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株式会社流機エンジニアリング

https://www.ryuki.com/

〒108-0073 東京都港区三田3-4-2 いちご聖坂ビル

03-3452-7400 (代表)

国内シェア75%の集塵機メーカー をけん引するのは、 トライ&エラーと好奇心を尊重する ”人づくりの天才”

ステークホルダーVOICE 経営インタビュー
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画像提供:株式会社流機エンジニアリング

「ものづくりとは人づくりである」。今回、筆者の脳裏には取材中から、この言葉が焼き付いて離れなかった。それは、日本経済団体連合会名誉会長でありトヨタ自動車8代目トップを務めた奥田碩氏が、かつて「ものづくり懇談会」の場で述べたコメントの一つ。
オートメーション化が進んだいまもなお、それをモットーとする経営者がいることを、できるだけ多くのものづくりに知ってほしいと願ってやまない。

※本記事は、2011年に株式会社Sacco運営のメディア、BIGLIFE21で掲載した記事を再構成して転載したものです。

経営者の思いは、いま…

あの年の夏の終わり、日本中に稲妻のごとく走った衝撃を忘れたとは言わせない。2009年8月末、民主党の衆議院選挙で歴史的な大勝利を収めた、あの日のことだ。

それは周知の通り、単なる「選挙」ではなかった。その勝利が意味したのは与野党逆転、鳩山由紀夫新政権の発足。すなわち民主党が勝利した瞬間、この国では政権交代が行われたのだ。そして、「民主党政権」が誕生したのである。

日本で政党政治が始まって以来の、歴史的な出来事。メディアはこぞって国をあげて「お祭り騒ぎ」を報道した。やがて、その様子を目の当たりにした人々の心には、否応なしに「いまよりも、良い国になるのかもしれない」といったほのかな希望が湧き立った。民主党を支持した者にもそうでない者にも、だ。

当然であろう。そのとき日本は前年に勃発した米大手証券、リーマン・ブラザーズ社の経営破たんと、それを発端とする世界規模での金融危機、いわゆるリーマン・ショックの傷跡も癒されぬころであった。「何かにすがりたい」。そんな思いが蔓延していた。

では、現実はどうであったか。何か大きな変化はあったのか。2011年8月現在、あれから何年の月日が経ったことか。

本記事が掲載されたのは2011年のこと。当時の空気として、残念ながら多くの国民が抱いた「淡い期待」は時間とともに消え去り、残ったのは不信感と諦めムードだった。多くの有識者によって「民主党は政権交代で何を目指すべきであったのか」「なぜ、本来の目的を達成できなかったのか」などと議論され、期待外れも甚だしい、と憤りすら感じることができた。

そう漏らした筆者に対し、ある経営者は当時次のように説いた。

「私は、もともと期待などしていませんでしたよ。震災が起きたこと以外、現状も予想通り。政権を構成している面子を見れば、一目瞭然ではないですか。いわば寄せ集めなのだから、『何かしてくれるだろう』だなんてもともと思うほうが間違っていますよ」

そうはっきり、豪快に笑って言い切られてしまうと、怒りを忘れるどころか、すがすがしい気分にすらなる。

今回訪ねた人物、株式会社流機エンジニアリングの代表取締役を務めていた西村章氏は、そんな不思議なオーラをもつ人物であった。

顧客の要望に応えて、「頼まれればなんでもする企業」に

トンネル用大型集塵機 Pシリーズ 形式:RE-3000P2

流機エンジニアリングは集塵・脱臭・除湿・水処理など環境装置を主とするエンジニアリングメーカーで、極環境の宇宙、原子力、トンネルなどの装置開発も手がける、総合メーカーだ。
幅広く業務展開を行っているようだが、「お客さまの要望に応えるうちに、自然といまのような形態になっていった」と西村氏は笑う。

特に1979年にスタートしたトンネル工事用集塵機の開発、および製造、レンタルにおいては業界内では後発でありながら、性能、価格に至るまで評判が高く、「現在、レンタルでは国内シェア75%を占める」というから驚く。

「もともと、起業以前に勤めていた企業が建設機械のリースなどを手掛けていたので、そのノウハウを生かせる仕事がしたかったのです。大手の下請けとして空気流体を扱う機械などを開発、製造していましたから、自信はあったのですよね。その流れで、1年目から宇宙関連機器の地上試験設備といった特殊な一品ものの依頼を受けるようになりました」

西村氏はさらりとそう述べるが、それは決してたやすいことではない。「一品ものが求められる」のはすなわち、既存の製品では依頼する顧客の希望を果たせない、あるいは満足できる結果が得られないことを示す。つまりは「叶えてほしい無理難題」が舞い込むわけだ。

しかし、その問いに対しても同氏は涼しい顔で答える。

「そういった困難な要望を叶えることで技術が上がり、ノウハウが身に付く。そのうえ、企業としても評判が広がりますし、何より社員には何物にも代えがたい『達成感』を与えることができるのですから、良いことづくめではないですか」

実際、シェアの高さと同様、業界内での流機エンジニアリングの評判は高い。それは、どんな依頼も逃げずに受けてきた結果であり、その地道な積み重ねがつくりあげたものだ。だからこそ、「問題がある度に責任転嫁し、逃げ続けるいまの政府に呆れてものがいえない」と西村氏は苦笑する。

だが、忘れてはいけないことがある。そんな同社も今日の成功を収めるまでの道のりは順風満帆とはほど遠いものだった。

創業13年目に3人目のトップとなる

西村氏は、流機エンジニアリングにとって実質3人目のトップだが、自身も触れたように同社設立時のメンバーでもあり、「3代目」と表現するにはやや違和感を覚える。また、同氏が3人目のトップであること、その事実がこれまでの苦難の象徴なのだという。

