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王道家・清水裕正とは何者? 「との丸家」破産で注目集める家系ラーメン界のキーマン

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清水裕正
DALLーE

「王道家直伝 との丸家」の運営会社破産を受け、「こういう裏切りもたまにはある」と発信した王道家店主・清水裕正氏。吉村家で修業し、独自の「王道家」を築いた人物として、家系ラーメン界では大きな存在感を持つ。なぜ清水氏の一言がここまで注目されたのか。その歩みと、「王道家直伝」という看板が持つ重さをたどる。

 

「との丸家」破産で飛び出した「裏切り」の意味

9月16日、「王道家直伝 との丸家」の成東、富里、香取、石岡、小山、伊勢崎の6店舗を運営する株式会社トノマルが破産手続開始を申し立てた。清水氏はその日、「今日の朝初めて報告を受けた」とSNSで説明。「こういう裏切りもたまにはある」「本人が今捕まらない状態」と発信し、代表者と連絡が取れない状況にも言及した。

清水氏は「裏切り」という言葉が具体的に何を指すのかまでは説明していない。ただ、「王道家直伝」の看板を掲げる店舗の運営会社が破産するという重大な事態を、本人が当日の朝まで把握しておらず、代表者との連絡も取れない状況だった。この経緯を踏まえると、事前に十分な報告がなかったことへの強い不信が背景にあったとみられる。それでも清水氏がまず示したのは、困っている従業員をケアする姿勢だった。

 

28歳で吉村家へ、1年間断られ続けた末の弟子入り

清水氏の名前が家系ラーメン界で重く受け止められる理由をたどると、総本山「吉村家」に行き着く。吉村家の門をたたいたのは28歳。当初は入門を断られ、それでも約1年間通い続けた末に弟子入りを認められた。年齢的な焦りもあり、一日でも早く独立したかった清水氏は「給料も休みもなしでいい」と申し出て修業に入り、半年ほどで一通りの仕事を覚えたという。

2003年、入門から約1年で千葉県柏市に「王道家」を開業した。しかし、吉村家で覚えた作り方をそのまま自分の店へ持ち込んでも、同じ味にはならなかった。客足も次第に落ち、清水氏は自分が「作り方は知っていても、本質を分かっていなかった」と痛感したという。そこから約3年間、スープと向き合いながら試行錯誤を重ね、王道家独自の味を形にしていった。

 

人気店になった王道家、それでも吉村家「直系」を離れた

努力の末、王道家は行列ができる人気店へと成長した。ところが、店が軌道に乗ると清水氏に新たな悩みが生まれる。自分のもとへ集まってきた弟子たちにも、店を持たせたいと考えるようになったからだ。

当時、吉村家直系には「直系店は1店舗のみを経営し、そこから独立店を出さない」という決まりがあったとされる。吉村家への感謝を持ちながらも、弟子を育て独立させたい。清水氏はその二つの間で悩み、2011年に直系を離れる道を選んだ。直系を外れたことで、それまで使っていた酒井製麺から自家製麺へ切り替える必要も生じ、設備や開発に1000万円を超える費用を投じたという。

この決断から見えてくるのが、清水氏の「自分の店だけが繁盛すればいい」という発想とは異なる姿勢だ。吉村家から教わった家系ラーメンを、自分の代で終わらせず、次の人間へ渡していく。その考えが、現在の王道家グループや「王道家直伝」という広がりにつながっている。

 

弟子には最大3000万円、「店を持たせる」まで支える

王道家の公式サイトを見ると、現在も独立希望者を「修業生」として募集している。修業期間は原則1~3年で、修業を終えた人には開店資金として最大3000万円を融資する独立支援制度まで設けている。単に厨房でラーメンの作り方を教えるだけでなく、独立して自分の店を持つところまで支える仕組みだ。

清水氏は以前から「本物の家系」を広げたいという考えを発信してきた。2021年には公式ブログで、東京進出を前に「本物の家系とは何かを都内の人たちにも伝えて行けたら」と記している。弟子を増やすことも、店舗数を増やすことだけが目的ではなく、自分が吉村家から受け取った技術や考えを次へ渡す手段だったことがうかがえる。

 

だから「王道家直伝」の看板は軽くない

ここまで清水氏の歩みをたどると、今回の「との丸家」破産が、なぜ単なる一ラーメン会社の倒産で終わらなかったのかも見えてくる。

客からすれば、「王道家直伝」と書かれた看板を見れば、そこに王道家の味や清水氏の考え方まで重ねるだろう。実際の経営法人が別であっても、店で何か問題が起これば「王道家」という名前にも視線が向く。清水氏が20年以上かけて築いたブランドを、別の経営者へ預けることになるからだ。

一方で、看板を広げることは、清水氏自身の原点でもある。吉村家の直系を離れた理由のひとつも、自分の弟子を独立させるためだった。人を育て、その人物に店を任せ、家系ラーメンを広げていく。今回の騒動は、清水氏が長年続けてきたそのやり方が持つ難しさを、思わぬ形で浮かび上がらせた。

 

SUSURUとも約2年10カ月ぶりに和解

清水氏は、ラーメンを作る職人であると同時に、自分の考えをSNSやYouTubeで積極的に語る人物でもある。その率直さが支持を集める一方、発言が騒動へ発展したこともあった。

2023年12月には、人気ラーメンYouTuber・SUSURUについて、動画内で「炎上させるみたいな」と発言したことから両者をめぐる騒動が起きた。それから約2年10カ月を経た2026年9月29日、王道家公式Xが「SUSURUと和解」と投稿。SUSURU本人も「朗報」と応じた。ユーチュラによると、王道家の投稿は翌30日午前までに460万回以上表示されるなど、大きな反響を呼んだ。

 

吉村家の弟子から、今度は「看板を託す側」へ

28歳で吉村家の門をたたき、何度も断られながら修業の機会をつかんだ。独立後には店を軌道に乗せるまで約3年を要し、弟子を独立させるために直系を離れ、自家製麺まで作った。そして今では、自らが若い店主たちへ「王道家」の名と技術を託す立場になった。

そんな清水氏にとって今回の「との丸家」破産は、単に取引先の会社が倒れたという出来事とは意味が違う。「王道家直伝」という看板を預けた先で起きた問題だからこそ、「裏切り」という強い言葉が飛び出したのだろう。

一方で清水氏は、破産が明らかになった直後から従業員のケアを優先する考えも示している。店ではなく、人を育ててきた20年以上。その姿勢は、騒動が起きた後の対応にも表れている。

吉村家から受け継いだものを、自分なりの形へ変え、さらに次の世代へ渡してきた清水裕正氏。「との丸家」をめぐる騒動は、清水氏という人物だけでなく、「王道家」という看板が今どれほど大きくなったのかを改めて示す出来事となった。

 
 

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ライター:

Webライター。きれいごとだけでは済まない現実を、少し距離を置いて綴っています。

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