可能性を広げていくことができます。それを後押しすることが私たち教育者の役割です。
井上
墨田区で育ち、地元でお店や商売を本気でやりたいという子も、興味を持った分野で世界を目指そうという子も、どちらも出てきてほしい。
スポーツでもアイドル、ユーチューバーでも何でもいいのですが、そういう子が出てくると出身地も注目され、「墨田区、いい感じなんじゃない」となる。その可能性を広げるには小中学校から取り組むことが大切です。
人財を育て、地域の魅力を高める。そのためのモデルを墨田区で成功させ、日本の各地で広げていくのが目標です。
日本の未来をつくる「公立校の教育」をアップデート、いま大人がすべきこと
子どもたちの成長に向け、それぞれの立場で日々大切にしていることを教えてください。
窪
日々の学校運営では、生徒たちとの向き合い方とともに、直接生徒たち接する教員との向き合い方が大切です。
先生たちには、「子どもたちのいちばん近くにいる大人のモデルなのだから、そういう気持ちで頑張ろう」「生徒たちに声をかけてほしい」と言っています。
そのためには、私自身が先生たちに声をかける、週ごとに提出する授業や指導プランを丹念に見てコメントを返す、毎日授業を見に行くことを欠かさず続けています。
先生たちと子どもたちが頑張っている姿を実際に見て、現場にしっかりコミットすることにより、こうすれば子どもたちがもっと伸びるのでは、というアイデアも浮かんできますから。
井上
子どもは社会のさずかりものと言いますが、社会で育てるべきだと思う。今は学校で問題があると過度に先生のせいにされたり、親の教育が問題視されたりしますが、教師も親も社会の一員です。
社会に属するすべての人たちがもっと教育について考えてほしい。子どもは未来を切り開いていく人財、財宝なのですから。
弊社では社会人教育もやっていますが、楽しいのは子どもたちの授業で、未来へのわくわくを感じさせてくれます。最初はシャイだった子が授業を重ねていくうちに勇気をふりしぼって手をあげてくれると本当に感動しますね。
授業の振り返りシートに書いてもらう感想にその子の意思が出てきて、本当の意味で「書ける」子になってくれると、自分がしていることの意味があると実感します。
世界に目を向けるとさまざまな問題があり、今あり得ない戦争が起きている。もう戦争を起こさない社会にしていかないとならない。その社会を作っていくのが未来の子どもたちです。
子どもたちには本当に期待をかけているし、そのためには周りの大人も自分も子どもたちが憧れる大人になっていかないとなりません。
窪
こうしてお話を聞いていても、井上さんはとにかく視点が多彩で視野が広い。さまざまな角度から子どもたちについて考え、支援してくださることに応えたいですし、私がやりたいことをやってくれる、なくてはならないパートナーだと感じています。
井上
全国でも窪校長のような校長先生はいないんです。教育の現場では教育委員会や学校の管理職が壁になり、アントレプレナー教育の価値を理解してもらえないケースがほとんどです。
その中で窪校長や桜堤中学の先生たちが理解してくれました。学校教育を変えていくために、いい意味で足がけにさせていただいています。
窪
それに乗っからせていただいています(笑)。私は教育委員会で指導主事の経験がありますので、新しいことを進める難しさ、予算のつけ方の難しさもわかります。
教育委員会の方々に井上さんの授業を見てもらうなどさまざまに働きかけていきたい。私は教員生活、校長としての集大成として力を尽くしていきたいですね。
最後に、今後目指すところについて伺わせてください。
窪
私立の子どもたちと公立の子どもたちの差を少しでも埋めていくことです。子どもたちには物事を自分で決定し、人生を切り開いていける人間になってほしい。
そして、学校は永遠に続いていきます。教育者としては、次の担い手となる世代に教育への想いや経験を伝えていくことを最後の仕事にしたいですね。
井上
今の教育は、子どもが自分について考えることなしにあらゆることをさせすぎています。しかし、土台はどういう人間になりたいか、どう行動していきたいかで、それをなしとげるために学力や専門知識、情報が必要なのです。
高校では、3年前から自ら課題を見つけて学ぶ探究の授業が取り入れられ、取り組んだ生徒の学力や進路状況がよいことがわかってきています。
同様の目的をもつアントレプレナー教育が小中学校で当たり前になれば、学力とともに人格が向上できます。そういう未来を創っていきたい。
魅力ある人間がどんどん増えて世界と戦える日本になるために、ひとりひとりが自分らしく、豊かな人生を送れるようになるために。私自身も学びを深めながら力を尽くしていきたいと思います。
◎墨田区立桜堤中学校校長・窪 宏孝さん
1964年生まれ。私立高等学校、都立養護学校(特別支援学校)、区立中学校、在外教育施設派遣(日本人学校)、区・市教育委員会指導主事、市・区立中学校副校長、在学教育施設派遣教頭(日本人学校)そして現職。これまでの多くの学校の経験により、学校経営では、「クリティカルシンキング」を大切に、正解のない時代を生き抜く「レジリエント」で粘り強い生徒の育成を目指す。
◎株式会社BYD代表取締役・井上創太さん
1991年生まれ。大学在学中に大手予備校のチューターとして活躍したのを皮切りに、学生対象のフリーシェアスペースの運営に携わり、起業家としての活動を開始。2015年に株式会社BYDを設立し、若い起業家志望者のためのスクール運営や学校教育機関へのコンサルティング、全国の学校での特別授業、企業研修などを通じて、「夢中な人で溢れる社会の実現」を目指している。