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株式会社フクナガエンジニアリング

https://www.ecosoft.co.jp/

大阪府大阪市城東区鴫野西5-13-30

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ステークホルダーVOICE サステナブルな取り組み コラム

町のスクラップ屋がステークホルダーを大切にする経営に目覚めたら?

経営インタビュー
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株式会社フクナガエンジニアリング代表取締役の福永政弘さん
株式会社フクナガエンジニアリング代表取締役の福永政弘さん 撮影:加藤俊

創業事業からフレコンバッグ事業への思い切った転換、ベトナムでの現地法人設立、そして大手企業さえ尻込みするアフリカ・エチオピアへの進出。

株式会社フクナガエンジニアリング(大阪・城東)の福永政弘代表取締役は、創業者と先代のベンチャー精神を承継し、貿易会社で培った自身の経験と先見の明を頼りに、稼業の立て直しに着手。

コロナ禍を経た今、同社は「仕事を通じて一人ひとりが自分の夢を実現できる会社でありたい」と、ミッション経営に舵を切った。

「小さな会社の存在意義」を問い続け、新事業や新興国での挑戦を重ねてきた福永さんに、同社の歩みと展望を伺った。

現場発想で生まれたフレコンバッグ事業が会社の救世主に

主力商品のフレコンバッグがうず高く積み上がる倉庫内
主力商品のフレコンバッグがうず高く積み上がる倉庫内

まずは、御社の事業内容についてお聞かせください。

福永

当社は、終戦直後の大阪市城東区で、福永商店として産声を上げました。創業事業は、金属リサイクル事業です。

バブル崩壊後の経営難や外部環境の変化がありながらも、創業者である祖父のベンチャー精神を引き継いでここまで歩んできました。

中小企業ながら、早くから海外からの留学生を積極的に採用したり、ベトナム・ハノイに現地法人VIETNAM FUKUNAGA ENGINEERING Co., Ltd.を設立したりと、海外展開にも力を入れています。

2017年にはJICA中小企業海外展開支援事業の案件化調査に採択され、エチオピアでの廃棄タイヤリサイクルに関する調査も開始しました。

一度は経営難に陥りましたが、フレコンバッグ事業が軌道に乗り、1994年5月に株式会社フクナガエンジニアリングとして再出発しました。

現在は、フレコンバッグ事業、タイヤ事業、金属リサイクル事業の3本柱で展開しています。フレコンバッグ事業は、スクラップ現場におけるニーズと私の前職での経験がマッチして興した事業です。

フレコンバッグは、樹脂繊維を編んで作られた丈夫な袋。金属、廃棄物、土砂、飼料、穀物などを保管したり運搬したりするのに使われます。

スクラップの現場で扱うモノは、非常に重くて鋭利です。よって、金属製の容器が使われることが多いですが、金属製の容器だと、積載重量が限られているトラックやトレーラーに積める容量が圧迫されてしまいます。

さらに、金属製の容器は場所をとるので、お客さんのもとに届けてそのまま置いておけずに空の容器を持ち帰ることになります。中には、フレコンバッグを活用している現場もありましたが、なにせ高額で。

なんとかできないだろうかと考えていたときに、私が貿易会社に勤めていた当時、フレコンバッグが産業廃棄物として廃棄されていたことに思い当たったのです。

その会社は、韓国で製造した合成樹脂を日本に輸入する貿易会社でした。そこで使われていたのが、フレコンバッグです。

港に着いたフレコンバッグは、港で合成樹脂を取り出した後、産業廃棄物として捨てられています。

捨てるには費用がかかりますから、私が「無料で引き取るよ!」と申し出ると、非常に喜ばれまして。こうして引き取ってきたフレコンバッグを、スクラップ業者に売り出したら、飛ぶように売れたのです。

特に、希少金属、いわゆるレアメタルを扱っている施設では、選別や輸出が多く、需要がありました。

私自身、お客さんのところに配達していましたが、タダ同然の袋がお客さんに喜ばれるうえに利益率も高かったので、とても面白い時期でした。

次第にお客さんの業種も多様化してきて、販売量が増えてきました。

すると、中古だけでは対応できなくなり、2006年頃から韓国のメーカーで委託製造したフレコンバッグの販売を開始します。このときも、前職で韓国に出張していた経験や現地メーカーと交渉していた経験が活きましたね。

福永社長のご経験と先見の明が活かされていますね。フレコンバッグ事業に乗り出した背景には、どのような事情があったのですか?

