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株式会社日本香堂ホールディングス

https://www.nipponkodo.co.jp/

〒104-8135東京都中央区銀座4-9-1

450年の伝統を受け継ぐ香十、香りの多様性に挑み 世界を魅了する企業へ

ステークホルダーVOICE 社員・家族 経営インタビュー
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株式会社香十天薫堂 代表取締役社長 山田昌彦さん
株式会社香十天薫堂 代表取締役社長の山田昌彦さん

天正年間に天下人から重用された、初代「香十」清和源氏安田義定を祖とする株式会社香十天薫堂は、2025年には創立450年を迎える。

日本の香道の歴史は、香十と共にあるといっても過言ではない。公家から武家、そして町人文化で花開いた香道は、名人と呼ばれる八代高井十右衛門の時代に最盛期を迎える。

しかし、明治以降は苦難の連続だった。
現在、香りの多様化によって再び日本の香道は見直されている

日本香堂ホールディングスで日本の香文化を世界に発信する役割を担うこととなった香十天薫堂。創立450年に向けて、目指す香りの未来を、代表取締役である山田昌彦さんに伺った。

香文化を承継する香十の歴史

株式会社香十天薫堂「香十」銀座本店全体を、ふくよかな香の香りが包む。一歩店内に足を踏み入れると、和と洋、伝統とモダンが上品に絡み合う、香道の世界が広がっていた。

伝統的で華奢なお香と同じ空間にモダンなルームフレグランスの瓶が違和感なく並び、香りの多様化を演出している。

香が漂う店内で、株式会社香十天薫堂の代表取締役社長、山田昌彦さんが迎えてくれた。

香十の店舗外観
香十の店舗外観

香十の歴史は、日本の香文化の歴史をなくしては語れない。時は織田信長・豊臣秀吉の統治下。戦国時代の京都で、宮中の香の専門職として香十は始まったという。

「日本の香り文化は、公家から武家へと伝えられ、そして江戸中期に花開いた町人文化で最盛期を迎えます。

その頃香十が担う「香道」は、茶道、華道と並び、三大芸道と称されていました。当時の香十は、名人と名高い八代目 高井重右衛門です」

この八代目 高井十右衛門によって書き残された「香十 十右衛門家傳薫物調合覚書」が、香十天薫堂の基礎となっている。いわば、香りのレシピ集だ。

金文字で「高井十右衛門」と記された箱から、芳醇な香りがかすかにかおる。山田社長によると、箱の色によって香木や調合が異なるそうだ。

十右衛門シリーズのお香
十右衛門シリーズのお香

「『十右衛門シリーズ』は、香十の主力商品です。貴重な香木である白檀の深い甘みや重厚感のある沈香の香りをベースに、ムスクやローズ、ジャスミンなどを調合した、深い芳醇な香りを楽しんでいただけます」

江戸時代中・後期に最盛を誇った香十だが、明治・大正以降は厳しい経営を強いられた。

「江戸中期、八代高井十右衛門の時代に最盛期を迎えた香十にとって、明治、大正は厳しい時代と言わざるを得ません。世間に開国と文明開化の波が押し寄せ、当時はとにかく舶来物といえば何でも流行したそうです。日本伝統の香文化も、海外製の香水にその道を譲らざるを得ませんでした」

時代が進むにつれて、香は香水に変わり、線香は日本人の日常から遠ざかった。日本の香文化と歴史を共にする香十は、風前の灯だったという。

そして1969年、消えかけた香十の歴史名跡の灯火を受け継いだのは、株式会社日本香堂の創業者である小仲正規氏だった。

線香の香りが消えた時代、香文化を受け継いだ「日本香堂」

株式会社日本香堂は、今や線香業界のリーディングカンパニー。「毎日香」「青雲」といった名前をコマーシャルで目にした方も多いだろう。

雄大な曲調に誰でも歌いやすい歌詞を付けた「青雲」のコマーシャルは、線香のメインターゲットである一般ユーザーの認知を獲得し、「線香といえば青雲、日本香堂」というイメージを広く根付かせることに成功している。

香十本店 店内には、伝統と最新のカルチャーが共存している。
時代に合わせた香りの楽しみが並ぶ、香十本店の店内

「後に日本香堂の創業者となる小仲正規に出会えたことが、香十の危機を救いました。八代高井十右衛門の遺した香文化が小仲に託されたのです。現在香十は日本香堂ホールディングスの一員として、450年の伝統を守る役割を担っています」

しかし、一時は危機を乗り越えた香十だったが、2020年新型コロナウイルスの影響によって大きなダメージを受けた。

店舗に足を運んで実際に香りを体験することができなくなったことで、売り上げは大きく落ち込んだという。そこで香十は、新しい文化との融合を試みる。

「Instagramにもっと力を入れてみよう 、という話が出たとき、私は正直半信半疑でした。伝統的で歴史の長いものが、Instagramによって一時的に流行し、廃れてしまうことを懸念したのです」

