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LGBTQ×ADHDなど…ダブルマイノリティの生き辛さとは?

コラム&ニュース コラム
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初めまして、西村権太郎(にしむら・ごんたろう)と申します。私は東京都出身で、生まれてから丁度半世紀ぐらい経過した段階のLGBTQの「G」です。これまでメーカー広報や映画関連の仕事、マネージャー職等色々と携わってきました。

本コラムは私のようなマイノリティの人間がどのような生き辛さを感じているかについて、具体的な事例を交え紹介するものです。「生き辛さ」とは一体どのようなものなのか、多くの方に知っていただく機会となれば幸いです。

社会には、私のようなセクシャルマイノリティに加えて、「発達障害」まで重ね掛けした方も一定数いる現実があります(こうした「ダブルマイノリティ」になると、日々の生活の中で、特に職場で大変苦労するものです)。ただ、ダブルマイノリティの話は、現段階では社会的に関心のある事柄、とは言い難いのが実情だと思います。

本質的には誰もがのびのびとキャリア形成を行い、納得の行く・自己実現感の得られる仕事に就く「権利」が有るハズです。読者の方には、その社会包摂の網から零れ落ちた人間が現実にたくさんいることを知っていただきたいですし、サポートの在り方を考えてももらいたい。企業の社会的責任を考えた時に、SDGsの根本理念、「誰も切り捨てない」ということの尊さを、より多くの方が意識的になっていただけることを期待して、本稿を綴ります。社会包摂としっかり向き合う企業が「社会の公器」と言えるのではと私は考えています。

企業の社会的責任としてのダブルマイノリティに関する理解促進

変わるべきは個人

昨年(2022年)の世界保健機関資料によれば、先進7か国の中で、日本は自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)総数が15.7と最も高く、15~34歳の死因順位の1位が自殺となっているのも日本のみだそうです。私は、福祉の最大の意義・目的として自ら死を選ぶ人を無くす・減らす事だと思っていますし、様々な自殺の原因の中で、職場・仕事関連の問題が大きな割合を占めているという事からも、減少への取り組みは企業の責務ではないかと考えています。

又、気候変動による脱炭素への取り組みなどが地球規模で行われなければならないミッションだとすると、日本特有の取り組むべき問題としては高齢化も有ります。リバプール大学で心理学博士号を取得して人材論・組織論の世界的権威となり、2年に1度発表される世界で最も権威のある経営思想家ランキングである「Thinker50」に2003年以降毎回ランキング入りを果たしているリンダ・グラットン氏は、著書『ライフ・シフト』(東洋経済新報社刊)の中で、寿命100年時代に向け、リスクを最小限にとどめて恩恵は最大限に享受する為に「変わるべきは個人」と述べています。

文脈としては高齢化社会対策としてのものではありますが、社会の大きい変革に対し必要な備えが、政治や制度の大規模な改革ではなく小さい一個人の変化(成長)であると逆説的に唱えている訳で、これについては私も以前から全く同じ意見を持っていました。

同時多発テロの報復としてアメリカがアフガニスタンを攻撃する事に反対した著名人が、私達に戦争は止められないが隣人や同僚に親切にする事なら出来、そこから始めようと呼び掛けているのを聞いてからです。

結局何にせよ、一人の人間がどう感じるか、幸せか、満足か、強いストレスを感じていないか、仕事で自己実現感を得られているか、といった心理、感情、情緒にフォーカスを当て、それらのリサーチ&アナライズの上でどのように行動すべきか考える事が一番重要という事なのではないでしょうか。それは“エンゲージメント“の理念にも通じていますから、強ち私個人の勝手な好みの話でもない筈です。

命を守る為に

これを書いている今日(2023年6月16日)、LGBT理解増進法案が可決されました。元々私は、同性婚の合法化について、婚姻そのものよりも彼らが市民権を得る事で差別や虐めが無くなる・少なくなる事を期待し、勿論賛成していました。法整備の最大の意義はその点だと考えている訳です。
今回の法案は婚姻については含まれていませんが、とは言えやっと一歩進んだと感じ大変嬉しく思っています。

