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鳥山明さんの仕事場が解体 『ドラゴンボール』を生んだ聖地はなぜ残せなかったのか

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鳥山明
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世界中で愛される『ドラゴンボール』を生み出した漫画家・鳥山明さん。その創作活動を支えた愛知県清須市の仕事場が、姿を消そうとしている。2024年3月に68歳で亡くなった鳥山さんが長年使用してきた建物では、今年10月から解体工事が始まり、すでに大部分が取り壊された。ファンや関係者から惜しむ声が上がる一方、保存には現実的な課題もあった。世界的な人気作品を生んだ場所を、なぜ残すことができなかったのか。

 

鳥山明さんの仕事場が解体 黄色い建物に別れ

毎日新聞の11月3日の報道によると、解体が進んでいるのは、鳥山さんが長年、自宅兼仕事場として使用していた愛知県清須市の建物だ。黄色い外観が特徴で、『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』などの作品を生み出した創作拠点として知られていた。建物には鳥山さんの所属会社「バード・スタジオ」も置かれていたが、2026年8月に東京へ移転。その約2か月後、10月から解体工事が始まった。

鳥山さんの元アシスタントでイラストレーターのまつやまたかし氏は、毎日新聞の取材に対し、鳥山さんの作品のほとんどがその場所から生まれたと振り返り、建物が失われる悲しさを語った。近隣住民からも、海外のファンが訪れるほど知られた場所だったとして、解体を惜しむ声が上がっている。『ドラゴンボール』は連載終了から30年以上が経過した現在も、世界中で支持され続けている。その原点となった仕事場が失われることに、ファンが特別な思いを抱くのも当然だろう。

 

なぜ保存できなかった? 住宅街にある仕事場の現実

では、なぜ鳥山さんの仕事場は保存されなかったのか。清須市の永田純夫市長は毎日新聞に対し、解体は家族による決定と推察していると述べ、その意向を尊重する姿勢を示した。ただし、遺族やバード・スタジオから具体的な解体理由は公表されていない。

保存に関して、元アシスタントのまつやま氏は、建物が住宅街にあることを挙げ、博物館への転用は難しかっただろうとの見方を示している。仮に記念館として公開すれば、国内外から多くのファンが訪れる可能性がある。一般住宅を展示施設に改修するには、安全対策や設備整備、管理スタッフの確保が必要だ。さらに、駐車場や交通アクセス、近隣住民への配慮も求められる。鳥山さんの仕事場は観光施設として建てられたものではなく、本人が暮らし、作品を生み出すための場所だった。世界的な知名度を持つ漫画家の仕事場でも、記念館として保存するには多くの課題がある。

 

『ドラゴンボール』は世界的ヒット 創作の現場に残る価値

『ドラゴンボール』は1984年に連載が始まり、テレビアニメや映画、ゲームなど幅広い分野へ展開した。主人公・孫悟空は国境や世代を超えて親しまれ、鳥山さんが亡くなった際には世界各地から追悼の声が寄せられた。代表作の『Dr.スランプ』や、キャラクターデザインを担当した『ドラゴンクエスト』シリーズも、日本の漫画・ゲーム文化に大きな影響を与えている。

こうした作品がどのような環境から生まれたのかを知ることは、漫画の歴史を理解するうえでも意味がある。小説家の書斎や画家のアトリエが保存・公開されるように、漫画家の仕事場にも創作の足跡を伝える価値がある。完成した作品は出版や映像を通じて残り続けるが、作者が日々過ごした空間は、取り壊されれば元に戻すことが難しい。

日本政府は漫画やアニメ、ゲームを海外に発信する「クールジャパン」を推進してきた。その一方で、創作者が実際に活動した場所の保存は、所有者や地域の事情に大きく左右される。今回の解体は、世界的な作品を生み出した場所であっても、保存を希望する声だけでは守れない現実を示している。

 

清須市との深い縁 記念ロゴは残り、仕事場は消える

鳥山さんと清須市のつながりは深い。清須市は2025年の市制20周年に向けて、鳥山さんに記念ロゴの制作を依頼した。鳥山さんは地元ゆかりの戦国武将・織田信長を思わせるキャラクターをデザイン。市は完成したロゴを記念事業に使用し、2026年には市役所西館にロゴをあしらった銘板を設置した。

地元への思いを込めた作品が市の記念として残る一方、長年創作活動を続けた仕事場は解体されることになった。清須市にとって鳥山さんは、世界的な漫画家であると同時に、地域と深いつながりを持つ存在だった。その功績を伝える方法として、建物以外にも仕事場の写真や資料、関係者の証言などを残す取り組みが考えられる。

 

鳥山明さんの仕事場が残した問い 漫画文化をどう受け継ぐか

鳥山さんは生前、華やかな表舞台に出る機会が比較的少なく、地元で創作活動を続けてきた。その仕事場を観光名所にすることが本人の望みだったかどうかは分からない。建物が自宅でもあった以上、遺族の意向や近隣住民の生活を尊重する必要もある。

それでも、『ドラゴンボール』という世界的な作品が清須市の一軒の建物から生まれたという事実には、後世へ伝える価値がある。建物の保存が難しいのであれば、創作の歴史を記録し、地域の文化として受け継ぐ方法もあるだろう。

鳥山さんの仕事場は、すでに大部分が取り壊された。作品はこれからも世界中で読み継がれていく。その原点となった場所の記憶をどのように残すのか。今回の解体は、日本が誇る漫画文化の未来を考えるきっかけとなりそうだ。

 

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ライター:

Webライター。きれいごとだけでは済まない現実を、少し距離を置いて綴っています。

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