多様化する香りの未来にこそ、伝統の礎が必要

半信半疑で続けていた Instagramだったが、意外にもお香の洗練された見た目と相性がよかった。スタッフが一生懸命発信していくうちに、少しずつ商品のファンが増え始めたのだ。

「伝統にばかり固執し、今を見失うべきではないことに気づきました。今や私たちよりもお客さまの方が香りの楽しみ方をご存じです。今では次に何が出るかと、期待をもって商品を待ってくださっています。昭和から平成にかけて核家族化が進み、日本では線香を立てて先祖に手を合わせるという習慣がイベント化し、線香は身近なものではなくなりました。しかし今、「香り」は私たちの想像を超えた多様性を見せています」

香十本店 店内には、伝統と最新のカルチャーが共存している。
香十本店店内には、伝統と最新のカルチャーが共存している

香十では、新しい要望に応えるために、香十に「Koju」というローマ字ブランドを設け、香十の香りの伝統を守りつつ、新しい用途に対応した商品も積極的に展開している。

たとえばビジネスで渡す名刺にほんのり香をまとわせる「名私香(めいしこう)」シリーズや、ルームフレグランスとして火を使わずに香を楽しめる「室礼香(しつらいこう)」などだ。

しかし一方で、香文化の担い手でもあることを忘れてはいけないと、山田社長は言う。

「日本の香文化の歴史が礎にあることを、お客さまにしっかりと認識していただけるような企業でありたいと思っております。当社の歴史は、日本の香文化の歴史です。一つの文化の担い手としてのプライドというのは、決して失ってはならないものです。そしてそれこそが、日本香堂ホールディングス内で我々が担う役割でしょう」

不易流行。変えるべきものは変え、守るべきは守っていくからこそ、450年続く企業なのだろう。

香りのリーディングカンパニーとして、450周年へ

線香は日常から遠ざかったが、ルームフレグランスやオードトワレなど、香りは日常生活に彩りや癒しをもたらすアイテムになり、香十の担う役割は多様化している。

そしてさまざまな危機を乗り越えてきた香十は今、新しい局面を迎えた。

「創立450周年に向け、2016年には香十発祥の地である京都、二寧坂にも出店し、里帰りを果たしました。新しい時代に求められている商品も、高井十右衛門の伝統を基礎として展開しているからこそ、古くからの伝統を重んじるお客さまにも選んでいただけるのでしょう。長い年月をかけて芳香を内包した白檀や伽羅、沈香などをベースにした香りは、今や海外のハイブランドからも注目を集めています」

昭和から平成にかけて核家族化が進み、日本では線香を立てて先祖に手を合わせるという習慣が日常から消えつつある。

線香の香りは日常から遠ざかったが、代わりにルームフレグランスやオードトワレなど、香りは日常生活に彩や癒しをもたらす贅沢なアイテムへと姿を変えた。

「当社には伝統を受け継ぐ『香十』としての道と、時代の変化に合わせた香りの多様性を切り開く『Koju』としての道があります。創立450年を迎える2025年に向け、再度礎である『高井十右衛門』に立ち返りつつ、世界に日本の香文化を伝えるリーディングカンパニーとしての役割を担っていきたいと願っています」

ステークホルダーとの向き合い方

御社が大切にしているステークホルダー、お客様や社員、取引先や株主など、企業を取り巻く方々との関係について教えてください。

山田

香十の商品は、全て自社工場で製造しています。原材料は海外に頼らざるを得ませんが、仕入れから調香、製造まで全て自社社員が担ってくれています。

この辺だと池袋に工場がありますが、そこも古くからある工場で、昔は香りを辿れば工場に着くと言われていました。

池袋の工場は当社の伝統・文化の発祥でもありますので、今は生産量は少なくなりましたが、残していきたい遺産ですね。

また、当社の窮地を救った日本香堂に対しては、グループ会社として再び香文化の担い手としての役割を果たしていきたいですね。そして何より当社に新しい発想を与えてくれるのは、お客さまです。

昔からの伝統を支えてくださる方々や、SNSを通じて興味を持ち、新しい発想を与えてくださる方々のために、伝統を守りつつ、新しく求められるものも提供していきたいと思っております。

◎プロフィール
山田昌彦(やまだ・まさひこ)
専修大学経営学部卒業。
1984年株式会社日本香堂入社、東京本店、福岡支店、営業本部を経て2020年9月社長に就任。

◎企業概要
株式会社香十天薫堂
〒104-0061東京都中央区銀座4-9-1
TEL:03-3541-3355

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ライター:

フリーライター・リーガルライター。静岡県浜松市在住。 立命館大学法学部卒。2008年から2021年まで13年間パラリーガルとして法律事務所に勤務。破産管財から刑事事件まで、各分野の法律事件に主任として携わる。独立後は主に法律メディアでの執筆やインタビュー取材などを中心に活動中。

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