
八十二銀行が発表した新たな社外取締役人事が、業界の内外でちょっとした話題になっている。指名されたのは、かつて「1億人のクラスメイト」のキャッチコピーでアイドルとしてデビューしたいとうまい子氏(本名:小野田麻衣子)だ。
執行役を監督できない、お飾りタレント社外取締役の弊害
芸能人の社外取締役起用と聞くと、「またか」という印象を持つ読者も少なくないだろう。確かに、近年ではダイバーシティを名目に、元アスリートや女子アナウンサーが企業の役員に据えられる事例が増えている。だが問題は、その多くが企業の「監督」機能を果たせていない形式的な人事にとどまっている点だ。
企業経営において社外取締役に求められるのは、経営を行う執行側とは異なる立場から経営判断をチェックし、必要に応じてブレーキをかける「監督役」としての存在だ。だが現実には、社内の情報が共有されにくいことから、執行側に比して大きな情報格差が生じやすく、十分な発言や判断ができないまま、議案を追認するだけの存在になっていることも少なくない。
定期的な取締役会儀に出席だけして、とんちんかんなことを質問したり、あるいは何も言わないで弁当食って帰るだけ、それで年間1000万以上もらっている、そんな社外取が巷にはゴロゴロしている。結局、存在価値はその身をもって女性の役員比率を高めることに貢献しているだけという人が多い。この安易な女性社外取起用の流れによって、社外取制度そのものも形骸化した潮流の産物となってしまっている、そんな上場企業が最近は目に付くのだ。
このような背景の中での、いとう氏の起用。「ああ、またか」となるところだが、いとう氏の歩んできたキャリアを知ると、この人事が単なる話題づくりではないことに気づかされる。
アイドルから研究者へ、異色すぎるキャリアの裏側
いとう氏は1982年「ミスマガジンコンテスト」初代グランプリに輝いて以来、女優、歌手、タレントとして活躍されてきた。1983年、シングル『微熱かナ』でアイドル歌手としてデビューし、青春ドラマ『不良少女とよばれて』(TBS系)などで人気を博した。1990年代以降はバラエティ番組でも活躍し、『笑っていいとも!』『バイキング』などにレギュラー出演してきた。
だが彼女のキャリアが異色なのは、そこから先だ。2010年、40代後半にして早稲田大学人間科学部に入学。学び直しを決意した理由は「予防医学に役立つロボットを作りたい」という思いだったという。修士課程では高齢者の運動器障害予防をテーマに医療・福祉ロボットの研究に取り組み、博士課程では基礎老化学という、より深い領域へと足を踏み入れた。
現在は東京大学大学院理学系研究科に研究生として所属し、抗老化の科学的研究を続ける傍ら、AI企業「エクサウィザーズ」のフェローとしても実装レベルの開発に関与。まさに、ラボとビジネスの両現場で活動する「知の実務家」である。
企業経営者、大学教授など多彩な顔
さらに彼女は、教育や経営の分野でも力を発揮している。2021年には内閣官房の「教育未来創造会議」の構成員として政策提言に携わったほか、2021年に株式会社タスキ、2022年には株式会社リソー教育の社外取締役にも就任。テレビ番組制作会社「ライトスタッフ」では代表取締役社長も務める。
そして2025年からは、情報経営イノベーション専門職大学の教授に加え、洗足学園音楽大学の客員教授としても講義に立つ予定だ。とりわけ洗足学園音楽大学では、クラシックやミュージカル、ロックなど多様なジャンルの音楽教育を行っており、彼女のようなマルチキャリア人材の知見が生かされると期待されている。
SNSには“疑いの声”と“驚きの声”が交錯
今回のいとう氏の起用について、SNS上では早速、さまざまな声が上がっている。
「え、いとうまい子って、昔のアイドルでしょ?なんで銀行の取締役に?」
「話題づくりかよ…」
といった表層的な反応がある一方で、
「博士課程修了して東大の研究生、しかもAIベンチャーにも関わってるって本物じゃん」
「普通に経営者であり教育者。芸能人のイメージで見てた自分が恥ずかしい」
といった事実を知った上での評価も多く見られた。
芸能人の肩書きが先行する中で、その実力が十分に認知されていないという現実もまた、今回の人事をめぐる社会の縮図だ。
ロボットと抗老化、そして政策提言まで担う才女の現在地
いとう氏は、芸能界でも“ガジェッティーヌ女優”と呼ばれるほどのIT好きでもある。1995年には公式サイトのために独自ドメインを取得、現在までSNSやネット発信を積極的に活用している。現場を知り、実装を知り、世の中との接点を肌で理解するこのバランス感覚こそが、いま企業に必要とされている資質ではないか。
単なる「女性起用」「知名度頼り」ではなく、本質的なスキルと経験を備えた異色の取締役──。今回の八十二銀行による人事は、いわば**“形式的な多様性”から“実効的なガバナンス”への転換点**を象徴するものとして、今後さらに注目されていくだろう。
実効性が問われるこれから──真価が試される立場に
とはいえ、社外取締役に選任された以上、今後はその実効性が厳しく問われていくことになる。いとう氏が“監督役”として、経営の意思決定を担う執行役をどれだけ客観的かつ的確に見守ることができるのか。その目線の確かさと姿勢の真摯さは、株主をはじめとするステークホルダー全体の視線にさらされることになるだろう。
だからこそ、いとう氏自身も「見られる側」であることを自覚しつつ、研究者としての洞察力と現場経験をもって、実のある取締役の職責に挑んでもらいたい。
八十二銀行の真意ある人選が、ガバナンスの質を一段引き上げることを、静かに期待したい。