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衆議院議員 青柳仁士さん | 社会課題解決への取り組みとSDGsの本質

サステナブルな取り組み SDGsの取り組み
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青柳さん1
青柳仁士さん(撮影:安藤)

「SDGsは世界を変えるための起爆剤」ーそう語るのは、国連の職員としてSDGsの始まりに携わり、また日本で広める活動をしてきた青柳仁士さんです。今回のインタビューでは、学生時代から社会課題解決に取り組み続けている背景や思い、SDGsの取り組みの本質についてお話ししていただきました。

社会課題解決への取り組みはライフワーク

SDGsを意識し始めたのはいつでしょうか。

青柳

私にとって社会課題解決に取り組むことはライフワークみたいなもので、学生時代から今までずっと続けているので、いつからといわれるとなかなか難しいです。あえて言うなら、リオ+20のころだと思います。

私は元々国連の職員をしていて、2010年から2012年までニューヨークの国連開発計画(UNDP)というところにいました。MDGsが終わるタイミングで、次の時代の世界のゴールをつくろうと国際交渉がちょうど始まったころです。それまでは、政府がいろいろなプロジェクトをして、貧困や気候変動などの課題解決に取り組み、世界を変えていくという考え方でした。しかし、そのやり方ではどこまで効率的に行っても世界は変わらないというのが共通理解になって、そこから民間企業も市民社会も全員が動けるような世界のゴールが必要だということで、2013年のリオ+20で、サステナビリティという言葉が国際的に共通言語になり、SDGsという流れになっていきました。なので、意識し始めたのはこのころですね。

大学卒業後はJICAにいらっしゃったそうですが、それはなぜですか?

青柳

大学生の頃に経済学を専攻していて、途上国のマクロ経済成長を研究する開発経済学のゼミで勉強していました。自然と就職活動を始めてピンとくるのはJICAや国際機関でした。特に意識した出来事といえば、当時新聞で読んだインタビュー記事で、「将来の夢は何ですか?」という問いに「生きていたいの。」と答えるルワンダ人の女の子がいて、衝撃を受けたことです。ルワンダの内戦後、仕事がなくうろうろしている人がたくさんいて、目の前でたくさんの人が貧困や飢餓で若くして亡くなっているのも見てきて、自分にも将来がないということが分かってしまっている。将来の夢を描く余裕はなく、そもそも生きていけるかもわからないから、生きていたいという切実さが伝わってきました。

その記事を見て疑問を感じたんです。私は当時大学3 年生で、何不自由ない豊かな暮らしをしていたし、将来は開けていました。自分の実力次第でいろいろなことができるだろうし、仲間もできるだろう、きっと結婚をして子供を産むだろう、みたいに思っていました。随分違うと感じたんです。それでいいのかなと。それから、この世界を変えたいと思うようになりました。

そのあと国連に移ったのですね。

青柳

もともと国連職員になりたかったんです。でも何も分からないので、とりあえず「国連職員になるには」という本を読みました。そしたら、7年間の類似の実務経験と、欧米での修士号が必要だと書いてありました。欧米で修士号を取るには2,000万円くらいかかるんです。3人兄弟で家が裕福でもなかったので無理だと思い、まず実務経験はJICAでつけて、その間に制度を使って修士号を取ろうと漠然と考えていました。

JICAの制度で、社内公募に合格すると2 年間休職させてくれて、その間に学校に行った場合は学費を補助してくれるというものがあります。すごく狭き門なのですが、2回目で受かってアメリカに留学させてもらいました。当時はJICAに入って5年目だったと思います。

その休職期間に3つ大学に通いました。最初にコロンビア大学で英語のサマースクールに通って、その後デューク大学の公共政策スクールで開発政策学の修士号を取りました。最初の 1 年間でほぼ単位を取ってしまったので、次の1年間でノースカロライナ大学でも外交と平和構築の専門コースに通いました。また、1年目と2年目の間に4か月ほど空いていたので、その間にUNDPのスーダン事務所で4か月くらい働いて紛争解決に取り組むこともしました。

卒業後にJICAに戻ってそのままアフガニスタンに行かせてもらいました。アフガン赴任後、そのままニューヨークの国連開発計画で働くことになりました。

青柳さん2
青柳さんは大学で開発経済学を学び、その理論を貧しい国や人を救うために使いたいと学生時代から国連の職員を目指していた(撮影:安藤)

一貫して社会課題解決のために取り組まれているのですね。

青柳

ルワンダの記事で感じたおかしいという気持ちは未だに変わっていません。今でも 1 年間に540万人の子供が5 歳になれずに亡くなっています。そのうち320万人が栄養不足です。1日1万人近い数です。そういう世界の実態を知っていて、それを変え得る立場にある人間として、本当に責任を果たせているのかっていうのはいつも考えながら仕事しています。

SDGsはそういう世界を変えるための起爆剤です。SDGsがあったからこそ、こうした世界の問題を企業や多くの人が知ることができたし、また取り組もうと思えた。まずはみんなが「これなんだろう」ってならなかったら、単に「意識高い系」などと揶揄されて終わっていたと思います。

SDGsの本質

SDGsに関して、すでにある取り組みを当てはめることや、SDGsウォッシュがまだまだあるのではないかと思うのですが、どのようにお考えですか?

