株式会社龍名館 専務取締役の濱田裕章さん(撮影:加藤俊、以下同)
創業120余年。都心でホテルやレストラン、不動産業を営む株式会社龍名館(以下、龍名館)。
同社の事業持株会社である株式会社龍名館ホールディングスは、ホテル・レストラン業界で国内初のSBT(Science Based Targets)認定を取得した。「SBT」とは、温室効果ガス排出削減 ⽬ 標のこと。
パリ協定が求める⽔ 準と整合した目標を企業が設定し、申請時から5年以上先、10年以内の達成を目指す。国際機関に目標の妥当性が認められれば、「SBT認定取得」となる。
今や世界で2,310社、日本でも369社がSBTを取得(出典元:2023年3月 環境省作成資料)。ステークホルダーに持続可能な企業であることを示せるメリットは大きく、世界が注目する。
大企業を先陣に取得の勢いが止まらないが、なぜ非製造業で非上場の会社が取るに至ったのか。その背景や申請手続きの詳細、後続企業へのメッセージを龍名館 専務取締役の濱田裕章さんに伺った。
世界大戦や大震災など環境の激変を乗り越え、1世紀以上続く同社。濱田さんが繰り返す「危機感」の真意とは。
華やかな歴史に安住せず果敢に挑む企業魂や、時代に寄り添い変化する100年企業のしなやかさが窺える。
「龍名館は旅館である」ホテルへ転換後も息づくおもてなしの心
「ホテル龍名館お茶の水本店」の佇まい
濱田
明治32年(1899年)に創業以来125年。都心でホテル3棟と付随するレストラン、不動産業を営んでいます。
お茶の水駅から皇居が見晴らせるくらい建物がない時代。「 ホテル龍名館お茶の水本店」がある場所で、木造旅館を開業しました。
龍名館の「龍」の字は、創業者の姉の名「辰(たつ)」に由来します。当時は高品質なおもてなしで日本画家や作家、芸術家など多くの文化人に愛されました。
宿泊代の代わりに、龍をモチーフにした作品が贈られることもあったそうです。
日本旅館のおもてなしの心を受け継ぎながら、ホテル業へ大きく舵を切ったのが14年前の2009年。 東京駅前(八重洲)に「ホテル龍名館東京」を新築。
2014年には源流を「 ホテル龍名館お茶の水本店」へと改修し、2018年にはお茶をテーマにした「ホテル1899(イチハチキュウキュウ)東京」を開業しました。
ホテル開業後は、世界最大の旅行口コミサイト「TripAdvisor(トリップアドバイザー)」で8年連続エクセレンス認証を受賞し、殿堂入り。
「ホテル龍名館東京」はミシュランガイドで9年連続二つ星を。「 ホテル龍名館お茶の水本店」は6年連続で三ツ星を獲得し、国内外のお客様から支持されています。
濱田
「龍名館は旅館である」という心です。好立地から不動産業を勧められることもありますが、先代から継ぐ身として今の事業を守りたい。
当社の会長は私の父親。社長は叔父が務めます。2人が生まれたのは木造旅館の時代。
母親は女将として働き、料理人とキャッチボールをして遊ぶ。旅館で働く人たちに育てられたと聞きます。
時代に合わせてホテルへ変貌しましたが、「旅館が起源」という思いが全社に息づいています。
SBT認定取得の背景にある100年企業の危機感
2023年6月にSBT認定を取得。非製造業で非上場である御社の発表に驚きました。取得の背景をお聞かせいただけますか。
濱田
背景には、「不確実性に対処したい」という強い危機感があります。
当社は取得を急ぐ立場にないのかもしれません。しかし環境に配慮した取り組みは、2~3年後に本当の意味で企業のスタンダードになるのでは。
例えば、 Apple(アップル)社は取引条件に環境対策を重視。カーボンニュートラル(生産等の過程で排出される二酸化炭素と吸収される二酸化炭素が同量であるという概念)の実現に向け脱炭素を加速し、サプライヤーは対応を迫られています。
「スーパーグローバルの話だから」と今は他人事でも、この潮流が消えることはない。主体的に取り組まなければ手遅れになるという危機感です。
宿泊業を営む御社にとって、身近な話はおありですか。
濱田
環境問題に積極的な企業や個人は、出張やレジャーの宿泊先に当社を選ばなくなるかもしれません。少し前には、 プラスチック問題へ関心の高い海外のお客様から、ホテルの備品に関してご意見をいただきました。
採用にも影響が。次世代を担う リーダーの採用や育成に注力していますが、ホテル業界は人材の流動性が高く、コロナを経て難易度はさらに上昇。
昔は求職者の比較対象が航空会社やサービス業でしたが、今は人材会社やITなど多様化しています。
大手企業の情報には、SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)に関するキーワードが出てくるでしょう。「環境に関するワードが何もない会社」が求職者を惹きつけるのは難しい。
「とりあえず取り組む」姿勢が“国内初”を実現