ここで又自殺の話ですが、首都圏の男子中高生における自傷行為の生涯経験割合は7.5%だそうですが、10 代のゲイ男性における自傷行為の生涯経験割合は17.0%と2 倍以上高いという調査結果があります。

又、年代を取っ払った調査では、ゲイ、又はバイセクシャル男性の自殺未遂リスクは異性愛者の5.9倍と分かったそうです。LGBT法案に反対する論調をあらゆる所で目にしますが、人の尊い生命を守る対策としての法律な訳ですから、風呂屋とかトイレとかの心配をしている場合ではないと思います。どちら(命と風呂屋)がより重いかは明白で、セクシャルマイノリティの人が抱える生き辛さについて、もっと関心を持って欲しい・理解して欲しいなあと私は思います。

又、身体的な障害を持つ方々と比較し、この「知られてなさ」や「見て判らなさ」が、見た目は普通の男性・女性と変わらない同性愛者の生き辛さを一層深刻なものにしているのではないかと私は考えています。この辺りはアンコンシャス・バイアスの問題とも重なるので、企業を運営する立場の方々にとって無関心でいて良い問題ではないのかなと思います。

同性愛が犯罪とみなされる国も未だに在りますから、国際的なコンセンサスを得られていない、といった理由でSDGsの17項目の中にLGBTの権利を養護する意味合いのあるものは含まれていないとの事ですが、「全ての人に健康と福祉を」ですとか「働き甲斐&経済成長」の項目などは、そこから誰かを切り捨てて良いといったものではない筈で、それがソーシャル・インクルージョンな訳です。
その辺りも、政府や自治体というよりは寧ろ企業の社会的責任に包含されているものと私は解釈しています。実際厚生労働省の自殺対策推進委員会の資料では、企業や地域社会のLGBTに関する知識促進の重要性を説いています。

見えない障害:性的な事柄→疎まれる

身体的な障害を持つ方々に対する社会的なサポートや就労支援等は当事者の方々からすると不十分かも知れませんが、割と充実して来ているのかなと思いますし、例えば手や足が無い、などといった事で、人との違いを悲嘆したり日々の生活の不便さに苦慮したりしている方が、何故か非難されるといった事はあまりないと思います。駅のホームで白杖の方に「邪魔」などと言う心無い人がたまにはいるそうで憤りを覚えますがレアケースでは?と思います。
ですがLGBTに対してはどうでしょうか?私の友人は職場で上司に「変態」と揶揄された事があるそうで、その事は後述します。

ハンディキャップが目で見て判らない上に大多数の人間と異なるポイントが性的な所なので表で語られる事が憚られて来たといった現実もあります。身体の障害を持つ方々とは同じ「マイノリティ」ではありますが、今回ここで私が書きたいのは目に見えない障害についてで、LGBTQであって且つ発達障害なども持っている事で非常に苦しい人生を送っている方々達の事です。IQがほんの少し低いといった「グレーゾーン」と呼ばれる方々も居ます。

パーソナリティか、または障害か

「gay」という単語を辞書で引くと「陽気な、朗らかな…」などといった意味が書かれています。「ゲイ」と聞き、寡黙で落ち着きがあり屈強で…などのイメージを思い浮かべる人はあまり居ないと思います。
色々なゲイの人達に初めて接した時、私は何か苦手だなと思いました。落ち着きがなく、煩く、大して面白くもない事で大騒ぎしたりする、そういった印象を持ちました。

又、多動性障害っぽさも見て取れました。あくまで個人の感想です。勿論そういった感じの方ばっかりでもないとは思いますが、傾向・印象の話で、でもそうした特徴が顕著でなければ上記の様な形容詞を彼らの呼び名として付けなかっただろうと思います。ただ、彼らに暴力性・攻撃性は皆無ですし、服装などが個性的であったりしただけで人格を尊重しない、とかは私の信条に反するので、どんな方であっても敬意を持って接するよう努めています。

