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株式会社 西部海苔店

https://www.nishibe-nori.net/

〒574-0011 大阪府大東市北条7丁目1-10

072‐876‐1149

創業101年、絶滅危機の海苔業界で西部海苔店が見せた、驚異の生存本能と家族の物語 黒い名脇役が透明な主役に変わるまで

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西部海苔店・西出社長
西出悟社長(提供:西部海苔店、以下同)

おにぎり、海苔弁当、ラーメン、そして回転寿司。 日本の食文化において、海苔は常にそこにあり、主役を引き立てる「黒い名脇役」として愛されてきた。しかし今、その当たり前が音を立てて崩れようとしていることを、私たちはどれだけ知っているだろうか。

 

海水温の上昇による記録的な不漁。かつて年間100億枚あった日本の海苔生産量は、2022年には60億枚台、そして2023年には48億枚へと半減した。仕入れ価格は倍騰し、多くの業者が廃業へと追い込まれている。

そんな絶望的な荒波の只中で、過去最高売上となる13億5000万円(2024年7月期)を叩き出し、さらには「海苔由来の化粧品」という全く新しい航路を切り拓いた企業がある。 大阪府大東市に本社を構える、創業101年の老舗「株式会社西部海苔店」だ。

なぜ、彼らだけが生き残ることができたのか。 その裏には、祖父から受け継がれた「不屈のDNA」、父と対立してまで断行した「血の滲むような改革」、そして逆境を「ノリしろ」に変える、強靭でしなやかな家族と社員たちの物語があった。

「西部」という社名に刻まれた、再起の記憶

 

同社の歴史は、1923年(大正13年)にさかのぼる。 創業者は、現社長・西出悟氏の祖父。

15歳で三重県から大阪・天満へ出てきた祖父は、乾物問屋で丁稚奉公として働き始めた。転機が訪れたのは20歳の時だ。修行先の経営が傾き、なんと若き祖父に会社の実印が託されたのである。

「最初にした仕事は、仕入先に頭を下げて回ることだったそうです。『お金がないから支払いを待ってください』と」 西出社長はそう語る。

若くして背負った負債と責任。しかし祖父は逃げなかった。必死で経営を立て直し、30歳で独立を果たす。その時、屋号に選んだ名は「西部(にしべ)」。自身の姓である「西出(にしで)」と、恩義ある修行先「服部(はっとり)商店」の「部」を組み合わせたものだ。

苦境の中で育ててくれた恩を忘れず、泥臭く這い上がる。この創業時の精神こそが、100年後の現在まで続く同社の生存本能の原点となっている。

売上12億が2億へ。父と子の対立、そして「行商」の日々

時代は平成へと移り変わる。 西出社長と弟が入社した約30年前、同社は大きな岐路に立たされていた。当時のビジネスモデルは「問屋の問屋」。

産地の入札権を持たない同業者に、仕入れた海苔をそのまま卸すスタイルだった。 だが、バブル崩壊後のデフレ経済下で、付加価値のない右から左への商売は限界を迎えていた。売上は全盛期の12億円から6〜7億円へと半減。利益などほとんど残らない。

「このままでは、座して死を待つのみだ」

当時20代だった西出兄弟は、父である先代社長に詰め寄った。「同業者への卸売りを辞めよう。原料卸問屋では大手に売り負ける。自社で加工して海苔製品に付加価値を付け、飲食店やスーパーに売る販路を開拓して海苔加工メーカーになろう」。

それは、これまでの商売を全て捨てることを意味する。父は猛反対した。「なんとかなる」と言う父に対し、兄弟は2年かけて説得を続けた。

そして断行された「業態転換」。 同業者への売上をスパッと切った翌日、会社の売上は2億円台まで激減した。「西部は危ないんじゃないか」「もう廃業するらしい」。業界内でそんな噂が飛び交った。入札権も返上せざるを得なかった。

しかし、ここから兄弟の快進撃が始まる。「明日からどうしていいか分からない。ただ漠然と、横(同業者)に売るんじゃなく、縦(エンドユーザー)に売れば儲かるはずだと信じていました」

二人は来る日も来る日も、見ず知らずの寿司屋や弁当屋へ飛び込んだ。 「名刺が1000枚、2000枚と消えていきました。門前払いは当たり前。それでもコツコツと、一件一件信頼を積み重ねていったんです」 かつて祖父が頭を下げて回ったように、孫たちもまた、泥臭く道を切り拓いた。

その結果、家系ラーメンチェーンや大手外食産業との取引が決まり始め、売上は徐々に回復。2019年には7億7000万円まで持ち直し、利益もしっかり出る体質へと生まれ変わった。

 

