ESGの逆風、制度だけが独り歩き

日本公認会計士協会の次期会長に、準大手・仰星監査法人の南成人氏が就任する。2006年に「ビッグ4」体制が確立して以来、四大監査法人以外からの選出は初となる。
協会会長選の結果は、サステナビリティ保証制度の推進を掲げた大手出身候補が敗れたという一点で、会計業界の構造的な変化と、制度導入をめぐる温度差を鋭く浮き彫りにした。
サステナ推進派敗れる、「中小支援」への転換点
今回の選挙には、あずさ監査法人の小倉加奈子氏と仰星監査法人の南成人氏が立候補。協会内の推薦委員16名による投票で、南氏が11票を獲得し当選を果たした。サステナ情報の開示と保証制度の制度化を強く訴えた小倉氏に対し、南氏は中堅・中小監査法人への支援と若手会計士の定着促進を前面に掲げた。
制度上は、2027年3月期から時価総額3兆円以上の上場企業を対象に、サステナ情報の開示と外部保証が義務化される見通しだが、今回の選出は、制度導入に現場が必ずしも追いついていないという業界の“声”を代弁した格好となったようだ。
欧米で揺らぐESG、日本は制度を突き進めるのか
サステナ保証制度の導入をめぐる前提条件そのものが、国際的に揺らいでいる。米国では共和党を中心に「反ESG」の運動が拡大し、企業のESG開示や投資判断に対する州政府の圧力が強まっている。欧州でも、欧州委員会が報告義務対象企業の縮小を決定し、保証制度の適用範囲見直しに踏み切る動きが加速している。
このような“逆ねじ”が進む中で、日本では企業会計基準委員会(ASBJ)の下部組織であるサステナビリティ基準委員会(SSBJ)が基準策定を着実に進めており、政府も制度化のスケジュールに大きな変更は加えていない。だが、「グローバルな空気と国内の制度運用に乖離がある」との懸念は、制度の現場実装に向けた足取りを重くしている。
保証業務に数百万円、「誰のための制度か」との疑念
現場では、保証業務にかかる費用も現実的な障壁となっている。現在、監査法人によるサステナ保証の費用相場は500万円前後、ISO審査系の第三者機関では200~300万円台という金額感を耳にする。いずれにせよ、多くの企業にとっては「追加コスト」であり、その効果と実質を疑問視する声が絶えない。
ある上場企業の経営企画担当者は、「保証の必要性は感じているが、形式的な外部意見に過ぎないのであれば、果たしてここまでの負担が妥当なのか」と率直に語る。「結局、ESG評価機関やデータプロバイダの評点を高める効果があるだけであり、いいように食い物にされているだけとも感じる。」
中堅・中小にとって“遠い世界”の話
こうした制度設計に対し、中堅・中小監査法人では「保証は大手だけの話」と冷ややかに受け止める空気が強い。日経新聞の報道によると、ふじみ監査法人の山田浩一理事長は「仮に保証対象企業の基準が引き下げられたとしても、対応できる中小法人はごく一部。システムや人材教育への投資は現実的ではない」と語っている。
事実、近年は会計士全体に占める大手法人所属者の比率が低下しており、協会内においても“声なき多数派”が影響力を強めつつある。制度と実態の乖離が放置されれば、形式だけが先行する可能性もある。
「結局、誰のための開示だったのか」 プライム企業経営者が語る“サステナ対応の徒労”
また、サステナ情報の開示と保証をめぐる制度設計は進んでいるものの、現場のサステナビリティ担当者たちの間では、開示支援を担う大手監査法人系コンサルティングへの不信感も根強い。
ある東証プライム企業のサス担は語る。
「結局、価値創造プロセスやマテリアリティ特定などを大手監査法人系列のコンサルに依頼しても、成果物に満足したことはない。価値創造プロセスやマテリアリティ特定など1メニュー1,000万円が相場だろうが、実際に来るのは新人と中堅の混成チームで、ヒアリングを繰り返すだけ。こちらの事業の本質も競争優位もなんとなくの理解であり、まぁこんなものかというレベルのアウトプットが出されるだけ」
そのようなレポートをもってしても、GPIFが選ぶ「優れた統合報告書」や、日本経済新聞社の「統合報告書アワード」、さらにはWICI Japanの推奨事例にも選ばれない現実がある。単に制度対応の体裁を整えるだけでは、開示としての質が評価されないことを、多くの企業が学び始めている。
「我々が本来取り組むべきは、機関投資家との対話の中で、長期ビジョンや自社の成長ドライバーをどう見せていくかだった。価値創造プロセスのオクトパスモデルをどう作るかなどはステークホルダーにとってはどうでもいいことだったのではないか。開示の本質がわからず、コンサルの口車に乗せられ、制度対応を目的化してしまった。今となっては、あのお金は何だったのか、という思いすらある」
制度化が進めば進むほど、「形式」だけに収斂した開示支援ビジネスが拡大し、現場の不信が蓄積してきた構図がある。こうした怨嗟は確実にサステナ担当者の間で共有されていき、サステナビリティコンサル界隈や開示支援会社への不信が溜まりつつあるように思える。
形式論に支配された「制度主導のESG」への違和感が、会計士業界内だけでなく、企業の実務現場でも静かに広がっていたとすれば、今回の会長選は、その機運が制度側にも反映された象徴的な出来事だったのかもしれない。今回の会長選結果は、そうした現実への“カウンター”でもある。
南新会長の舵取りに問われる「現実と理想の接続力」
南氏は就任を前に、「サステナ保証の優先順位を下げるつもりはない」と述べる一方で、「制度のスケジュールには余裕があり、中小を含めた教育体制を整備する時間がある」と強調した。若手の働きがい確保や、地方のネットワーキング支援などにも注力する構えを見せており、「制度を支える“地ならし”にこそ今は力を入れるべきだ」との立場を示す。
会計士予備校での指導経験も持ち、大手法人出身者にも教え子を持つ南氏には、組織の壁を越えた共感形成力が期待される。制度の理想と、現場の現実。その接続点を見極めながら、準大手出身初の会長として、問われるのは“割れた業界”をどうまとめるかという一点に尽きる。