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企業は社会の公器。今こそ日本的経営に戻れ~日本電設工業株式会社 顧問 井上 健

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企業は社会の公器 日本電設工業 顧問 井上健(JR東日本元常務)
1969年5月、東京大学(東大)工学部電気工学科卒業。同年7月、日本国有鉄道(国鉄)入社──。日本電設工業株式会社(NDK)顧問、井上 健さんのプロフィールは、違和感のある記述から始まる。大学卒業は3月、入社は4月が世の常識であるから、関係者が気を利かせたつもりで勝手に書き直してしまうこともあったそうだ。

なぜ、5月卒業、7月入社なのか。当時は学生運動が盛んで、特に東大では1968年から1969年にかけて、学生と大学当局との紛争が激化した。いわゆる東大紛争である。学生運動に関わっていなかった一般学生の井上さんたちは、卒論の着手が遅れ5月に卒業したので、国鉄の入社は7月になってしまったというわけである。

国鉄職員として社会インフラ整備を志す

井上さんは、父親の仕事の関係で炭鉱町・北海道美唄にて生まれた。戦後で食べ物がなかったが、牛乳は豊富でそのおかげ育ったと後年母親から言われた。父親の転勤により、小学校3年生までは川崎市、小学校4年生からは杉並区に移った。小学生時代は遊んでばかりいた。中学生になると勉強をはじめ、東京都立西高等学校(西高)に入学した。当時、西高は東大合格者数全国最上位校に名を連ね、100名以上が東大に入学する環境で学び、東大工学部電気工学科に進んだ。

就職活動では電力・通信・鉄道などの社会基盤の中で当時46万人の職員が働いていた国鉄に入社することになった。

1970年10月から1975年2月まで、MARS(みどりの窓口)プロジェクトチームで、プログラマーを初めとして列車の座席予約システム開発に携わった。将来、システムエンジニアになろうと思っていた矢先、現場に人事異動となり、千葉県館山市の鉄道運行設備の保守部門で2年間汗を流した。

国鉄改革は、まさに社会改革だった

その後、本社部門に異動となると業務が一変する。1977年から国鉄最後の1987年までの10年のうち、9年間は労働組合との交渉に多くの時間が割かれた。

労使交渉というと、労働組合と会社側の幹部が議題を決めて正式な場で交渉するのが世間の常識だろう。しかし、国鉄では全くそうではなかった。裏で根回しに奔走し、「このストーリーでいこう」と合意したにも関わらず、正式な労使交渉の場では、どんでん返しとなることもあり、シナリオどおりいかずに苦労することも多かった。交渉相手が遠方なら土日も出張し、夜中まで酒を飲んでいた。「よく家庭が崩壊しなかった」と井上さんは振り返る。井上さんにとっては、苦労の多い時代だった。

このような現場での実体験から、井上さんは国鉄改革を行った中曽根康弘元首相の政治家としての英断を評価している。

国鉄改革には2つの目的があった。一つは、膨大な赤字の解消だ。赤字補填のために税金が投入され、その多くが職員の人件費に充てられていたのだ。

もう一つは、社会の公器である国鉄の健全な運営を妨げてきた労働組合の問題が大きかった。当時、労働組合は順法闘争という手段を使って賃金引上げ交渉などを行っていた。順法闘争とは、安全運行の諸規則を逆手に取り、それらを厳格に遵守することで列車の運行を遅延させるという闘争戦術である。ダイヤが大幅に乱れ、国民に多大な迷惑を掛けていた。むろん労働組合側にも言い分はあるだろうが、社会の公器という鉄道会社の役割を逸脱していたことは事実である。

「国鉄改革は、まさに社会改革だった」と井上さんは言う。税金の無駄遣いをやめて、社会の公器としての業務を阻害する労働組合が普通になる画期的な政策だったと、それまで苦労した井上さんは率直に感じたという。

JR東日本で新規プロジェクトにも参画

その後、井上さんは1987年4月にJR東日本へ入社、本社の企画部門から1990年6月には東北地域本社の企画調整部長となり、その間、中期経営計画の策定や山形新幹線のプロジェクトに携わった。1993年3月、関連事業本部ホテル・オフィス事業部長となり、JR東日本の新業態ホテルメッツの1号店を造った。「この時期が最も楽しかった」と井上さんは言う。1997年6月、取締役千葉支社長に就任し、事故防止やお客さまサービスの徹底に尽力した。