福永

創業事業の金属リサイクル事業は、それ自体は悪くない事業です。高度経済成長期にはどんどん成長する事業でした。しかし、業界の性質上、モノが作られなくなる国では先細っていくことが明らかです。

創業事業を大幅に縮小することは苦肉の策でしたが、思い切って、残っている別の事業に経営資源を集中しようと決断しました。

現地メーカーもお客様同様「対等な目線で大切に」

福永政弘さん

思い切った経営判断が奏功したのですね。海外進出についても伺いたいのですが、ベトナムに拠点を構えようと考えた理由は何だったのですか?

福永

私がベトナムに調査に行き始めたのは、10年以上前のことです。当時、ベトナムにはスズキ、ホンダなど日系の自動車メーカーがバイク関係で進出していて、その下請けの部品メーカーが数多く存在していました。

それらのメーカーからのアルミの需要が非常に高かったのですが、現地でうまく循環していない現状がありました。

スクラップしたアルミを一旦コンテナに詰めて日本に持ち帰り、リサイクルしてまた持ってくる迂遠なことをしていたのです。

現地で循環しない一番の理由はやはり、技術ノウハウがないから。そこで、当社が金属リサイクルの技術ノウハウを日本から持ち込み、現地でアルミが循環する土壌を整えようと考えました。

結果的に技術を伝えることに成功し、一定の成果も出すことができました。金属リサイクル事業の拡大には至りませんでしたが、フレコンバッグの製造拠点をベトナムに移行していく布石になりました。

10年以上にわたりベトナムで現地の方々と関わる中で、市場環境や関係性に変化はありましたか?

福永

ソウルオリンピック前後の韓国もそうでしたが、まさに経済発展を遂げようとしている国々は、「先進国から技術を学びたい」という意欲があります。

最初のうちは、当社も海外生産せざるを得ない事情があり、自ずとお互いの利害関係が一致して成り立っていました。

ところが、こちらが「安くて良い商品が作れる」という理由だけで上から目線で現地製造していると、いずれ「自分たちで作れるので、もうフクナガさん要りません」ってことになりかねない。

人件費も技術力も上がるので、我々は我々で「次の国に行くよ」ということになってしまいます。

でも、果たしてそれでいいのかと、最近とみに考えます。「お客様は神様」だけでなく、現地のメーカーをはじめとするステークホルダーのことも同じように大切にするべきです。

それができないと、良好で持続的な関係性はつくれません。対等な目線で関係性を育みながら付き合っていくことが、今日のアジアで日本企業が果たすべき役割ではないでしょうか。

そのためには、単にアウトプットだけ狙うのではなくて、モノづくりの過程や考え方を伝えるビジネスモデルを構築する必要があります。

例えば、上流のメーカーに対して「QCD(品質、価格、納期)さえ合わせて作ってくれればいい」とオーダーするのではなく、下流も見据えたモノづくりの考え方そのものを伝えていくべきです。

廃タイヤ再生技術がエチオピアの産業振興と環境保護に貢献

産業車両用の廃タイヤ
産業車両用の廃タイヤ活用につき豊富な知見と経験をもつ

2018年からは、アフリカ・エチオピアの調査にも乗り出しました。エチオピアに目を向けられたきっかけは何だったのですか?

福永

「小さな会社の存在意義はどこにあるのか?」と考えたときに、ニッチなところに目を向ける必要がありました。目先の売り上げばかり考えていては生き残っていけません。

最貧国のひとつであるエチオピアは今、外貨不足や資源不足に苦しんでいます。食料がないため紛争も勃発し、不安定な状態です。

しかし、かつてのベトナムもそうでした。10年、20年後にはエチオピアも必ず、困難を乗り越えて成長するときが来ます。

将来性のある国だというのに、日本からは誰も行こうとしません。誰も行かないから、ある意味行き放題です(笑)。大手企業すら及び腰になる国こそ、当社にとってはチャンスを秘めた国です。

実際に調査を開始すると、エチオピアは急速な工業化の進展に伴い大型車の需要が急増していて、輸入された産業用タイヤを処理しきれず廃タイヤが放置されていることが分かりました。