SBT認定の取得を目指すうえで、社内の理解はすぐに得られましたか。国際機関が認定するため、手続きは英語。目標値設定には数字集めが必要。他社では社内承認の段階で躓くことも。
濱田
代表の父と叔父は、経営に響くコストが動かない限り、「社会のためになるなら、いいんじゃないか」というスタンスです。
社内理解という点では、ソロプロジェクトで私が勝手にやりましたので(笑)。当社 は温暖化ガス排出量の基準年を2021年度に設定。2030年までに42%の削減目標を掲げます。
アドバイザーの支援を受けながら、目標値の算出や申請手続きも全て自身でやりました。
濱田さんが全てご自身で!100名規模の会社であれば、担当者に任せたり、チームで取り組まれる印象です。
濱田
取得に必要なCO2排出量のデータ集めや英語でのやり取りに、ご苦労はありませんでしたか。
濱田
当社では毎月、 不動産関連の会議に伴い、電力やガスの使用量などを取りまとめています。
幸い必要な数字は揃っており、データ集めの苦労はありませんでした。「トン(t)」など普段は使用しない単位が出てくるので、排出量の計算に慣れるまでは少し大変でしたが。
英語も心配しなくて大丈夫。先方からは英文メールが送付されますが、Gメールの翻訳機能をピッと押せば日本語に。返信の必要がない内容でしたし、面倒に感じたコミュニケーションも、ほとんどありませんでした。
「分からないので不安が強かった。だけど終わってみれば何も負担はなかったな」というのが率直な感想です。
いつからSBT認定の取得に向け動き出し、どのくらいの時間を要しましたか。
濱田
動き出しは2022年の12月。申請は2023年の春に行い、6月に取得しました。
直近の2021年度を基準年にしましたが、コロナの影響でホテルの稼働率が下がった年。かなり厳しい目標を自らに課してしまいましたが、「とりあえず取り組む」という強い意志で進めました。
「社会から見放されないために」宣言だけでなく証明を
取得後、周りの反応はいかがでしたか。また期待する変化とは。
濱田
「日経に載ったのすごいね」が感想の9割でしたね(笑)。中小企業の間では、「SBT」の認知度はまだまだです。
期待することは、先述した人材獲得への好影響。龍名館のブランド力が高まることにも希望を抱きます。創業時の華やかなエピソードが語られることの多い当社ですが、震災や戦後は苦難の時代が続きます。
バブルの波に乗ったものの、その後「龍名館」の名を成長させるブランディングができたか。個人的には疑問符が残ります。
14年前にホテル業へ転換し、社内インフラの整備や採用、研修、IT周りを強化。第三者機関から高評価をいただいたり、取材をお受けする機会も増えてきました。
小さな中小企業ですが、「龍名館、いいホテルじゃないか」と少しでも思っていただけるよう、頑張りたいですね。
濱田
「今取り組んでおかなければ、いつか社会から見放されてしまう」 私はそう思っています。SBTに限った話でなく、今は社会的価値をどのように創っていくかが求められる時代。
当社は2023年初めに、使用電力を100%再生可能エネルギーに転換する意思と行動を示す、「再エネ100宣言 RE Action」に加盟。
従業員の健康管理や健康増進の取り組みについて、特に優良と認められた法人に与えられる「健康経営優良法人」の申請も進めています。
私たち中小企業は、とにかく認知度が低い。それは営業や採用など全てにおいて不利。
大手が中小企業を飲み込む中、「頑張っている」と宣言するだけでなく、実際に行動し、証明することが必要ではないでしょうか。
龍名館については、日経新聞電子版に掲載されている加藤俊の連載『長寿企業の研究』でも取り上げています。以下から読むことができます。https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC199140Z10C23A9000000/
◎企業情報 株式会社龍名館https://www.ryumeikan.co.jp/ 住所 :〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台3-4 設立:1899年6月(明治32年) 資本金:50,000千円 売上高:1,428百万円 ※2023年3月期実績 ※グループ全体 約22億円 従業員数:81名(2023年3月時点) 事業内容: ホテル事業、レストラン事業、不動産開発事業、不動産賃貸・管理事業◎プロフィール 濱田裕章 株式会社龍名館 専務取締役 成蹊大学経済学部卒、BBT大学大学院経営学部修士課程修了。 大手金融機関での勤務後、「ホテル龍名館東京」の開業準備のため2008年(株)龍名館に入社。 ホテルフロント勤務後、ホテル龍名館お茶の水本店の改装、ホテル1899東京の開業に携わり現職に至る。