1999年10月からは取締役施設電気部長として、Suicaを推進するプロジェクトを担当した。民営化と共にスタートしたSuicaプロジェクトだったが、最初はうまくいかなかった。技術的なハードルが高かったのだ。このプロジェクトを成功させるための最後の総仕上げの3年間が井上さんの仕事だった。

2000年6月に常務取締役鉄道事業本部副本部長に就任し、2002年6月からは日本電設工業株式会社(NDK)の代表取締役社長となり、現職(顧問)に至っている。

NDKでは社員の能力の総和を最大に高めることに尽力

NDKで働いてみて驚いたことは、支店長に受注権限があり、利益管理まで徹底的に行うという仕組みだった。JR東日本の千葉支社長時代には、そこまでの利益管理ができる仕組みではなかった。「この仕組みはすごい、さすがに民間会社だ」と思った。

経営を行う中で心掛けていたことは、社員の能力の総和を最大に高めることだった。優秀な人間を外部から採用すればいいと考えるのは短絡的だと、井上さんは思っていた。それよりも、今いる社員の能力を個々人で5%上げられれば、コスト増ゼロで仕事量が5%増えるので効率が良いと考えてきた。

そのために、人事制度を整備した。能力や成果を適正に評価して、人事異動によって適正配置をするということを繰り返した。また、社員の能力を上げるための教育訓練も徹底的に行った。ボーナスや昇給を査定する側の教育も同様に力を入れた。自分の能力を向上させれば適正に評価してもらえ、給与やボーナスに反映されることで、社員のモチベーションが上がっていくことを感じた。

こういった経験・知見を次世代の人達に伝えたいと考え、現在は技術経営士の会でも活動をしている井上さんに、JR東日本やNDKが捉えていた企業の公器性や、次代の企業に求められる経営についてインタビューをした。

JR東日本のステークホルダー

──井上さんが経営者をしていた頃のJR東日本は、ステークホルダーをどのように認識していたのか。

国鉄が民営化し、JR東日本になったときには、とにかくいい会社づくりをしようということが最大のテーマだった。意識を変えようという思いが大きかった。それは、ステークホルダーとどう向き合うかという意味である。国鉄時代は、向き合っていたのが国会と労働組合だった。

国鉄改革と同時に意識改革も行われ、JR東日本になってから、お客さま・社員・取引先・地域という4つのステークホルダーに目を向けるようになった。

そもそも国鉄時代には「お客さま」という言葉すらなかった。単なる「客」である。満員電車が常態化しており、「客さばき」をするという感じだった。これでは駄目だということで、JR東日本になってからは「お客さま」と言い出した。
鉄道は土地の上に線路を敷いて走らせているので、まさに地域密着事業である。地域の人々との関係も大事だということを強烈に打ち出し、『あなたの街から未来へのびる』という印象的なコンセプトワードを作った。

もう一つ大事にしたのが取引先だ。もちろん国鉄時代も取引先はあったが、どちらかというとこちらが発注側であるという上から目線のイメージだった。取引先ではなく、「出入り業者」という意識であった。JR東日本は民間会社であるから、そのような意識ではやっていけない。取引先も非常に意識するようになった。

──株主に対する意識はどうだったか。

JR東日本になった直後は、普通の民間会社のような株主の概念と違った。国が株式を100%保有する特殊企業であった。できれば早く株式上場をしたかった。実際に上場して、株主数がどんどん増えていく中で、株主に対する意識は変わった。われわれのステークホルダーの歴史でいうと、株主は最後に登場した存在だった。

── 一般企業では株主のプライオリティーは非常に高いが、JR東日本時代のステークホルダーの順位は違ったというとか。

私の意識では、お客さま、社員、取引先、地域、株主という順であった。
そもそも国鉄は国の機関だったら、国民のためにやらなければいけないという公器そのものだった。しかし、国民のためと言いながら、お客さまを見ていなかったということは、今考えれば矛盾していたと思う。

 

NDKのステークホルダー

──NDKでは、各ステークホルダーについてどのように捉えているか。

NDKは設立時から株式会社だったから、株主に対する意識はとても高かった。けれども、その人たちに奉仕するという意識はあまりない。それよりも、最大の意識はお客さまである発注者に向けられている。発注者から年間幾ら工事を受注してくるかが会社の命運を左右するので、圧倒的にお客さまのプライオリティーが高い。