そして、当社には環境配慮型タイヤ再生の技術とビジネスモデル構築のノウハウがあるので、廃タイヤを資源化することができます。

廃タイヤの放置による環境汚染を防げるうえ、新たな産業を育成できることから、エチオピアの環境課題の解決と産業振興の両方に貢献できると考えました。

また、当社は留学生を積極採用してきた経緯もあり、新興国には優秀な人材が豊富にいることも確信していました。

コロナ禍を経た気付き、ミッション経営への変革

いち早く海外からの人材に注目され、困難を伴う国への進出にも恐れず挑んでこられたのですね。そんな御社の課題と今後の展望を教えてください。

福永政弘さん
福永

フレコンバッグ事業が軌道に乗る前の状態に比べると、会社としては順調に回っています。

しかし、停滞感は否めません。過去には優秀な人材の流出もありましたし、状況が変われば財務基盤が揺らぎかねない危うさも孕んでいます。

だからこそ、コロナ禍に入ってからはミッション経営に舵を切りました。

役員たちと徹底的に話合ってミッション経営の重要性を訴えた結果、「社会に埋もれている種を見つけて新しい価値を育てよう」というミッションを共有するに至りました。

1年目はなかなかうまくいきませんでしたが、2年目で徐々に良い方向に進むようになり、現在はミッションを社内に浸透させる途上にあります。

当社での仕事を通じて、一人ひとりが自分の夢を実現できる、そんな経営を目指しています。

ミッション経営が重要だと思われたきっかけがあったのですか?

福永

コロナ禍を機に、オンラインでの出会いが広がりました。

その中で、あるコンサルタント会社の社長に、「あなたは儲けることしか考えていない。いまだにそれをやっていてはいけないよ」と指摘されたのです。図星でしたね。

「私は経営者として自分のやりたいことを実現できている。そんな生き方を、従業員たちにもさせてあげなくては」と、ハッとしました。

海外に目を向け、どうやって利益を生むかを考えている間に、国内で会社を支えてくれている従業員への目配りが欠けていたと、今は反省しています。

当社で働く皆が「自分が本当にやりたいこと」について考える時間を設け、それが多少なりとも仕事と重なれば、モチベーションは格段に向上すると思います。

「自分の夢に気付いた人は辞めてしまう」という落とし穴もありますが、「そのときは喜んで送り出してあげよう」と、役員たちと話しています。

きれいごとかもしれませんが、去られることを恐れて飼い殺すようなことはしたくない。

経営ってそんな次元のものではないはずです。大前提として利益を出すことは必要ですが、儲けることばかり考える経営からは脱しました。

まだまだ社会全体に影響を与えられるほどの規模ではありませんが、まずはモノづくり企業や現場に変化を起こしたいです。

例えば、環境負荷を抑える当社の商品やサービスで製造業や物流業に貢献できれば、間接的に社会にも良い影響を与えられるかもしれません。

工場から環境に悪い成分が排出されなくなると、その工場で働く人たちはプライドを持っていきいき働けるようになります。

ありがとうを伝えたい相手

最後に、感謝を伝えたい方へのメッセージをお願いいたします。

福永

祖父や父が会社の礎を築いてきたからこそ、今のフクナガエンジニアリングがあります。退職した社員含め、これまで働いてきてくれた皆もそうです。

また、困難を乗り越えて一緒に歩んできてくれた妻にも感謝しています。いろいろとアドバイスをくださった外部の先生方、知見のある方々にも、助けられています。

創業者である祖父、その祖父と一緒に頑張ってきた父、そこに加わって会社を支えてきてくれた役員や従業員、関わってくださるすべての皆に、感謝を伝えたいです。

本日はありがとうございました。

本社外観
本社外観・近隣住民に親しみをもってもらおうと門をアートに。

企業概要
会社名:株式会社フクナガエンジニアリング
本社所在地:大阪府大阪市城東区鴫野西5-13-30
設立:1994年
代表者:福永政弘
海外拠点:ベトナム・ハノイ、VIETNAM FUKUNAGA ENGINEERING Co., Ltd.

プロフィール
福永政弘(ふくなが・まさひろ)
株式会社フクナガエンジニアリング代表取締役社長
1963年8月4日、大阪市城東区生まれ。大学卒業後、韓国にて1年間語学を学ぶ。1988年から貿易会社に勤務し、東京と大阪で人事職や営業職を経験。1992年、稼業の再生のために福永商店(現・株式会社フクナガエンジニアリング)に入社し、会社の立て直しを図る。1994年に株式会社フクナガエンジニアリングを設立し、代表取締役社長に就任。

ライター:

1985年生まれ。米国の大学で政治哲学を学び、帰国後大学院で法律を学ぶ。裁判所勤務を経て酒類担当記者に転身。酒蔵や醸造機器メーカーの現場取材、トップインタビューの機会に恵まれる。老舗企業の取り組みや地域貢献、製造業における女性活躍の現状について知り、気候危機、ジェンダー、地方の活力創出といった分野への関心を深める。企業の「想い」と人の「語り」の発信が、よりよい社会の推進力になると信じて、執筆を続けている。

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