青柳

SDGsは単なる起爆剤ですから、あまりSDGsそのものにこだわりすぎないほうがいいです。本質的に大事なのはこのロゴに従って何かすることではなくて、このロゴを通して本当に大切なことを分かってもらうこと、またそれを実践してもらうことです。このゴールに対して合っているかどうかとか、ウォッシュだとかはあまり本質的な議論だとは思いません。

間違ったことを発信しててもある程度は大目に見てもいいんじゃないですか。今の時代、誰だっていろいろなところから情報を取って考えるから「あの人が自信満々で言ってたけど、これ実はあんまりSDGsじゃないな」とそのうち気づくでしょう。

例えば、ペーパーレスはSDGsに貢献すると思われがちですが、実は違うなんてこともあります。自然の山林よりも林業で管理された山林の方がSDGsの視点では望ましいのです。林業で管理されている山林の方が生物が多様で、木を合理的に並べているから数が多く育つスピードも早く、CO2吸収量の多い若木がどんどん育ちます。そしてCO2を吸収しなくなった老木から切り倒していく、という管理ができているので、CO2吸収量に生物多様性、山火事の危険性や地域活性化も、管理された山林の方が優れているのです。むしろ管理されていない山林の方がそういう問題が起きている。紙や木の消費量が増えないと管理された山林は増えていきません。違法伐採や、原生林を切り倒していたら問題ですが、きちんと管理された山林で採られた木や割りばしはむしろ使った方がいいのです。

レジ袋の件も似ています。ダボス会議で2050年までに海のプラスチックごみが魚の量を超えるという報告がありました。しかし、海のプラスチックごみのうち6割くらいは漁具で、次がペットボトルなどのプラスチック容器です。レジ袋の割合は1%ほどです。レジ袋を削減する取り組みは、それを通して皆さんがサステナブルを意識してくださるのはいいことですし、その意識を広めるという点で意義はありますが、海をきれいにする効果はあまりないないのです。

直感に反する事実は広まりにくいですが、データで見てみると一目瞭然です。大事なことは社会や環境に良さそうなイメージではなく、本質的に意味があるかないかです。SDGsウォッシュかどうかというのは、SDGsの17ゴールの全ての詳細な分野についてそこまで細かく判別できて初めて成立し得る議論です。「これはSDGsウォッシュだ」と判定している側もはたして正確かどうか怪しいものです。だからあまりうるさいことを言わずにSDGsに貢献するという意思を持ち、行動してみることが何よりも大事だと思います。

取材の感想

安藤憧果

ライター

今回のインタビューでは、青柳さんがJICAや国連に入るまでの経緯や、社会課題に対する考え、そしてSDGsの取り組みやその本質についてお話ししていただきました。

この取材は、青柳さんのぶれることのない社会課題解決に対する意思を感じる時間でした。2年の留学期間を余すことなくそのための学びや社会課題解決のために使ったり、SDGsの本来の目的を見据えてそれを広めるべく尽力してきたりと、「貧しい人たちを救いたい」という思いの切実さが強く印象に残っています。取材を終えた今、世界中にさまざまある課題に対しての意識や態度を今一度振り返りたい思いです。

◎プロフィール
青柳仁士
衆議院議員/社会起業家/元国連職員(SDGs担当)。早稲田大学政経学部卒業後、JICA(国際協力機構)の職員として、アフガン復興に従事。その後国連に移り、SDGsが始まった2016年からはUNDP(国連開発計画)の広報官として日本の政府機関、民間企業、教育機関、メディア・市民社会等への初期のSDGs普及の責任者を務める。また、SDGsをビジネスで解決するためのプラットフォームを設立・運営。現在もSDGsビジネスの創出と実行に取り組み続けている。

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ライター:

フリーライター。昔から感想文や小論文を書くのが好きで、今なお「書くこと」はどれだけしても苦にならない。人と話すのが好きなことから、取材記事の執筆が主軸となっている。新潟県で田んぼに囲まれて育った原体験から、田舎や地方への興味があり、目標は「全国各地で書く仕事をする」こと。

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