私の知人であり都内で就労移行支援事業所の所長を勤めている方も、LGBTQの方々に対し同様の印象を持っているそうで、実際にADHDを抱えている人も多いそうです。素人考えですが、脳や遺伝子の造りが大多数の人間のそれと違うのであれば、異なっているのが「同性が好きという点」だけとは考え辛く、他の障害があっても不思議ではないのかなと思っています。

Aさんの経験:能力の偏り・悪循環と画一的なサポート

私の友人のAさんは小売店で働いている時、上司からお客様の動作から目的を判断しろと言われ、でも全く察する事が出来ず非常に困ったそうです。「お客様が〇〇を手に取ったら声を掛けるように」など明確な指示が必要だと感じたそうです。

確かに厚生労働省から事業主に向けた、職場でのADHDなど障害を持った人への接し方に関するガイドライン内での配慮事例の一つとして、彼らへの指示は「だいたい」「おおよそ」などの曖昧な形ではなく数値化するなどして具体的に示すように」と書かれていますから、同障害を持つ人の顕著な特徴なのかも知れません。

又、何処までやったら良いか、やってはいけないのか、などの線引きや判断も苦手であったり、うっかりミスも多いそうで叱られる事も多く、威圧的な父親と叔父の下で育った(同性愛者となる原因としてこのような後天的な幼児期の生育環境によるものもあると考えられています)為か、上司的な男性が酷く怖いらしいので、疲弊し遅刻・欠勤等も増えてしまったそうです。そういった事情で職を転々とし結果心療内科に通院するようになり生活保護を受けていたとの事でした。2008年と少し前のものになりますが日本発達障害ネットワークの資料によると、発達障害のある人の1年以内の離職率は37.5%と高く、その理由の主なものとして「いじめがきつく退職を余儀なくされた」「対人関係で鬱に」「上司に何時間も責められた」などが列んでいます。

又、これは企業ではなく福祉側の問題ですが、Aさんが社会復帰に向け通う就労移行支援の場では、どちらかと言うと知的障害者に合わせた研修カリキュラムになっていてラジオ体操を行ったり散歩をしたりするそうですが、Aさんは毎週、1時間のランニング、5千メートルの水泳、ジムトレを1回ずつ行っているそうですから勿論全く必要ない訳で、つまり障害の種類・度合が様々であるのに対し、細分化は難しい事からサポートが画一化されている現状があります。彼らの存在が想定されていない、といった現状です。

Bさんの経験:差別&ハラスメント

私のもう一人のゲイである友人Bさんは職場で、独身は自分だけといった部署で、皆の前で上司に「40代で独身とか何か変態な性癖がある筈だ」と揶揄された事があるそうです。ゲイである事を隠し、繕って生きて来た彼にとって、秘密を持っている事はある意味図星で、それを暴かれるような状況は暴力を受けたようなダメージを感じたと話していました。

又勤務地は東京、といった条件で入社したその会社では、結局何年も地方に住む事を余儀無くされ、他の上司から「早く嫁さんを貰って、ここにずっと住め。」などと言われたりもしたので辞めたそうです。又、仕事以外でも差別を感じた経験は多くあるそうで、顕著なものとして、診療内科で医師に「ゲイだから職場でやり辛い・生き辛いとか理解が出来ない。勤め先で恋愛やプライベートな話などする必要が無い。」と言われた事があるそうです。
なので彼は試しにその病院の受付の人にその医師の事を訊くと、「既婚で子供が2人居る」と言われたそうで、その病院には2度と行かなかったそうです。

