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「壊れるからこそ、安全なんだ」。動く動物玩具のパイオニア・イワヤが守り抜く子供の命と全世代の笑顔

ステークホルダーVOICE 経営インタビュー
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関東大震災の焼け野原から103年

イワヤの東山社長
イワヤの東山誠社長。動物玩具の商品とともに(撮影:加藤俊)

「キャンキャン!」と鳴いて尻尾を振る子犬。太鼓を叩くクマ。 昭和のデパートや街のおもちゃ屋で、誰もが一度は目にしたことがあるだろう「動く動物のおもちゃ」。その国内シェアにおいて圧倒的な歴史と実績を誇るのが、千葉県松戸市に本社を構えるイワヤ株式会社だ。

2026年で創業103年。一世紀以上にわたり、日本の、いや世界の子供たちの笑顔を作り続けてきた同社だが、その道のりは決して平坦ではなかった。戦争、震災、プラザ合意による円高、そしてパートナー企業の倒産——。

幾多の危機を乗り越えてきた背景には、創業時から変わらぬ「子供への愛」と、時代に合わせて変化を恐れない「柔軟な強さ」があった。 同社取締役社長の東山誠氏に、100年企業が紡ぐモノづくりの哲学と、少子高齢化社会における玩具の新たな可能性について聞いた。

 

震災の絶望の中で灯った、「子供にはおもちゃが必要だ」という信念

イワヤの原点は、今から100年以上前、1923年(大正12年)にさかのぼる。創業者の岩谷慶吉氏は青森県から上京。小柄だった彼は「大きなものは作れないから、小さなおもちゃを作ってはどうか」と勧められ、工場勤めを経て5月に「岩谷製作所」を創業した。

しかし、そのわずか4カ月後、東京を未曾有の悲劇が襲う。9月1日に発生した関東大震災だ。 東京は壊滅状態となり、立ち上げたばかりの工場も被災。多くの事業者が廃業を余儀なくされ、生きることに精一杯な状況下で、事業を諦めかける声も多かった。しかし、慶吉氏は違った。

「こんな時だからこそ、子供たちにはおもちゃが必要なんだ」 その熱い信念だけで、彼は焼け野原からの再建を決意する。元々生地工場に出入りしていた経験を活かし、布を被った動く動物玩具の開発に着手。

これが、現在まで続くイワヤの「動くぬいぐるみ(メカニカル・アニマル・トイ)」の原型となった。

イワヤのオフィスには歴史ある同社製品がたくさん並ぶ
イワヤのオフィスには歴史ある同社製品の数々がたくさん保管されている

震災で全てを失っても、子供の笑顔のために立ち上がる。その創業の精神は、100年経った今も我々の根底に流れています」(東山社長)

 

「踏んで壊れないおもちゃは、安全か?」——100年企業の安全哲学

イワヤの製品を語る上で欠かせないのが、徹底した「安心・安全」へのこだわりだ。同社のおもちゃは、親子二代、三代にわたって愛されるロングセラーが多いが、そこにはある種の逆転の発想とも言える設計思想が隠されている。

東山社長は、お客様相談センターに寄せられる「あるクレーム」についてこう語る。

「『子供が踏んだだけで壊れてしまった。もっと頑丈に作れないのか』というお叱りを受けることがあります。しかし、私たちはあえて、過度な負荷がかかると『おもちゃ側が壊れる』ように設計しているのです」

体重10kg、20kgの子供が踏んでも壊れないほど強固なおもちゃを作ろうと思えば、技術的には可能だ。しかし、もしその強固なおもちゃの上で子供が転んだらどうなるか。おもちゃが壊れない代わりに、子供の足に怪我をさせてしまうかもしれない。

あるいは、兄弟喧嘩でそのおもちゃを振り回し、友達を叩いてしまったら、怪我をするかもしれない。

イワヤの東山誠社長

「おもちゃが壊れることで、子供の怪我を防ぐことができるなら、おもちゃは壊れるべきなんです。これは私が入社した平成2年当時から、先輩たちが口を酸っぱくして語っていた設計思想です」(東山社長)

開発段階では、わざと手荒く扱い、危険な壊れ方をしないかを検証する。子供の命と安全を最優先にするこの倫理観こそが、イワヤが長年信頼され続けてきた理由なのだ。

OEMの黒子から、自社ブランドへの転換。そして「キダルト」へ

イワヤの歴史は、日本の製造業の歴史そのものでもある。 戦後、ゼンマイから電動へと動力を進化させ、1950年代からは「動く動物玩具ならイワヤ」という地位を確立。しかし、その多くは自社ブランドではなく、バンダイやアルプス、野村トーイといった他社ブランドの製品を製造するOEM(相手先ブランド製造)だった。