そのお客さまと接するのは社員なので、結局社員を大事することに焦点を当てるようになっていった。NDKは電気設備工事業がメインなので、工場があるメーカーと違って固定資産が少ない。だから、人材資産を大事にしないと事業が成り立たないというのが私の意識だった。

そのために社員を徹底的に教育し、1人当たりの能力をアップして、トータルのパワーを引き上げようと考えた。これならば、新たな人材を外から入れるわけではないので、毎月の人件費が増えるわけでもない。もちろん利益が増えれば、ボーナスで還元した。「人間力向上」と言い続けた。

また、取引先(下請け会社)も大事にしている。現場ではNDKの社員も取引先の社員も一緒に働いているので、取引先ではあるが仲間意識である。

NDKが付き合う地域社会というステークホルダーは、メーカーならば工場が立地している地域社会との付き合いであるが、われわれにとっては工事現場が地域社会であり、固定していない。騒音などでトラブルにならないよう、工事現場ごとに地域社会には礼儀をもって接している。

地球環境保全に必要なことは、きれいごとを言うより、実行すること

 ──地球環境保全への取り組みという意識はあったか。

世の中で地球環境保全と言いだす前から、われわれ建設業は廃棄物処理にとても気を使ってきた。工事で排出される廃棄物の処理を業者に頼んだとしても、その業者がきちんと処理しなければ発注したわれわれの責任が問われてしまう。

国鉄時代も環境問題には苦労した。国鉄は川崎市に自前の火力発電所を持っていたのだが、硫黄酸化物(SOx)や窒素酸化物(NOx)を排出していたので、地元住民から公害裁判を起こされた。

ちなみに現在の日本の火力発電所では技術開発が進み、SOx、NOxの排出量は主要先進国に比べて1桁も低い極めて小さい値となっている。自動車メーカーなども排気ガス問題で大変苦労したが、研究の結果、現在は多くの有害排出ガスの浄化技術が誕生している。

このように、地球環境保全という美しい言葉を言うだけでは、問題は解決しない。具体的、継続的な行動が大切だと思う。

国鉄はもともと生い立ちが公器である。それを引き継いだJR東日本もその意識はとても強い。NDKも国民のための公共的事業の仕事が大半なので、同様の意識である。企業が社会の公器だと捉えていれば、必然的に地球環境保全も真剣に取り組むようになる。

SDGsも理念だけではなく、実行しなければ駄目だ。新型コロナウイルス感染症が発生したので、SDGsに該当する項目を探したが、ほとんど触れられていない。人間の知恵が及ばないことはあるので、謙虚にならなければいけないという警鐘と思う。

 

アメリのまねをするのではなく、日本らしさを出せばいい

──次代の企業に求められる経営をどう考えているか。現在の日本企業の活動をどう見ているか。

1989年時点では、世界時価総額ランキングのTOP 50のうち、32社は日本企業がランクインしていた。2020年時点ではトヨタ自動車が47位に入っているだけだ。残念である。

欧米、特にアメリカのまねをすればうまくいくと思っているのが大きな間違いだ。私は日本的経営がいいと思っている。日本らしさを出せばいい。つまり、企業は社会の公器だと言ったほうがいいのだ。新しい言葉で言えば、公益資本主義である。

バブル前に日本経済が成長した理由は、もちろん時代の違いはあるけれども、メーカーをはじめとして日本的経営がきちんとできていたからだと思う。終身雇用は、人を大事にする制度だ。それを良いことと思い続けるべきである。

新型コロナウイルス感染症の拡大で、兼職を認めるのは良いが、社員の給与水準を下げるためとすればとんでもない話である。

米国ビジネス・ラウンドテーブが『企業の目的に関する声明』と題された公開書簡を発表し、株主資本主義との決別を宣言したが、風当たりが強くなったから言っているだけだ。日本は、もともとやっていることをやればいい。企業が日本の国のために何をしたいかを自分で考えるべきだ。

アメリカの悪影響の最たるものが、コーポレートガバナンス・コードだ。アメリカが日本市場から資金を吸い上げる手法である。徹底的にルールを変えて、長期に株を持たない者は配当を減らすなど、日本の国内法で対処してほしい。

アメリカの話に惑わされるのではなくて、日本企業独自の利他精神などに基づいて、きちんと経営に当たるのが大事と思う。

 