転勤等既存の企業慣習とジェンダー問題

社会・職場で生き辛さを感じ、助けを求めた医療機関でもそういった扱いを受ける訳ですから、彼らの生き辛さは尋常ではないと思います。中央大学大学院戦略経営研究科ワーク・ライフ・バランス&多様性推進・研究プロジェクトの「ダイバーシティ経営推進のために求められる転勤政策の検討の方向性に関する提言」の中でも、女性の社会進出を阻む、「男性は仕事、女性は家事・育児」といった「男性片働き」世帯を前提とした企業に於ける転勤制度の見直しを提言しています。

会社/転勤とジェンダー/人生設計の兼ね合いの問題は、経済活動を超えた人権に関する軽視出来ない問題です。Bさんは雇用契約が守られず本意ではない居住地での生活を強要され、且つ「女性と結婚するもの」と勝手に決め付けられました。

性的マイノリティの人間にとって地方で生活する事は「LGBT×地方在住者」としてダブルマイノリティであるとされる状況の1つとして数えられています。アメリカでも南部などの僻地では有色人種やセクシャルマイノリティに対しての差別は激しいですから、パートナーを探すといった目的を除いたとしても地方では生きて行き辛いといった現実が歴然と存在しています。

思いやりと寛容さの浸透

これらの問題の解決策として「手帳を持った人」を採用するだけでも少し足りないのかなとも思います。手帳を持った人には親切にして、持っていないウッカリした人には辛く当たる、とかでは全く意味がありません。隣の人は、見えない障害を抱えているかも知れないですし、障害を自覚していない人も多数存在します。ここから先は個々人の倫理観・情緒面の成熟が求められますが、そういった分野に、彼らが勤める会社が無関心でいて良い時期は終わったのかなと思います。

教育現場での虐めなどによる自殺のニュースには胸が痛みます。中高生ぐらいの二次性徴期にLGBT(又はトランスジェンダー)の希死念慮が一番高まる、といった調査結果があります。人を尊び誰に対しても敬意を払い、他社に思いやりを持ち親切に接し、謙虚で思慮深くあれ、といった姿勢についての道徳教育は学校や家庭で取り組むべき事柄かも知れませんが、親の世代が変わらなければ子供が変わる訳がありません。先ず大人が、仕事の現場でそうあるよう心掛けるべきだと私は思います。

厚生労働省の「自殺対策推進会議提出資料」では、『企業や地域社会において、正しい知識を啓発し偏見や誤解を解消するためのジェンダーやセクシュアリティの視点に立った人権研修などの取組を実施する』必要性が説かれています。求められるのは思いやりと寛容さで、そういった啓発・教育・研修を実施する企業が公器性を持った企業たり得るのではないかと思っていますが、問題は実際に彼らと直接対峙する人間な訳ですから、重要なのは浸透です。

誰もが貴重な資源=非財務資本

冒頭で「個人が変わるべき」といった言葉を引用しましたが、高齢化社会に向けての備えとしてそう書かれた言葉も、マイノリティの人間を排除せずに行こうといった考えと全く無関係でもありません。厚生労働省の発達障害に関するレポートの中で、「高学歴・高知能である程、就業に困難が伴う」と書かれていますから、彼らは会社を成長させる事の出来る可能性を持った優秀で貴重な資源・人材です。

私はADHDの友人から、失敗した事で何か会社に大きな損害を負わせたなどは聞いた事がありません。
ちょっと変わった人だからといって、ちょっと人と違った方法論で業務にあたる人だからといって、エンゲージメントを高める対象から外して良い訳はなく、労働寿命が高まる中で、社員の固有の能力を会社の利益に繋がるよう適性に沿った人材配置等に配慮する事は、現存するあらゆる資産を有効利用し利益を最大化するといったマネージメントの理念そのものだと私は考えています。

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ライター:

ライター。東京都出身、生まれてから丁度半世紀ぐらい経過した段階のLGBTQの「G」。これまでメーカー広報や映画関連の仕事、マネージャー職等色々と携わってきた。

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