「ガッツポーズ」から一転、廃業の危機へ

「これでやっと、メーカーとしてやっていける」 念願だった兵庫県の入札権も再取得し、未来は明るいと思われた。しかし、運命は過酷だ。2020年、新型コロナウイルスが世界を襲う。外食需要は蒸発し、売上は一瞬にして止まった。

さらに追い打ちをかけたのが、2023年の海苔大凶作である。 海水温の上昇により、海苔が育たない。仕入れ価格は一気に2倍に跳ね上がった。これまで3〜4億円で済んでいた仕入れ資金が、突然8億円必要になる。

「昨年まで過去最高益でガッツポーズしていたのが、翌年には『廃業』の二文字が頭をよぎる。それほど恐ろしい状況でした」

資金ショート寸前。救ったのは、地道に積み重ねてきた「信用」だった。 大手都市銀行から、地域に根差した地方銀行へとメインバンクを移していた同社は、その誠実な経営姿勢が評価され、無担保での融資を受けることができたのだ。

「銀行さんの男気と、これまでお付き合いしてきた小さなお客様たちが成長して支えてくれた。人との縁に救われました」

「余白」が生んだ奇跡。捨てられる海苔が“透明な美容液”に

海苔からつくられた化粧水
ポルフィナース

コロナ禍で時間が止まった時、西出社長はただ手をこまねいていたわけではない。 「テスト前に勉強しなかったら後悔するのと一緒で、この暇な時間を何もしないで過ごしたら、後で絶対後悔すると思ったんです」 社員を集め、今できることは何かを話し合った。

スーパー向けの惣菜開発、テイクアウト需要の掘り起こし。そして社長自身が着手したのが、「海苔の化粧品開発」だった。

着目したのは色落ち海苔だ。 海水温が高いと、海苔は栄養を吸収できず赤っぽく変色する。味も落ち、見た目も悪いため、食用としての価値は著しく下がり、廃棄同然の扱いを受けることもあった。 しかし、西出社長は近畿大学との共同研究で驚くべき事実を知る。

「色落ちした海苔ほど、海苔特有の保水成分『ポルフィラン』を多く含んでいるんです」

食べるには適さないが、肌を守る力は秘めている。 この厄介者から成分を抽出しよう。完成したのは、無色透明の美容液とオールインワンジェル「ポルフィナース」だ。

黒くてベタつく海苔のイメージを覆す、サラリとした使い心地。 「色が落ちて価値がないと嘆かれた海苔が、女性の肌を潤すものに変わる。使った方からは『その後の化粧ノリが良くなった』なんて言われます。海苔屋だけにね(笑)」

社長は冗談めかして笑うが、これは単なるダジャレではない。 環境変化によって価値がないとされたものを、視点を変えることで新たな価値へと転換させる。SDGs(持続可能な開発目標)の本質を体現した、老舗起死回生のイノベーションだったのだ。

 
化粧水のデータ

100年企業のプライドとは、「変わり続けること」

現在、西部海苔店は海外展開にも力を入れている。 世界中で海苔が食べられるようになった今、市場を席巻しているのは安価な韓国産や中国産の海苔だ。

「日本の海苔は高い。でも、それだけの理由があるんです」 英語を話せない社員たちが自ら手を挙げ、オーストラリアやアジアの現地へ飛び、飲食店で実際に拙い言葉でも情熱を持って日本産海苔の魅力を伝えていきたいと息巻いております。

「安ければいいという風潮の中で、あえて手間暇をかけた日本産の良さを伝えたい。それは100年続いてきた暖簾のプライドでもあります」

挨拶を大切にする。人と人との体温のある付き合いをする。そんな古き良き商習慣を守りながら、一方でビジネスモデルは大胆に破壊し、再構築する。「真っ黒な海苔」から「透明な美容液」へ。「国内の卸」から「世界の食卓」へ。

西部海苔店の強さは、伝統を「守る」ことと「変える」ことを、恐れずに実行できるその柔軟性にある。 101年目の老舗が見せるのは、枯れた円熟味ではない。

まるで新興企業のような、瑞々しい挑戦のエネルギーだ。「うちの挑戦には、まだまだ“ノリ”しろがありますから」 そう語る西出社長の顔は、かつて1000枚の名刺を持って街を駆け回った、あの日の少年のように輝いていた。

西部海苔店・西出社長

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ライター:

株式会社Sacco 代表取締役。一般社団法人100年経営研究機構参与。一般社団法人SHOEHORN理事。株式会社東洋経済新報社ビジネスプロモーション局兼務。週刊誌・月刊誌のライターを経て2015年Saccoを起業。 連載:日経MJ・日本経済新聞電子版『老舗リブランディング』、週刊エコノミスト 『SDGs最前線』、日本経済新聞電子版『長寿企業の研究』

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