経営者は哲学を持て


大切にしていること:高校時代のテニス部の先生に言われた言葉。「今しかできないことをやれ。後でやろうと思ったときにはできない」。

 

──技術経営士の会の活動で、中小企業経営者に対してどういったアドバイスをしているのか。

具体的な知恵はないけれども、気持ちが大事だということを伝えている。日本人としての根性を持ってほしい。具体的には、経営者がしっかりとした哲学を持つということだ。欧米がどうだ、権威がどうだ、といったことに盲従しないことが大事だとアドバイスしている。

──日本社会全体が今のように元気がなくなった要因について、どう考えているか。

いろいろな要因が考えられる。銀行も弱くなった。今は銀行からビジネスモデルの提案や、ビジネスをこうしたらいいという話は全くしてこない。昔の日本興業銀行(興銀)は、日本を活発にするための活動をしていた。

また、インフラ系企業を民営化したが、民営化だけすればいいものではない。国鉄改革は成功したけれども、それからもう34年たっている。国鉄は1949年6月、JR東日本は1987年4月の設立。つまり、ほぼ同じ時間がたった。そろそろJR改革を準備すべき時ではないか。

電力会社もそうだ。日本列島はメッシュのような送電網を造れないのだから、意味のない競争は止めるべきである。次の世代に向けて、インフラ系の民営企業の改革を行うべきだ。

さらに、最近ではテレワークが脚光を浴びているが、まず、できない業種がある。工事のように現場を動かす業務では、後方業務以外は無理である。また、お客さま・上司・部下・仲間などとの対面関係が基盤になければ、テレワークは上手く行かないと思う。

 

──今後、日本企業が活性化するにはどうしたらいいと思うか。

例えば、日本はGAFAのようなことができなかったからうんぬんと言われるが、そういうことではないと思っている。日本人として持っている良さを生かせばいいのだ。かつて日本のメーカーが伸びた理由もそうだと思う。終身雇用制度で人を大事にして、工場の中を効率化して、競争力が付いたのだ。

アメリカのまねをする者がいい経営者だと思っているようでは駄目だ。経営指標のROEが高いからいいということではない。先に指標ありきではない。あるべき企業経営にのっとった指標で評価することが大事だ。世の中にある指標を見て、いいとか悪いという議論が間違っている。スタートを間違っていけない。

長寿企業でも、伝統的だからといって価値のなくなった事業を続けていては危ない。結局リストラになってしまう。経営者は、そのような事業を早めに次の事業に転換して、社員をそちらに移すべきだ。リストラして、経営者が大きなボーナスをもらうというのは本末転倒である。

繰り返しになるが、他人・他社・他国の考えや施策に左右されるべきではない。経営者がしっかりとした哲学・理念を持つということが大切でそれに基づいた経営をしていくべきである。

 

〈プロフィール〉

井上 健(いのうえ・たけし)

日本電設工業株式会社(NDK)顧問。1969年5月、東大工学部電気工学科を卒業。同年7月、国鉄に入社。1987年4月、JR東日本に入社し、取締役千葉支社長や常務取締役鉄道事業本部副本部長などを歴任。2002年6月よりNDK代表取締役社長に就任し、取締役会長、相談役を経て、現職に至る。技術経営士の会(任意団体)会員でもある。

日本電設工業株式会社(NDK)

https://www.densetsuko.co.jp/

東京都台東区池之端一丁目2番23号

従業員:2,403名

連結売上高:1,982億円

(共に2020年3月31日現在)

技術経営士の会

http://stamp-net.org/

東京都千代田区飯田橋三丁目3番13号

個人会員:134名

賛助会員:1社

(共に2021年1月現在)

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WRITER
サイエンスジャーナリスト
小林 浩
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1964年生まれ、群馬県出身。国立群馬高専卒。専攻は水理学と水文学。卒業後、日刊紙『東京タイムズ』をはじめ、各種新聞・雑誌の記者・編集者を務める。その後、映像クリエーターを経て、マルチメディア・コンテンツ制作会社の社長を6年務める。現在は独立し、執筆と映像制作に専念している。執筆は理系の読み物が多い。 研究論文に『景観設計の解析手法』、『遊水モデルによる流出解析手法』、著書に科学哲学啓蒙書『科学盲信警報発令中!』(日本橋出版)、SFコメディー法廷小説『科学の黒幕』(新風舎文庫、筆名・大森浩太郎)などがある。

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