転機となったのは、1985年のプラザ合意だ。急激な円高が進行し、1ドル360円時代から一気に円の価値が上がったことで、輸出貢献企業だった同社は打撃を受ける。これを機に、生産拠点を韓国、台湾、香港、そして中国へと移管していった。

さらに大きな試練が訪れる。かつての主要取引先であった玩具メーカーの倒産だ。売り先を失ったイワヤは、大きな決断を迫られる。「売る相手がいなくなった。ならば、自分たちの名前で売るしかない」。

イワヤのオフィスに飾られたおもちゃ

長年、黒子として磨き上げてきた技術力を武器に、自社ブランド「イワヤ」として表舞台に立つ。1980年代後半以降、パッケージに「IWAYA」のロゴを冠した商品は、累計3000万個以上を世界中に送り出すことになった。

そして現在、少子化という新たな課題に対し、イワヤはターゲットを全方位へと拡大させている。注目しているのは「キダルト(Kidult)」と呼ばれる層だ。Kids(子供)とAdult(大人)を掛け合わせたこの言葉が示す通り、かつて子供だった大人たちが、癒やしを求めて自分用におもちゃを購入するケースが急増している。

「昔買ってもらえなかったおもちゃを大人買いする方や、カバンにぬいぐるみをつけて歩く男性も珍しくありません。おもちゃはもはや子供だけのものではなく、全世代の心の隙間を埋める存在になっています」(東山社長)

 

独居シニアの「同居人」として。川崎市の福祉用具に認定された猫

この全世代化の流れの中で、イワヤが社会的価値(ソーシャル・インパクト)を生み出しているのが、高齢者向けの展開だ。象徴的な製品が、「なごみケーションにゃんこ」などのコミュニケーションペットシリーズである。2000年頃から開発を続けてきた音声認識技術やセンサー技術を搭載し、話しかけると「今日はいい天気だね」「昨日は何食べた?」と返事をしてくれる。

「ある時、お客様から『一人暮らしの母が、この猫のおかげで寂しくなくなったと言っている』という声をいただきました。認知症予防や、独居高齢者の孤立を防ぐパートナーとして、おもちゃが役に立っていることに気づかされたのです」(東山社長)

実際にこのシリーズは、川崎市の福祉用具にも認定されている。単なる娯楽ではなく、高齢者のQOL(生活の質)を向上させるケア用品としての側面も持ち合わせているのだ。「おはよう」と声をかければ返事をし、撫でればゴロゴロと喉を鳴らす。まるで本物のペットのような反応は、住宅事情で動物を飼えない家庭や、世話をする体力がなくなった高齢者にとって、かけがえのない家族となっている。

 

アナログの温もりとデジタルの融合。100年企業の次なる挑戦

東山社長は、社員として生産技術や開発、営業を歴任し、中国工場での駐在経験も長い現場叩き上げのリーダーだ。

「昔は、紙に描いた図面から鉄板を切り出し、手作りで『からくり』の試作を作っていました。デザインも粘土をこねて、『テーブルに置いた時、子供と目が合う角度はここだ』とコンマ数ミリ単位で調整していたんです」

そんな職人たちの手仕事の温もりは、AIやマイコンを搭載した現代のおもちゃにも受け継がれている。 最新作「跳んでもキャット」は、テーブルクロス引きや縄跳びなどの一発芸に挑戦するが、時々失敗して「チ~ン」などの効果音を鳴らして転ぶ。完璧な動作を求めるのではなく、失敗する姿に愛嬌を感じ、応援したくなる——そんな「隙」のある設計は、長年動物の動きを研究してきたイワヤならではの真骨頂だ。

イワヤの跳んでもキャット
跳んでもキャット(右)とちゅ~るちょうだい!ぺろりーにゃ(左)

近年は中国メーカーの技術力も向上し、かつてのパートナーが競合となるケースも増えている。しかし、東山社長は悲観していない。 「技術は進化しても、私たちが提供するのは『機能』ではなく『笑顔』です。驚き、癒やし、そして安心。これらは国境も世代も超える普遍的な価値です」

関東大震災の瓦礫の中から、「子供のために」と立ち上がった一人の男の情熱。そのバトンは100年の時を超え、今、子供だけでなく、日々の生活に癒やしを求める大人たち、そして孤独を感じる高齢者たちの心にも、温かい灯をともし続けている。 イワヤの動物たちがトコトコと歩むその先には、世代を超えた「なごみ」の風景が広がっている。

イワヤの東山誠社長

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ライター:

株式会社Sacco 代表取締役。一般社団法人100年経営研究機構参与。一般社団法人SHOEHORN理事。株式会社東洋経済新報社ビジネスプロモーション局兼務。週刊誌・月刊誌のライターを経て2015年Saccoを起業。 連載:日経MJ・日本経済新聞電子版『老舗リブランディング』、週刊エコノミスト 『SDGs最前線』、日本経済新聞電子版『長寿企業の研究』

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