「起業時のメンバーは3人、まさに志を同じにする同志であったのですが……」

そうため息混じりに切り出して、西村氏は約35年にわたる流機エンジニアリングの歴史を振り返る。

実は設立当時は年功序列で年配者が代表取締役を務めていたのだが、「融通手形関係、ひらたくいえば詐欺まがいの目に遭い、それがきっかけとなり、3年目で退職」した後、「2代目とは考え方の不一致から徐々に溝が深まってしまった」ため、創業13年目、1990年に同氏が3代目代表取締役の座に就いた。

同氏は当初から、「ものづくりである以上は、自社製品を開発し、開発提案型の企業でありたい」と考えていたが、起業時のメンバー他2名は少しずつ「商社機能に重点を置くことで、効率よく売上を伸ばしたい」と思うようになっていったようだ。

「人によっては頑固と言うかもしれません。しかし、初志貫徹したことでいまの流機エンジニアリングがあるのです」

西村氏は力強く、目を輝かせて話す。そこには、ものづくりとしての確かな自信と誇りが感じられた。

それを本人に伝えると「特殊な一品ものは、大手メーカーを含めた数社と技術プレゼンテーションなどを行い、そのなかで選ばれて採用されるというパターンが大半。『勝ち取ってきた』との自負がありますから」と嬉しそうに答えてくれた。

なんと闊達な返答だろう!中途半端に謙遜せず素直に喜びを表現されると、こちらまで笑顔になってしまいそうだ。

また主力の集塵機については公共事業とも無関係ではなく、国の政策、「公共投資の縮小傾向」も影響があるはずだが、「それ以上に中国、韓国からの引き合いが増えていますし、トンネル設備はインフラにも直結する事業。今後も必要不可欠なことですから、需要はなくならない。国の決断に一喜一憂する必要はありませんよ」と堂々とした様を見せる。

現在、流機エンジニアリングが契約している企業は、ほとんどのゼネコンや重工業、大手製鉄・大手メーカー、それから韓国最大手サムスングループまで広範囲だ。

それは当然、同社の評判を見聞きしてのことだが、いまさらながら同社の技術たるやいかほどのものなのだろうと、いぶかしんでいる人もいるかもしれない。そのような人のために、西村氏に聞いた同社の実力がよく分かる一例を紹介しておこう。

「いまから15年ほど前の話になりますが、東京ドームの人工芝クリーナー製造の話が舞い込んだのです。競合には大手も数社いましたね。相当に頭の良い技術者が送り込まれているな、と思いました」

だが、結果的に選ばれたのは流機エンジニアリングの製品であった。

「頭が良いと、どうしても考え方が頑なになりがちなのです。他社の製品もある意味では優れた一級品でしたが、広い目で見れば重大な欠点があった。一方、私たちの製品はノズル部分に工夫をすることで安価に、かつ効率的に清掃を行えたのです。価格はほかの半分以下ですから、当然、即採用されました」

どのような依頼も断らず、また、技術プレゼンテーションにも果敢に挑戦してきたからこそ、多岐にわたる製品、一つひとつに対して柔軟な発想を生むことができるのだ。

顧客満足より前に、社員満足を!

そしてその考え方を、西村氏は社員一人ひとりに身に付けてほしいと願っている。

「私は自分がそうであったように、社員も企業の歯車になってほしくないのです。本当のものづくり、好奇心と探求心、失敗を恐れない人間、エンジニアになってほしい」

同氏は、これまでのどの話題よりも強調してそう話してくれた。

そのために行っているのは、「中小企業だからこそできる人材教育」だという。

「基本的に、経験者の採用が多いのですが教育はマン・ツー・マン。さらに、ある程度作業ができるようになったら企画から最終的なメンテナンス、途中の板金まですべて自分で行わせるようにしています」

そうすると、最初のうちはどんなに優秀な者でも失敗を犯すという。

「むしろ、失敗したら『この程度の失敗で良かったね』と褒めます。社員は当然、悔しがりますよね。人によっては涙を流す。でもそこで何度でも立ち上がれる者は、大きな失敗はしません。大手企業では失敗した者を『悪人』にしてしまいますが、ものづくりはトライ&エラー。言い古された言葉ですが、『失敗は成功の神』ですからね」

その根幹にあるもの、それは「顧客満足以前に、社員満足。やりがい、喜びを味わうこと。ものづくりの基本は、つくる喜び。それを知ってもらいたい」だ。西村氏の、誰よりも社員を大事にする姿勢がうかがえる。

「産業は、すべて好奇心ですからね」

同氏がそう締めくくった際、筆者はある確信を抱いた。この人物は優秀なものづくりであるとともに、「人づくりの天才」だ。

かの奥田碩氏が提言した、「ものづくりは人づくり」。かつて、日本の製造業が世界中のどの国よりも強かったのは、ものづくりのノウハウと、それを支える「人」を育ててきたからだ。オートメーションの発達により忘れかけていたその事実を、久々に感じることができた。そう、ものづくりの本質は、「人」なのである。

◎プロフィール
西村 章氏(にしむら あきら)
1951年、鹿児島県生まれ。
1970年、地元の工業高校機械科を卒業後、建設機械メーカー、小松製作所に入社し、エンジニアとして従事。1977年、同社が土木部門を縮小するのを機に退職し、同志3人で流機エンジニアリングを設立。1990年に同社代表取締役に就任し、現在に至る。

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